ふゆのあめ | ナノ







 傘をわすれたなどと、ひどい言い訳だ。この嘘にまみれた貧民街に常時雨が降っていることくらいは、だれもが知っているというのに。飛空挺に戻った後のことをぼんやりと考える。頬に張りつく髪がうっとうしい。首筋から背に入り込んだ水滴に、鳥肌が立つ。今日の雨は、一段とつめたかった。
 ぶらり、ぶらりと足を出しては石畳を踏み、水溜まりを踏む。裏の賭博場に向かうわけでもなく、かといって町を出るつもりもないのだから、歩みの先は自然と錆びたいろをした壁の暗がりへと向けられるのだ。温度を持たぬ石膏の壁に背を預け、煙草を一本、口にくわえる。火をつけずとも、こうしているだけで多少なりともばつのわるさは忘れられた。
(なんだって、おれはこんなところにいるんだか)
 お祭り騒ぎがすきな彼らのことだ、今ごろ愛機の中はお遊戯会のごとく飾り立てられているのだろう。いや、もしかするとすでに、今日の主役がいないことに気づかれているやもしれない。しかし戻ってやる気は端からなかった。素直に祝われる気分ではなかったのだ。
(あのくすぐったさが、いけない)
 無理矢理に押しつけられた宝石の羅針盤が、乱暴に頭を撫でてくる手が、はっとするほどあかいルージュをひいた唇でわらう親友が脳裏を巡るのに、おれは苦々しい思いで頭を振った。いまだ思い出に昇華しきれていないだなどと、彼女が知ればどう思うのだろうか。ああ、きっと、ばかだねと笑い飛ばしながらもすこしこまった顔をして、きつく小突いてくるに決まっているのだ。自己満足の幻影にふ、と息をはいたそのとき、視界に見覚えのある靴が映りこむ。
「……ずいぶんと、さがしたよ」
「そりゃあ、ごくろうなこった」
 傘をさしてほほえむ一国の王に肩をすくめても、彼はひとつも表情を変えないのだ。こんなに濡れてどうするんだ、そう言う彼の、こちらに傾けられていた傘を奪い取り、遠くへと放る。雨粒は例外なく彼の髪を、肌を濡らして服へと染み込んでいった。彼はなにも言わない。そのあおい双眸でおれをそっと見据えたまま、そこから動こうともしなかった。
「……戻れよ」
 おまえに風邪をひかれちゃあ、たまったもんじゃあない。転がった傘を視線で指してそう吐き捨てるも、その瞳は深い空の色をしたままおれを射抜くのだ。そうして、いやだ。紡がれた音におれは耳を疑った。
「いやだよ、セッツァー」
 きみを置いて、飛空挺にはもどれない。だだをこねる子どものような拒否の言葉に、なにをと返す前に頬を包まれる。つめたい、ぽつりと落ちたつぶやきは耳元で発せられたもので、気づいたときには彼の腕が背に回っているのだ。
「知っているか」
 冬の雨は、つめたくて、さみしくて。すり、濡れた頬が擦れ合う。染み込むように伝わってくるぬくもりが、喉を流れ、胸底をもとかしていく。
「ひとりぼっちなんだ」
 だから、もどらない。顔を首元にうずめられるのに、雨ににじんだ髪に触れる。薄闇においてもきらめくその色に、おれはああ、と白い息を吐き出した。
(ことごとく、金髪は鬼門だな)
 ふやけた煙草を放り捨てる。胸中に広がった苦さは、先のそれよりもわずかにあまかった。

ふゆのあめ
(やさしさなど、いらないというのに)


セッツァー誕生日話でした。


2012.02.08



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