おすそわけ | ナノ







 香水を買った。
 町で目についた、薄青く透き通った硝子の小瓶を満たすその香水は、「しあわせの香り」だとかいう文句と共に売られていた。実にうさんくさいものだと思ったが、それがしかしその店の一番人気であるというのだ。そんなものにまで手を出したくなるほど、人々の心は荒んでいるのか、と達観ぶりつつ、それに金を払うおれもおれだ。手の中におさまった瓶は、ひんやりとつめたかった。
「ゴゴ、へんなにおいだ」
 そうして戻ったこの飛空挺の中で、だれにも引けをとらない敏感な鼻を持っていたのは、やはりこの野性児であった。そのぼさぼさの緑の髪をした少年は、部屋から出たおれとすれ違いざまに突然、何重にも巻いた衣をぐいと引っ張ったかと思うと、すんすんと鼻を鳴らすなりぱちぱちと目をしばたたくのだからしようがない。思わず苦笑すると、すこしはひとの機敏がわかるようになってきたのか(いや、もともと非常に鋭い子ではあるのだが、いかんせん行動が追いついていなかったのだ)、んー、と目を巡らせた少年は、なにやら思いついたようにぱっと顔を輝かせた。
「そう、ふしぎ、な、においだ!」
 その訂正に、ああ、くさいというわけではないのかと少年の意図を理解する。それならば、とおれは好奇心に目をきらきらさせている少年の前に、一枚ぱらりと極彩色の衣を剥がしてみせた。ああ、つけている香水は、なにもひとつだけではない。
「……どうだ?」
「に、にくのにおい、する」
 表情を豹変させ、いまにもよだれを垂らして食らいついてきそうな顔をする少年に、これはまずいとあわててもう一枚めくってやる。すれば舞い上がる涼やかな香りに、一転して少年は頬をほころばせるのだ。
「草のにおい!」
 獣ヶ原のにおい、とうれしそうにわらう少年のまぶしさに、ついつい次の衣に手をかけようとして、急に背中を襲った衝撃につんのめる。なんだと驚きのまま肩越しに振り返れば、おれの首に掴まった絵描きの少女はいひひ、とばかりにわらうのだ。なにしてんの、と問う少女に、少年があのな、あのな、と興奮さめやらぬ様子で声を立てる。
「ゴゴ、すごいんだぞ! 服めくったら、におい、変わる!」
「……どういうこと?」
 きょとんとした顔ではなく、怪訝に眉をひそめるあたりが少女らしい。背中から降りた少女がやってみろと言わんばかりに少年の隣に座るのを認めてから、そっと草の香りの衣を剥いでやる。ふわりと広がった香りが伝わったのだろう、あ、と少女がつぶやいた。
「花だ」
「そう、花だ。だが、まだまだ変わるぞ」
 そう言い遣って赤い衣をめくれば、はちみつの香り、山吹色の布地をほどくと砂のにおいが舞い、灰色の織物をはずせば煙草のにおいが滲む。そしてさらに布を剥がして現れた独特のきついにおいに、効き過ぎる鼻を持った少年は顔をしかめ、しかし少女はと言えば、むしろ、頬をかすかにあかくさえしてその口許を緩ませるのだ。
「やだ、もしかしてこれ、絵の具のにおい……!」
 あんたすごいんだねゴゴ、なんでにおいが混ざらないの、もっとやってみせてよ。そうだそうだ、もっとやれ。少年少女の生き生きとしたまなざしにすっかり気をよくしたおれは、その勢いのまま衣をめくりかけたものの、ぎくりとして手を止める。布の壁の薄くなった背中に、ざっくりとした視線が刺さっていることに気がついたのだ。
「おうおう、こどもの前でストリップショーたあ、たいした趣味してるじゃあねえか」
「教育にはよくねえな」
「いや、逆に、いまのこどもは知らなさすぎるんだロック。こういった荒療治もまた……」
「おれはおまえの国のこどもが心配だよ、エドガー……」
 振り返らずともわかるこの聞こえよがしな会話は、あの賭博師と盗賊と王の三人組にちがいない。まったく質のわるい奴らに見られてしまったと歯噛みして、くちびるを尖らせるこどもたちにもかまわず、そそくさと衣を巻きつけて部屋に逃げる。
「待って、ゴゴ!」
 だが、部屋に逃げ込む直前、ふたたびぐいっとこの服を引かれたものだから心臓が跳びはねた。顧みれば、さきほどの少年少女がふたりそろって衣の裾を握っている。
「なんだ、いったい、どうした……」
「あの、ガウがね。最初の服のにおいがどうしても、なんのにおいかわからないって言うの」
「ふわふわあまくて、でも、なんだか、ちょっとだけしょっぱい。なんのにおいだ?」
 難しそうな顔をしてみせるこどもたちに、ああ、と覚えず目許があたたかくなった。すこし屈んで、口布の前に手を添えてやれば、おとなしくふたりが耳をそばだてる。
「たとえるなら、しあわせだな」
 あまいしあわせには、しょっぱいせつなさもつきものだということだ。ぱちりとウインクをひとつ、投げては扉の内側へとやっとのことで入り、息をつく。
「……これでじゅうぶん、教育的じゃあないか」
 まあ、こじつけではあるが。机上にある、町で買った例の香水に目を遣りながら、そうひとりごちる。しかし扉の向こうから届くふたりぶんのくすぐったそうなわらい声に、この顔はどうにも緩んでしかたがなかった。

おすそわけ
(どんながらくたでも、笑顔を生み出すのならばそれは、れっきとしたしあわせなのだ)


55★祭企画様にこっそり提出させていただきました。


2013.05.05



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