テキスト | ナノ

窓ガラスに大きな音を立ててぶつかっているのは大量の雨粒、そして時折吹き荒れる突風のせいで木から引き剥がされた小枝や葉っぱたちだ。外は大嵐。わたしが所属している組織から任された任務中に突然天候が変わり、雲行きが怪しいと思った頃には物凄い勢いの雨が降り始めた。その間僅か三分程度。雨宿りの出来そうな場所を探したものの、そんな努力も虚しく見つかるよりも先に豪雨豪風は酷さを増すばかりであった。そうしてとうとう雷まで鳴り始めてしまった時、今回の任務で二人一組を組んでいた相方のトビくんが「もうこの際宿取っちゃいましょうよ!」と提案をしてくれて今に至るわけだ。
確かにこの悪天候の中で野宿をするのは無理があるし、なにより危険だと思う。だからわたしも彼の言葉に頷いて宿を訪れた……と此処までは良しとしよう。しかし。

「どうしてこうなったの」
「何がっスか?」

わたしの隣でずぶ濡れになった外套を絞りながら素っ頓狂な声を上げたのは、言うまでもなくトビくんだ。首を捻って彼を見れば、相変わらず変なお面を被ったままで小首を傾げている。何が疑問なのかなんて決まってる。どうして男女二人が同じ部屋なのかということだ。いつもならば一人一部屋を取っていた筈だし、組織の中でもそれは暗黙の了解というかそんな感じになっていたのに。トビくんは最近入ったばかりの新人ではあるから知らなかったのかもしれない。だけど仮にもわたしは女だ。女の人と二人で屋根の下、なんて状況に抵抗は無いのだろうか。

「……トビくん」
「はい?」
「わたし女だよね」
「なんスかいきなり…?」
「トビくんは、男だよね」
「そうっすよ」
「…同じ部屋っていうのは、どうなんだろう」

そう言うとようやくわたしの言いたい事を理解したのか「あー!」と相槌を打ちながら反応をしてくれた。わたしはほっと胸を撫で下ろしたような心境になる。

「仕方ないっすよ。節約中なんですから!」
「……は?」
「ですから節約中なんスよ今は!」

何を言っているんだろうこの男は。今度はわたしが首を傾げた。節約ってことは使用する金を最低限度に留めるということだけど、最近高額の賞金首を狩ったとつい先日飛段と角都のコンビから聞いたばかりで現時点でこの組織は節約なんて言葉には縁遠いのではないのだろうかと思う。考えれば考えるほど眉間に紫波が寄っていく。そんなわたしに「ナマエさんナマエさん!不細工ですよ!」などと言ってくるトビくんは本当にムカつく後輩だ。

「節約って言ってもさあ、宿くらいいいんじゃないの?」

語尾に「どうせ一泊なんだし」と付け足すとなにやらトビくんはうーんと唸り始めた。なんなんだろう一体。

「いやあ、ぶっちゃけ先輩が女の子だってこと忘れてたんスよね!」

アハハ、なんて星マークでもついてしまいそうな笑い声に腹が立ったわたしは、容赦無しにクナイを投げつけてやった。しかしそれはいとも簡単に交わされてしまい、彼の背後の壁に皹を作って突き立った。「きゃー危ない!」と言いながら攻撃を避けたトビくんはどこか白々しい。こいつ、全然危ないなんて思ってないな。

「なんかさぁ、トビくんってムカつくよね」
「はう!厳しい批判!」

わざと心臓に手を当てて苦しそうな声を出すトビくん。うわあやっぱりムカつくな。こういう明らかに演技って感じの動作が他人を苛立たせているってそろそろ気付いた方がいいと思う。

「もしわたしじゃなくて角都さんだったら殺されてるよ?」
「そうでしょうねー、ボク多分あの人と合いませんもん!」
「デイダラにはブッ飛ばされてるんでしょ?」
「ド派手にドカンと!」
「………」
「でもあれはデイダラ先輩の愛情表現だと思ってますから!」

こいつどこまでもめでたい奴だ。大分水気を失った黒衣をトビくんの分も一緒に竿に掛けながらそんなことを胸中で呟く。デイダラは多分本気でキレているのだと思うけど、まあトビくん本人がそれをそういう風に捉えているのであれば一々口出しすることもないのかな。彼はとにかくポジティブな人である。時々そんな所が羨ましくも思えるんだけどね。

外套を干した後、部屋に備えてあったタオルで濡れた体と髪を拭いた。吹いている途中背後から気配もなく近付いてきて腰をいきなり触ってきたトビくんに「ぎゃあ!」と可愛らしくない声を上げると「色気ないっすねぇ」と言われた。悪かったな、ちくしょう。でも本当の事ではあるし反論は出来ず、悔しくも唇を噛み締めるだけに終わってしまった。そんなこんなで今は二人共布団の中に居る。いや勿論布団は一人一つですけどね。
明日は朝早く宿を出て任務を続行することになった。その為まだ午後9時ではあるが睡眠を取るべく早めに寝床についたわけだ。しかし普段から早寝の習慣がついていないわたしはなかなか眠りに落ちる事ができず四苦八苦していた。頭の中で羊を数えてもひたすら目蓋を閉じてみても、全然眠気を感じないのだ。ううこれは困った。

「…トビくーん」
「………」
「トビくんってば……」
「………」
「……あっ!あんな所に生首が!」
「ああもう!なんなんスかぁナマエさん!!」

がばっと掛け布団を引き剥がしたトビくんは少し不機嫌そうに声を荒げて起き上がった。ごめんねと言いながら顔色を窺ってみるけれど、仮面のせいでよく分からない。ていうかちょっと待って。

「トビくん…寝る時もお面つけたままなの?」
「そうですよさあもう寝ましょう!」
「待ってトビくん!寝られないのおおっ!!」

再び眠ろうと布団に潜る彼にストップをかける。だけどトビくんはそれを無視して布団に入り込んでしまった。

「と、トビくん寝ないでよー…」
「寝ないと任務行けないでしょう」
「子守唄歌ってよー」
「子供ですかあなたは」

呆れたような声色に、少し焦りを感じる。ヤバいこのままじゃ本当にトビくん寝ちゃうよ。どうにかして彼を夢の世界に行かないように引き留めたい。どうすればいい。どうすれば……、頭を抱えて考えているととりあえず他愛もない会話でもしていようと再度顔を上げた。が、つい今まで布団に居たはずのトビくんの姿が、視界から消え去っていた。あれ、トビくん何処に行ったの?上半身を起こしながら辺りを見渡そうとした刹那、突然目の前に現れた黒い影に肩を強く掴まれ、無理矢理布団に引き倒された。背中に走る鈍痛に驚きながらも抵抗をしつつ影の正体に目を凝らす。すると、そこに居たのは…。

「ト、トビくん……?」

見紛うことなくトビくんだった。正体が分かったと同時に抵抗を止める。しかしどこかおかしい。普段のトビくんが醸し出す雰囲気とは全く違う、いやむしろ正反対とも言える彼に違和感を感じた。なんだろう、この感じ。まだまだ大嵐の外で大きな音を伴った雷が光った瞬間、橙色の特徴的な面に空いた一つの穴から覗く赤い瞳と視線が合った。そういえば、初めて見たかもしれない。トビくんの、眼。

「…寝ろ」
「っ――!?」

甘く痺れてしまいそうな低い声に、思わず全身がびくりと震える。いつの間にかぎっちりと固定された両腕から力が抜けていった。ドキン、ドキン。左胸が異様に煩い。誰なんだこの人は。トビくんじゃ、ないよね。問おうにも徐々に近づいてくる彼に脈拍がどんどん早くなっていくせいで、うまく言葉が出ない。すっかり抵抗力を無くしてしまったわたしに出来ることと言えば、もう顔を背けるくらいしかなかった。それでも尚近付いてくる彼にもう一度視線を向けると、赤い眼が細められた。

「眠らないのであれば、このまま……」

外でまた大きな雷が落ちた。けれど耳元で囁かれたその言葉は、しっかりと鼓膜に焼きついている。ドックンと強く跳ねた心臓。顔が恐ろしいくらいに赤くなった。熱い、ああ熱いよトビくん。

「ってワケで!早く寝ましょーね!ナマエさん!」
「…え、えっ……」

唐突の出来事に頭が追いつかないわたしの上から、まるで人が変わったような明るい声で立ち上がったトビくんに間抜けな返事しか返せない。背中を向けて「あー眠い」と溢す彼は、いつものトビくんだ。さっきのは何だったんだろう。「だからさっさと寝ましょうよぉ!」と自分の布団に入りながら告げてくる彼に疑問しか抱けない。あなたは誰?トビくんなんですか?このうるさすぎる心臓は、なんなんですか。

「と、トビくん?トビくんなの?」
「はい?ボクはトビっすけど」
「…えっと、さっきの、さっきのは……」
「もー!何だっていいじゃないっすか!明日は早いんですから我侭言わないで寝て下さい!」

ばふん。もうこれ以上は聞きませんよと言うように頭まで掛け布団を被ったトビくんに、それから声を掛ける事はなかった。ただ耳に焼きついて離れない声と言葉を思い返しては再び早くなる鼓動に、彼に抱いてしまった新しい感情を胸の奥へと押し込んだ。

「眠らないのであれば、このまま……襲ってしまうぞ」

くそう、トビくんのくせに生意気だ。変な事言っちゃってさ。ちょっと、ううん、かなりどきどきしたなんて絶対言えない。そうして気付けば、わたしは深い眠りについていたのだった。


20130517