「すまない、無理だ。って言われたワケよ」
「ア゛?」
「ハァ?」
「えぇ!?」

桃、真依、霞が同時に声を上げた。前に並んでいた家族連れの子供がこちらをちらりと見る。新幹線のホームを行き交う大人たちは、こちらの声なんて聞こえてない様子で流れて行く。もちろんメカ丸と話をしてるアイツにも聞こえてない。

「普通断るにしても無理はないよ、無理は」
「でもあの人、そういうモラルないんじゃない?」
「そんなこと言う人だったとは……」
「私ってそんな無理?」
「そんなことないですよ!全然気にしなくていいです!」
「そ、あっちの方が無理無理」
「やめた方がいいわよ。術師の男なんてロクなもんじゃないから」
隣の真依の胸によりかかると、頭を抱いてくれる。いつもなら重いからやめてと逃げられるのに今日は優しい。帰ったら遊びに行こうよと、桃と霞はスマホでお店を探してくれた。けど急に、桃が後ろを向いた。
その視線の先にいたのは、音もなくこちらへ距離を詰めていた、今話題の中心の加茂だった。

「西宮、歌姫先生から預かった新幹線のチケットだ」
「……」
「どうした」
「なにもー」
桃がひったくるように受け取ると、加茂は去って行く。
「不思議そうな顔しちゃってさ」
「え、今のそういう表情だったんですか?」
「そうだよ」
桃の言う通りだった。あれは不思議そうな顔。
加茂は普段から表情が分かりにくいが、3年目ともなれば、まあまあ分かるようになってきた。
という勘違いをしてたから振られたのか。
「歌姫先生たちグリーン車だって」
話題を変えると3人とも分かってくれて「そろそろ新幹線も全席コンセント付きにして欲しいわよね」「充電切れそう」「充電器ありますよ」と上手く乗ってくれた。他愛ない雑談をしながら、ホームに入ってきた新幹線を眺めていると、桃が腕を組んできた。

「なまえ、メイクが崩れちゃうよ」
「ゴメン。ありがと桃」

組んだ腕の指先は、無意識に厚ぼったいまぶたを擦ろうとしていた。
普段のメイクでは全然消えなかった睡眠不足のクマは、桃に手伝ってもらってコンシーラーで40分かけてなんとか消した。崩れたら修復は無理。

△ △

交流会に乱入して来た特級呪霊の攻撃を防ぎきれず、腹に穴をあけられて川に落ちた。次に目が覚めたら、東京校医師の家入さんが私を見下ろしていた。
「内臓はちゃんと治しておいたけど、皮膚の裂傷は治しが甘いからあまり激しく動かないように。お疲れ」
起き上がると痛みが走って、体を反射的に丸めた時に見えた隣のベッドには、加茂が横になっていた。

「加茂は」

「無事だ」
「治した」

2人の声が重なり、家入さんは部屋を出て行く。
加茂の顔色は悪く、頭に巻かれた包帯の隙間からは血で固まった髪の毛がワイヤーみたいに曲がりくねって飛び出ていた。
「大丈夫だ。問題ない」
「……良かった」
「みょうじは」
「家入さんのおかげで大丈夫」
「どこでやられたんだ」
「下の川。加茂がやられた後、すぐ私もやられた。……加茂も生きててよかった」
そう言った私へ加茂は顔を向けた。いつもの寝てるのか起きてるのか、分からない視線だった。

「次期当主が、こんな所で死んでいられないからな」

その普段なら聞き流す言葉を、その時私は聞き流せなかった。
加茂はなにかにつけて自分の行動、能力、功績を加茂家のものとする。私はそれが1年の時から嫌いだった。
同時にそれは血筋を重要視する、特に御三家ならではのもので、家系図が次々分断されているような家の私には理解できるが同意はできない考えだとも分かっていた。
あの時の私は、死闘をくぐり抜けて生き残った安堵と、戦いを終えた後の興奮がアンバランスに混ざり合って抑えが効かず、頭に血が上ったんだと思う。思い返しても、それしか理由が浮かばない。

「いつも言うけど私が褒めてんのも心配してんのも、加茂家の次期当主じゃなくて、憲紀個人だから。次期当主だから生きててよかったなんて思ってない。私は私が好きな憲紀が生きててよかったっつってんのよ」

はずみで告白していたと気がついたのは、数秒して加茂のまっすぐな目が見開かれたから。言った直後の私は、自分で「いつも言ってる」と加茂を責めたくせに、私もまた加茂にいつも言われている口の悪さが出たので、説得力に欠けた決まりの悪さがあった。
だから判断も言い訳も遅れた。

「すまない、無理だ」
「無理だ」

おい、2度も言うな。

▼  ▼

「車内販売、来たよ」
隣に座る桃につつかれて目を開く。寝てたわけじゃない。ただ失敗を思い出してた。
「桃もなんか食べる?朝のお礼に奢らせて」
「甘いものがいいなー。クッキーとかフィナンシェとか」
「りょー」
パーサーさんにアイスとクッキーを頼むと、前に座ってる真依が「私達にも買ってよ」とLINEを送ってきたので、3人分奢るハメになった。いいや。あとでたっぷり愚痴聞いてもらうし。
新幹線名物カチカチのアイス。冷たい。最高。アイス大好き。アイスも私のことが好きだよねー。アイスは無理なんて言わないよねー。

「いつもの頼むわ」
通路を挟んで隣の東堂にアイスを渡すと、東堂は無言でアイスを握った。カチカチアイスは硬すぎて全然スプーンが通らないから、私は東堂がいる時は彼に握らせて柔らかくしてもらってる。柔らかくなるまで、京都に帰ったら愚痴るカフェ探しをしようとスマホを握った時だった。

「東堂、貸せ」

全員の視線がその声の主に集まった。
東堂の隣に座っていた加茂が、私のカチカチアイスを東堂から受け取っているのだ。そしてその手に呪力が一瞬宿り、すぐに錯覚のように消えた。
「開ける時は気をつけろ」
東堂を介して帰ってきたアイスは、受け取った感触からしておかしい。ほんのり温かく、たぷたぷと波をうっている。加茂の隣に座るメカ丸、隣の桃、椅子の背中から顔を出す真依と霞。視線はこちらに向けられたままだ。
恐る恐る蓋をあけ、内蓋をめくった。ヨーグルトの蓋を開けたときのように、吹き出た液体が制服に飛び散った。
「気をつけろと言ったが」
「なんで!完全に液体になるまで!!溶かしてんのよ!!!」
「そっちの方がいいだろう」
「良くね−わ!!」
添えられたお手拭きだけでは間にあわず、急いでお手洗いに向かった。運良く誰も使ってなくて、ハンカチを濡らして拭うと色は抜けたが、乾いてみないと完全に取れたかは分からない。

お手洗いから出ると、目の前に加茂がいた。横を通り過ぎたら「取れたのか」と言いながら後をついてくる。そして前からはガタイのいい兄ちゃんが2人も来て、デッキは一気に狭くなり、私は加茂をドア前のスペースに押し込むと、すっぽりと私達2人が収まった。
「なんでアイスドロドロにしたの」
このまま無視して席に戻っても、返事をするまでずっと聞いてくるだろう。加茂はそういうやつ。
一昨日までなら、今の距離なら前髪が変じゃないかとか、汗臭くないかとか気が気じゃなかったのに、今は清々しいほどなんにも思わない。無理を2回言われたら、誰だってこうなる。
「その喉で冷たいものを口にするな。悪化するぞ」
「……声優のマネージャーかよ」
「声優なら自制するだろう」
「……そこじゃない」
「じゃあなんだ。喉を痛めているのは確かだろう」

加茂は言葉を真面目に受け取りすぎるというか、捻くれた言い方が効かないというか。雑にまとめると天然が入ってる。こっちが言った10のうち7くらいしかマトモに伝わらない。
けど今みたいに、言ってない11番目のことに気づいたりする。たまに。そう、たまに。そのたまにのせいで好きになったんだけど。
「川で倒れた時、小石や枝を飲んだのがかすって荒れただけ。粘膜だからすぐ治る」
「治るまで常温のものだけ飲み食いしておけ」
「無理な女のことなんてほっとけよ」
確かに喉は痛かったけど、声が変わったり、咳をしたわけでもない。顔にだすようなことも、もちろん誰にも言ってないのに。前はこんなこと言われたら絶対嬉しかった。でも今はその察しの良さが憎い。
「……無理な女とは誰だ?」
「……言わせんの?自分で私は無理って言ったじゃん」
普通言わせるか?私は腹がたって加茂から視線を外した。加茂は少しうつ向いた。ガタイのいい兄ちゃん達が戻って来て、狭いスペースで怒った顔している女子と、頭に包帯を巻いてうつ向いた男子の組み合わせは不思議なのか2度見した。そうだな。身長は加茂がでかいけど、この雰囲気はどうみてもカツアゲ。

「違う。無理なのはみょうじじゃない。私の立場が無理なのだ」
加茂の手が私の肩にかかった。おい、と呼ばれて顔を見ると、眉間は顰められて眉尻は落ちている。2年の最初の頃に連携に失敗して、穿血が私に当たった時にされた顔だった。
「嫡男として、次代当主として、付き合う相手も結婚する相手も、私は自分で決められない。だから無理だと言った」
「本当なら言葉足りなさすぎるでしょ」
「……動揺していた」
「え、あれで動揺してたの?」
「オマエは私をなんだと思っているんだ?突然あんなこと言われたら動揺するだろう」

一転して気まずい。
汗出てきた。本当なら加茂は私のことちゃんと見てて、喉にも気づいてくれた。なのに……。くそ、汗臭くないかな。
「ごめん」
「いや、私が悪い」
お互い下を向いたり、流れて行く景色を見たり、斜め上の天井に目をそらしたり。視線をあわせられない。前髪、割れてた。恥ずかしい。
席に戻るのは惜しいし、でも話を切り出す勇気はない。なにもできずにいると、後方車両から高く幼い声がした。振り返ると新幹線のおもちゃを振り回す子供が走って来ていて、追いかけて来たお母さんに抱きかかえられて戻って行く。ふたりでその背中を見ていた。

「……加茂はさ、当主になってお母さん迎えに行くんでしょ。前に言ってた、あの話」
「あぁ」
「それならさ、結婚相手決められないなんてしきたり、加茂の代でやめなよ」
「できるわけがないだろう」
「でもその流れで加茂も大事なお母さんも苦労してんじゃん。当主なったらやれるでしょ」
加茂の口が開く。目も開く。眉尻は上がり、私を見つめる。
「……そう……だな」
「え、納得すんのかい」
「口が悪い」
「ごめんあそばせ」

私達と同じ車両にいた女子高生が2人出てきた。高専とは真逆の白いセーラー服。ああいうの着てみたかったな。でもそういう高校に行ってたら、桃にも真依にも霞にも、目の前にいる加茂にも、絶対に会えなかったんだろうな。
女子高生たちはすれ違い様に私達をチラリと見た。告白かなー、と笑いながら話す声が小さく聞こえた。
「……加茂は私のこと、結局好きなの無理なの嫌いなの?」
「好きだ。2年の半ばから」
「え……ど、どうも」
「だから、その口の悪さを直しておいてくれ」
「あ゛!?」
「みょうじは人を助けたくて術師になったんだろう。何度も言うがその口の悪さでは無用な争いを生む。味方も減る。それに私は理解しているが、恐らく加茂の人間はそうはいかない」
出そうになった言葉が引っ込む。口が悪いのを直せと加茂がしつこいのは、彼自身が私の口の悪さを聞くに耐えないと感じてのことだと思っていたから。

人を助けたくて術師になった。加茂にそれを話すと、代わりに本当のお母さんのことを教えてくれた。私の話には釣り合わない、かなり重いことを語られてどう反応していいか分からなかったけど、その過去を聞いて加茂家にこだわる発言を流そうと決めた。そう言えば、この話をしたの、去年の夏の終わり頃だった。2年の半ば。なんてことない真夏の任務の帰り道だった。

「みょうじの言ったことを実現するには私だけでは難しいだろう。よろしく頼む」
そう言うと、考えを巡らせていた私をおいて席に戻った。結局私は振られたのか、違うのか……?
溜め息をついて制服を見ると、やはりいくつかの汚れがまた白く浮き上がっていた。
お手洗いに戻って、汚れを取るついでに鏡の中の自分を見つめる。あんなに悪かった顔色が少し赤く染まっていた。うわ。自分、素直。
席に戻るまでのとても短い道で、もう1度さっきの言葉を思い出す。振られてはいない、しかし。

『その口の悪さを直しておいてくれ』
『恐らく加茂の人間はそうはいかない』

車両の入り口ドアが開いたと同時に、加茂の顔が少し赤くなっていたのが見えた。
私は今度の日曜に、新しくできたタピオカ屋に加茂と行きたいとかそういうのなんだけど。
加茂もそういうのだよね。だよね?

2021-01-29
- ナノ -