そして私は今日、消える。情報の波から解放され、電池の切れた機械のように目を閉じる。何も感じなくなる。それが私の最後だ。博士は私を水槽から取り出してそっと額に口をつけた。そんな事をするなら壊さなければいいのに、と用済みとなった機械に愛おしそうに口づけをする姿を遠目で見ていた頃を思い出す。まさか私がこちら側の立場になってしまうなんて、考えもしなかった。唯一、動かすことが出来る眼球であたりを見回す。いつも通りの光景だった。研究者が資料を漁り頭を抱え、薬品改良に務めて子供を嬲る。そんな日常的光景が広がっている。何の変化もない。非日常でも何でもない、ただゴミを捨てるだけの日常行為。そんな日常に私は消える。誰の目にも映らず関せず影響せず、何事もなかったかのように世界は進み続ける。
博士が私を作業台の上に載せた。眩しい蛍光灯の明かりに目を細める。私を横向きにして私の後頭部を触れる。耳障りなドリル音が鳴り、私の後頭部を叩く。何をしているのだろうと思いながら、眼球は生理的な涙が溢れる。それは、博士に捨てられることが悲しいわけでも、消えることが恐ろしいわけでもなく、想い人を思い出して感傷に浸っていたわけでもない。

単純な、痛みだ。
肉を抉ってごりごりと頭蓋を削る音がして、鋭い痛みから鈍く吐き気がする感覚に変わって、もがく身体が無いことをここで始めて良かったと思った。抵抗することなく手を煩わせることなく、綺麗に終わる。
そして、それは叶わぬ理想だと気付く。私は声をあげて叫んでいた。痛みに、苦しみに、絶望に恐怖して、必死に抵抗していた。ここにある頭という身体を使って出来る最大限の抵抗をしていた。

博士は面倒臭そうに私の頭を抑えて、悲鳴をあげる口にタオルを噛ませる。そうして何事もなかったかのように作業を続ける。痛い。痛い。痛いよ、ミチル。

「ジイさんそこ退いて」

ドンっと重い銃声が目の前を通り過ぎて、博士の額の中に消える。博士は何が起きたか分からない様子で目の前の男を見つめながら、力なく倒れた。

あたりは静かだった。ドリルの音すら欠き消えるほどに騒然としていた研究所が一発の銃声と共に静まり返っている。
嘘だ。その声は。

服を漁る音がする。それから紙の擦れる音、唇の隙間をから漏れる空気の音、そして最後に聞こえたのが金属音。それはきっと懐から煙草を取り出して、それを口に運び、ライターの火を点ける、見慣れた動作。

「兄様……」

「そうだけど何」

「なんで……此処にいるんですか……」

「ついで」

そう短く答えると兄様は動き出す。

装填。
銃声。
悲鳴。

警報装置が作動してあたりを赤いランプが全てを深紅に染め上げた。いや、きっとそれだけの仕業では無いだろう。

長く続いた銃声が止む。静寂に包まれる。髪を掴まれる感触がすると、私は宙に舞った。兄様は乱暴に髪だけを掴み、まるで手提げのように肩に掛けた。そして私を気に留めることなく着ていた白衣から携帯を取り出した。

「あー俺ですけど、終わったんで片付けお願いします。……え、別にサボってませんよ。潜入って信頼を得てからが勝負って言ったのは誰ですか」

携帯を耳に当てて誰かと話をしている。兄様が敬語で話している。それがどうしようもなく可笑しくて、おかしくて、オカシクテ。

「貴方は私が嫌いな筈なのに、こんなのまるで、兄様じゃないみたい……」

携帯を服にしまった兄様はゆらゆらと私を肩にかけながら歩き出す。その態度は何処までも、兄様そのものだった。


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