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灰色の街を見た
2012/09/11

手前の変形した窓ガラスから外の景色を覗いて始めに目についたのは、雪の様に降り積もる《灰》とそれにまみれた《灰色》の街だった。コンクリート製の廃れて崩れかけたビルが一面を埋め尽くしてまるで人の気配が感じられない。道路はひび割れ陥没し無人の車が静かに転がっている。静かに辺りを見回してきっと誰もが『此処は何処だ』と内心でとぼけて見せる。呼吸すら忘れてしまいそうな程静寂に包まれて、見ているだけで冷たさだけを感じさせた。
そんな中で一人の男が乱れた機内から立ち上がる。スーツを着た黒髪の男であった。機内の歪んだドアの前まで歩いてゆくとそれを軽く押し、次に強引に蹴り飛ばした。ガンガンと乱暴に音を立てて蹴り続ける男を皆茫然と見ていた。

「危ないよ」

その小さな声は全員を現実に引き戻す。だけど現実が適切な言葉なのかさえ今は分からない。それくらいこの状況は理解に遠く及ばなかった。十歳前後の少女がフードを目深に被りながら男に言った。ただでさえ危うい状況であるのにそのような衝撃を与えてはいくらなんでも危険すぎる。ぐらりと機内が揺れた。ひび割れた窓から見える下方は黒く霧が掛かり底無しのように思えた。もしかしたら本当に底は無いのかもしれない。
乗客を乗せた小型飛行機は無惨に大破して後方を《地面》にめり込ませて静止している。正しく言ってしまえば飛行機前方で《地面》を突き破り、辛うじて尾翼で引っ掛かり状態を維持をしている。少しでも衝撃を与えたら落下してしまうだろう。さて一体何処に落下するのだろう。
その時一段と大きな音がして、暗い機内に仄かな光が入り込む。無理矢理剥ぎ取ったドアを片手にスーツの男はこちらを向いた。そしてそれを見ずに歪んだドアを静かに元の場所に戻しながら「参ったな」と眉を下げて呟いた。けれどその割りに声音はあまりにも明るく小さく笑っているようでもあった。どうやらドアは開いたらしい。

「どうだったんだ」
真下を向きかけた機内の後方で固定された座席の背部に腰を掛けている男は機嫌が悪そうに呟く。同じくスーツを着て、だが先程の男とは対称的にスーツの上着を肩にかけて胸元はだらしなく開いていた。長い前髪の隙間から鋭い眼孔が覗く。ドアを抉じ開けた方の黒髪のスーツ男は苦笑気味に答えた。
「何処ですかね、此処は」
逆に聞き返される。目付きの悪い男はハッと片眉だけ吊り上げて嘲るように笑った。そんなの誰もが思っていることであるに違いない。何故なら誰もこんな静まり返った街を聞いたことも見たこともないのだから。黒髪のスーツ男は前方にあるドアから離れて後方へと戻る。

「地形そのものを疑わざるを得ないですね」
「現に《地面》の下にいるんだもんな」

目付きの悪い男は吐き捨てるように言う。

「怪しいとは思っていましたけれどまさかこんな街が眠っているとは想定外でしたよ」
「アンタ、何者だよ」

そう聞かれると黒髪のスーツ男は小さくて微笑みながら遠くをみた。


「しがない情報屋です」
「冗談だろ」
「いやいやまさか、れっきとした仕事ですよ」
そしてやはりその男は笑っていた。


男の目の前まで来た情報屋と名乗る男はそこに腰をおろす。

「自己紹介がまだでしたね」

そう言いながら手を差し出してくる男はとてもじゃないが普通の人間ではないだろう。あまりに場慣れした行動と言動。

「私は降野サングベルト。」
差し出された手に応える。そうすると満足そうに降野は微笑んだ。
この男の格好といい立ち振舞いといい嫌って程に綺麗であった。真っ直ぐと伸びた背筋や長い手足、指先と整えられた爪。端正な顔立ち。品のある声が頭に響いて離れない。
だけどこれはとても不幸な事実に違いない。

「出身地はビレニタス39地区」

その時、空気が一瞬にして緊張に変わる。戦慄、動揺。全員の視線が一斉に此方に集まり見開く。

第三領域に属した39地区は無法地帯と化している。かつて謎の大気汚染により壊滅的な被害を受けたことにより都市部からは疎外され見放されたからだ。結果、絶対的格差が生まれ差別が生まれてしまった。
ざわめきが起こり汚物を見るような目で陰口が始まる。
しかも最近騒がれてる失踪事件が起きてるのが第三領域で39地区だと言うのだからイメージ的には最悪だろう。
そんな扱いも慣れたものだと言うように降野は何も思わなかった。
ふと視線を目の前の男に向けると、その男は前髪の奥で鋭く眼光を光らせる。そして床に強く拳を殴り付け大きな衝撃が機内に響いた。騒がしさが止んだ。

「吉原だ、出身地はビレニタス12地区」

こんな反応をされたのは初めてかもしれないと降野は興味深く目の前の男を見つめた。けれど人相は非常に悪い。

「君ってなんか、まぬけっぽいですね」
「…あ?」
「事実を言ったまでです。本気にしないで下さい」
「なに、じゃあ言葉の使い方教えてやろうか」
「心外です、あなたに教わることはただ一つでさえないでしょう」

そうやって降野は不敵な笑みを浮かべた。
一体どうしたらはこんな風に差別されることを卑屈にならずに飄々といつも笑っていられるのだろう。この男なら貴族相手でもだからどうした、と平気で言ってのけてしまいそうな程に誰にも引け目を取らず堂々と威厳のある態度をとるだろう。それが簡単に出来るかと言ったら答えは否、だろう。










ガタリと機体が揺れた。徐々に機体は角度を落とし尾翼が《地面》から少しずつずれて抜け落ちようとしている。

「やだ落ちたくない!!」「おいどうするんだよっ」「し、死にたくない」「俺だって死にたくねーよ!!」 「誰か助けて!!」
一瞬にして叫び声で埋め尽くされる。泣いても叫んでも何も変わらないのを知らないのかもしれない。自分が守られていると信じているのかもしれない。

「動かないで下さい」
「黙れ第3領域(サードエリア)の分際で偉そうに口を聞くなッ!!」
同調の意を示して「そうだそうだ」と後から口を揃えて叫ぶ。
この人達は命よりプライドの方がずっと大事なのかもしれない。それなら仕方がないのかもしれない。

「死にたくなきゃ騒ぐんじゃねーよ、そんなことも分からないのかよ」
吉原は制するように声をあげた。だけど結果はひどく残酷で無情だった。

降野の含めた乗客およそ三十名を乗せた小型飛行機は機体を支えていた《地面》から抜け落ち、静かに落下した。


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