※時系列は「楽に死ねないね」→「前日譚」→「冥さんが大好きな冥さんの後輩01」になります



空は灰色に濁っているのに、その奥には太陽の光を含んでいる。いつもと違う表情の中で1.4倍速みたいに雲が動く。こんな言い方をするから情緒がないと憂くんに叱られるのだろうか。
地上に近い場所、上空に近い所、そのふたつでは全く違う方向に風が吹いている。うねりが切り立った崖にぶつかって、森からはたくさんの葉や枝が海に次々と落ちて行く。
スマホで台風速報を見ると、黄色いカッパを着た女性がマイク片手に中継しており、乱れた髪が雨水と一緒に頬にはりついていた。台風中継とか、最高気温中継とか、もうやめた方がいい。危ないだけだ。
「お姉ちゃん!もうここ閉めるけど!」
早仕舞いでシャッターを降ろしに来たスーパーの店長が声をかけてくれた。店先の看板を片付けるのを手伝ったらお茶をくれた店長のエプロンも風を受けてはためいている。
「このままここに居てもいいですか」
「いいけど、日が落ちたら本格的に来るから、細いお姉ちゃんなんてふっとばされるよ!」
私が軒先のベンチを借りに来た時から、ひっきりなしに食料や防災グッズを買いに来た客が出入りしていたが、もう人が出て行くだけになった。

今この町を襲っている台風は一昨日まで「強いと言えば強いかもしれないし、このまま弱くなるかもしれない。曲がるかもしれないし、このまま進むかもしれない」そんなあやふやな予報をされていて、ちょっと雨風が強くなる程度だと思っていた。しかし突然一昨日から速度とパワーを上げて曲がり、冥さんと私の出張先に直撃した。
おかげで現在帰りの飛行機は欠航。任務は予定通り実行。風に吹かれ、雨に濡れながら、視界の悪い中でこの町を徘徊する呪霊を探すが見つからず、二手に別れてやっと1時間程前に任務が完了した。
海が見える風光明媚な景色と、美味しい食事が売りの山間の観光地として全国に知れ渡っているのに、今は全部同じ灰色を混ぜられて濁り、夕方から食事ができる店は次々閉店。昼は夕飯兼ねていてよかった。

「お姉ちゃん地元のモンじゃないでしょ!?車できたの!?」
「仕事でー!!駅からタクシーと徒歩で!」
「あとちょっとしたらタクシーも来てくれんよ!呼ぼうか!?」
風が激しくて負けじと声をはれば、お互い怒鳴ってるみたいな声量だ。
「人を待ってるんですよ!」
そう答えた時、駐車場へ1台の軽トラが雨水を跳ね飛ばしドリフトして入ってきた。運転荒いな!店長と私の気持ちがひとつになったが、こちらには水しぶきを一切かけなかった。技術点は10。
停車した軽トラの助手席ドアが開き、降りてきたのは、なんと武器バッグをかついだ冥さんだった。雨で濡れた前髪の三つ編みを手の甲で上げると、お疲れ、と私に向けて微笑む。

冥さんと、ドリフトする軽トラ…?!

今まで見た中で1番驚きの組み合わせだ(首位を明け渡したのは冥さんと露天のたこ焼き5パック)。軽トラドリフトのワイルドさと、冥さんというエレガントさの織りなすハーモニーが心に響く。ストラディバリウスの音色が聞こえる。

「どうもありがとう。困ったら気軽に連絡してくれてかまわないよ。今回のお礼に少し割引かせてもらおう」
私が立ちつくしていると、冥さんはそう言って運転席の中年男性に名刺を渡す。運転手と店長は知り合いのようで、2人は話し始めた。
「どうしたんですか軽トラから……」
「ここに向かっている途中で親切に乗せてくれたんだ。お礼に憑いていた呪霊を祓ったら、悩まされた肩こりが取れたと医者に勘違いされてね」
「それで名刺渡しちゃっていいんですか」
「フリーの仕事はこういうものだよ。どこから金の話が舞い込むか分からない。さて、飛行機はやっぱり飛ばないよね」
冥さんは暗雲が寝転がる空を見上げ、彼女の長いまつげが灰色の空に美しいアーチ型に広がる。冥さんに対して私は1.4倍速などという言葉は使わないのだ。
「この先に旅館がある。今日はそこに泊まろう」
すいっと優雅に指さす道に、吹き飛ばされて来たゴミ箱が転がり、落ち葉が群れを成し大移動しているみたいに走って行く。冥さんの長いまつげには雨粒がいくつもついていた。
「飛び込みで泊まれますかね?」
「大丈夫、さっき連絡をしておいた。私の客なんだよ」
「本当に顔が広いですね」
「フリーだからね」
もしかして、フリーを断ったのを根に持たれている…?

▼ ▼

冥さんが取った宿は、このエリアの人気ナンバーワンを争うハイクラス旅館だった。なんで知ってるかって?泊まりたいなあと思ってたから。もっといい天気のときにね。
木造の立派な門をくぐると、雨に濡れて輝く石畳が広がり、手入れされた庭園は石の塀に守られて静かに佇んでいた。仲居さんが数人駆け寄ってきて、濡れている私達に傘を傾け、タオルも貸してくれた。助かった……。先を行く冥さんは高齢の仲居さんとやり取りをすると、私の方を向いた。
「部屋は1つでいいかな」
「……もしいくつか空いてるなら、別々が良くないですか?」
「何故?」
「ゆっくりした方がいいですよ。冥さんずっと仕事続きじゃないですか」
「……じゃあ別々に頼もうか」
仲居さんと冥さんは知り合いなのか会話が盛り上がっており、館内に着くと冥さんは旅館への挨拶があるらしく、私達はそれぞれ別に案内された。部屋に向かう途中にあったバーやティールームには、ちらほらと宿泊者の姿が見えて、読書や酒を楽しんでいた。
「キャンセルされた方や、予定を早めて帰られた方もいらして、丁度おふたりで満室ですよ」
仲居さんは優しげに笑うと、部屋へ通してくれた。畳張りの床、掘り炬燵に座椅子が置かれ、その向こうにはキングサイズのベッドがある。全体的に明かりが暗めで、ゆったりとした空気が流れていた。しかしこの短時間でも台風は迫り、雨風が強くなっていた。この宿の売りであるオーシャンビューの窓は全て雨戸によって黒く塗りつぶされて、外からはごうごうと今にも張り裂けそうな音がした。仲居さんが戻って1人にされると部屋の広さが際立って、どこに身を置いていいかわからず、とりあえず畳に座ってお茶請けにある平べったい種無し梅干しを口に含む。ベッド大きいな。カップル向けの部屋だもんな。

冥さんが泊まる部屋は特別客室の離れで、1番近いのが私の部屋らしい。
一緒にいたほうがよかったかな……いや任務も終わったし、こっからはオフだ。オフ時間にお邪魔するならお金がいるだろうし、そもそも今日は休んで欲しい。
冥さんは高専からの任務に加え、個人や企業からの依頼も次々受けている。お金の折り合いがつけば何でも受けてくれるので、たまにスケジュールが繁忙期以上にハードな時がある。今がちょうどその時だ。
術師がフリーになるのは大変だ。単純に術師として実力云々もあるが、高専出の術師のほとんどは、一般中学、高専、術師というエスカレーターに乗る。フリーの術師につきまとう、金銭管理、事務作業、対人交渉、トラブル対応などはすべて独学しなければならない。それらを軽くやってのける冥さんの力の源は、やはり並々ならぬ努力と、お金への愛だろう。
それでも肉体の疲れはあるもので、珍しく今回は行きの飛行機で眠っていた。冥さん20日休みなかったらしいもんなあ……休み無し=儲かるから、楽しそうに語っていたけど。

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部屋の中で風呂を終えて、指の関節ひとつほど開いている雨戸の隙間から外を覗く。見るたびに天候は荒れ狂い、せっかくついている露天風呂と月見台には黒いものがいくつもべったりとはりついている。きっと森から飛んできた葉や枝だろう。残念さが疲れに拍車をかける。そういえば私も……ここ数週間は任務で九州、近畿、北海道と行ったり来たりで忙しかった。もう寝てしまおうかと思った所で、ポケットのスマホが震える。冥さんだ。
『お疲れ。もうお風呂には入った?』
「はい、さっき。どうかされました?」
『旅館からのサービスで酒とつまみをもらってね。こっちは室内足湯が使えるから飲みにおいで』
「シャッス!!行きます!!!」
邪魔する気は無いけど、冥さんから来いと言われたら、私はエベレスト山頂だってコンビニ感覚で行く。
冥さんの部屋へ伺うと、中は私の部屋よりずっと天井が高い。全体的なデザインは似ているがソファやテーブルなどの家具が多く、ベッドが2つ別々に用意されていた。コンセプトが違うんだろうな。冥さんは部屋の中央に作られた足湯に浸かり、手招きをした。

「うわー……すごいですね」
「私も驚いたよ。天候に左右されずに使えていいね」
そこは畳から板張りに変わり、細長く切り取られた床の中にお湯がゆらゆら揺れている。足をつけてみると少し熱くて、温泉独特のとろみもあって気持ちいい。
用意されていたキンキンに冷えた銀色のヤツを頂き、プルタブを上げるとプシュッといい音がした。冥さんは棘がついている高そうなブランデーの瓶をグラスへ傾ける。飲む?と尋ねられたが遠慮した。飲めないことはないが、冥さんのお供をするのに飲む酒としては私には強すぎる。乾杯をして飲むと、一気に1缶あけてしまった。足湯あるし、回るの早そうだな……。
並べられた多数の小鉢のおつまみはどう見ても出来合いではなく、冥さんのためにしっかりと作り込まれている。
「……冥さんはこの旅館とどういうご縁で?」
呪霊に関する依頼は経営者層から秘密裏に行われることがほとんどだ。漏れれば社員に逃げられたり、状況より悪い噂が拡散されてしまったりもする。だから冥さんが会うのは社長クラスだけなのだが、今回冥さんは仲居さんや受付とも仲良さそうに話していたし、素性を知られているようだった。
「長い付き合いの上客だよ。年に3、4回は祓除に来ていた。今は年1回ほどだけどね」
「減ったのには何か原因が?」
「元々この地域は旅館が多くてね。その中でもこの旅館は、富裕層の避暑地として使われていた経緯があって人気が特に高かった。だから周囲からの妬みが途切れることなく呪いになって蓄積し、定期的な祓除が必要だったんだけど、最近この近くに無理な土地買収をした旅館が建設されてね。ほら、ここ」
冥さんがスマホで見せてくれたのは、世界でも有名なホテルチェーンだった。地域の雰囲気に合わせて宿を建てるのが売りで、新しい宿が建つたびにニュースになる。詳しいでしょう。行きたかったからだよ。
「客の取り合いが激化してね、結果生き残ったのはブランド力があるここみたいな高級旅館や、体力のある宿だけで、あとは羽振りが良さそうに見せていた宿も軒並み廃業になった。特にあの旅館は地元から信仰の厚かった山を切り開いて作ったから、恨みがそちらへ向いてこちらへは減ったわけだ。けれどゼロになることはない」
尾羽打ち枯らすほどに、盛るのは呪いだね。
冥さんはそう呟くとブランデーを少し口に含んだ。ゆらりと金色の水面がゆれて、香りが立つ。人がいる限り、この仕事は食いっぱぐれないと冥さんに会った頃に教えられた。その通りだ。
「そっちの部屋は気に入ったかな?」
「もちろんです!こんな所、普段の仕事じゃ泊まれないので楽しいです。ありがとうございます」
「なら良かった。実はね、ここに連れて来ようか少し考えたんだよ。なまえの昔の家に似ていないかなと思ってね」
ブランデーに向けられていた冥さんの視線が私に落ちた。普段は編まれている彼女の長い髪が今は緩くひとつに結ばれて肩に流れている。そのひと房が肩から落ちて、目が合う。
「……比べたらここに失礼なほど、ボロボロでどうしようもない所でしたよ」
5缶目のビールに手を伸ばす。プルタブを上げて、私はまた一気にビールを呷る。
「それにもう、あんまり覚えてないんですよ。村のこと。冥さん追いかけてる今があの村で暮らしていたときよりずっと濃くて、大切で、生きてて、どんどん忘れてます」

冥さんは私をあの村から助けてくれたけど、私の家は見ていない。人や呪いを食って強化された疫病の神が撒き散らしたものに、人も草も建物も全て侵されて、正しい形を失った。村は1年かけて“整地”されて、今は工場が建っているらしい。
あの隙間風のなくならない部屋、大工を外から呼べないからずっと雨漏りしていた屋根、容易に聞き耳を立てられる薄い壁、すぐ覗かれる窓だらけの構造。外側だけが荘厳で、中はつつけば簡単に崩れる。本当にあの村の象徴のような家だった。
私は冥さんを追いかけるうちに成人して、術師として独り立ちし、今に至る。必要な知識や経験、お酒の飲み方、人付き合い、処世術、私のもつ全ての半分以上は冥さんに教えてもらった。あの村で生まれ育って知ったことの何倍も冥さんから教えてもらった。あと残りは冥さんに褒めてもらいたくて、いけ好かない上の奴らにごますって経験をつんだり、尊敬できる人を飲みに誘ったり、任務同行させてもらって勉強した。そのせいで1番酔わずに飲めるのが、飲み会の潤滑油であり血液のビールになった。

「そう、それはいいことだね。……ところで膝を貸してくれないかな。良い酒だからつい進みすぎていたよ。横になりたい」
「ベッドに行かなくていいんですか?硬いですよ?」
「足湯からは上がりたくはないからね」
冥さんのすべすべした指の背が私の頬を撫でた。
これは、冥さんが私達におねだりをしてくれる時の合図ではないかと、前に憂くんと考えたことがある。またその説が裏付けされた。もっとおねだりしてほしい……。冥さんは横になると私の太ももを枕にして足湯の方に顔を向けた。
たまに任務で日をまたぐ時にホテルを取ることはあったけど、お互いシングルを取ってただ寝るだけのことが多く、会話中心のゆっくりした時間をホテルで過ごすなんて初めてかもしれない。
「ねえ、髪を編んで」
冥さんがこちらに視線を向けてにっこり微笑む。えぇ……お金払わないといけないやつなのでは……?いや……冥さんからの依頼なので、今日はいいのだろう。
眠りやすいように、後ろではなく前に落ちるように編んでいく。足湯を囲むガラスの仕切りの光が髪に反射して、銀にも白にも見える髪は絹のようだった。
編み上がりましたよ、と声をかければ、冥さんは私の膝の上で仰向けになった。長い足が湯から上がって、水の放物線が生まれる。
「なまえは可愛いね」
「あ……?……えぇ?」
「いや、さっきの話を聞いていて改めて実感したのさ。なまえはブランデーを飲むのに似ているね。口に含んで、香りと味を確かめるようにじっくり可愛がりたい。水で割ったり、一気に飲み干したりするのはもったいない」
白い手がまた私の頬をなでた。おねだりの合図。今の所そう思われている冥さんの行動。
「もしかして、何も考えずにさっきの事を話してくれたのかな。1級昇進の時に熱く語ってくれたのはもちろん覚えているけど、そこまで私を強く慕うのは何故?なまえは私のことをどう思っているのかな?」
冥さんは起き上がると、私の耳の縁で囁いた。

▼ ▼

「冥さんは……1番尊敬してて、1番大好きなんですけど……なんというか、うまくしっくりくる言葉がなくて。恋に近いんですけど根っこは違いますしね。そしたら最近、ある学生さんに教えてもらったんです。大好きで、尊敬してて、誰よりも大切で、幸せになってもらいたいし、冥さんが喜ぶなら何でもします。男女間の恋愛じゃなくても使える関係性の名前。………“推し”っていうんですね。こういうの。冥さんは私の推しなんです。わかりますか……え!?推しってそういう感情じゃないんですか!?考え直した方がいい!?」

返事をすると一気に顔が曇り「え……!?そうなんですか……?」と言うので、お酒が進むと多弁になるねと畳み掛けると、なまえは青い顔をして部屋に戻って行った。部屋を出る直前に「記憶消してえ……」とまで呟くほどショックを受けているのは本当にいじらしいけど、私は振られているんだよね。
少し酔いが回った勢いで行けたら行こうくらいのノリで誘ったけど、こうも綺麗に失敗して、しかも性愛ではないと断言されるとは思っていなかった。けれど、推しなんて面倒な方向に行かれたら困るから、早めに摘めてよかったかな。情報元は……彼かな。見たかったのはなまえが私を求める姿だったんだけど、あの感じだとなかなか長そうだ。
編んでもらった髪を撫でる。丁寧に編まれていて、またそこがいじらしい。抱いてしまうのは本当に簡単だけど、あそこまで言うあの子が私を求めるところがみたい。攻めて駄目なら引くまでか。嫉妬するように仕向けてみようかな。
いくつか案を立てながら、ブランデーの瓶を空にしてベッドに入る。気分がいい。久しぶりに金勘定以外で楽しさを感じる。

この時の私は、あの子が私に向けてくれる尊敬の念があまりに強く厄介なもので、嫉妬を発露させるのに随分時間がかかった末、最終的には私の天秤が根負けへ傾いて、彼女に求めさせる前に私から手を出すことになるとは、思ってもみなかった。

2020-11-19
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