傑はなまえのことどう思う。

最低10回は聞いた質問だ。
あんまりしつこく聞いてくるので数え始めたから、正しくはもっと多い。
先輩のことは尊敬するし好ましくも思っているが、恋愛対象ではない。それが私の答えだ。しかし何度そう言っても悟はしつこく聞いてくるので、まあまあ好き、とても好き、そろそろ告白したい、あまり興味がない。適当にその時の気分で嘘の返答をしていると、その度に悟の眉間が忙しなく動くのが面白かった。
悟が私を敵視しているわけではない。態度と口は悪いがその狭い懐に入れた者への情は深いし、入れなくても他者を思いやることができる。それを素直に表に出すかは別として。
悟はもし私が先輩を好きだった場合、私との関係がこじれて仲たがいするのを避けたいのだ。だからと言って先輩も譲れないので、こんな風に下手な探りを入れてくる。先輩の言葉を借りれば、悟はかわいいな。である。

「なまえ先輩が好き」
お決まりの質問が終わる日は唐突に来た。
悟の誕生日が終わり、クリスマスが近づいて来た頃だった。談話室で悟は漫画を読みながら、ホットの缶コーヒーを手の上で遊ばせていた。私に心の内を話す時は、お祭り騒ぎでもったいぶるだろうと思っていたが、告白はひどく静かだった。
「そうか」
「もっと驚け」
「知っていたからね」
「なんだよその顔」
表情を隠したつもりだったが笑っていたか。悟は苛だたしげに眉間を歪ませると、コーヒーのプルタブを上げて一口飲んだ。
「傑は先輩のこと好きじゃないよな」
「今日でこの質問は最後にしてくれよ。好ましいと思っているが恋愛対象ではない」
「なんで?」
「私の中にそういう気持ちが芽生える前に、1番仲のいい男がなまえ先輩を好きで好きでたまらないと四六時中アピールしていたら、恋するなんてありえないだろう」
ぽかんと大口を開けて悟は固まり、コーヒーの缶が手から滑り落ちる。おっと。親友の反射神経が良くてよかったな。

「うわ」

小さな声がした。振り返るとコートを着込んだ硝子が立っていた。手には黒いハンドバッグ、揃いの黒のブーツを履いている。
「硝子、出かけるのかい」
「なまえ先輩とデート。五条、先輩に電話するなよ」
「しねーよ」
「この前したから信用ならねぇー」
「先輩は朝からいなかっただろう?」
「任務。だから外で待ち合わせ」
表情変化に乏しい硝子が、じっとりと悟を睨みつけて寮を出ていった。アレは相当怒っているな。硝子も先輩になついている。悟と同じくらい先輩が好きだろう。
「なにやったんだ」
「前に帰ってくるって言った時間になっても帰ってこなかったから、出るまで電話したら硝子と買い物してた」
緊急の任務依頼があるので携帯の電源を切れないことをわかってやるからタチが悪い。
「硝子の邪魔をするのはよくないよ。楽しみにしているんだから。もしかして初恋もまだなのか?」
「とっくにしてるわ」
「毎回こうなのか?」
「……違う」
声を出して笑ってやると、サングラスの向こうから硝子とは違う睨みが飛んでくる。悟は私の手から缶コーヒーをひったくると、一気に飲み干して部屋の端のゴミ箱に投げ込んだ。ナイスシュート。だがそこは燃えるゴミだ。分別しろ。
「脈無しなのか?」
「ない。だから意識させたい。キスでもしてやろうかな」
「ははは」
「できないと思ってんの?童貞じゃないんだからさ」
「五条悟じゃなくて、悟に聞くよ。もし嫌われた時のこと、考えてるのか?」
やると思った時にはしている気性の悟がしていないということは、彼もそこを危惧しているのだろう。図星だったようで、悟は大きく仰け反ると、作戦会議ぃ〜と裏返って気が抜けるような声を出した。
「傑。いい案出して。お礼にチーズおやつ1ヶ月分献上」
無茶をいう。好物のように言ってくれるが特に好きじゃない。だが、2人には上手くいってほしい。



夜中に喉が渇いて1階の簡易キッチンで湯を沸かしていると、ふらりと硝子が降りてきた。私も、というのでケトルに水を足す。
「デートは楽しかった?」
「うん。お揃いのコートも買ったし、ケーキも美味しかったし、五条からの電話も無かったから最高」
「ははは。ところで硝子。先輩から悟の評価を聞いたことあるかい?」
「実家の猫に似てるって言ってた」
彼女は携帯を出すと1枚の写真をみせてくれた。白い長い巨大な猫が、廊下を塞ぐように伸びている。カメラに向けられた上目遣いの大きな瞳、整った顔つき、所々跳ねる白い毛並み、たしかに悟に似ていた。可哀想に、脈なしになるわけだ。そしてやけに悟のかわし方が上手いのは、そういうことだったのか。
「五条はなまえ先輩が好きなんでしょ」
「あぁ。うまくいくと思う?」
硝子は戸棚からほうじ茶のティーバッグを取り出す。マグカップに入れて無言で催促してくるので、湯をいれてやると、お代だと言いたげに語った。
「先輩の家は、先輩の代で血筋を終わらせるんだって。先輩が子供の頃から決まってて、先輩もそれに賛成してるから、誰とも結婚しないし付き合わないって前に話してくれた」
「……なぜ先輩の家はそんなことを?」
「そこまでは教えてくれなかった。だから無理なんじゃない。あ、五条は知らないから絶対言うなよ」
「もちろん。そういうのは本人同士話し合うべきだからね。しかしなぜ私に教えてくれたんだい」
「夏油に五条のブレーキ踏んでてほしいから」
硝子が立ち去ったあと、白湯を飲みながら先輩のことを思い出す。
早くに結果を出す術師ほど長い歴史を持つ家の出が多く、そしてその多くが自由恋愛できる立場にない。そういう話はここでは珍しくないが、血筋を絶やすことを決められている家系は初めてみた。
それに先輩は鈍感な人間ではない。むしろ他人の感情に敏いほうだ。悟の感情に気づかないわけがない。しかしなまえ先輩は、悟と同じ思いで彼に応えることはできない。悟や硝子、実家の猫、それから私に注いでくれている愛の量を増やすことしかできない。だから悟が求めれば求めるほど撫でる、愛でる、甘やかす。悟は愛されている。ただ愛の種類が違うだけで。

先輩は悟の気持ちに応えたいが家を思うとできないのか?
それとも幼い頃からの決まりが、彼女から悟と同じ愛を削ぎ落としてしまったのか?
どちらもありえそうで分からないな。
前者であれば悟の大得意な所だろう。あの手この手で欲しいものを引っ張り出す。いつか先輩から自分の求める同じ愛を引きずりだす。
ただ後者なら道は長い。コツコツやるのが悟は苦手だ。将来彼が、そういうのが得意になればいいのだが。今のままの気質なら難しいな。

部屋に戻ると携帯にメールが来ていた。
『明日ナンパに行く。彼女作ってみたら先輩も嫉妬するかもしれない。10時に談話室に集合』
笑ってしまった。前提を間違えたまま走らせるのは可哀想だが、硝子との約束は守らなくてはいけない。しかしクリスマス前に悟に引っかかる女の子が可哀想だ。責任持って全敗させて帰ろう。明日着る服を考えながら、ベッドに潜り込んだ。



10時2分になっても悟はさも当然のように談話室に来なかった。いつもの事なので私も遅れて行けばいいのだが、それは何となく具合が悪いから時間通りに来てしまう。ソファに座り今日の天気を確認する。結構寒いな。持っていくか迷っていたマフラーを巻いていると、テンポのいい足音が階段を降りて来た。
「傑おはよう。でかけるの?」
なまえ先輩だった。真新しいコートを着ているが服はゆったりした室内着だ。その背後から階段を降りて来た悟が頭を出す。ニヤニヤするな。
「ええ。悟の希望でナンパしに」
ほら、お膳立てはしといてやるぞ。
「クリスマスが近いですからね。彼女が欲しいんでしょう」
「なるほどなあ。悟ならいい彼女できるでしょ。もちろん傑もね」
背後から近づいていた悟は、先輩の返答を聞いて固まり、雰囲気を変えた。

おい。悟、お前、我慢が足りないんじゃないか。
先輩の口ぶりはそこに嫉妬なんてなく、応援の気持ちしかない。しかしお前に本当に彼女ができれば違うかもしれないだろ。いや今回は作らせないが、時間が経てば少しは先輩も違う反応をするかもしれないだろう。我慢しろ。
アイコンタクトも虚しく、悟は俯いて立ちすくんだ。まだここに来て1分も経っていないぞ。
先輩は気配を察して振り返ると、突然背後にいる悟に驚いて1歩下がったが、ナンパ頑張れ〜と励ましの言葉を残して寮を出ていった。いつもならこういう時は頭を撫でるのに、今日はワックスでセットした髪を崩したらいけないという先輩の気遣いだろう。それがここまで逆効果になるとは。
「傑」
「なんだい」
「やめよう」
「もう少し待ったら先輩の気も変わるんじゃないか?」
「……いい」
解散だ。巻いていたマフラーをたたんでいると、先輩と色違いのコートを着た硝子が降りてきて、俯いて佇む悟の背中を怪訝そうに眺めた。確かにあの身長の男が無言で廊下に立っていると、少し怖いな。悟なら尚更。
硝子もそろそろと近づいて来て、悟の顔をひょいと覗きこむと、無言で先輩を追うように寮を出て行った。程なくしてきっと硝子から連絡が行った先輩が戻って来る。あの硝子が気を使ってくれたのか。すごいな。どんな顔をしているか全く想像がつかない。
「どうしたの悟」
先輩が言っても、悟は先輩に背を向けて動かないままだ。
「傑と一緒に出かけるんだろ?大丈夫?」
頑張れ悟。先輩を嫉妬させるんだろ。やってみなきゃわからない。今からでも振り返って、ナンパに行ってくると、いつもの調子で言わないのか。もしかしたら嫉妬の芽が生まれるかもしれないのに。

「おいで、悟」

トドメだった。悟はとうとう俯いたまま先輩の方にフラフラと歩いていって、彼女の肩口に頭を沈めた。なまえ先輩に弱すぎる。朝から時間をかけてセットしたであろう髪は乱れていった。先輩は背中を撫でてやっていたが、彼女にしか聞こえない声で言ったんだろう。やっといつもより散らばらない白髪を撫でてもらった。その指先に灯っていたのは紛れもない慈愛だ。そのあと2人で何か話していたが、唯一聞こえたのが先輩の「クリスマス?歌姫先輩と遊ぶよ。いやさっき外で電話してきた」である。悟、間が悪すぎる。

道はあまりにも長そうだな。私はブレーキを踏みつけるか、アクセルを踏んでやるか、悩まないといけないみたいだ。

2019-09-21
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