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六月に入ったから梅雨と名乗った。
身寄りも行く宛もなくなった俺は、別に本名を使っても不都合はなかったけれど、ひどく汚される全ての中で名前だけはあなたに呼ばれた記憶のまま綺麗に残したかった。
【六月の雨】思えば、昔から雨とは縁が深かった。
家が貧しかったから間引きに出されたんだと思う。あの時の俺はまだ幼かったけれど、ぼんやりと捨てられたんだと分かっていた。
一人で路地に蹲り、霜月の雨に打たれて凍えていた俺は幸運にも旦那様に拾われ、広い屋敷の使用人として働くことになった。
居場所を与え、温もりを与えてくださった旦那様には心の底から恩を感じている。
…報いることが出来なかったのは俺だ。
俺は、あろうことか旦那様のご子息様でいらっしゃる馨(かおる)様に恋をした。
浅ましい想いだった。
身分違いにも程がある恋が叶わないだなんて、そんなことは分かりきっていた。
それでも使用人にも優しく声をかけてくださる若君の声に、姿に、眼差しに、雰囲気にどうしようもなく惹かれて、気が付いた頃にはもう想いを止められなかった。
まるで雪だるまのように勢いがついてしまえば止められず、恋心はどんどん大きく、どんどん加速していってしまった。
俺は想いを隠し、心を殺していたけれど、ついにある日旦那様に見付かってしまった。
旦那様は怒(いか)りに怒った。
当然だ。拾って来た使用人が自分の息子に汚い想いを抱く害虫になったんだから。…俺は旦那様に恩を仇で返したんだ。
そして、俺は遊廓に売られた。
梅雨の中で引きずられ、濡れきって泥まみれになった俺にいくばくの価値もなかったと思う。安い値で旦那様に売られた。
旦那様は俺が二度と若君の前に現れなければ、それでよかったんだろう。遊廓ならば、見張りがいるから逃げられない。
あんなに怒っていたのに命を残してくれたのは、旦那様のせめてもの優しさだった。
旦那様のことを、恨んではいない。
恩知らずは俺で、全ては身から出た錆だ。
それに、若君のことを諦める良いきっかけになった。諦めることは出来た。けれど、どれだけ経っても忘れられなかった。
それほど想いは深くなりすぎていた。
ずっと、ずっと想いに蓋をして生きた。
いつか若君のことを忘れられるようにがむしゃらに客を取って媚を売っていれば、いつの間にか花魁にまで登りつめていた。
好きな人じゃなくたって構わない。金さえ払えば誰にでも喜んで体を開いて、男を深く銜えて奉仕して、甘ったるい声で鳴いてよがりながら、もっと、と強請る。
この生き方が俺にはお似合いだっただろうし、実際、俺も納得していた。
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