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商店街闇市九番店
2011/08/31

「さくらんぼを頂戴」

長髪を風に靡かせた女が立っていた。真っ赤なルージュを塗った唇の口角を上げて言う。
日も落ちて人通りの少なくなった商店街に未だ店を開いているのもこの店ぐらいだろう。電気で照らされた店内で出来るだけ熟したものを手に取って袋に入れた。

「まいど」

受け取った女の指は滑らかに白く、折れてしまいそうなくらい細かった。深紅のネイルがよく映える。
暗い商店街で光の届くのは数メートル先まで、後は何もなかった。光のカゴに閉じ込められているみたいだ。どうして俺まで閉じ込められなければいけないのかと苦笑した。そこに珍しく一人では無いのも可笑しな話であって、朝新しく仕入れた果物を思い返す。
熟れたバナナが売れ残っているのを思い出した。確かメロンもひとつあった気もする。

「お仕事は何をなさってるのですか」
「絵を描いてるの」

ビニール袋の刷れる音がして、女は袋の中を覗き込む。

「かわいい、ですね」

昔あった事件を思い出した。その人はうちの店の常連さんだったからそのニュースは印象に残っている。その人もよくさくらんぼを買っていた気がした。確か事故にあって死んでしまったのだけど、その人の部屋が悲惨だったらしく、腐った果物がそこら中に散らばって足の踏み場も無かったとか何とか。その時俺はあの人、食べてなかったんだなと思ったのを覚えてる。興味本意で聞いてみた。

「あなたは食べてくれますか」

女は不思議そうな視線を向けた。それはそうだ、さくらんぼは歴とした食物だ。いいや何でもないんだと、首を降った。

「ごめんなさい」

女は申し訳なさそうに言った。やはりアーティストは好きになれないな、と苛立ちを押し殺して、笑顔でいいんですよと返事をした。あの死んだ女は彫刻家だった気がする。この手の人達はさくらんぼの頭をインテリア代わりに飾るような妙な神経をしているのばかりだから、こうゆう仕事をしている身としては複雑過ぎて、今が美味しい時期なのに本当に勿体ない。

女が帰った後、店を閉めて明日の準備をする。仕入れたばかりのさくらんぼの箱を店の奥から店内に運び出す。箱の中で小さくにゃーと鳴いた。



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