20分中休みがやっと来た。便所に行こうと教室を出ると、廊下に俺が出てくるのを待っていたようになまえ先輩が立っていた。見慣れた姿なのに俺のクラスの前で待っているという状況は初めてで、一瞬完全に止まってしまった。
「悟、もう授業終わった?」
「なに?お出迎え?」
「いや、先生に用がある」
「久しぶりなのに最初のセリフがそれ?」
「2日しか外出してないよ。あ、ついでだ。部屋の鍵返してもらってもいい?」
家庭の事情とやらで先輩は丸2日不在だった。暇だったので俺もついていこうとしたら、本気のトーンで拒否られて、自室の漫画読み漁っていいからついては来るなと部屋の鍵を渡された。
別に漫画読むだけが目的で先輩の部屋に入り浸っているわけじゃない。この人、そういう所ズレてんだよな。普通、男に自由に入っていいって部屋の鍵渡すか?悪用すると思ってないんだろうな。だから俺も悪用できないんだけど。
ポケットに入れてた鍵を拳の中に収めて突き出すと、グータッチと勘違いして拳を合わせられる。手ちっさ。女子としては背は低い方じゃないけど、俺からしたら大体みんな小さい。こんな手でも腕相撲したら俺と互角なんだから、体の構造どうなってんのかな。
「違う。鍵」
「あ、そうか。ありがとう」
「ん。追いグータッチ」
「ほいほい」
「お土産は?」
「いや外出先、都内なんだけど」
「あれ?実家帰ったんじゃないの」
開いたドアに声がかき消され、先輩は俺から視線を外した。
「夜蛾先生、ちょっといいですか」
「どうしたなまえ」
「すみません。ちょっとお話が」
「……悟、あっちに行ってろ」
はい、便所は無し。教室に戻りドアを閉めて耳をすませると2人とも元々ボリューム落としてるのか聞こえねえ。傑の渋い目つきは無視する。他の生徒……ホテル、……写真……あとで見せてくれ……?
……は?

「他の生徒、ホテル、写真、後で見せてくれ?」
聞こえた言葉を傑に投げてみると、復唱してから頭をひねった。
「どの言葉をどっちが言ったんだ?」
「他の生徒、ホテルがなまえ先輩。写真は2人とも言って、後で見せてくれ、は先生」
「……なんだろうな。任務関係か?」
「いやホテル系は最近行ってない。あるとしたら1週間前の調査任務か……?」
「硝子なら何か知ってるかもしれないな。同行したはずだから」
「なんで今いないんだっけ。タイミング悪いな」
「悟が寝てる間に他の学年で怪我人が出たから退室したよ。よく3人しかいないのに寝られるな」
「サングラスかけてるからバレないでしょ」
「3人しかいないからバレるに決まってるだろ」
教卓に傑を立たせて、寝てもバレない角度を探しているとやっと硝子が戻ってきた。
「硝子大丈夫?顔色めちゃくちゃ悪いぞ」
「怪我人多すぎただけ」
「お疲れさん。ところで今質問してもいい?」
「くだらないことならパス」
「なまえ先輩絡み」
「いいよ」
「ホテル、写真って聞いて何思い浮かぶ?」
「……援交?」
「「無い……」」
傑と声が思わず重なる。
答えただけなのに。と硝子は眉間に皺を寄せた。まぁそうだよな。傑が硝子に説明すると、俺達と同じ結論を出した。
「気になるなら聞けばいいじゃん」
「さっきメール送ったけど返信ない。多分まだ先生と話してんだろうな」
「……先輩が直接関係はないけども、そういう写真の類を任務で発見して処理に困っているという可能性はあるな」
「あ〜……なるほど、そりゃあるわ」
なまえ先輩は手ぶらで動けるので、未成年呪術師が潜入に適した高校や施設なんかへの調査任務が回ってくることが多い。俺たちが目立ちすぎるから任務が受けられなくて先輩に回るんだが。潜入任務の交換を頼んだこともあったが、顔がなあ……良すぎるんだよなあ。背も大きいしなあ…………と褒めるテンションとは程遠い声で断られた。先輩も顔がいいのに流石に場数をこなしているせいか、目立たず、痕跡を残さず、トラブルを起こさず調査結果を持ち帰る。
「でもさ、それなら聞くの先輩の担任で良くない?」
「先輩の担任なら出張中だよ」
「傑良く知ってんな」
「昨日先生が朝礼で言ったぞ……」
次の時間に、先生!援交と深い関係はありませんか!?と聞いたら真正面から額を殴られた上に、先生にホテルと写真の事を聞いても、お前には絶対に言わんと言い切られた。クソ。さっさと任務終われ先輩。気になる。今どこにいんの。



『新宿。今日はちょっといる場所が電話不可の所が多いので、電話できない。ゴメン』
昼休みに返ってきたメール。
『東京駅にいる』
放課後に返ってきたメール。
『今新宿』
21時に返ってきたメール。やる気のないメリーさんかよ。

「大丈夫!?ちゃんとおうち帰れる!?遠ざかってるよ!?なまえちゃん?!」
しびれを切らして電話をかけたら、小声で先輩は話す。
『電話駄目だって!今タクシーで高専に戻ってる。今日は戻ってやることがあるから、付き合えないよ。もう寝るんだ』
「電話出たじゃん」
『出ないと出るまでかけるだろ……』
「話あるんだけど、何時に帰る?」
『話聞いてた?』
「今日がいい」
『……わがまま?深刻な悩み?ちょっと困ってる?……どれ?』
「わがままな内容に深刻に悩んでる」
『わかった。頼むから、今日は無し。おやすみ。明日ね』
切られた。
あ〜〜何してんのかなマジで。なまえ先輩は見知らぬ他人の面倒事に首は突っ込まないけど、つきあわされることになった面倒事は最後まで面倒見るタイプだからな。頭いいし、実力もあるから下手はこかないだろうけど、心配なもんは心配なんだよ。新宿から高専までタクシーなら結構かかんだろ。その間に風呂でも入るかな。


先輩が戻ってきたのは0時を回っていた。タクシーでもこの時間の帰寮は遅すぎる。部屋の窓から寮に近づいてくる先輩を見下ろすと、暗がりでよく見えないが、やけにでかいバッグを脇に抱えていた。
今日は会えない、やることがある。
普段ならなんだかんだで折れてくれる先輩がつっぱねた上に、俺に隠れて夜中に運び込むもの。なんとなく予想はつく。
「おかえり〜」
廊下の電気もつけずにコソコソ戻ってきた先輩をお出迎えしてやると、明らかに肩が震えた。
「何持ってんの。重そうじゃん。持とうか?」
「悟、頼む今日だけは部屋に戻ってて」
「なんで。それ俺の家からの修復依頼でしょ」
「全く違うんだけど……それ証明するには中を見せないと…いけないんだろうな……」
「そういう理解の速さ好きだけど、ホント心配になる」
距離をつめれば、先輩は1歩引いただけでほとんど動かず、体には不似合いなバッグを後方に下げて自分の身を挺してガードした。ワレモノか?
「悪いね先輩。俺の方が腕が長い」
別に無理やりバッグを引き剥がすつもりは無い。中身さえわかればいい。そう思って手を伸ばしたが、先輩は俺の手を受け流すと、もう2歩下がって距離を取った。体術上手いな。いつか抜く。
「もう五条からはその仕事は依頼しないように言ったのに。バッキバキに粉砕して、着払いで返してやろうぜ。ゴミも入れて超重くしてさ」
ゆっくり距離をつめると、先輩は大きく溜息をついた。
「分かった……見せるから……。ここは……場所が悪いな……部屋に来て」
今の言い方なんかよかったな。
先輩はのろのろと自室に向かうと俺を入れて鍵を締めた。いつもは締めないのに。えっ、何。緊張しちゃう。
先輩はベッドの上にバッグを置いてジッパーを開く。中から出てきたのは呪具でもなく、美術品でもなく、動物を入れるようなケージだった。
先輩がケージの鍵を開けると、程なくして中から白い毛が出てきて、宙を何度かかいたあと、それはケージのドアを押し開けた。
ぬっと出てきたのは白い猫だった。
もう終わるか、もう終わるかと思っても出てくる。ずるずる出てくる。猫じゃなくて呪霊じゃね?と思ってきた頃にやっと全部が外に出てきた。その辺にいるのより5倍くらいでかい。尻尾は談話室のテレビの横にかけてあるホコリ取りのブラシの様に太く長く、長い毛で綿みたいだった。全長は1メートルを超えている。デカすぎんだろ。猫は周りを見回すと先輩の顔を見上げた途端、まとわりつくように先輩の体を駆け上がり、一気に肩に手をかけて頭を乗せた。
「やっぱり!重い!悟!!できるかぎり優しくこの子取って!!」
なんだこの猫。猫の脇に手を差し込んで持ち上げると、無抵抗でずるりと先輩から猫が解ける。結構重い。
「おい」
じっと先輩を見ている猫を呼ぶと、3回目に、おい猫、と呼んでやっと俺を見た。白い毛玉のような長毛、大きな青い目、ピンクの鼻。愛想のいい顔。
「お前、顔可愛いじゃん」
「うににににに」
「つーか俺に似てない?」
「うるるる、わわんわわ、んなるうるる」
「よく喋るな。まさか犬?猫ってニャアニャア言うもんじゃない?」
足をバタつかせるので足だけはベッドにつけてやると、落ち着いたのかじっとしている。先輩は目をひんむいてこっちを見ていた。
「何?」
「シロとうまくいってる……」
「シロっていうの?」
「まあね。でも実家の店に来る人にねこねこ呼ばれて自分の名前をねこだと勘違いしている」
「バカじゃん」
「バカじゃない」
絶対悟とうまくいかないと思ってたから、会わせないようにしたんだが……と先輩は呟いた。ひどいな俺の評価。まあ、確かに猫は好きでも嫌いでもない。
先輩は俺に猫を持たせたままバッグから銀の深皿を出し、手早く餌と水の準備をした。
「俺と似てない?」
「似てる。最初に会ったとき、まずシロを思い出したよ」
猫をベッドへ完全に下ろすと、腹を見せた。撫でてやると体を揺すって、手から逃げるようにも押し付けるようにも見える動きをする。こいつメス?猫にも俺の顔の良さ分かる?ウルルルルンと変な鳴き方をするし、罪作りだな俺の顔。あ、違った。コイツタマついてるわ。
「なんで実家の猫がここに来てんの」
「母が仕事で一昨日からこっちに来てね。地元にはいい獣医がいないから、都会に来たついでに健康診断を受けさせようって新宿のペットクリニックでお泊り健康診断してたんだけど、母の仕事のスケジュールが伸びて今日引き取れなくなったんだ。病院の方は延泊できなくて、今晩だけ私が代わりに預かることにしたんだよ」
「……もしかして今日のアレ、それを夜蛾先生に聞きにきたの?」
「そうそう。生徒の中に猫アレルギーがいたらペット可のホテルに泊まろうと思って。夜蛾先生なら全生徒把握してるし。あ、悟、ゴメンその角度でシロを撫でてて」
先輩は引き出しからデジカメを出すと、何枚か写真を撮った。
「俺写真はちょっと……マネージャーから止められてるんで……」
「あ、傑マネには許可取ってるんで……。……シロの写真を夜蛾先生に頼まれてるんだよ。可愛いって言ったら見たいって」
「……あー……なるほどね……」
他の生徒、ホテル、写真、あとで見せてくれ。謎はすべて解けたわ。
どっと疲れた気がする。先輩が猫に「シロ、シロ……ねこおいで」と声をかけると、ベッドを降りて猫は先輩の元へ行き、遅い晩飯を始めた。先輩はなぜか猫に背を向けないようにベッドへ来ると腰を下ろした。
「背中向けたら乗ってくるんだ、気分が上がったりしても昇ってくる」
「なんでそんなことになってんの」
「拾ったときはすごく小さかったから、肩にのせたり、リュックの上にのせてたんだよ。それがくせになってるみたいで」
「捨て猫か」
「うん。ダンボールに入って側溝に捨てられてた。あの頃はこんなに大きくなるとは思わなかったな。毎日哺乳瓶でミルクをあげて、あんなに可愛がってたのに私がつけた名前を忘れるなんて……」
疲れた…と先輩はため息をつくと、ベッドに倒れ込んだ。俺はベッドを占領する巨大なケージを猫の近くに持っていく。ここで寝るのかなコイツ。猫は顔をあげ、俺を一暼し、尻をこちらに向けてホコリ取りブラシのような尻尾を擦り付けてくる。
「愛想いいじゃん」
でも部屋着に白い毛は目立つからやめろ。ぐるぐると喉をならしながら餌をすごい勢いで食っている。やっぱこんだけデカいと食う量もすごいのか。
「先輩、こいついくつなの?」
返事はなかった。振り返ると先輩は眠り込んでいた。風呂に入らず寝るなんてまずしないから相当疲れてんだろう。ケージ込みで多分この猫20キロ近くあるし。
ベッドの空いたスペースに俺の体をねじ込んでも、先輩は全く起きなかった。寝づらいだろうから、先輩から制服の上着を引っこ抜いてシャツだけにする。立ってハンガーにかけるのは面倒臭いので、そのままベッドの下に落とした。布団を2人まとめて被ろうとしたときだった。
「にっ」
やっと猫らしい声がしたと思えば、飯が終わったのか猫は先輩のそばに飛び乗ると頭を擦り付けて、舐めようと舌を出した。
「おい」
無限を張ると猫の舌は空を舐め、よくわかっていないのか前足で何度か無限を押した。少しして諦めると、無限を張っている先輩の首があるあたりにすり寄る。
「おい、今のなまえ先輩が1番可愛がってんの絶対俺だからな。あんまり調子に乗るなよ」
「うるるる、まぁー」
「ホントに猫か?」
やっぱ猫の皮かぶった呪霊じゃないか?ピンク色の鼻をつついてやると、嫌がるどころか先輩の胸の上を通り、手にすり寄ってきた。やっぱり全然俺と似てないわ。

2019-11-25 お題作品
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