エンプティミラー | ナノ







「となり、いい?」
 ふわりとした声音が鼓膜をくすぐるのにくるりと振り返れば、幻獣の血を引いた少女が、そのふたつの淡い群青でおれを見つめていた。ああ、そうとだけ答えて、ふたたび飛空挺の欄干にもたれかかる。太陽は地平線の向こうへと今まさに沈んでいくところで、その濃い橙は視界いっぱいを余すことなく染め上げているのだ。きれいねえと無邪気にわらう彼女に、まるで散り際の命の輝きのようだと考えていた自分がいやになる。
「きれいねえ」
 己の愚かしさを隠そうと彼女の声色を作れば、くるんと目をまるくした彼女はものまねね、とわらうのだ。灰がかった金の髪が、軽やかに風になびく。それを耳にかける仕種をも複写すると、そのふくよかなくちびるがやわらかく弧を描いた。
「ゴゴは、鏡みたいね」
 全部ぜんぶ、写して、映し出すのだもの。ゆったりと紡がれる言葉に思わず苦笑する。そうでもないさ、そう肩をすくめれば、そうなの、と問われた。
「そうだ」
 全部なんて、うつせやしない。にこりと目を細めて彼女を見遣る。きょとんとしたその表情に、ほら、こころをうつせる鏡なんてないだろう。冗談めかして手を広げども、彼女はその瞼でいちどまばたきをしたきり、おれから視線を逸らしてくれないのだ。
「……こころも、うつしたいの?」
 すっと、胸に切れ込みを入れられたような気がした。痛みのないその傷は、もともと存在していたかのような扉となって、己の内側をさらけ出すのだ。ああそうだ、ものまねには、中身がない。鏡のように姿形をまねることしかできないのだ、他者をまねているそのとき、その複写した姿形の中には何者も存在していないのだ。ただ、器のみがそこにある。
「からっぽなんだ」
 ふつりとやんだ風に、沈黙が足元に沈み込んだ。原動機の音と振動が空気を震わせる。まあ、あんなところで修行をしていたのはそれもあるのだけれど、そう途切れた会話を繕おうとしたその瞬間、ごうっと突風が甲板を走り抜けた。よろめく彼女に手を伸ばしたのと、覆面の中に空気が入り込んだのは同時で、その布地は押さえようとした指をすりぬけ、いとも簡単に風に乗っていくのだ。
「おい、大丈夫かー!」
 だれも落ちてねえだろうな。舵を切っていたのだろう賭博師の声に、答えようにも答えられない。欄干から身を乗り出して覆面を掴んだのは、おれではなく彼女であった。乱れた髪を直しながら、からっぽなんかじゃあないじゃない。そうその頬はほころぶ。
「だってゴゴは、からっぽじゃあ、ないでしょう?」
 ひとをまねるのもゴゴ。ひとのこころを思い浮かべて、ものまねをするのもゴゴ。あなたというひとがいて、はじめて、ものまねがものまねになる。手渡される覆面を呆然と受け取る。自分の存在を、わすれさせていた覆面を。
「いくらものまね師だからって、ゴゴ自身がいなくなってしまうのは、いやだな」
 そんなのは、いや。おだやかでさびしげなそのほほえみは、おれに視線を逸らさせるには十分すぎる代物であった。だから、覚えておくわ、あなたを。どこまでもとうめいなまなざしが、じっと素顔を射抜いてくるのに、背筋がむずがゆくなる。どうしようもなくいたたまれずにぼふりと覆面を被って踵を返せば、ずるい、むくれたような、しかしおかしそうな声が飛んでくるのだ。そのまま聞き流そうとして、ああとおれは振り返る。
「……だれにも言うんじゃあないぞ」
 おれの顔を見ただなんて。そのくちびるに人差し指を当てて牽制をする。今度こそ立ち去ろうと背を向けて、ええと返ってきた音に安堵した。
(まったく、不思議な娘だ)
 指に残るくちびるのやわらかさに、おれは頬の熱さを逃がそうとひとり、大きく息をついた。

エンプティミラー


某Gさんにささげます〜!^///^


2012.02.08



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