私が働いている会社はシステム開発をやっている。
勤怠、画像処理、動画配信、顔認証、アプリ開発、ゲーム開発などなど。お客様のやりたいは大体作れる技術力だけはある会社だ。ブラックを手堅い経営と言い換えて、民間や公的機関などお客様は様々だが今回のお客様は都立の宗教系高等専門学校だった。
受注した仕様書を見る。印刷されたばかりでほんのり温かくシワひとつない。
宗教系高等専門学校なんて珍しいなと検索ボックスに高校名を打ち込んでみたが、都の高校リストなどにポツポツと載っているだけで学校の画像は1枚も出てこなかった。………やばい所じゃないよね?一応、都立だし……。
作ることになった「業務管理システム(仮)」の要望はスタッフごとのスケジュール管理、業務振り分け、業務振り分け時・変更時のメール配信、配車管理、報告書の提出・閲覧、勤怠管理など、どっさり盛り込まれていた。

初回打ち合わせは今日の14時。場所はオフィスを持たない会社が打ち合わせによく使う東京駅のカフェ。うちの会社は内装もスタッフもボロボロだし、高専での打ち合わせもできないとのことで、ここにさせてもらった。
高専の担当者は伊地知さんという。
打ち合わせの日時確認とご挨拶のメールを送ると2分で返信をくれた人。コピペか1行返信かと思いきや、きっちりとした挨拶から始まり、システム開発依頼経緯などが書かれたしっかりとしたメールが届いた。返信が早すぎるでしょ。
……1年くらい前に担当した案件の窓口の人を思い出す。返信が異様に早くめちゃくちゃ神経質で、こちらの誤字を2週間もネチネチ言われ、何かにつけて人生観を電話で語られた。またあぁいう人かな……とデスクの胃薬が1個減った。……帰りに胃薬を買い足そう。
けど結構大きな費用のかかったシステムなのに、伊地知さんは管理職ではないし1人で打ち合わせに来るらしい。システムに詳しい人かな……ならいいか悪いか、これは真っ二つに分かれる。
残業が続いてくっきり浮いてしまった隈と肌荒れを駅の化粧室でコンシーラーを使って隠す。待ち合わせまで後30分。
お客様に苦い顔をされながら詰めていく初回の打ち合わせほど、辛くて、だるくて、そしてやることが多く、1番重要な打ち合わせだと私は思う。なので昨日は今日のために0時に上がって5時間も寝た。予定打ち合わせ時刻は2時間。でも3時間半はみてる。

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待ち合わせ場所にいたのは痩せた肩に喪服みたいなスーツの男性だった。
ミスをひとつも見逃さないような鋭い目つきと、気難しそうに寄せられた眉間。頬骨が目立つシャープな輪郭に、黒いアンダーリムの眼鏡。そしてピンと伸びた背筋と温度の無い表情。
……これは1年前の案件より辛そうだ。もう引き締め過ぎて千切れそうな気をさらに引き締め、挨拶を済ませ、席につく。
伊地知さんは今回の受注への丁寧なお礼と、自作の資料をくれた。さぁ始まるぞ。


「必要な機能についてはこちらの資料に。機能ごとに欲しい仕様に似たWebサービスも参考サイトでつけています。……素人が練ったものですので分かりにくいでしょうが、大枠こんなことがしたいと判断は可能でしょうか」
「いえいえ!こんな素晴らしい資料をありがとうございます!」
読んでみると、とっても見やすい、わかりやすい。要望、必要な仕様、可能であれば実装してもらいたい機能、スケジュール感などがしっかりまとめられており、打ち合わせの下地が完璧に整えられていた。
こちらが1聞けば、ほしい情報を5くれる。この5が助かる。突然10をもらっても処理しきれないから。
受け答えは丁寧で曖昧さがない。分からないことは分からないと言い切る。けどそれが少し気恥ずかしいのか、この時は体温の低そうな表情が緩む。
この人、人と話すのになれている。軽快なラリーの応酬が続いている。
「この仕様なら、1ヶ月ほど完成にかかります。ちょっと複雑なので確認のため1度レビューをして頂いてもよろしいでしょうか」
「はい、構いませんよ。ただウチはこの時期忙しいので。レビュー日は予定日の最低1週間前にはご連絡を頂けると助かります」
「かしこまりました」
第一印象とは真逆で物腰は柔らか、決断も早く、システムについては素人なのに知識の幅が広くてこんなシステムを素人が何で知ってるの?みたいなモノの概要までご存じだった。おかげでこちらは話が早く、伊地知さんは理解が早く、打ち合わせは予定より30分も早く終わった。


「本日はお時間を頂き、ありがとうございました。伊地知さんが非常に知識のある方で助かりました」
「いえいえ。みょうじさんのご説明がお上手なおかげですよ。こちらこそありがとうございました。では、上司との相談事項は3日以内にご連絡を致します」
それでは引き続きよろしくお願いします。
示し合わせたように頭を下げて同じ言葉を言って逆方向へ歩き出す。10メートルほど歩いた所で振り返ると、雑踏に紛れる直前の伊地知さんが見えた。打ち合わせ中に1度も崩れなかった背筋が、猫背になって丸まっていた。
視線を前に戻す過程で、気が抜けてちょうど猫背になった自分を店のガラスの中に見た。あの人も緊張してたし、疲れてたんだ。
ドラッグストアで胃薬を買い足しながら、第一印象で彼を判断した気になった自分が恥ずかしかった。

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でもどんなにスムーズな打ち合わせをしても実際に開発に入ったら問題が勃発したり、窓口の人の上司が突然出てきて全部ひっくり返したりとかある。伊地知さんもきっとそうかもしれない……と、思ったら無い。全く無い。開発スケジュール半年は、驚くほどスムーズに進んでいる。
この理由は伊地知さんの的確かつ超速いレスにある。
無理な仕様の修正・変更・追加・先祖返り。起きてほしくないけど、あると思ってこちらも受け入れるものが全く無い。そしてメールを送ると速くて10分、遅くてもその日の内に必ず返信が来る。
送られてくる資料はいつも綺麗、かつ扱いやすいデータで作られている。
さらにメインの窓口である私以外がたまに伊地知さんへメールや電話をするのだが、伊地知さんの話は非常に的確でありながら、必ずこちらの体調を気づかってくれて、システムへのポジティブな感想が含まれている。

そのポジティブな感想により、ひび割れた大地のごとく荒み、乾いていた開発メンバーの心は潤った。会ったことのないのに「クライアント全部伊地知さんにならないかな」と呪文のように呟き、「今日伊地知さんに連絡を取る」というフレーズが羨望の対象になって、別案件で苦しい目に遭ったときは「伊地知さん……」と呻き、メールや電話から得た伊地知さんの感想を、社内チャットで共有することは暗黙の了解となった。
最終的に伊地知さんの名刺をラミネート加工して開発デスクの中央に様々な祈りと感謝を込めて飾り、エナジードリンクの空き缶で鳥居を立てた。
みんな過労と睡眠不足でナチュラルハイと鬱を行き来してたが、伊地知さんという社外の存在により心が一致団結してナチュラルハイで止まった。毎日がデスマーチなので仕事以外の会話は減り、笑顔は消え去っていた社内にそれが戻ってくる。伊地知さん神社のおかげだ。私も毎朝、鳥居に向かって祈っている。仕事が上手くいくコツは報連相と伊地知さんだ。

でも私だけが知っている伊地知さんの、あの疲れ果てた猫背をたまに思い出してしまう。元気かな、伊地知さん。
直接会うフィードバックは開発終了まで3回予定している。1度目は多忙で予定時間の半分しか時間が取れなかったが、理解が早くて十分だった。けど顔色はひどく悪い。しかし喋り方は前と同じく穏やかで、そして私と別れた後の背中は、また丸まっていた。

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ある夜のことだ。伊地知さんの案件は超スムーズでも別案件は火がついていて今日も残業だ。
それを片付けながら、伊地知さんへの仕様確認メールを送った深夜1時40分。
深夜にメールを送っても返ってきたりするので、念のために「急ぎではありません」とつけて送ると1分後にメールが返って来た。送信ミスかと思って確認すると、メールは伊地知さんからだった。
『申し訳ありませんが、明日・明後日は多忙のため返信ができません。また、メールにてお伝えするのが難しい内容になりますので、まだ職場にいらっしゃるようでしたら、今からお電話を差し上げてもよろしいでしょうか』
電話は大丈夫。でもお客様にかけさせるわけにはいかない。伊地知さんの携帯電話番号にかけると、彼はすぐに出た。
『夜分遅くに申し訳ありません。口頭の方がお伝えしやすいかと思いまして』
「お気遣いありがとうございます。伊地知さんはご自宅ですか?」
『みょうじさんと同じく、まだ職場です』
「お互いブラックですねえ」
ははは……と、力ない笑い声がした。すごい速さでキーを叩く音とプリンターの動く音が聞こえる。
「お元気ですか?声が辛そうですけど」
『いえいえ。私なんてここではまだ序の口ですから。みょうじさんもお体は大丈夫ですか』
「慣れですね〜」
『フフ……私もです』
ゆったり伊地知さんと話し合う。内容は画面のデザインの件で、確かにメールでは説明が難しいところだった。電話は30分ほどで終わり時計は2時を過ぎていた。
『遅くまですみません……』
「お気になさらないでください!明け方までやってタクシーで帰る予定でしたから」
『もしかしてウチの開発で……?』
「いえいえ。他の案件です。しょっちゅうなので大丈夫です。伊地知さんは?」
『私はもう上がります。みょうじさん……今、職場におひとりですか?』
「いえ、別室に何人かいますよ」
仮眠室で寝てるんだけど。
『よかった……帰られる際は何人かで連れ立ってくださいね。明け方はまだ暗いですから』
「ありがとうございます。伊地知さん、優しいですね」
『……え?……えぇ!?いや……ふ、ふつうですよ。本当に。お気をつけて……』
「伊地知さんもおひとりですか?」
『そ、そうですね。集中できていいですが、話し相手がいないので夜は少し寂しいですね。最近はパソコンのシステム画面と話してしまいますよ』
「寂しくなったら、気軽に私にお電話してください」
『は!?……ははは……そんな……。お、お疲れ様です……』
通話がきれた。
最後の、なんか、可愛かった。
徹夜ハイのせいだ。しまったな。
話してみるとすごく優しくて穏やかなのに、黙って座っていたら全然そうは見えない伊地知さんの冷たい顔を思い出す。でも笑うと、ぽっと温度が上がる。……あー……コンビニのおでん食べたくなってきた。買って帰ろう。

気軽に私にお電話してください、は社交辞令として処理されると思っていた。けれどちょうど開発の内容が口頭でないと説明がし辛い部分に入ってきたのもあり、嘘から出た真ならぬ、社交辞令から出た真で、2日に1回、夜に電話することになった。そのうち段々と、仕事の話の後は世間話を続けるようになった。最近あった事件、美味しかった店、季節、交通情報、私の会社がある上野の治安、新しくできたお店など。伊地知さんは本当に広く知識のある人で(治安と事件になぜかとても詳しい。学生さんのために色々調べてるのかな)電話を重ねる度にずっとこの人と仕事をしていたいなと思う。
いつも電話の最後に「お疲れ様でした。それでは気をつけて帰られてください。おやすみなさい」と言ってくれるのがとても好き。
開発期間はあと1ヶ月半だけど超順調。おそらく2週間後の最後のレビューで問題がなければ、その場でシステムの操作指導までして終わりだろう。
「寂しくなるなあ……」
初めてお客様に対してこんな言葉が出た。

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「大変分かりやすかったです。マニュアルも他のスタッフがすぐに理解できそうなくらい丁寧で。本当にありがとうございました」
いつものカフェにて伊地知さんが深々と頭を下げてくれたので、慌ててこちらも頭を下げる。レビューで問題が無かったので、システムの操作指導まで行った。あとは内部調整等を済ませればもう開発終了である。
「支払い関係は事務から連絡をさせますので。連絡先は伊地知さんで大丈夫ですか?」
「はい。そちらも私が担当していますので」
レビューと操作指導が終わってしまった。本当に終わったよ。こんなにスムーズな案件初めてなのに、スタッフのみんな悲しむだろうな。
こちらの経費で落とすといつも押し切るコーヒー代の会計をすませて、カフェの外に出る。最後くらい途中まで伊地知さんを送ろうかなと思っていると、彼は眼鏡の位置を正しながら私に声をかけた。
「みょうじさんはこれからどちらへ向かわれますか?」
「そうですね。上野の会社に戻ります」
「私は車で来ていますので乗って行きませんか?」
「いいんですか?」
「私も今日は上野方面へ行きますので」

よっっっっしゃ。
駐車場に止められていた車は伊地知さんのスーツと同じ黒だった。助手席シートはしっかりしていて座り心地がいい。手触りもサラサラだ。
出しますね。の一言で、車は緩やかに駐車場を出た。加速、減速、ブレーキ。ほとんど体が揺れず、すーっと流れるように車は走っていく。
「お世辞じゃなく運転がとってもお上手ですね」
「ははは……ありがとうございます。運転に厳しい人をよく乗せるからでしょうか。でも褒められることは無いので、そう言ってもらえると自信がつきますね」
よろしかったら飴でも、と彼はセンターコンソールを指差す。オレンジ・りんご・ブドウの飴がひとつずつ。他にはボトル缶コーヒー、小さい袋を開封した時にできる切れ端、ミントタブレット。私はブドウの飴をもらって口に入れた。
「ありがとうございます。……伊地知さんのお気に入りの胃薬は何ですか」
「え!?」
彼の肩が揺れるが、車は全くぶれない。赤で停車中に私は小さい袋の切れ端をつまんで彼に見せた。
「……お恥ずかしいです」
「全然。私もよく飲むので。これは第一三共胃腸薬ですよね」
「そこから判断できるほど飲まれているんですか!?」
「病院に行く暇ないですし、行っても今度は処方薬もらうだけで。結局市販の胃薬バイキング中です」
「……難しくても時間を取って定期的に病院に行くことをおすすめします。私によく効くのは太田漢方胃腸薬IIです」
「漢方ですか〜、飲んだ気がしなくて避けてたんですけど効くんですね」
「はい、効果はきちんとありますよ。病院でも処方されるくらいですから。みょうじさんによく効くのは何ですか?」
「ブスコパンです。お店で売ってる方の」

ゆっくりと車は走っていく。運転には人柄が出るとラジオで言ってたけど、それなら伊地知さんは超スマートで、優しくて、気遣いができる人って感じだ。
「……みょうじさんのおすすめのコーヒーはありますか?」
「コーヒーは……色々買いましたけど、大量に飲むので結局社内のドリンクサーバーに戻っちゃって。茶色の絵の具を溶かしたみたいな味ですけど眠気には1番効きます」
「絵の具を飲んだことが……?」
「小学生の時に麦茶と間違って飲んで、カルピスと間違えて白い絵の具も飲みました。間違えません?」
「間違えませんよ……!」
伊地知さんはひどく驚いた顔をして、心配そうな表情を浮かべた。
出会ったときに感じた気難しそうで細かそうな印象が、その表情と声色で塗り替えられていく。初めて出会った時の、あの表情が思い出せなくなってきた。スマートでは、ないのかもだけど。優しくて、気遣いができる。これは多分ばっちり当たってる。
「……伊地知さんのおすすめコーヒーはこれですか?」
「いえ、これは差し入れで。コーヒーに関してはこれといって無いですね。私の職場は貰い物が多くて、特に1番多いのがコーヒーなんです。貰い物は事務で飲み食いしていいと言われて、良いコーヒーを飲める機会は多いんですが眠気を飛ばす効果は薄いので眠気に関しては栄養ドリンク頼りです」
そういうと伊地知さんはウィンカーを出した。もう2回ほど曲がれば、上野駅に着く。着いてしまう……着いちゃう。
私は、伊地知さんとこのまま別れるのを。
「みょうじさん、もうすぐ着きます。お世話になりました。みょうじさんが担当してくださって本当に良かったです」
別れるのを、とても名残惜しいと思ってる。

開発は完了だ。この案件はサポート部に回って、今後伊地知さんが電話やメールをするのはサポート部のスタッフになる。もし改修や機能追加があってもサポート部が窓口になる。これから先、私が伊地知さんと会う機会は無い。
……いや何を考えてるんだ。伝える言葉はひとつだけ。「こちらこそ、伊地知さんのおかげで大変助かりました。今後はサポート部が引き継ぎますので、なにかお困りの際はお気軽にご相談ください」だ。
駅の前に車が止まる。シートベルトをした伊地知さんが私を見ている。少しだけ微笑んだ穏やかな顔で。
「こちらこそ、伊地知さんのおかげで大変助かりました。今後はサポート部が引き継ぎますので、なにかお困りの際はお気軽にご相談ください。ところで伊地知さんはお何歳ですか」
おい。

「え!?に、25です……今年で26になりますが」
「あ、同い年ですね……意外でした。年上かと……。不躾ですが彼女さんはいらっしゃいますか?」
おい私。

「え!!?い、いえ……そんな……作っている暇も私にはないですし……」
「なら今度一緒に、飲みに行きませんか。……お酒とか………お互い胃が悪いんで……い、胃カメラとか」
サポートの話しろ私。

そう言うと、伊地知さんは数秒間あけて、顔をくしゃくしゃにして笑った。眼鏡がずれて、口元を抑える手は骨ばってゴツゴツして、笑いで小刻みに震えている。
そして、はっと何かに気づいたような表情をした後、私から視線をそらし、オレンジ味の飴の方へ視線を落とす。
「ぜひ……私でよろしければ……。まずは、お酒を……」
そう返事をしてくれた伊地知さんの顔色は、いつもどおり真っ白だったが、耳だけは真っ赤だった。

よくやったぞ私。

2020-11-01
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