9.
「…なぁ、リド」
リドを見詰めた。
青白い月の光。自分のドレスに落ちるその光に海色の布地が同化して溶けそうだ。
脚を組めば、スリットの部分から脚が出た。純白のヒールは踵の部分がガラスで、キラキラと輝いていた。だが、今にも消えそうな儚い光で、魔法の名残のようだった。
とあるおとぎ話の最後の魔法。
それは十二時の鐘と共に消えたが、俺がリドの前からいなくなることは永遠にない。
だが、素直にそれを認めるのが癪だった。全てこの黒猫の思い通りになったようで。
「今ならお前が言っていた自由ってやつが分かる。海軍は退屈で、…息苦しい」
水槽しか知らずに育った金魚がそれを狭いと思うことはないが、一度広大な海に出たら二度と水槽の中では生きられなくなる。
窮屈で、退屈で、息ができないんだ。
頬を撫でる自由な風。光を反射してざわざわと揺れる海面。潮の香りに高鳴る胸。愛しい人との気ままな航海。真っ白な雲を追い越して、茜色の夕焼けに追い越されていく。
それを想像するだけでドキドキする胸は、もう元には戻れないと告げていた。
(セイレーンか、…本当にな)
人を惑わす海の魔物。
うっかりその歌に惑わされた俺は海の中に引きずられていって、もう戻れそうにない。
だが、その海の中が心地よくて、こいつの傍で生きていきたいと願って、しかも後悔もないんだから本当に厄介な相手だ。
こいつは俺から全てを奪った。
仲間も、信念も、誇りも、未来も。
いや、違うな。リドが与えてくれたものがあまりにも鮮やかなすぎて、俺は自分から全てを捨ててリドだけを望んだんだ。
(…あぁ、悔しい)
だから、まだ喜ばせてはやらない。
「だから、世界を見て回ることにしたんだ。今まで見れなかったものとか、…一人で」
嘘だよ、お前と一緒にだ。
(堕ちよう、お前のところまで)
心の中でそう思っていてもリドに教えてやるはずもなく、切なそうにする彼に少しだけ仕返しができたようで気分がよかった。
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