「小テストの問題を作るって言って滝内先生は資料室に行ったわ。挨拶してきなさい」
そう言われたのが3分前。
これから担当となってくれる先生に挨拶しないのは不味いが、職員室とそう遠く離れていない英語資料室に至るまで時間はかからず、心の準備をする時間すら得られなかった。
職員室のすぐ隣の階段を三階まで上がって、角を曲がって少しだけ歩いた部屋。
文系学科の資料室が並ぶこの近くは生徒達が来ることは滅多になく、教師もテスト用の問題を作ったりしない限り立ち寄らない。
だから静かでいい、と。
滝内が言っていたのを思い出した。
滝内に片想いをしていたあの頃、少しでも傍にいようと、声を聞こうと、授業の前には必ずリスニング用の機材を取りに来ていた。
重くないから大丈夫だ、とその度に滝内に苦笑いされたが、それでもその役を卒業まで続けて、この資料室から教室まで二人っきりで歩いたのを覚えている。二人っきりの時間。
(…もう3年経つんだな)
あの頃のまま、この廊下は静かだ。
俺の足音だけが響いて、空気を揺らす。
見慣れたドアの前に立った。何度も、何度も俺はここに来た。もう目を閉じてでも教室とこの資料室を行き来できるんじゃないか、と思うほど記憶に焼き付いて離れない風景。
静かな廊下。窓から差し込む光が床に当たって、その先の壁で屈折する。空気中に舞う少しだけの埃。廊下側の窓から見える景色は校外の町通りで、資料室の中からは校庭。
初夏の暑さにじわりと汗が滲む。
いや、暑さが原因なんかじゃなかった。
コンコンコン。
(あ、やばっ、)
ノックをした後に気が付いた。
つい昔の癖で3回のノックをしてしまった。
実は、ノックには正式なマナーがある。2回がトイレ用。3回が家族や恋人など間柄が親しい人用。4回が一番正式なもので、教師や上司など礼儀正しく接しなければならない相手用。
これは滝内が授業でたまたま話していた話だった。俺は職員室に入る時はノックを4回するが、この資料室に限っては3回。
滝内も苦笑いで許してくれた。
その癖が、今出てしまったのだ。
あの頃と全く変わらないノックの音は、同じ大きさ同じ速さで、空気に響いていった。
「どうぞ」
返事の声もまた変わっていなかった。
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時が経ち、記憶が薄れ、
俺はついにあの頃に向き合う決意をした。