幸いと言うべきか、フロントからこの部屋まで来るにはそれなりの距離を歩かなければならない。エレベーターだって一度乗り換えるから、準備にはある程度の時間があった。
テーブルにあるティッシュで軽く処理をして、服を着込む。驚いて一気に萎えた下腹部は目立たないし、シャツのボタンだって一番上まで締めれば鬱血痕にだって気付かないだろう。
だが、思考の整理が必要だ。
黙ってソファーに座り込む俺を見もせずに、加賀美は三本目の煙草に火を付けた。
濃く重たい白煙が吐き出される。煙草を味わう加賀美の服装はとっくに整えられていて、先程まで俺を組み敷いていたとは思えない。
そして、ついにピーッという高い音と共に扉が開き、足音が二人分入ってきた。
「っ、」
播磨と、…慧だ。
一瞬慧と目が合って、だが、平生には見ないその鋭さに思わず目を逸らしてしまった。
ソファーの前まで来て、慧が歩みを止める。口を開くことはなかったが、肌に突き刺さる視線の鋭さに無意識に緊張していた。
(バレた?こんなに早く?)
少しだけの沈黙。時間にして不自然さもない数秒だったと思う。だが、やたら長く感じた。
先に沈黙を破ったのは加賀美だった。
「初めまして、清宮様。オーナーの加賀美です」
簡潔な自己紹介。
加賀美は人が良さそうに微笑んで見せたが、ちらっと顔色を窺った限り慧はいい顔をしていない。むしろ不機嫌にさえ見えた。
「…清宮です」
地を這うような低い声だった。
そして、慧は加賀美がさらに何か言う前に言葉を続ける。決して友好的だとは言えない低い声で、明確な敵意さえ滲んでいた。
「申し訳ないが、朝倉を返してもらいたい。仕事で急な要件が入ってしまった」
「えぇ、どうぞ」
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目には目を、歯には歯を。
罠には罠をもって制するのが最善だ。