※名前付きのモブあり


完成直前の帳を見たのは、京都校宿舎にて、東堂くんが壊した障子を直して廊下に出た時だった。帳は交流会が行われている森の真上に位置している。
帳を降ろしたのは誰だ。
目的不明で暗躍してる内通者が真っ先に候補へ上がるが、五条がすぐそばにいるのにわざわざ狼煙のように帳を降ろすだろうか。目的がなんであれ達成を難しくするのは確かだし、五条にすぐ破られるだろう。……制限をつけて外から呪術師の介入を弾くことも可能だが、相当腕が良いことが同時に発覚し、内通者は絞り込まれる。このあと逃げる予定でない限りはしないだろう。
そうなると外部からの侵入者だが、こちらなら天元様に何かあった可能性がある。大事件だ。
どちらにしろ生徒達が危険だし、普段は学生の任務に同行する補助監督達も今日は学内に残っている。彼らも危険だ。スマホに手を伸ばすと、かけようとしていた相手から先にかかって来た。

『見てる?』
「見てる。デカイね。誰が降ろしたの?」
『誰かは不明。でも僕だけを入れない帳だ』
「五条悟だけを弾くけど、他は素通りってこと?」
『そ。腕利きだね。先輩、今どこ?』
「京都校宿舎からそっちに向かってる」
『なまえ先輩は硝子の所に行って。負傷者も集まるしね。あと今、お爺ちゃんと歌姫が中に入ってるからヤバくなったら交代して欲しい』
「りょうか……」
い、まで言って通話を切ろうとした時だった。2時の方向、茂みの向こう、30mほど先。自販機の近くにそれはいた。

全長3メートルほどの呪霊。ぶよぶよと膨らんだ頭部と一体化した、同じく巨大な胴体。それを支えて動く細長い四肢。眼球のようなものが頭部の前方にひとつある。
四肢を使いのっそりと歩くが、上手く歩けないのか、こちらから影になっている右側へ傾き、座り込む。すると眼球の下が裂け、黒い髪と巨大な舌が出てきて地面を舐めはじめた。舐めるたびに黒眼が痙攣するようにせわしなく動く。視線はこちらだが、襲ってくる様子もない。視力はあまりないのか。

『なまえ先輩?』
「……呪霊がいる。硝子ちゃんの方は一旦そっちで頼む。後でまた」
通話を切って単純なナイフを2本構築し、1本は頭部めがけて投擲する。試し投げだったが目標にそのまま命中した。常人でも視認できるスピードで投げたのに、眼球はナイフを追わなかった。やはり相当鈍い。肥大した頭部は破裂せず、ただ波打っている。頭部の中は骨が無く、脂肪のような柔らかいものがあるだけ。

私の構築術式でできた武器は、武器が触れたものの感触や、武器自体が受けた破損を情報としてノータイムで私へ伝える。指先の延長、という感覚に近い。外皮も、中の肉も、人間並の柔らかさで呪力が漲っているのにガードさえしなかった。
もう1本目を投げ、追加で1本構築する。2本目も狙った足に命中したが、足でさえ頭部と同じく筋肉らしきものがない。骨はあるが、自重を支えるには随分細くて短い。運動能力がほとんどない下級呪霊だろう。普段なら気にせずこのまま落とすが、高専のド真ん中にこんな下級呪霊がいることが異常だ。外部から持ち込まれたおかしな呪霊の可能性が高い。

爆弾・カウンター・トラップ術式。警戒しつつ、2投目と同時に詰めた距離を殺さず、3本目のナイフで四肢を切り落とす。後ろ足から、左、右。かすれた大きな悲鳴が上がる。前足の右も続けて切り落とそうとした時、隠れて見えなかった右足が変形しているのを見つけた。小さな金属の輪っかが腕の真ん中にあって、まるでひょうたんのくびれのように肉がそこだけ締め上げられていた。
呪具か?それなら回収しておきたい。くびれの部分で足を切り落とす。
ぬるついた血と体液、それから黄色い脂肪が吹き出て、呪霊は暴れながら横に倒れた。
拾い上げた輪は指輪だった。指輪が肉の肥大に巻き込まれ、破壊されずにそこに残った、と見立てていいだろう。呪力強化の呪具かと思ったが、汚れを拭き取って浮かび上がった指輪の内側にある刻印のおかげで、全く違うものだと分かった。

一旦距離をとり、スマホで呪霊を撮る。残った前足を振りかざし、もがき苦しむそれは写真に写った。硝子ちゃんに写真を送信すると、すぐに着信で返ってくる。先程から呪霊が舐めていた地面には明るい血の染みがある。その横には、ゆらゆらと長く太い線があった。ここまで這って来たのであろう、コレの足跡はすぐ側の建物の影に続いていた。
建物の影には、弾け飛んだようなスーツの切れ端、ベルトの切れた腕時計、革靴、名刺。様々なものが血溜まりの中に散らばっていた。

『この前、七海が会った改造人間にかなり似てますね。これ、どこにいたんですか』
「学内。死体は後でそっちに運ぶね」
ナイフを捨てて斧を作り出す。私の中で無痛の一撃で逝かせてやれる可能性が高い武器はこれだ。七海くんや五条の術式なら、確実に一撃で逝けたかもしれない。
足のほとんどを失ったソレは、口からだらしなく舌をこぼしていた。体を震わせて嘔吐き、建物の影に転がっていた革靴とデザインの違うものが片足だけ、血に塗れて吐き出された。
全力で斧を振り下ろす。

「五条、やっぱり帳が上がるまで硝子ちゃんはそっちで頼む。人体改造の術式を持ったヤツが来てる可能性が高い。すでに補助監督が最低2人やられた。後を追う」

▼ ▼

「見つけた」
五条がドアからひょいと顔を出す。備品を取りまとめている薄暗い倉庫の中で、白い髪はやっぱり目立つ。
「よく分かったね」
「僕から隠れんの無理って1番良く知ってるくせに。仕事中?」
「今終わって、映画タイム」
「海外アニメなんて珍しいね」

五条は私が座っている、1人なら広いが2人なら窮屈なソファに寄ってくると、私の膝の上に寝転がり大きく伸びをした。居心地の良いところを見つけて組まれた足が、良い感じに私の顎置きになる。
やっぱり六眼使われると逃げ切れないな。六眼を使われる前に帰ったと信じさせるため、いろんな人に今日はもう帰るって伝えたんだけども。

発見した改造人間を殺し、帳が上がってからは学生の治療の手伝い、その後は改造人間の解剖を手伝ったら、あっという間に夜になった。
硝子ちゃんを仮眠室に寝かせて、私も休憩室に向かう途中、行き場を失った仕事をさばいている伊地知くんを見つけた。私ができそうな仕事を引き取って、誰にも邪魔されなさそうな倉庫部屋で仕事をして今に至る。

「これ、2年くらい前に公開のやつじゃない?」
「そう。DVDを田縞くんから借りてて。明日、報告書と一緒に返してもらおうと思って」
「……最初に改造人間にされた補助監督ね」
印刷してまとめた封筒が5つ、机上にある。それぞれに今回の件で亡くなった補助監督に関する報告書や、遺族に提出してもらう書類などが入ってる。五条はひとつ取り上げると、報告書に目を通し始めた。
「この映画、田縞が好きだったの?」
「いや。娘さんがこればっかりみて食事も蔑ろにするから、隠したいって田縞くんが高専に持って来たんだよ。それで貸してくれたんだけど、なかなか見る暇がなくて、ずっと見れてなかった」
「娘さんいくつだっけ」
「1歳」
「小さいね」

五条は5人分の報告書を読んだ後、大きくため息をついて身をよじらせ、全身の収まりがいい所を見つける。それでもやっぱり五条の足は私の顎のいい位置にある。
「今日の硝子達との飲み会は延期?」
「うん。硝子ちゃんも疲れてるし、歌姫先輩も学生の面倒みてるから、とりあえず当分は無理そう」
「だよね。僕との予定も一旦来週あたりに延期で。明日も何か来るとは思えないけど、今の状況はお爺ちゃんが動きやすいから悠仁をフリーにするのはちょっとね。葵が悠仁を見ててくれてるけど念のため」
「虎杖くんの護衛に東堂くんつけるの?」
「護衛につけるっていうか、葵と悠仁が同中で親友らしくて、葵が親友には手出しさせないから大丈夫って」
「……え?!……中学……違くない?」
「ま、そこは気にしない」
「……ところで、会議でられなかったけど、結局何人死亡者でたの?」
「2級が3人、準1級が1人、補助監督が5人。あと忌庫番2人」
「人的被害のみ?」
「宿儺の指全部と、呪胎九相図を上から3つ盗まれた」
……それが入ってる蔵なら、売れば軽く億は行く特級呪具も保管してた。完全についでではなく、狙って盗りに来てるな。
「指を盗って、特級呪霊まで来ておいて、虎杖くんが殺されなかったのがちょっとひっかかるね。五条を襲ったヤツらがドーピングに使うにしても、虎杖くんは殺した方があっちにとって都合がいいでしょ。手加減してた素振りもあったらしいし、両面宿儺信仰でもしてる奴らかな」
「あー……それもありえるね。そっちの線も調べてみるか。しかしどれもこれも、確信に1歩足りないね。やり口が上手い」
五条はひらひら手を振ると、アイマスク越しの視線を天井からテレビへ動かした。画面の中では、元気な新人警察官のうさぎがピョンピョンと飛び回っている。

「ウチの子、この主人公にすごく憧れてて。でも警察官になんてなったらたまんないっすよ。子どもくらい、平和な所で暮らして欲しいです」

田縞くんが、映画のパッケージを見ながらそう言っていたのを不意に思い出した。
他の4人も、みんないい人だった。
いつも学生達が無事に戻ってくるように、車内で震える手を合わせて祈ってた人。
学生時代に治らない怪我を負ってもなお、補助監督として残ってくれた人。
応急手当の講習に毎月自費で参加して、ことこまかに学生達について報告してくれた人。
何も言わないけど、酔わせるといつも泣きながら死んだ呪術師達への後悔について語ってた人。
私達は身を守ることができる。補助監督達はほとんどできない。それでも一緒に前線に出てくれる人達だ。だからせめて補助監督達だけは、辛くない最期を迎えて欲しかった。

五条の長い指が、私の頬をぬぐった。足の角度が変わったかと思うと、五条が起き上がる。
「……映画、いま結構泣けるシーンなんだよ」
「そうなの?やっぱ映画は途中から見たらダメだね」
そういうと五条は、また頬を拭ってくれた。

▼ ▼

起きたらもう10時近かった。2日連続で行うことが慣例の交流会も、怪我の休養のために急遽1日休みを挟むことになった。教員・事務員は仕事は変わらずあるものの、スタートをちょっとのんびりしていいのはありがたい。
毛布とソファをまだ眠っている五条に譲り、ついでに五条は12時から会議なのでアラームをかけておく。
書類を持って部屋を出ると、ちょうど出勤してきた伊地知くんに会ったので提出した。そのまま硝子ちゃんの様子を見に行くと彼女はもう起きていたが、昨日飲めなかったのをかなり悔しがっており、水を日本酒のごとくグラス限界まで注いで飲んでいた。早めに飲みに連れて行こう。
破壊された呪具や建物の修理、五条が作った大溝の埋め立て工事の発注などあるが、そう急ぎではない。改造人間の報告書を作る硝子ちゃんの代わりに、怪我の度合いがひどかった学生から具合をヒアリングするため、負傷学生たちが泊まる階を訪れた。

1番最初の部屋の真希ちゃんは不在。部屋の端にはひとり分ではないペットボトルやお菓子のゴミがあるし、昨日直して部屋に立て掛けておいた槍が無くなっているから、2年全員で朝練に行ったのだろう。元気だ……。
次に伏黒くんの部屋を訪ねると、虎杖くんと野薔薇ちゃんが伏黒くんのベッドの上でお寿司を食べてた。みんな自由過ぎるだろ。

「お寿司を取るとは……」
「昨日コイツらピザ取りましたよ」
「アンタも食べたでしょ」
「いや、お寿司もピザも取ってもいいけど。怪我人に寿司だけって辛くない?」
「一応今日は気を使って茶碗蒸しも取ってくれました」
「おお〜」
虎杖くんと野薔薇ちゃんが、得意げに微笑みながら寿司を勧めてくれるので、あんまり減ってない穴子をもらった。
「伏黒くん、怪我の調子どう?」
「明日には本調子だと思います」
「よかった、了解。もしなにかあったら、硝子さんにすぐ連絡してね」

虎杖くんからもう1貫勧められたのでハマチを食べていると、野薔薇ちゃんが寄って来てピンク色のスプレーを差し出してきた。
「これ、なまえさんも高専の時に使ってたって五条先生が」
「あー、そうそう。パッケージもサイズも随分変わったね。名前もちょっとおしゃれになってる」
「プチプラだけどいいわよね。私も好き。手首出して」
手首に小さくひと吹きしてくれた。懐かしいな。昔より桃の匂いがより本物っぽく瑞々しく、そしてフローラルな匂いが続けて香った。

次はひとつ部屋を空けた先の、加茂くんの部屋に行こうと廊下へ出る。彼が1番重症だったんだよな。硝子ちゃんから加茂くんに渡して欲しいと預かった、包帯の替えとガーゼの枚数を確認していると、ちょうど彼の部屋から真依ちゃんが出てきた。真依ちゃんは私に気がつく。避けられるかと思ったが、めちゃくちゃ睨みながらこっちにやって来た。うわ待って。気持ちの準備できてない。
「なによ」
「い、いや、加茂くんに、包帯とガーゼの替えを。あと、硝子さんの代わりに具合を聞きに来てて」
てっぺんからつま先まで真依ちゃんは私を見る。真希ちゃんと顔立ちはよく似ているけど、彼女の方が眼力が強い。
彼女が高専に入ってからも、その姿を見たのは片手ほどで、今こうして向きあうのは約十数年振りである。その間考えていた言葉は、怒りでゆらゆら揺れてる彼女の目を見ると何も出てこなくなった。手首を思いっきりつかまれて、彼女は鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、手首に彼女の爪がめり込む。

「アンタ、なんで私が嫌いなヤツとばっか絡むのよ」

包帯とガーゼは渡しとくわ。そう彼女は言うと、荷物を受け取って加茂くんの部屋に戻っていった。


私は高専1年の時、禪院より呪具の修理依頼を受けて、月に2、3度ほど禪院家へ出張修理に行っていた。
あの頃の私は呪術師界に1日でも早く認められるために顔を売りたく、あちらとしては使えそうな呪術師が金と呪具という共通言語が分かるようなので、使ってみたいという利害の一致。
しかし家柄のはっきりしてない学生に、数百万する呪具を預けるのはリスキーなので、目の前で修理させたいから家に来いということで出張していた。
最初の頃はかなりぞんざいに扱われたが、数を重ねるうちに術式への信頼が上がり、お茶くらいは出るようになった頃、そのお茶を出してくれたのが真希ちゃんと真依ちゃんだった。4、5歳だったか。あの頃の2人は仲はよかったけれど、すでに性格に差が出ていて、真依ちゃんはとても内気で、外で遊ぶ真希ちゃんを家の中から見ていることが多かった。
真希ちゃんから外遊びによく誘われたが、私は大体術式の反動で負傷していたので動けず、真依ちゃんと部屋遊びをしながら真希ちゃんの様子を見ることが多かった。それに呼ばれた時間に行っても呼びつけた当主が1時間遅刻などザラにある。最悪来ないときもあった。そのたびに私は彼女達と遊んでいた。

ある日、いつもどおり木登りをしている真希ちゃんをみながら、真依ちゃんが、いいものあげると言った後に俯いて、突然ポタポタと鼻血を出した。急な鼻血など子どもならよくあるのだが、あまりのタイミングの良さにびっくりして彼女の鼻を押さえると、空だったはずの手からビー玉を出して、私に差し出した。
この時私は、真依ちゃんの術式がなんであるかと、なぜ当主が2人に私の相手をさせ、修理の場に同席させるか納得が行った。見覚えの成長というやつだ。しかし反動のある術式を、まだこんな小さい子どもに?
また頑張って作るね、と言われたのに、それから私は禪院に行けなくなった。
2年に進級したと同時に、修理は高専でやっていい、と呪具がこちらへ届けられるようになったのだ。2人に会いたいから、という理由で禪院に入れるほどの深い縁はない。私はただの出入りの業者のようなものだったから。それに、私が行くと彼女は術式を使ってしまうだろう。タイミングがよかったのか、悪かったのか。未だにわからない。

それから時が流れ、東京校に真希ちゃんが入学し、真依ちゃんは京都校に入ったと聞いた。何度か彼女の姿を遠目で見ることはあったが、話すタイミングは無かった。
電話番号を歌姫先輩経由で伝えたが、連絡が来ることはなかった。


スマホが鳴り、我に返る。報告書が終わったので、問診を引き継ぐという硝子ちゃんからの連絡だった。加茂くんのみ終わっていないと返信して、廊下を引き返す。
するとなぜか、伏黒くんの部屋から東堂くんが出てきた。

「ミスみょうじ」
「ミスター東堂、なぜ伏黒くんの部屋から」
「親友に会いに来たのだが……。あぁ、昨日は障子の件、すまなかった」
むき出しで失礼する、と東堂くんは財布から障子の修理代を出してきた。お札をむき出しで渡さないというマナーを大切にしてくれるなら、備品も大切にしてくれ。

2020-07-11
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