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学生時代最後の任務は調査と対応で2週間近くかかり、退寮のための荷作りは4月1日までずれ込んでしまった。
任務が入る生徒に考慮し、退寮は4月の第1週までと定められていて、要は入学式前には出てけということだ。卒業してただの呪術師になったのに未だここにいる宙ぶらりんの私しかいない寮はひどく静かだった。

同級生が置いていってくれた梱包材を広げて荷作りに取りかかったが、作業は意外に少なかった。在学中に買ったものは消耗品が多かったし、机上を占領する使いかけのノートやプリント、教科書などの座学に使っていたものは捨てた。
服も気に入って買ったものばかりだが、嫁ぎ先には気に入られないテイストだろう。これも捨ててしまうと、部屋は1時間とかからず入寮した時の状態に戻った。
最後に棚の中の本や雑貨を詰めていく。持って行けるものはきっと少ない。うなりながら仕分けをしていると、1番上の段に乗せていた本の上から何かが滑り落ちてきた。こつんと額に当たって、わりと痛い。
落ちてきたのは分厚くて重い、レターサイズの無地の封筒だった。頭の部分が端から端まで丁寧に糊付けされていて、一切剥がす隙を与えない様子は丁寧を通り越して神経質さが感じられた。カッターで中のものを傷つけないように、恐る恐る封筒を切りひらいて見ると、中から出てきたのは便箋ではなく大小様々な紙だった。

東京行き新幹線の領収書、打刻印が押された水族館の入場券、映画チケットの半券、期限がきれたマックポテトSサイズ無料券、スタバのレシート……ばらばらと封筒から溢れてくる紙は、私の記憶を鮮やかにフラッシュバックさせる。
あの夏油傑がいた日々のこと。


▼ ▼

交流会参加メンバーに、急な任務が入って空席ができた。
1年の私には関係のないイベントだったが、先輩に東京校へ行ったことがないと何の気なしに話していたのが教師に伝わって、いい機会だからと見学で連れて行ってもらった。
そんな東京校の敷地で、私は途方に暮れていた。
ちょっと外へ出たら似たような建築物ばかりで、控室の場所がわからなくなったのだ。つまり迷子。山の上のキツイ日差しで頭がくらくらして、黒い制服は熱を吸収し暑さの逃げ場がない。日陰を探しウロウロして15分。やっと自販機とベンチの休憩スペースを見つけ、吸い込まれるように座り込んだ。
先輩達は交流会中で連絡が取れない。終わるまで2、3時間ここで待つのがいいだろう。うなだれた視線先の足元に汗で黒いシミができた。水が飲みたい、汗も拭いたい。しかし財布もハンカチも控室のバッグの中で、最後は視界の端にある水道に頭をつっこむしかないと考えながら、増えていく黒いシミを数えていると、ふっとすべてが黒に塗りつぶされた。

「大丈夫かい?」

セミの鳴き声が響く中、雫が水面に落ちたような涼やかな声がした。顔をあげようとしたが急な目眩に襲われ、うねるような感覚をやり過ごして目を開くと、男子生徒が目の前にしゃがみこんでいた。長い黒髪をすべて後ろで束ね、微笑みかけてくる顔はとても優しげで、私のぬるい警戒心はその顔を見るとどこかに行ってしまった。声が出ず、どうにか微笑むと顔が引きつって上手く笑えなかった。
「無理はしなくていいよ、熱中症かな」
男子生徒は自販機からポカリを買って来てくれた。ありがとう、と絞り出した私の情けないかすれ声に彼は笑った。キャップはすでに緩められていて、思いっきり喉に流しこんだポカリにむせると背中を擦ってくれた。
「私はここの1年の夏油傑。アナタは?」
「みょうじなまえ……京都校の1年です……」
「あぁ、やっぱりアナタだったのか。京都校から来た1年がいないって騒ぎになってたよ」
「えっ」
驚いて手からすべり落ちたペットボトルを彼はキャッチすると、私の手にそっと握らせてくれた。めったに触れることのない異性の大きな手に驚いて体が固まり、出かかっていたお礼も飲み込んでしまった。
「連絡しておくから、とりあえずこれを飲み切るまではここで休んだ方がいい。終わったら案内するよ」
彼は私の隣に座るとメールを打った。後ろで束ねていると思った髪は、ひと房だけ前髪が垂れている。ああ、これのおかげで少し親しげな感じがしたのか、髪型というのは大事だな……。そんなことを考えながらポカリを飲んだ。
「夏油くん、殴ったりして戦うの、得意でしょ」
何を話していいか分からず、しかし彼のことを知りたくてそう尋ねた。彼は私を見ると、大きくまばたきをした。
「苦手ではないね。どうして?」
「さっきペットボトル取る反射神経が、すごかったから」
「なるほど。落としたのはワザと?」
「まさか、偶然だよ。すごいね、私はあんな早く動けない」
「じゃあみょうじさんは、あまり前線にでない補助系の術式かな」
「うん。……そうだ、助けてもらったお礼に未来を視てあげようか」
「……未来をみる?」
「私の術式、予知なの」
財布もないし、その時できたお礼はソレだけだった。あまり長い時間は視えないと伝えると、彼は明日の今と同じ時間の未来が知りたいと言ったので、目を閉じて、開く。
背が高くて、黒い丸メガネに白髪の生徒が夏油くんに殴りかかって来たと伝えると、彼はお腹を抱えて大笑いした。
「ありがとう。本当に助かる情報だったよ。みょうじさんの術式は凄いね」
「そう?」
「本当に凄いよ。その能力なら多くの人を救える」
面と向かって下心なく、人から褒められたのは初めてだった。私の家は代々この未来視を生業としていて、近づいてくる人は術式目当てだったし、血の繋がりのある家族も術式の精度や格でしかお互いを評価しあわなかった。だから思わず顔が赤くなってしまったが、熱中症で元から赤かったのでバレずに済んだ。
「私も呪霊から非術師を守りたくてここに入ったんだ」
声色は優しく、すべての人を救いそうな包容力があった。私が助けられたからというチョロあま感情からではなく、彼には本当にその力があると信じられる雰囲気があった。
「そろそろ動けそう?」と彼に差し出された手を掴んだとき、しっかりと自覚した。私は彼にひと目惚れした。チョロいと言われても仕方がない。実際にあの黒メガネに言われたし、自覚もしている。けど、こんな出会い方して惚れない女子高生いるかって話よ。

その後、連絡先を交換して彼経由で硝子ちゃんと仲良くなった。2人と交友を深めながら、しばらく経ったころに硝子ちゃんへ傑に彼女がいないか相談した。
そしたらだ!そのメールをあの黒メガネに見られて、傑に話が回ったと硝子ちゃんから電話が来た。私は任務中で倒れそうなくらい恥ずかしかった。手に握った3級呪霊を握りつぶしながら、電話口にいた黒メガネこと五条悟にめちゃくちゃに怒った。
「傑になんで私が好きってバラしたの?!」
無言だった。おい黒メガネ逃げんな!!と怒鳴ると、耳元で笑いを含んだ息遣いが聞こえた。
『……私から告白したかったな……』
電話の向こうでいつの間にかすり替わっていた傑からの言葉に、任務先の廃工場で私は嬉し泣きした。

傑は付き合っても変わらなかった。よくある付き合うと扱いが雑になったり、近くなりすぎてダメになるということもなく、友人から1歩進んだ関係を着実に一緒に歩いてくれた。京都・東京と離れていてもメールや電話でこまめに連絡をくれたし、お互いが休みの時はたくさんでかけた。
最初は京都の映画館でアクション映画を見て、カフェでお茶した。次は東京の水族館にペンギンを見に行って、ペンギンの餌やりへの参加を恥ずかしがった私の手を傑が引いてくれた時、初めて手をつないだ。駅ビルのスタバで注文の長い呪文を言って、噛まなかった方がなんでも1つ言う事をきくと賭けて、初めてキスした。

一番記憶に鮮明の残っているのはクリスマスだ。
私が東京に行って待ち合わせ場所で待っていると、ちょうど目の前にジュエリーショップがあった。街を彩るクリスマスイルミへ負けないように眩しいほどにそのショーウィンドウは輝いていた。光沢の美しい真っ赤なベルベット生地の上には指輪が2つ飾られていて、狂ったように光るライトが反射し、もはや何色かも分からないダイヤがついたそれは上手く説明できないけれどひと目で欲しいと思った。
リングに見とれていた私は傑に肩を叩かれて飛び上がりそうになった。クリスマスおめでとう、という挨拶にお互いが疑問を感じつつ、傑は私の見ていたショーウィンドウの中を見て笑った。
「なまえはキラキラしたものが好きだね」
「うん。だからこっちのイルミすっごい楽しみにしてきた。それにやっぱ東京のこういうお店は飾りが派手でいいね!」
これ欲しいな、と言うと傑はひどく驚いた顔をして、口元に手をあてると深く考え込むようにして眉間にシワを寄せた。
「……あ!傑に買ってって意味じゃないよ!自分で買うやつ。たまにはいいもの買っちゃおうかな」
「いや、そうじゃなくて……それ婚約指輪だよ」
指輪の隣に吊られたボードを傑が指差す。おしゃれすぎて判読性ゼロの文字列は、言われないと“Engagement ring”と読めなかった。傑は私の手を握ると、視線を逸らさずに言った。
「いつか私があげるから、自分で買わないでくれよ」


しかし、あまりに軽いステップで彼の恋人になれたように、またそこから降ろされるのも簡単だった。

いつもは電話をしていいか尋ねるメールがあるのに、その日は突然電話がかかって来た。

『明日の、今の時間の私を視て欲しい』
傑にしては焦った声だった。この時の彼は難しい任務を受けていて、数日連絡が取れないと言われていた。そんな彼からの急な依頼だ。緊急事態だと察し、何も聞かずに未来を視た。
「……黒髪の女の子が頭から出血して倒れてる……血の量が多いから……かなり重症だと思う……。最悪これは……」
『みつあみでセーラー服の?』
「そう、小柄な……女の子……」
『ありがとう、助かった』

それが最後の会話だった。
夏油傑は五条悟と共に任務放棄し失踪した。
呪術師界を上げた大事件になり、私は上層部に呼び出されて聴取を受けたが、傑の情報は何ひとつ話さなかった。

私の術式は、視る対象が近くに居ない場合は電話などで視る対象本人から依頼されないと術式の発動ができない。だから傑の未来を視た時、勝手に電話をくれた1時間後の彼も視た。今どこにいるか心配でたまらなかったから。
傑はあの撃たれた女の子と、どこかの水族館にいた。可愛らしい女の子はこちらに向けて満面の笑みを浮かべていた。予知で視える未来は、予知対象の視界からの視点になる。つまり彼女の笑顔は1時間後の傑に向けられた笑顔。あんなに可愛くて、うっとりした笑顔、友達でも、ただの任務中に会った子でもない。
色々な可能性が頭の中に浮かんだが、一切連絡がない事実がすべてを押し除けて「振られた」という答えを持ってきた。それから彼に会うことは二度となかった。


▼ ▼

思い出した。
ショックで寝込んだ私は、傑との記念に取っておいたものを捨てようとして捨てきれず、封筒につめて見えない所へ隠したのを記憶と共に忘れ去っていた。いや、忘れ去るというのは間違いだ。記憶を跳躍台にして飛び、封筒を置き去りにした。
私の家の女は中学を出るとすぐに嫁がされ、他の家とのつながりの道具として使われる。その中でも私は、他の家族より精度も予知できる時の先も長かったので道具としての価値が高く、高専に行きたいという我儘が許された。
好きでもない所へ嫁に行きたくない。まだ人らしい暮らしをしたい。中学生の私はそう思って逃げて、傑と出会った。けれどあの家から助けて欲しいなんてそんな気持ちはなくて、本当にただ純粋に傑が好きで、傑と一緒にいたかった。けれど結果はコレだ。

そして傑がいなくなった後、気持ちは固まった。
高専を出たら、さっさと決められた相手と結婚して、大暴れして1人の人生を送る。彼がいなくなり、投げやりな気持ちで握った呪具のおかげで、予知しかできなかった弱い私は死んだ。記憶は時を流れ、感傷に濾され思い出と化す。もう私の中ではあの記憶は思い出だ。
思い出の品を封筒に入れ直すと視界が揺れた。めまいなら良いのにと湿った目頭を押さえた姿が、歳が倍違う結婚相手の仕草に似ていたことに気づき、大きなため息が出た。
焼くか、この封筒。
焚き火は見つかると事務の人に怒られるから、敷地の端とかバレにくい所で焼こう。外に人が居ないか確認しようと窓を開けると、風が強く上から下に流れて、反射的に目をつぶってしまう。春一番なんて過ぎた時期なのに。強い風で乱れる髪の毛をかき上げて瞼を開くと、目の前に傑がいた。

「なーー」

巨大なエイのような呪霊の上に、傑が座って浮いている。まるで初めて会った時のように、夏油傑が私の目の前にいる。
記憶が作った都合のいい幻覚か。あのころ綺麗に束ねていた黒髪は、長く伸びて下ろされ、左右に跳ね、舞い上がった桜の花びらをたくさんつけていた。腕や肩は記憶よりさらに逞しくなっていて、日に焼けている。優しげに微笑む彼の表情も、見たことがないほど柔らかだった。昔の笑顔と似ているが、何かが決定的に違う。なんと言ったらいいか、晴ればれとしたような。
幻覚にしては私では考えられないことが多すぎる。逆光を背負った傑は、初めてキスした時に傑が間違って頼んだフラペチーノくらい甘ったるそうな、青春ラブストーリー映画のポスターのように光り輝いていた。

「迎えに来たよ」

混乱で後ずさる私に、ずいっとソレは近づいて来て部屋の中に降り立つ。私と話す時は少し首を傾ける癖も、紛れもなく彼だった。だれ?なに?偽物?呪詛師による攻撃?新手の呪霊?上層部からのカマかけ?卒業裏試験??頭の中をいろんな可能性がぐるぐる回って、本当にめまいがしそうだった。開いた唇が震える。なんであっても、気丈に振る舞わなければ。私は変わった、傑に振られて変わった。強くなったのだ、だから、だから。
「なんでわたしを、ちゃんと捨ててくれなかったの」
口から出たのは、怒りでも、警戒でも、存在の真偽を確かめる言葉でもなく、泣き言だった。メッキが一瞬にして音を立てて崩れ落ちて、胸に抱えていたものがドロドロこぼれていく。

強くなった私なんてどこにもいない。
ものわかりがいいフリをして2年間暮らしてきた。すれ違う匂い、人の手の柔らかさ、舌に載る味、喧騒の声、落ちる影の長さ。日常で感じることの中にふと彼を感じる。傑の記憶が、彼は私をこんな風に捨てないと語りかけてくる。そして千回傑を思って、千回その気持ちに蓋をした。永遠に彼の影を追い、彼の影から逃げ続ける。そんな一生だと2年かけて理解したのに。なんで明日嫁に行く日に、こんなことが起きているんだろう。
「捨てないよ」
傑の声で鼓膜が揺れた。
「そんなことしない。本当にすまなかった」
彼は深く頭を下げ、その両腕に抱きしめられた。太陽と傑の匂いがした。
「どうしても助けたい人たちがいて、ああするしかなかった。ずっと連絡を取りたかったけど、なまえの周りは私達を探している奴らの監視の目が厳しくて近づけなかった。なまえが卒業して監視の目が緩み、そして新入生を迎え入れる準備で学内が忙しくなる今日をずっと待ってた」
「どうしてこんなことになったの……今まで……どうしてたの」
「なまえが視てくれた女の子が死んでしまう未来を変えるために、悟と一緒に彼女を連れて逃げたんだ。あの子は星漿体で……分かるかな。うん、流石だね。あの子をどうしても救いたかった。今はあの子が普通に暮らせるように、全国を点々としながら呪術師をしてる。悟もいるよ。私達は最強だから、どこに行っても上手くやれた」
「めちゃくちゃ人生楽しんでるじゃん………」
「そうだね。生きて来てこんなに楽しい時期はあまりなかった。幸せだった。でもなまえと過ごした日々には敵わなかったし、なまえがいないと心から幸せになれない。迎えに来るのが遅れて、本当にすまなかった。一緒に行こう、全部捨てて。今は沖縄にいるから、のんびりしよう。私達しかいない海で遊んで、美味いもの食べて、たまに呪術師をやろう。追手が来そうになったら、次は海外に逃げよう。他の家族も待ってる」
「だれ?」
「悟と、なまえと気の合いそうな女性と、あの女の子と、全国を周る途中で保護したなまえに懐きそうな双子の女の子」
「女子率すごい」
「本当に何もないよ。家族だから」
「ホントのホントに、あの可愛い子と付き合ってない?」
「家族と付き合うわけないだろ?」
傑はそう言って笑うと、私の頭をなでた。
「……訂正だ。家族と付き合わないと言ったが……なまえとはこっちの意味で家族になりたい」
傑の体が離れ、彼はポケットから小さな箱を取り出した。そして私の手を取り、薬指にそっと箱の中にあった指輪を添える。あのクリスマスで私が欲しがった指輪だった。いつも知的で、なにをやらせても上手くて、自信にあふれる傑の手が指輪を持って震えていた。そこでやっと私は、コレは都合のいい幻覚ではないと理解した。
「すごく泣いた」
「一生をかけて埋め合わせするよ」
「手、震えてる」
「当たり前だろう、人生に1回しかないことなんだから。頼むから断らないでくれよ」
時間をかけて指輪がはめられた左手を引かれて、そのまま窓から外へひっぱりだされる。宙に浮いて、呪霊に乗った傑の胸に抱きとめられる。右手に持っていた封筒の中身が空に散らばって落ちていく。
「一緒に帰ろう」
私の顔を覗き込む傑の顔は、自惚れでも見間違いでもなく、今まで見た中で1番幸せそうだった。

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