おめかし | ナノ







 ちり、と先ほど部屋で紅に彩ったばかりの指先が、なにかしらの圧力を受けている。その気配をたどるように顔を上げると、いまや無惨に滅びた帝国の(とはいってもおれはずっと孤島の、しかも怪物の摩訶不思議な胃臓の中にいたものだから、その残虐性も末路もこの身をもって見知っているわけではないのだが)元将軍であった可憐な娘が、頬杖をついた机の向かいからおれの手を見つめているのだ。声をかけることもなくじっとその様子を見つめて数十秒、ぽつりと彼女はつぶやきをこぼす。
「きれいな手ね」
 そこには世辞ではなく、ただただうらやみの響きがにじんでいた。どちらかと言えば肉のうすい頬に添えられたその右手に目をやれば、彼女はさりげなくそれをすこし傷んだ髪の中にくらますのだ。そんな言葉を吐いておきながらその態度はなんだ、とあきれつつ、手を差し出す。
「隠さなくてもいい」
 見せてみろ。なかなか髪から出ようとしない手にじれったくなって言を継ぐと、彼女はためらいがちにその白い指をおれの手の上に置いた。剣だこが据わる指の先を、幾度もの戦闘の最中に割れてしまったのであろう爪が痛々しく包んでいる。なぜ、治癒のまじないを使わない。ひとつひとつの傷口に魔法をかけてやりながら問えば、彼女はこまったように肩をすくめた。
「どうせまた、すぐに割れてしまうもの」
 いちいち治していたら、きりがないわ。すこしさびしげにわらうその目許にはじめて、難儀な生き方を彼女に強いていた帝国をにくいと思った。唐突に沸き上がったその感情はしかし、ただのうすらさむい同情でしかないゆえに、すぐに胸底の闇に沈んでいくのだ。そうだ、当人の意志があるとはいえ、われわれも彼女を戦場に立たせているという点では、帝国となんら変わりはないのだ。ああ、ごめんなさい。ちょっと、いいなって、思っただけなのよ。いつのまにやら眉を寄せていたらしい、なにを勘違いしたのか謝り出す彼女に首を振ろうとして、おや、と明朗な第三者の声が割り込んでくるのに振り返った。
「セリスにゴゴだなんて、これはめずらしい」
 青い双眸をまるくして机に近づいてくる砂漠の王は、どうやら今日は一日休養をとるつもりらしく、その金髪をゆるくまとめていた。彼女よりもこの男のほうが身なりに気をつかっているように見えるのはきっと、職や育ちがあまりにも違いすぎるからなのだろう。なんのはなしをしていたんだい、と呑気に首を傾げる彼に、櫛を持ってこいと言ってやる。
「櫛を?」
「ああ、それでその髪を念入りに梳いてやれ」
 まったく、年頃だろうに、色気が足りなくていけない。はあとため息をついて立ち上がれば、なによ、と彼女はくちびるを尖らせるのだ。年相応のその表情に、やはり娘はそうあるべきだと内心で頷きながら部屋へ戻る。そうして道具箱を持って再び談話室に行ったときには、すでに彼が彼女の髪に櫛を通しているところであった。
「きみの髪を梳けるなんて、光栄だね」
「……あなたの髪はいったいどうなっているのよ」
 本人いわく女性専用の最高級の笑顔を浮かべている彼にもかまわず、彼女は少々不機嫌そうに頬を膨らませている。まあ、国の象徴だからね。一転して苦笑する彼の言葉に耳を傾けながら、おれは箱の中から爪切りを取り出す。
「ちゃんと手入れをしないと、ばあやにも大臣にも怒られてしまう」
 砂漠の色だなんて言っても、結局はただの髪なんだがなあ。彼女の爪を整えながら、ならば切った髪は高く売れるのだろうかと単純に考えかけてやめる。国宝とはいえ、男の髪などを欲しがる輩はきっとよほどの物好きに違いない。くだらないことを思いながら爪の表面を磨いている間に、彼が香油を彼女の金糸になじませる。つやりと双方が輝き出した、そのときになって、すこしうつむいていた彼女はちいさくひとりごちた。
「……ロックは、気づいてくれるかしら」
 ばちり、覚えず彼と視線が合う。考えていることは一緒のようで、面倒に巻き込まれるのは勘弁だと先に目を逸らせば、彼はかすかにうろたえたようであった。一瞬の逡巡の気配をおいて、いつもと変わらぬ彼のあまい声が響く。
「……ああ、気づいてくれるさ」
 鈍いあの男にてこでもきれいだと言わせるべく、おれは爪の色に紅を選ぶことにした。

おめかし
(どちらにせよ、彼女はうつくしいのだけれど)

2012.01.18



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