※01.弱ってる高専生五条(過去話)の後日の話

35連勤が終わり、帰宅して泥のように眠っていた。冬用に変える暇さえ無かった夏用の分厚い遮光カーテンは外の光を一切通さないせいで、時計の指す2時が真夜中なのか昼なのかわからない。

呪具を直せるせいで私は上のありがたいお言葉で“貴重な人材”として呪術師界では扱われているが、本当にレアな欠けてはいけない人材ではない。いないと不便ぐらいな微妙な立ち位置のせいで、任務での殉職確率を下げるための雑な対処で、1級昇級の道は閉ざされた。おかげで普通の準1級術師が担当する任務は私には軽く、高専を卒業し独り立ちしたあとは任務指名を受けまくり、テンポよくこなして次々任務を完遂した。呪いを祓って祓って祓いまくっている。

みょうじは立派な呪術師だったと、家の者をたった1人でいいから上に認めさせる。それがみょうじ家の悲願で、私の背負うものだ。だから任務をこなし続けている。
裏方として呪具修理のみしてもらいましょうと、ぽろりと上の誰かが戯れにでも語れば私の人生は終わりだ。
きっと呪具を朝から晩まで直す生活に閉じ込められるのだ。遠い過去、私の先祖はそういう風に使われて来たらしい。呪術師として誇りをもっていた曽祖母はそれが嫌で追手の来ない田舎に逃げ、名字を変え、今のみょうじ家とそして悲願がある。

いつだって呪術師界は人手不足で任務は山積みだから、実力さえあれば本来1級が担当する任務も回してもらえる。降りてくる情報と給料が違うだけで、準1級で止められたって結局はそういうことだ。

そんな理由で働き続けていたら止まりどころがわからなくなった。季節の変わり目も曖昧になってきた頃、夜蛾先生にばったり会って、今すぐに休むように言われた。ひどい顔をしていたんだろう。大丈夫と返事をしたが、私のスケジュールにはぽつんと2日の休みが追加されていた。……この前自分の誕生日と言って尋ねて来た五条は、夜蛾先生に言われて様子を見に来てくれたんじゃないだろうか。

まどろみながら最近客観的に見れていなかったことを考えていると、ふと玄関ドアの向こうに気配を感じた。ドアスコープを覗いても何も見えないけど、やはり何かいる。玄関ドアの下から漏れ出る光が不自然に真ん中だけないし、猫でもうずくまっているんだろうか……。たまにエントランスにうろうろしてるよな…なつっこいふわふわしたのが。静かにそっとドアを開けてみると、黒い塊がドアの前に丸くなっていて、白い髪の毛に青い目の人がいた。
「悟!」
鼻も耳も真っ赤な五条がうずくまっていた。MAXコーヒーを飲みながら、きょとんとした顔でこちらを見上げている。
赤いところが痛々しく見えて、キンキンに冷えた耳を手で覆ってやると嬉しそうに目を細めた。五条の持つ鮮やかな色彩は暗い部屋で眠り込んでいた私の目には眩しくてたまらない。部屋にのろのろと五条は入ってきて、ドアが閉まるとともに全力で抱きついてきた。
「さむかった」
「先輩はあったかいだろ」
「うん」
「脇腹に手はやめろ〜!!」
完全に暖を取りに来ている。体の熱がどんどん五条に吸われている。サングラスのフレームさえ冷たい。
「いつもなら騒ぎまくって起こすのに今日はどうしたの」
「いつもっていつだよ。もういつもって距離じゃないでしょ」
……そうだ、高専を卒業して五条と外で会うことは何度かあったが、ここに来たことはあまりなかった。行ったのに、と言われることはあったけど、私がこの家にほとんど帰らなかったせいでこの部屋に入れたことは片手ほどもない。
「さすがに35連勤の先輩を叩き起こすほど俺も鬼じゃないからさ、家の前で待ってたら気配感じて起きないかなと思って」
「運が良かっただけで普段なら無理だからね……というかもう少し寝たい…」
「そういうだろうから外で冷たくなってれば、絶対に忙しくても家に入れてくれるでしょ」
「……何分外で待ってたの」
「15分。なまえ先輩はチョロいな〜」
やられた。そういえば五条は冬はすぐに鼻や耳が赤くなる。色が白いせいだろう。そんなことも忘れちゃうくらい脳が弱ってるのか。五条はやっと離れると、私の顔を満面の笑みで覗き込んだ。
「ねぇ、約束の俺の誕生日ケーキ食べに行こうよ」


五条は防寒具を何もつけていなかったので、私のマフラーをぐるぐる巻いてやって外にでた。高専から50分かかる駅ビルに入っている五条の好きなケーキ店は、私のマンションからだと20分くらいで着く。
平日の真っ昼間のせいか、まばらに女性客がいるだけで店の中は空いている。学生の頃は夜に行ってたので会社帰りのお姉さんが多く、席を取るのも大変だったのに昼なら楽だなぁ。
中はリニューアルされていて、カウンター席とテーブル席以外にもソファ席が追加されていた。五条はソファ席に直行すると、1番奥の人気のない席を選んだ。
「こういうホテルとかにもある、後ろの方が深すぎるソファってすごく座りにくいんだけど、なんのためにあるんだろうね」
「俺みたいな足が長過ぎる人のため」
「ニッチなゾーンだなぁ」
店員さんがやってきてオーダーを取ってくれた。ショートケーキとホットコーヒーを頼むと、五条はショートケーキとミルクレープ、それからフルーツパフェホイップ3倍、最後にココアを頼んだ。
「……硝子ちゃんは元気?」
「元気。高専出たら医師免許取りに行くって」
「そっかー……もうそうか……」
「なまえ先輩の部屋、全然ものが無かったけどちゃんと生活できてんの?カレンダー3月だったじゃん」
「できてる、できてる」
「目の下の隈もひどいし」
「たまたま、たまたま」
「それに俺と今なにを話そうか、考えあぐねてたでしょ」
「……それはある」
「あーあ、高専の夫婦漫才コンビと異名を持つ俺たちが会話にこまるなんて」
五条はわざとらしくため息をつくと、運ばれてきたミルクレープの層が崩れないように器用にフォークで切って、ぱくぱくと食べていく。あっという間に最後のひとくちになったのにフォークを指すと、五条は私の方に差し出してきた。
「とりあえずこれ食べて脳回して」
言われた通り口を開けると、切ったサイズが大きく口から溢れてきた。おいしいけどダメだ。こぼす。上をむいて咀嚼して胃の中に無理やり落とすと、脳に糖分が周り、モヤのかかったような頭が徐々に晴れてきた。ここ、天井の色も塗り替えたんだな。
前を向き直すと、目の前に五条の顔があった。サングラスの向こうの目がぎらりと上目遣いしてくる。あ、これはヤバいなと思った途端に、べろりと口元のクリームを五条が舐め取っていった。
「コラ」
「いたい」
「グーでいきましたので」
そういうのダメって言ったろ、と注意すると五条は楽しそうに笑うばかりで反省する気はいつも通りなく、次のショートケーキにフォークを向けた。

「ちょっと調子戻ってきたじゃん」
「お陰様でね。ありがとう」
「うんうん。超かわいい先輩想いの最高の後輩のおかげだね。そんな後輩に誕生日プレゼント贈らない選択肢はないよね」
「ん?のど飴美味しかったって話?」
「とぼけんなよ。アレは違うから、おやつだから。10分で終わったし」
「そんなハイペースで食べるもんじゃないよ。喉が痛いときにたべるものだよ」
「気休めでしょあんなの。キーケースかして」
いわれるままに渡すと、五条は鍵を1本抜いてキーケースを返した。
「家の鍵もっていかないでよ」
「これ合鍵でしょ?っていうかなんでキーケースに合鍵までいれてるの」
「え……」
よく見てみるとそういえばキーケースに合鍵もメイン鍵も入れていた。同じ鍵を2本キーケースに入れていたのだ。
なんでこんなことをしていたのだろうか……多分部屋を借りた時、大家さんから鍵を2本もらったあと……任務が入ってとりあえず2本ともキーケースに入れて……多分そのままにしておいたんだろう。
「ドアを開けてもらうのが好きだから使う気ないけど、念のためー。流石にもうピッキングできないし。合鍵ってこれだけ?」
「そう……だね、多分」
「じゃあなまえ先輩に万が一彼氏できても合鍵わたせないんじゃん」
「あっ」
鍵をつまみ上げて、ぷらぷらと揺らすその笑顔は、今日1番憎たらしかった。
「このマフラーももらっていい?」
「ダメ。寒いから。気に入ってるしね」
「じゃあ貸して」
「借りパクするじゃん……」
「じゃあ、下の階で先輩にマフラー買ってあげるから交換。あと歯ブラシとパンツも買う!」
「パンツを後輩に選ばれたくないんですけど?!」
「違うよスケベだな。俺のパンツだよ。防犯用に男のパンツ干しとくといいって言うじゃん」
「……それは一般女性の防犯であって、呪術師女性にとっては空き巣よりもパンツ押し付けてくる後輩の方が恐怖の対象だよ」
「照れちゃって〜。まあ1番は男よけだよね」
マグカップを握る私の手を五条はむりやり剥がすと、てのひらをじっと見つめて、痛そう、と一言呟いた。呪具や武器を握りすぎて、肉刺ができては何度も潰れた手。
「先輩が俺を選ぶ日まで、何度でもパンツ干すからね。嫌ならさっさと俺を選んで」
マヌけな口説き文句に思わず笑ってしまうが、これがかわいい後輩の気遣いなのだ。守ってやるとも、辞めろとも言わない。
ただ自分を選べと言ってくる後輩の、尊大でそれでいて精一杯私を気遣った言葉。いい後輩だ。これだけでも私は田舎から上京して何度も痛い目にあっても呪術師になってよかったと思っている。

2019-09-01
- ナノ -