テキスト | ナノ



ある日、俺は女に出会った。その女は生まれながらにして目が見えなかったらしく、巷では有名な盗賊であるこの俺のことを知らなかったようだ。そいつは俺が落とした盗品を拾い上げると「落ちましたよ」そう言ってそれを差し出してきた。俺はそいつの手から盗品を奪い取ると素早くその場を去った。そしてその一週間後、俺は女に救われた。盗みを働く際にへまして両足を怪我し、動けなくなっていた俺を介抱してくれた。勿論相手は俺のことを盗賊だと知らない。困ってる奴を助けるのと同じ要領で俺を助けたのだろう。正直出血多量で死にかけていた所を救ってもらったのはかなり有り難かった。初めて他人に感謝した。でも信頼だけはしなかった。きっと正体を明かせばこいつも俺を罪人として役人共に引き渡すだろう。だって、そうだ。人間はどいつもこいつも自分の為だけに生きているのだから。自分に害を与える人間を野放しにはしない。いつまでもにこにこと笑い続ける女に腹が立ち、俺はとうとう自身の正体を明かした。


「俺は盗賊だ。」
「え?」


やはり女は驚いていた。当たり前だ。普通の人間だと思っていた奴が盗賊だったのだから。段々表情が変わっていくそいつを見てにたりと笑い俺は言葉を続けた。


「クルエルナ村って知ってるだろ?数年前に全滅させられた盗賊の村だ。俺はあの村の生き残りなんだよ。」
「………」
「どうだ?俺が怖くなったか?助けたことを後悔したか!?」


語尾に近付くにつれ怒声よりも酷い声色が喉を通って吐き出される。声が声ではないような気さえした。目の前の女は言葉を詰まらせて服の襟元をきゅっと握りしめる。さあどうする?俺の足はまだ完治した訳じゃない。もう一度尖ったもので刺せば今度こそ動けなくなるだろう。女にとっては幸い、すぐ近くのテーブルにフォークとナイフが置かれていた。この先、女が一ミリでも動いたら、その細い首を絞めて殺してやろう。しかし女は豹変して襲いかかってくるどころか、目を輝かせて俺の両手を取るとそれはもう嬉しそうにこう言った。


「盗賊さんなんですね!わあ嬉しい。一度お会いしたかったんです!」
「な、!?」
「私、盗賊さん初めてなんです。」


何を言っているのか俺はほとんど理解出来なかった。初めて会ったから嬉しい?この女は目だけじゃなく頭までどうかしちまってるのか。握られた手を乱雑に振り払い、俺はもう一度大きな声ではっきり告げてやる。


「盗賊なんだぜ、怖くねえのか?」


そう言っても、女は表情を変えることなく頷いた。何度も何度も聞き返したが、やはり返ってくる答えは同じ、"怖くない"だった。やがて日は沈んで夜になり、俺の寝ているベッドへと当たり前のように夕食を運んできた女に俺は初めて会話を切り出した。


「お前、名前は?」
「ナマエです。」
「俺はバクラだ。」
「バクラさん、バクラさん。」


まるで馬鹿の一つ覚えみたいに、何回も何回も俺の名を口ずさむ。その声が自然に凍り付いていた俺の心を溶かしていった。向けられる笑顔と、温かくて落ち着く声。気がついたら、俺はナマエに自分のことを話し始めていた。盗みを行っているときの話や、過去の話。他愛のない話を延々と話していたらいつの間にかお互い眠りについてしまっていた。こんなにも時間を忘れて他人と話したのはいつぶりだろうか。初めてだったのかもしれない。



それから数日が経ち、俺の足は完全に回復した。怪我が治った以上ここに留まる理由はない。ナマエに見つかる前にとっとと出ていってしまおうと夜明けに家を出たら、彼女が目の前に立ち尽くしていた。


「早起きじゃねえか。」
「…行っちゃうんですね、」
「これ以上ここに居る理由はねぇからな。」
「お仕事、頑張って下さい。」
「犯罪応援してどうすんだ。」
「えへへ、そうですね。」


ふにゃっと笑う彼女が、俺はただ愛しかった。理由なんて作ろうと思えばどうにでもなる。けれど、これ以上ここに居てもこいつに迷惑をかけるだけだ。この俺がこうも他人を気遣うなんて落ちたもんだな。俺は足を進めて女の横を通り過ぎると、目も見えねえのに背中を見送ろうとしているそいつを振り返って、出来るだけ優しくこう告げた。


「また会いに来る。」
「!、はい!」


これが、俺が見たこいつの最後の笑顔だった。




× × × × ×




数週間が経ったある日、ナマエの住む村を再び訪れた。相変わらず田舎で、ろくに盗む物もなさそうな貧相すぎる村だ。一体こんな場所でどうやって食料を手に入れるんだかな。そんなことを頭の中で思っては、下らないと考えるのをやめた。とりあえずはあいつの家に行こう。あいつが頑張れと背中を押してくれたお陰か、最近は盗みの業が上達してきた。この事を教えてやったらきっと飛びはねて喜ぶのだろう。喜ぶ彼女の姿が目に浮かぶ。って、何を考えているんだ俺は。柄じゃねえっつうの、なんて葛藤していたら久しいナマエの家にたどり着いた。部屋の明かりがついていないと思えば、戸締まりまで怠っていたようで、入り口の鍵が開いている。無用心な奴だ。こんなんじゃ簡単に泥棒が入ってきちまうぜ?俺みたいな奴がよ。


「おい、邪魔する…、?」


ドアを開けると、中に人の気配はなかった。今は夜だ。もう外に出るような時間ではないはず。ではなぜ――、そう思った瞬間、突然背後から声をかけられた。振り返るとそこに居たのは何歳か分からないくらいの腰が折れた老婆だった。


「この家の娘ならつい昨日処刑されたよ。」
「……は、」
「隣の村で逃げた盗賊を匿っていたらしくてねぇ。王国の役人達が娘を捕まえてその隣の村で公開処刑。」


理解に脳が追い付かない俺の前で老婆は続けた。役人達の尋問に一言も答えず、俺の行く先はおろか関わっていた時のことを一切喋らなかった、と。そして処刑台で何度も"バクラさん、バクラさん"と息絶えるまで俺の名前を呼んでいたと。どうして殺された?そう聞けば老婆は愚問だとでも言いたげな顔を作って答えた。罪人を庇った者への天罰だと。天罰?罪もない人間を殺すことが天罰だと?その時俺の脳裏に幼い頃見たクルエルナの大虐殺が甦った。助けてと叫び逃げ惑う女子供を容赦せずに殺す王国から来た人間共。ナマエはただ怪我をして苦しんでいた俺を助けてくれただけなのに、殺された。そうか。これが奴等の言う"正義"ってやつか。まだ話を続けようとする老婆の顔面を、俺は容赦することなく殴りつけた。倒れ込んで痛い痛いとうめくそいつに馬乗りになって、その顔を更に何十回も殴り続ける。このババアも罪はない。罪のない人間も殺されるのが王国の奴等の正義。つまりこういうことなんだろ?正義ってのはよ。なあ、どうなんだ王様よ!!狂ったように声を上げて笑う俺の手には、どろどろになるくらいの赤いものがへばりついている。この日を境に俺の中の正義が変わった。