幸せの魔法
船に戻って、リドの自室に入った。
港の中の波は小さく、船はほんの僅かに穏やかに揺れている。パタン、とドアが閉まる音に俺が振り返るよりも早く、背後から伸びてきた腕に強くきつく抱き締められた。
「リ、」
名前を呼ぼうとして、唇に指を当てられる。
何も聞きたくないと言うようなその動作に口を閉じれば、抱き締められたまま肩に頭を埋められるのを感じた。
小さな子供が駄々をこねる動作。だが、何も言ってこないあたり、リドはきっと切ないながらも心の整理がついている。
嘘だよ。俺の負けだ。
一緒に行くからもう悲しむな。
あまりにも気配が切なく揺れるものだから耐えきれずにそう言おうとした途端、掠れた声が重なった。耳たぶのすぐ近くで低く艶やかな声が発されて体が少し震えた。
「なぁ、ロー、…最後にもう一度だけお前を愛させてくれねぇか…?」
それがあまりにも寂しそうな声だったから、本当のことを言う前に頷いてしまった。
長く吐かれた溜め息は俺に拒絶されなかったことへの安堵があったが、それと同時に泣くのを我慢しているようにも聞こえた。
「リド、俺は…っ、ん、」
「何も言うな」
正面を向かされて、唇を奪われて。
いや、唇を奪うとかいう貪るような激しいキスじゃなかった。むしろ俺を気遣っていた優しいキスは最後の一度を味わうように、その感覚を覚えようとしていた。
本当に優しいキスだった。唇で触れ合って、少ししてから舌が入ってくる。なのに、リドの目元が泣きそうに歪む。
リドの背中の服を握りしめればいつもならキスが激しくなるのに、この時ばかりは時間稼ぎのような生温いキスだった。
焦らしてる、と思った。
だが、俺を焦らすにしてはあまりにもリドの表情が切なくて、苦しすぎた。
背中に回された腕が小刻みに震えていて、俺はリドを慰めるべく自ら舌を絡めた。ぴちゃぴちゃとした水音はいやらしくて、キスだけで体が熱くなっていく。
柔らかい黒髪を梳かしながら後頭部を撫でてやると、猫みたいに気持ちよさそうに目を細める。だが、鮮やかなエメラルドはやはり不安そうに揺れていた。
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