テキスト | ナノ

思っていた以上に土とは固いものだ。こんなことならスコップとかそんな感じの道具を持ってくればよかったかな。無残にも爪が剥がれ、皮が爛れ血まみれになった指先を見ながら、ふと思った。ああ、なんでこんなことになってしまったのだろう。


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感知タイプであまり戦いに向いていないあたしは戦闘だと足手まといになってしまうと角都さんに指摘され、彼がとってくれた宿で飛段と角都さんを渋々待っていた。金が勿体無いなんて言っていつも野宿ばかりだったあたしは、久しぶりの宿で呑気にも寛いでいた。今思えば、その間にも飛段たちは戦っていたというのに。

二人と別れて一時間以上は昼寝をしていた。尾獣の封印で六日間も印を結んだまま動かない彼らの体を守るために、あたしもほとんど不眠不休で敵のチャクラ感知をしていたのだ。先の戦闘で交わった木ノ葉の忍たちに襲われないという保証はない。いざ襲われた時に、数日動かさなかった身体で満足に戦闘が出来るかと聞かれればそれは無理だろう。とにかくこの六日は長かった。そのせいもあってか本当に一度も目を覚ますこともなく眠り続けた。

目が覚めてから頭に思い浮かんだのはやっぱり二人のことだった。夕暮れには宿に来ると言っていたが何処へ言ったのだろう。人柱力を探しているのは知っているけど、もしかしてかなり離れた所まで行っているのではないだろうか。途端に不安になったあたしは、胸の前で印を結び二人のチャクラを探した。付近には居ない。まさかあたしの予感は本当に…そう思った時だった。

「!? か、角都さん…!?」

不安定に揺らぐチャクラを発見した。複数の性質変化を司る不気味なこのチャクラは、間違える筈もない角都さんのものだ。あたしのチャクラ感知の能力は他人とは少し異なっていた。チャクラの流れや温かさのようなものでその持ち主がどういう状態か、どういった心境かをも感じ取れた。この時感じたチャクラはあたしが知っているいつもの角都さんとは違う、焦燥や興奮にも似た熱く濁ったチャクラだった。静かで冷たいいつもの感じじゃない。

あたしはすぐさま宿から飛び出し、チャクラを感じる場所まで走る。そういえば彼の傍らに飛段のチャクラを感じられない。なんで、いつも二人一緒のはずじゃない。どうして、どうして?不死身の彼を感じられない。不安が一気に全身を呑み込み、喉が押し潰されるような苦しさに襲われた。

怖い怖いこわいコワイ。

「お願い…っ、ふたりとも……!!」

地面を蹴って走る自分の足は靴を履いていない。小石が足裏に突き刺さって血が滲む。だけどそんなこと本当にどうでもよかった。ただ、ただこの走る速度が遅い足を憎たらしく思った。文句を言いながらも歩幅を合わせてくれた二人の元に、一刻も早く辿り着かねばならないのに。


角都さんを見つけた。
けれどそれは、もう全てが終わった時だった。体中を引き裂かれ倒れ伏した彼の姿を目にした瞬間、込み上げてくるものを抑えきれなくて自分でも聞いたことが無いような甲高い声で名を叫んだ。

「角都さんッ!!」
「……、」
「!!」

返事はない。代わりに木ノ葉の忍達の視線があたしに集中する。敵だと判断したのか彼らは各々クナイや手裏剣を手に取った。が、一人の男の人の言葉によってそれを制された。

「やめろ」
「…カカシ先生……」

片手で制止の合図をしたカカシと呼ばれた人は、不服そうな顔で見上げてくる小太りの青年に「彼女は暁じゃないだろう」と言った。暁の衣は纏っていない、と付け足されたことにより警戒こそ解けないものの武器を静かにおろす。ううん、その武器で殺されたって構わない。拳を強く握りしめたあたしは木ノ葉の忍たちの隣を横切って角都さんの元へと走った。

「かくずさん…っ、角都さん!!」

すぐ傍に屈みこんで耳元で声を荒げる。普段なら「うるさい」と一喝してくれるのに、今は視線すら此方に向けてくれない。焦点の合っていない緑の瞳も見開かれたままの状態でそこにあった。必死に名を呼ぶあたしに、背後で立ち尽くす木ノ葉の彼等は憐れみの視線を向けていることだろう。それでもいい。角都さんの血塗れになった手を強く握って意識が戻る事を願った。

「不死なんでしょ、死なないとか言ってたじゃないですかあ…なんで、なんで、こんな、」

冷たいんですか。
その問いは声にならずに嗚咽へ溶けた。飛段は?消えちゃったんですか?どの質問も言葉にするには残酷すぎる。あたしはこうやってただ願うことしかできないんだ。チャクラ感知するだけしか能が無い。こんな能無しをなんで傍に置いてくれたんですか。ああだめだ、何も聞けない。何も喋れないよ。敵を背にして涙を流すなんて、角都さんが生きていたらそれでも忍かと怒られ、飛段が居たならゲハハハと下劣な笑い声をあげられていたんだろうな。

下唇をきゅっと噛み締めるとほんの一瞬だけ、でも確かに手を握り返された。

「――っ!!」

チャクラが流れ込んできた。それはさっきの濁ったものじゃなくて、いつも通りのひんやりとしたものだった。そのチャクラに込められていた彼の気持ちに瞳から大粒の涙が零れ落ちる。さようなら。たった五文字の短い言葉がこれほど棘のあるものになろうとは、やはりあたしはどこまでも弱いのだなと実感させられた。



次に脳裏にちらついたのは、馬鹿みたいに大口を開けて笑う飛段の笑顔だった。

「……ひ、だん」

握っていた大きな手を出来るだけ優しく土の上に置いてゆらりと立ち上がる。ほとんど無意識の内にあたしは飛段のチャクラを探していた。周囲には居ない。しかし僅かではあるが小さなチャクラを見つけ出した。紛れもない彼のものだ。木ノ葉の忍の中に彼の弱点を見極めた者が居るのだろうか、二人はどうやら引き離されたらしい。サポートが必要な飛段にとって一人きりの戦闘は少々難しいのかもしれない。

――あたしが加勢しなくちゃ。

唐突に浮かんだ考えだった。あたしにも敵の注意を引くくらいならば。立ち上がったと思うと突然走り始めたあたしを見て、小太りの青年の隣にいたくの一が「ちょっと待って!」と叫ぶ。ごめんなさい、立ち止まっているわけにはいかないの。声を無視して、彼のチャクラを感じる深い森へと入っていった。

「はぁっ……はぁ…、」

走るスピードも遅けりゃ体力もねェなーナマエはよォ!

以前から何回も嫌味のように飛段から投げられた言葉が鼓膜の裏で甦る。こんな時に限って思い出すのは過去の事ばかり。これじゃあまるで走馬灯みたいじゃないの。でも角都さんの元に行けるなら満更でもないかもなー。ああでも飛段の隣にも居たいしなあ。何だかんだで二人の傍に居たいかな、なんて。我が儘ですか?神様。

漸く飛段の元へと来たけれど、鼻をつく焦げ臭い匂いと煙草の匂いが混じっているせいで正確な位置を探知しようにも集中出来ない。ただ不自然に盛り上がった土を見て、まさかそんなことは無いだろうと身震いをした。どうかそこには居ませんようにと、土の下にチャクラを探してみる。


もう、なんで。


「やだ、やだよ飛段…!」


気が付けばまだ熱を持った土の上に座り込んでそれを掘り始めていた。嘘でしょう飛段。あなた散々自分は死ねないとか言ってたじゃないの。首ひとつになっても穴から這い出て獲物に食らい付く。それがあたしの知っている飛段という男だ。

「おねがい…!お願いだから、もうおふざけはやめて…!!」

初めて彼の首がふっ飛んだのを見たのはつい最近で、その時飛段はわざと一瞬死んだふりをしてみせたのだ。多分あたしに対する嫌がらせだったんだと思う。物陰に隠れ泣きそうになりながら角都さんへ視線を投げると、彼はハァと小さく息を吐いて飛段を憐憫の目で見つめた後「助けが欲しければもう少し早く言え」と敢えて反抗の言葉を誘うような指摘をした。まあそれに勢いよくつられて「つーかてめぇが遅ェんだよ」と食って掛かっていたのは言うまでもないのだけれど。あの戦いの後「あれ吃驚しただろ?」なんておどけて笑いかけてきた彼にビンタを決め込んでやったのも言うまでもない。首だけにされてもあれだけの威勢を張れるのだ。

こんな土に埋められただけじゃ死ぬわけないよね。そうだよね飛段。チャクラが少しずつ弱くなっているのは、またふざけてるだけなんだよね。

「もうやめようよ、こういう…っ!!!」

言葉が最後まで紡がれることはなかった。突如何者かに腹部を突き上げられそれは呻き声に変わる。ドサッ、地面に強く体を打ち付け喉を逆流してきたものを勢いよく吐き出すと土の上は真っ赤に染まった。口内で広がる鉄の味と腹の痛みに眉を寄せる。かなりの距離を突き飛ばされたようだけれど、一体誰が――…


「……鹿…?」


視線の先には、通常の数倍ほど大きいであろう鹿があたしがつい今まで掘っていた穴を守るようにして立ち尽くしていた。攻撃してきたのはどうやらあの鹿らしい。まるで此処から立ち去れと言っているような瞳であたしを睨み付けている。そうか、理由は分からないけど、あなたたちはその穴を守っているのね。でもあたしは、その穴の下の人を守らなくちゃいけないの。

「…く、っう……!」

体に走る激痛に思わず情けない声を漏らしてしまう。こんな痛みどうってことないでしょ。大切な人を救うためだもの。多少の痛みは我慢しなければ。

「通してくれないかな、鹿さん」

懇願するように頼んでみるけれどそんなのが無意味だというのはきっとどこかで分かっていた。鹿は要求を拒絶する意思を威嚇で示してくる。グルル、と鼻を鳴らして鼻筋には紫波が寄っていた。頑なに「立ち去れ」と睨みを利かせている。やっぱり無理だよね。けれどごめんね。あたしもあなた達と同じくらい意思は固いんだ。

「じゃあしょうがないよね、」

鹿には見えないように腰のポーチへと手を滑り込ませる。指に冷たいものが当たった。クナイだ。お前は虫も殺せないだろうと戦闘時は物陰に隠れさせられていたから、武器はたくさん持っている。罠や兵糧丸だって備わっているし毒もサソリさんからいくつか拝借した。
すぅ、小さく息を吸って覚悟を決める。暁のみんなのように無意味に命を奪うのは好きじゃない。しかし目的があるのであればそれはまた別の話だ。今一度、今度は大きく息を吸い込んだ。命を奪う覚悟を決めた。





あれからどれくらいの時が経ったか。夜が何度巡って太陽が何回昇ったのか、そんなことを数えている暇も考える隙もなかった。毒薬も武器も尽きた。残ったものは兵糧丸一粒のみ。鹿をどうにか何匹か仕留め、罠にかけて動けなくできたお陰でようやく飛段の居る穴に辿り着いた。

爪が剥がれる。皮が抉れる。摩擦で爛れる。心身ともに限界がきている筈なのに、なぜだかあたしは動けていた。弱いと思っていた自分だけど、案外意識を保てている事に自画自賛している。がりがりと土を削った。数日間ずっと掘り続け、でもまだ彼の姿が出てこない。彼の声が聞こえない。

「飛段……ひだ、ん…っ」

おかしいな。ここ最近ろくに水分も取っていないのにこんなにも涙が出るものなのだろうか。

「返事して、」

息だか声だかわからないものが唇から零れ落ちた。更に兵糧丸を齧って三日間無我夢中で土を掻き出したら、とうとう人の肌が指に当たった。

「!! 飛段………」

それは生きた人間とはかけ離れた土気色の肌。ところどころは腐敗が進み、穴が空いている。あたしは死に物狂いで飛段だと思われるモノを掘り起こした。ああ、やっと。

「やっと会えたね。飛段」

閉じられた瞳の上にある整った眉は紫波を刻むことなくそこにある。安らかに眠っているのかと思えば、口の周りには固まった血液のようなものが大量に広がりきっととてつもなく痛かったのだろうということを痛感させられた。そうだよね、首なんか切られて平気なわけないよね。痛いもんね。苦しいもんね。きっと飛段のことだもの。最初は自分が死ぬなんて考えてなくて、さてどうやってここから出てやろうかなんて考えても頭がよくない自分にそんな方法思いつくはずないじゃないかと、ようやくそこで死を実感したんじゃないかな。

たくさん叫んだ。たくさん怒った。そして、それと同じくらいたくさん苦しんだんだと思う。

「先に逝っちゃうなんて、ずるいじゃん二人とも」

飛段も角都さんも今まで数えきれないほどの人々を殺してきた。世間から見れば当然の報いなのだろう。いいや、あたしも実際彼らと接していなければそう思っていたのかもしれない。

だけど。


「えーっ、あたし一人だけ宿ですか!?」
「しょうがねぇだろォ、角都の奴がそう言ってんだから」
「いやだあたしも行く!」
「うるさい黙れナマエ。足手纏いになられるとこっちが面倒だ」
「見捨ててくれていいんで!」
「そういうわけにもいかねェだろーよナマエ」
「……」
「暮れにはここに戻ってくる。それまで大人しくしていろ」
「…はーい」
「じゃあ行ってくるぜー、ナマエ!」
「死なないで下さいねー」
「プッ!聞いたか角都!オレ達が死ぬわけねぇだろバァーカ!」
「フン。要らぬ心配だな」


「こんなことなら、会わなきゃよかったなぁ…っ」


根はいい人だなんて知らなければ、こんなに胸が痛むこともなかったろうに。もう以前のように笑うことのない飛段の頬を一撫する。少しだけかさついたものが目尻から耳にかけて筋を作っていた。

「どうだった?飛段。殺してほしいってずっと言ってたよね。死んでみて、どう?満足した?嬉しかった?嬉しかったわけないよね。だって泣いてたんだもんね。あとついてるよ。ダサ。」

男が泣いてんじゃないわよ。暗い穴の中で一人ぼっちでいるのがそんなに辛かったのか。そんなに寂しかったのか。すぐ近くに転がっている先が鋭利な石を手に握りながら、彼の頭を膝に乗せてもう片方の手で銀の髪に触れた。土のせいで、さらさらだった髪の毛は面影もない。無駄に綺麗好きだった飛段は血に濡れることこそ気にしなかったけど、土や砂に塗れることはあまり好ましく思っていなかった。

「ほんとダサいよ、飛段」

こんなことになってしまうのなら、あたしも最期くらい二人と一緒に死にたかった。


「………今度は、置いていかないで」


握りしめていた石で、自分の首を引き裂いた。熱いものが全身を駆け巡り力が抜けて地面に倒れ込む。即死は出来なかったけど、徐々に視界が霞み始めてきた。次に目が覚めた時はまたあの二人が居てくれたらいいな。何をするでもなく、ただ同じ時間を同じように過ごせたら、それ以上の幸せってないと思う。


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