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夏夢涙弐
2012/11/18

私は寝惚け眼を擦りカーテンを開ける。差し込む太陽の光を浴びながら欠伸を噛み締めた。
着替えを済ませてから淹れたてのコーヒーを飲み、朝のニュースをぼんやりと眺めていた。最近はどこもは各地で見つかるバラバラ死体でもちきりだ。また新たな死体が見つかったらしい。年配の女性と若い男性で、その名前を眺めながら先程焼き上げたトーストを噛み千切る。ひたすら咀嚼してそれを平らげるとテレビを消した。そろそろ学校に行かなければならない時間だ。支度をして、家を出る。階段を降りながら車の鍵を探そうと鞄を漁っていると上ってきた人と擦れ違い肩をぶつけた。
「あ、すみません」
「忘れるなって言ったのに」
「え?」
振り返ると、白い肌と足元まで伸びた髪が目に入る。それは悠然と構えて此方を見ていた。その途端激しい頭痛に襲われ、ふらつく体で手摺に掴まり、駄目だ、此処にいては駄目だと脳内で告げている。これは警報だ。逃げなければ、逃げないと。どうして。
「大丈夫?」
「……え…あれ……」
目の前には小さな女の子が心配そうな顔をして此方を見ていた。
「すごい汗だわ」
そう言ってハンカチを差し出す少女は綺麗な青色の瞳をしていた。戸惑いを隠せずにいる私は条件反射でハンカチを受け取ってしまい、受け取ってしまってから間違いに気付いた。
「いや、有り難う。でももう大丈夫だからこれは返すよ」
少女は訝しげに首を傾げつつ私からハンカチを受け取った。傾げた時に揺れたブロンドの髪の毛が柔らかに揺れていて不覚にも目を奪われてしまう。急いでいる事を思い出した。
「ぶつかってごめんなさい、それじゃあ」
そう言って階段を駆け降りようとする。心臓がまだ五月蝿くてもやもやしている。嫌な予感がする、そんな感覚だ。
駐車場まで行くと車に乗り込み、鍵を差し込んでエンジンをかける。

「まだ話は終わってないのに」
体を震わせた。バックミラーを見ると先程の少女が後部座席に座っていた。どうしようもなく、心臓が五月蝿い。
「単刀直入に言うけど、生きるのと死ぬのどちらがいい?」
少女は嘲るように口を歪めて見せる。何故だ。ドアが開いた音はしなかったのに、どうして車に乗っている。
「……生きるに決まってる」
「本当に?」
そう言ってクスクスと笑い出す。
「貴方は賢いから死ぬ方を選ぶと思ってたのに、つくづく今の貴方は残念過ぎるわ」
「あなた……おかしいよ」
「あーあ、つまらない。今の貴方とは口を聞きたくないわ。というか生きてる価値ないと思うから死ねばいいよ。アニィ殺していいよこんな奴」
その途端、全身の毛穴が開くようなそんな悪寒がして、助手席に違和感を感じて振り向いて、それは見間違いではなかったのだ。それは確かに存在していた。白い肌と濡れた黒い髪の人の形をしているけど目は目蓋がなく飛び出しそうなほど見開いていて、鼻はなく口は大きく裂け、その中は鋭い牙が並んでいる。それが隣で私を見ている。このままでは食われてしまう。そして私はこいつの一部となり成長を促す。その度に変形を繰り返しより良い形へと進化していく手に負えない化け物。私は、知っていた。私は何度も同じ夢を見た。白い化け物が人を襲い、生きるために人が殺し合う、そんなゲームをする夢だ。こいつはそこにいたのだ。今そいつは口を開けた。大きな口を開けながら近付いてくる。また頭痛がして、即座にライターを掴み取り、火をつけそいつの口の中に放り投げた。物凄い奇声を上げて叫び出す。車の扉を開け、その場でのたうち回ながらライターを吐き出そうとしている。けれどそれの姿はすぐ消えて見えなくなってしまった。
「あれ、アニィが逃げちゃった」
少女は車の外を眺めながら呟いた。そして此方を向き直る。
「アニィの弱点を知っていての、行動なのかしら」
「まるで、夢だ」
「夢なら良かったでしょうね」
少女の表情のない姿で言い捨てた、これが彼女の本性なのだと実感する。無邪気な笑顔は彼女にはあまりに不釣り合いで寧ろこの表情の方が合点がいった。ああ、心臓が五月蝿い。
「開催日は一週間後、殺戮の勝者に新たなゲームに招待します。あなたはその感覚を忘れてはいけない。いつでも殺戮をいとわない強靭な精神が貴方の未来を救うでしょう。」

そんな言葉を残して忽然と少女は消えた。アニィと呼ばれた先程の化け物と同じ能力なのかもしれないと推測する。開きっぱなしの助手席の扉を運転席から閉めようと腕を伸ばして、地面にライターが落ちているのが見えた。そのまま身を乗り出してライターを掴むと生温かい液体に塗れていて、酷く気持ちが悪かった。だけどそれは明らかな証拠で証明でしかない。奴らは確かにこの場所にいた。重みに潰される。フィルターが取り外されていく。曖昧だった記憶が徐々に現実味を帯びていく。ふとニュースで眺めていた名前を思い出す。計り知れない虚しさが無防備な私を飲み込んで離さない。これは忘れてしまった私の罰か。何もかもが無機質で脆く感じて、先程までの自分まるで別人のように思えてならない。

それなのに、涙が溢れて止まらなかった。



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