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最愛は夢でさえ私を救わない
2013/09/20

私の知らない男が彼女と楽しそうに笑っている。弾んだ会話は何やら親しそうでお互い名前は呼び捨てだった。私の存在を希薄にするように、立ち入る隙がないくらい親密なその関係性に某然と立ち尽くす。まず初めに、体の中身が消失した感覚がした。質量を失って自分が何処にいるのか分からなくなった。
けれど彼女はなんの違和感も示さない。いつも通りに私に話しかけて、笑いかけて、どうしたのって私の背中を押した。邪魔だとか目障りだとか、そんな意図はまるでなくて、ただ私だけが不安に駆られている。
男も私に気さくに接した。それは優しさに満ちていた。不気味な程平和な時間の中に私はいた。
やめてくれと耳を塞いだ。目前の餌を見つめる大蛇のように私の収まらない感情が喉に牙を立てた。ただただ悶えて冷静を偽って欺瞞に満ちた言い訳を繰り返した。もう嫌だと震えない言葉は空気となって外に吐き出され、誰の耳にも届かないよう歯を噛み締めた。
どうにかなりそうだった。私は広い世界の海に真っ白な角砂糖を放り投げる幻想を視る。甘過ぎる愛を呼吸と同じ要領で囁いて、それは簡単なのにそれと相対するように、後には何も残らない。何も満たされない。何も変わらない。

私だけの筈だったのだ。私だけの貴女だった、筈なのになんの予兆もなく奪われた。私の一番という居場所を奪われてしまった。それは何処までも侵されることのない唯一無二の筈だった。

私は汚れた感情を折り畳んで知らない振りをした。バカみたいだと自分を嘲けた。平然と笑っていようと思った。出来なかった。
今すぐにでも貴女にとって私は何なのって問いただしたくて、言葉が全てじゃないんだよって言い聞かせて飲み込んで、代わりに狂ったように愛を囁いて、何も変わらなくて、もうどうしたらいいのか分からなくて視界に薄いフィルターを掛けて夢を見ていることに書き換えた。そんなことをして、この一日は無事終わるのだ。いつになれば手に入るのだろうかと私は自分の首を絞めた。

『自分が思ってた以上に私って貴女のこと好きだったみたい』

分からないんだ。なんせ恋なんてしたことなかったからそんな意思疎通さえままならない。子供みたいだと笑えばいいんだ。囁く以外の方法が思いつかなくて、だから私はどうしようもなく駄目人間で、一生叶うことはない夢を見続けて生きて行く。

二人の背中を眺めていた。楽しそうにはしゃぐ姿はまるで恋人同士で『なに、もしかして君たち付き合ってたりするの』なんて恐ろしくて聞ける訳もなく、フィルターをもう一つ付け加える。
きっとこの人となら彼女は幸せだろうな、と思う。彼はとても優しい人物だった。格好も良いことだし、二人並べば誰もが振り返る美男美女だろう。私は瞳を閉じて、これでいいのだと思う。

所詮私の夢なのだ。何処までも手の届かない彼女は、夢でさえ私の元へはやってこない。それが答えなのだ。

私は遠くで背を向ける彼女の姿を追い掛ける。手を伸ばす。届かない。

「…ん…あれ」
「おはよう」

目を覚ますと染みのできたぼやけた天井が目に入る。六畳半の私の部屋。
本棚を読み漁った形跡を残してぶっきらぼうに彼女はそう言った。

「なんか、嫌な夢を見た」
「…….どんな?」

顔を上げずに本の紙を捲る。

「貴女がリア充してる夢」
「それバカにしてるの?」
「いや、そういうつもりはないんだけど、いやごめんって」

表情は下を向いたままで見えなかった。怒ったのだろうか、確かになかなか失礼な発言だったかもしれない。

「いや……なんか結構辛かったっていうか」

彼女は何も言わない。だから、私は自傷に奔る。

既に口癖と化した糖分。吐き出すだけの一方通行。繰り返すだけの変化のない距離感。

「好き、大好き」

そして彼女はいつも通りに何も変わらない残酷な笑顔を繰り返して、私はいつも通りにからっぽの体が粉々に崩れ落ちそうになる。

「うん、ありがとう」

そうしてまた私は目を瞑る。何度も繰り返して無意味だと悟りながら性懲りも無く書き換える。
大丈夫、所詮これも夢なのだ。


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