笑むきみの心残りは霜の声 | ナノ


※転生現パロ



 ひゃあ、おまえ、こんなにちべたくなっちまって、ほっぺも鼻もまっかっかじゃあねえか。玄関を開けるなり巨躯の恋人に抱きしめられ、顔を覗き込まれては、そんなかわいらしいことばのオンパレードを振りまかれたおれは、今年で齢二十六にもなる立派な成人男性である。たしかに外は、夜の帳が下りたそばから極端に冷えこみ、つんと鼻の奥もつんざくように痛むほどであったし、なによりも今日は休暇の彼が、こうしてあたたかく出迎えてくれることまで、むしろ織り込み済みであった。しかし、いかんせん毎回こちらの想像を軽く超えてくれるのがこのおとこで、本日もまたこうして、おれの情動を揺さぶってくれるのだ。
「風呂で、あったまってくるか」
 おれもさっき入ったばっかだし、まだほかほかだぜ。止める間もなく広い手のひらに頬を包まれ、冷えきった皮膚に、彼の体温が燃えるように沁み込んでくる。並びの良い白い歯を見せて鷹揚にわらってくれる彼から、どおりで洗髪剤の良いにおいがするはずだ、とささやく助平心を押しのけてうなずいたおれは、彼にも手洗いを勧めては脱衣所に向かった。
「あれに気をつけろよ、ほら、あの……カウンターショック」
「ヒートショックな」
 意図とは真逆の、蘇生法の名を口にする彼に思わず破顔しながら、服を脱ぎ捨てていく。ああ、思えばろくでもない医学の使い方をしていたものだ、とかつての記憶をたどりつつ、そもそもそうさせた世界がわるいのだ、といつもの帰結に落ち着いていると、ふと、背後から視線を感じた。
 ちゃんと洗ったらしい手の濡れたままの彼が、すこしばかり開けた扉から、半分だけ、いとしい顔を出してこちらを見つめている。廊下から流れこむ冷気のなごりに、いきおい鳥肌が立つ。
「おい、コラさん……」
「……このあと、おまえがいいならよ」
 星でも、見に行かねえか。寒いと、文句を言いかけた声は引っ込んでいた。ほんのすこしくすんだ、されど鮮やかな茜色が、まろやかにやさしいまなざしをくれている。
「なんだ、出かけたかったのか。コラさん」
 さっき言ってくれたら、すぐ出たのに。散乱した服を屈んで取りかけようとするも、ばあか、と肩を揺らしては脱衣所に入ってくる彼に遮られる。それじゃあ、意味がねえんだ。どこまでも読めない彼の、ほほえみの奥によぎる寒々しい色に気がついたのは、このときのことであった。
 下着一枚のおれの足許に、腰を下ろす彼が、洗濯機に背を預けて片膝を立てる。ふわふわと癖のある金髪に隠されがちなつむじが、よく見えた。
「……風呂に入って、飯も食ってさ」
 なんの不自由も感じない、そんな満たされた心地で、寒空の下、星をみるんだ。ゆるやかに語るそのくちびるに、ルージュが乗っている幻覚がこの目を襲う。降り積もる雪、ワインレッドの頭巾、お気に入りの煙草に、いつもよく燃えていた、烏羽の外套。
(――ああ、幻覚なんかじゃあない)
 かつて決してわすれることのなかったあの、にじむ視界に刻みつけた、この手の届かぬ彼の終の姿が、ひどく重なってはこの腹の底を引き絞る。コラさん、そう思わず膝をついて喉をこじ開けるのと、彼がまた、いや、と、口を開いたのは、同時のことであった。
「いっそ、星も、なんにも、なくてもいい」
 行きも帰りも、なんにもおこらない。空を遮るものもなにもない、おれたちの身体の芯はぽかぽかとあたたまっていて、なにものにも追われず、なにものにもおびえず、おれたちの手は、ずっと離れない。なあ、どうだ、ロー。
「最高のぜいたくだと、思わねえか」
 滔々と、うたうようにそんな、きっと彼自身がなによりも望んでいたゆめを紡ぐ彼は、呼吸も忘れたおれを見上げては、に、と笑みをつくるのだ。ああ、彼は、致命の季節を迎えるたびに、その静謐な胸をひとり、こごえさせていたのだろう。いままでそんなそぶりのひとつ、見せてこなかったというのに、それほどまでに今日の寒気がこたえたのか、それとも、彼のかたい沈黙を溶かすほど、おれが、隣に並び立てるようになったということであるのか。
 コラさん。声がわななく。生乾きの彼の手を取っては、しっかと握る。
「ぜいたくなんか、いっぱいしちまえばいい」
 おれは、コラさんがしあわせにわらっていてくれるなら、そのしあわせのそばにいられるのなら、なんだっていいんだ。隠しきれぬ寂寥のにじんでいた狭い虹彩が、ひらめく。金のまつげに彩られた下瞼が、次第に、うれしげなほほえみのかたちに反っていく。そのあまりのうつくしさに、惹かれるがままくちづけを贈ろうとして――むずり、鼻の奥が浮いた。
「エブション!」
「……アッハッハ!」
 すんでのところで顔をよじり、肘の裏で口許を覆ったのはいい判断であったろう。おれの飛沫を被らずに済んだ彼はといえば、一瞬呆気にとられてはいたものの、ず、と鼻をすするおれに思考が追いついたのか、急に普段の調子に戻ったように高らかな笑い声をあげている。呼び止めてわるかったよ、さむかったのになあ。素肌の肩をさすってくれるぬくい手に、そのまま、彼とともに立ち上がるように促されては、浴室へと背を押される。
「ゆっくり、あったまってこい」
 待ってるな。長い指の背で、頬を撫ぜられる。ふ、とあまやかにささめくかんばせの、落ち着いたことばとは裏腹に浮ついた気色がおかしくて、わらいだしそうになるのをどうにかこらえてうなずく。扉が閉ざされたそばから聞こえくるごきげんな鼻唄を耳に、湯を床に流しつつ、そっと、その扉をもういちど開くと、廊下の向こうから、派手にすっ転ぶいつもの音とちいさな悲鳴が飛んでくるのだ。思わず喉を鳴らしてはまた閉める。
(あんたの閉ざしたものは、もう、なんだって開けられる)
 あんたのこころも、そうできてたらいいな。いつだっておれをきずつけまいと、解き放とうとしてくれた彼から、はじめてもらった未練のかけらが、おれの胸でひそやかに輝く。彼と揃いの洗髪剤の香りにささやかな幸福を先に得ながら、おれは早く彼に寄り添おうと熱い湯を頭から被った。

笑むきみの心残りは霜の声

2024.01.24

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