「みみちゃん、ななちゃん、大丈夫ー?」
呼びかけてみても、こちらに手を振るだけで帰ってくる様子はない。
秋が深まり、海水浴客がいなくなった砂浜の端、少し入り組んだ岩場に漂着したモノをふたりは掘り返していた。キラキラしたもの、丸いもの、海藻などを拾っては遠くに投げ捨てている。
あのふたりは賢いから、行動には明確な目的を感じたが、何したいのかは全然私にはわからない。美里さんに貝殻や流木の工作を教えてもらったから、材料集めかな。

今日は傑と悟は仕事、美里さんは理子ちゃんと家の整理、私が買い出し。ふたりがついて行きたいというので、連れていくと、帰り道で急に海へ駆け出して行って1時間が経つ。もうすぐこの海ともお別れだから、寂しいのかな。
スーパーのビニール袋の中は生活雑貨ばかりで、冷蔵庫にいれるものは無かった。もしかして、これを見越してついて来たのかもしれない。
道路と海の境界に腰かける。用意周到にもふたりはビーチシューズを持っていて、置き去りにされたサンダルはベルトの金具が1番端までずれていた。この島を出たら新しい靴も買わないと。また今と同じキャラクターものがいいのだろうか。海の音、波の色、潮の香り。秋の海は、夏よりすこし角がとれたような柔らかさを感じる。



傑が迎えに着てくれて、もう半年が経った。
呪術師界がふたりを追っているというのは建前であり、内実は傑と悟が呪術師界に害を成さない限り不可侵状態らしい。
その理由は様々で、まず悟と傑が逃した理子ちゃんの代わりに、別の星漿体が天元様になり、天元様はふたりを不問とした。
そしてふたりは呪霊・呪詛師討伐を自分たちの仕事として、高専在籍時より祓い続けている。ふたりを討伐してしまうことは、逆に呪術師界にとって損失でしかない。
任務任命責任の所在、天元様の許し、御三家、呪詛師との均衡、呪術規定、呪術師界の上層部の面子。
すべてを考えた結果、準1級以下の呪術師にはふたりを追っていると伝え、1級以上にはふたりと遭遇した場合は戦闘や対話をせず即時撤退し報告すること。そう情報を広めたらしい。

「それにもし討伐となっても、私と悟に挑ませる呪術師なんて一握りだし、そんな人材、あっちも失えないだろ?」
そう言った傑のさっぱりした笑顔に、置き去りにされた頃の私の心配は……と思う気持ちが2割、素直にかっこいいと思ってしまう気持ちが8割。惚れた弱みで手のひらを返しながら過去の私に謝った。

たしかに3年生の時はひどい繁忙期だったのに、アサインされた1・2級呪霊討伐任務が急に低級任務に差し替えられたときが度々あった。つまり、あれは傑たちのおかげ。私を含め、何人の呪術師があれで助かったのかな。あの地獄の繁忙期を乗り切れたのは傑のおかげだよって言ったら、灰原くん飛び上がって喜ぶかな。今はどうしてるんだろ。

とはいえ、呪術師界のほとんどを構成している準1級以下の呪術師に見つかってしまうと厄介だし、学校に通えていない3人の子供がいる私達家族は、それなりに居場所を変える必要があった。3ヶ月前に住み移ったこの島ともそろそろお別れ。
視線をみみななちゃんに戻すと、岩の下を覗き込んでいた。
ふたりに初めて会ったときは、話に聞いていた家族以外への警戒心があったが、ここに来てからは自然体で世界を歩き回れるようになった気がする。生まれが山間集落のふたりには、山が無く、果てしない水平線だけが続く景色は、あの過去を遠ざけるのかもしれない。

傑と悟が任務として指示された呪霊を祓う生活から、「おいくらで祓いますよ」生活に変わってから、仕事先の村で見つけたのが美々子、菜々子ちゃんだ。
化物として扱われ、監禁されていたふたりを傑が見つけて、適当に嘘をでっち上げ連れ帰ってきたらしい。美々子ちゃんと菜々子ちゃんは、聞くだけでも身がすくむ状況から自分たちを救ってくれた傑を神様みたいに慕って、夏油様、夏油様と傑の後ろを追っていたらしい。
でも今は家族のみんなとなんとか意思疎通をし、家族同士の繋がりも定まってきた。
甘えたい時は傑。外遊びしてほしい時は悟。何かを知りたい時は美里さん。部屋遊びしてほしい時は理子ちゃん。そして私は、ちょっとなめられている。アニメで覚えた必殺技を撃つ相手。苦手な食べ物をそっと押し付ける相手。鬼ごっこでふたりがグルになってタッチする相手。夜中涼しい場所を求めベッドを奪う相手。それが私。


「ふたりともー、帰ろー。日焼け止め塗ってないから、焼けちゃうよー、肌痛くなるよー」
「も、もう少し!」
「そこにいて!」

呼びかけたのが他の家族なら、ぱっと帰って来てくれるだろうけど。秋とはいえ、雲ひとつない青空だ。そろそろ水を飲ませないと。
ふたりは漂着した丸くて赤いブイを岩陰から引きずり出し、じっくりそれを眺めると海に投げ込んだ。私は立ち上がり、水を買うため小銭を数えていると、急に目の前が真っ暗になった。

「わぁ」
「お疲れ様、迎えに来たよ」

すっぽりと頭を覆う何かをあげると、大きな麦わら帽子だった。このリボン、理子ちゃんが庭いじりのときに被ってるのだ。
「うわ、スーツ。似合ってる」
背後に立っていた傑は、脇に小さな麦わら帽子をふたつ持ち、黒いスラックスに白いカッターシャツを着ていた。
「ありがとう。新鮮だろう?」
「すごく。スーツで祓ったの?」
「いや。今日は悟が祓って、私はお金の話をね」
なるほどね。相手を言い負かすなら悟だが、言いくるめるなら傑の方が得意だ。
傑は海のふたりに目を向け、腕時計に視線を落とす。
「美々子と菜々子はずっとあそこに?」
「そう。帰ろーっていったけど聞いてくれなくて。こっち来ないでって言われるし」
「あー……なるほど」
「ふたり、私の言うこと全然聞いてくれないんだよね。嫌われてるのかな……」
「まさか。その逆さ」
美々子、菜々子、ふたりとも、戻っておいで!と、静かな海に傑の声が響く。まるで猫みたいにふたりは体を震わせると、さっきまでの粘りが嘘のように走って戻ってきて、傑から渡された自分たちの麦わら帽子を被った。私がサンダルをおいてやると履き替えて、タオルを渡すと丁寧に手についた砂を拭った。素直だ。これが傑の力。

「なまえ、貝あげる」
「ひろったの」
タオルを返してくれたとき、親指の爪ほどの白いきれいな貝殻をくれた。こんなに曇りなく、白く、そして欠けていないのは珍しい。とても綺麗な貝だった。こうやってふたりは、花とか、折り紙とか、ビーズとか、きれいなものをたまにくれる。だから嫌われてないと思うのだけど。
ありがとうね、嬉しい。と、お礼を伝えても、ふたりは何か言いたそうにもじもじと下を向く。その動作はまるで揃えたようにぴったりで、双子なんだなあ、と知っていても驚いてしまう。何かを言い出せないふたりの代わりに、傑が頷いた。
「ふたりはね、なまえが買ってくれたボールを、海で失くしたんだよ」
「あの赤いの?」
私が家族になってすぐの頃、ふたりが使っていたボールがパンクして、ちょうどそこに居合わせた私が買ってあげたものだ。言われてみれば最近見ていない。バツが悪そうに菜々子ちゃんは手をすり合わせ、美々子ちゃんは足で砂をいじる。
「……気にしなくていいよ」
また買ってあげるよ。というのは教育上、よろしくないだろう。だからといって良い言葉は出てこない。頭を撫でてなだめようとしたが効いている様子は無く、ふたりはまた今にも海へ走って行きそうだった。

「ちがうよ。美々子も菜々子も、なまえが初めて買ってくれたものを取り戻したかったのさ」
だろう?と傑はふたりの前にしゃがみこむ。
「うん……」
「夏油様……」
「コラ、様は駄目って教えたろ?」
ふたりは頷くと、揃ってすぐる、と彼の名前を呼ぶ。
「なんか、ふたりと一緒にいると、傑は先生みたいね」
「そうかい?」
「うん。小学校の先生みたい」
「ならなまえは?」
「え、うーん。教育者向きではないことは確か」
というと、みみななちゃんはパッと顔をあげた。その顔は赤くなっていて、太陽に長くあたったせいか、興奮しているのかわからなかった。

「やだ!夏油様は先生じゃないもん!バカ!」
「なまえ、ばか」
どうやら後者だったらしい。ばかばか、とふたりで言うからダメージ2倍だ。謝って、おんぶして、とふたりは飛びかかって来て、するすると私の体を上る。何が子供の心に触れるかわからない。体を鍛えててよかった。こんなところでパワー使うとは思わなかったけど。傑を見ると、彼はお腹を抱えて笑っているだけだから、ふたりの思い出したくない過去を踏んだわけではなさそうで安心した。

コアラみたいとつぶやきながら、ふたりの麦わら帽子の位置を調整すると、かすかな鐘の音がした。
ふたりの顔がぱっと揃って東へ向く。りん、りん、と音が近くなり、角を曲がってこちらに向かってくる手押しワゴンには、たくさんのアイスが積まれていると、ふたりは家族のなかで1番よく知っている。センサーがついてるみたいに。

傑がワゴンに向かって手を振ると、売り子のおじさんはにこにこと笑いながらやってきた。バニラを4つ頼むと、おじさんはアイスを盛るコーンをワゴンから出して「ずいぶん若いお父さんとお母さんやね」と言う。

「美人でしょう、私の妻」
「自慢やろね、羨ましか」
「えぇ、自慢です」
傑が何も否定しないのがとてもこそばゆい。菜々子ちゃんにひっぱられてズレた麦わら帽子が今は大変ありがたかった。
「目元はお母さん、鼻はお父さんからもろうたとね。かわいかね」
何を言っているか分からなくて、前にくっついている美々子ちゃんの目を見る。その意味が分かって、顔が熱くなる。
「え!?あ、いや……」
違うんですよ、と言おうとしたが、ふたりのしがみつく力が強くなる。助けを求めて傑を見ると、ふっと彼の目元が緩む。……ああ、そう。そうだったんだ。なるほど。なるほどね。
「普通のかわいいじゃなくて、世界でいっちばん、かわいいですよ」
そう言うと、ふたりは今まで聞いたことないくらい、ご機嫌な声をあげた。

2020-05-24
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