フライト遅延で到着が予定時刻の4時間も過ぎた20時。肩も足も重い。海外マジで息をするように遅延する。飛行機の中で肌は乾燥し、目も指先もかゆい。ボロボロだ。普段は嫌な日本の湿度が最高に思えてくる。しかし12月の日本寒い。防寒具、売ってるかな。

難航している呪具回収の手伝いに行ってこいと、7つの国で7つの呪具を高専に送る任務は半年かかった。ドラゴンボールか。
日本を出てすぐに携帯が壊れ、まともな機種が手に入らないエリアばかり巡ったので、半年間の高専とのやりとりは主に国際電話。相手は夜蛾先生だけ。みんな元気にしてるだろうか。特に悟にはしょっちゅう連絡をしてほしいと言われていたのに、一切できなかったので多分帰ったら何か起きる。お土産だけはたくさん買ったので許されたい。

高専方面へ行く高速バスに並ぶ気力がないほど疲れきっていた。タクシーを拾おうとしたとき、目の端に見知った姿が映る。まさかいるとは思ってなくて、思わず2度見してしまう。ひらりと手を振るのは間違いなく彼だった。
「傑!」
「お久しぶりです、なまえ先輩」
「迎えにきてくれたの?ごめん、飛行機が遅延してさ。待たせたね」
「いいんですよ。フライト情報はこちらにも表示されてましたし、それに空き時間でこの子達に空港がみせれてよかった」
傑の足元に双子の小さな女の子がいた。黒髪と茶髪をボブカットにして、色違いのダッフルコートを羽織り、空港で何か買ったのかリボンのかかった箱までお揃いだ。大きな目でこちらを見上げるが、傑の服を握って彼の後ろから出てこない。
「かわいいね。妹さん?」
「ええ。家族です」
「こんにちは。あ、こんばんはか。お菓子食べる?」
最後の空港で飛行機に乗る直前に買った、かわいいクマ型チョコを見せると2人は興味を示したが、やはり傑の後ろから出てこない。
「この人は大丈夫だよ」
傑があやすように2人の頭を撫でてやると、おずおずと茶髪の子がチョコを受け取った。包装紙を破り、頬張る。美味しいねと2人だけで言いあい、傑にこそこそと何か話している。ええ……めっちゃ……かわいい。
「妹さん可愛いね」
「ありがとうございます。私ももらっても?」
「もちろん。3人へのお土産ってことで。あ、傑へのお土産は他の荷物と一緒に送ってるから、また後で渡すね。ところで体調良くなった?元気そうだね」
「…………聞いてないんですか?」
「何を?」
傑はチョコをひとつ食べると、美味しいですと笑った。
「……新生活をはじめたんです」
「そんなクレカのCMみたいな」
「あはは」
茶髪の子が傑の裾をまた引いた。よく見ると、黒髪の子の頭がゆらゆら揺れている。もう21時だもんね。傑は2人にむかって頷くと、妹さんたちと手を繋いだ。その笑顔はとても晴ればれとしていた。
「すみません。話したいことがあったんですがまた今度。今日は会えてよかったです」
「おやすみ。家族でどこかに泊まってるの?高専には泊められないでしょ」
「ええ、ちょっと遠くに」
来たタクシーを譲ると、別れの挨拶をする余裕もないほど傑を乗せたタクシーはすぐに行ってしまった。傑の妹ちゃんたち、可愛かったなあ。

▼ ▼

高専に戻り、夜蛾先生に告げられたことを理解した時、内臓に氷を詰め込まれたような気分だった。
お前の任務の妨げになると思って言えなかった。
そう言われたら何も言えないし、今日あったことも報告できなかった。

遅くに帰って来たせいで寮の談話室にも、廊下にも、誰もいなかった。
傑の部屋をノックしてみる。空洞の音がして、返事はない。鍵は開いていて、中には何もなかった。
椅子や机などの備品もない。まるで最初から誰もいなかったように片付けられていた。吐いた息が、寒さで白くなった。人がいない部屋はこんなに冷えるのか。
傑は、お土産は綺麗な景色の写真がいいと言っていたけど、携帯と一緒にデジカメも壊れたのでポストカードを買って帰ると夜蛾先生に頼んだ伝言は彼に伝わったんだろうか。
こわばった手から、ポストカードの束がこぼれる。美しい景色が床に広がるが、部屋が暗くてすべて真っ黒に塗りつぶされてみえた。

「遅かったね」

振り返ると悟がいた。こんな時間なのにまだ制服に身をつつみ、サングラスはかけていないが廊下の照明が逆光になって表情は見えない。彼の黒くて長い影は、私を通り越して部屋をふたつに切った。
「ただいま」
「おかえり。傑の話、聞いた?」
「さっき。……今日、傑に会ったんだ」
「……は?いつ?」
「空港で。てっきり迎えに来てくれたと思った」
「……アイツ……」
悟は荒っぽく頭をかくと、大きくため息をついた。それから足元に散らばったポストカードを代わりに拾って、私へ差し出してくれた時、やっと彼の表情が見えた。

海外に出発する前、傑は明らかに思い悩んでいた。頬が少しこけて、力無い笑顔を浮かべるばかりだった。食事に連れて行ったり、散歩に誘ったが、いつも帰りに笑ってお礼を言うだけで、その理由を何も語ってくれなかった。
今は、悟があの頃の傑と同じ顔をしている。
「大丈夫……じゃないよな、悟」
眉間にはくっきりと皺が刻まれ、目は濁り、今にも張りつめた何かが決壊しそうな危うさがあった。悟は何も言わなかった。差し出したポストカードを握る手には血管が浮かび、カードにはいくつもシワが寄った。
手を引いて急いで傑の部屋から出ると、悟は壁にもたれかかり、力なくしゃがみこんだ。目を充血させ、青黒い隈をつくり、白い髪とのコントラストが一層彼を不健康で不安定にみせた。指で隈をさすると、悟はゆっくり手にすり寄って、そのまま顔を膝にうずめてしまった。
そうだよな。まだ18なんだ。
彼の横に座り、出そうになった溜息を飲み込んだ。いろいろなことが目まぐるしく起こり、もう動ける気がしなかった。
「なまえ先輩はなんで傑が迎えに来たかわかる?」
「……わからない」
「俺にはわかる。言いたくねぇけど」
くぐもった低い声がぽつぽつと語った。
追放された親友から告げられた言葉が引き金になって吹き出た、彼の苦悩。
傑と悟は思考の方向性は違うが、根は似ている。傑が思い悩んだということは、同じ経験をした悟も同じ傷を負って、傑と違う方向に捻れた。いつも軽口をたたき、素直すぎるほどにものを言う態度が、逆に悟の真意を周囲に隠した。その範囲は、きっと彼本人にも及んでいた。
最強でも、なんでもできても、悟は神じゃない。残酷なくらいに人なのだ。悟1人で全てを引き受けるのには無理がある。けれど悟はできると思っていたし、やろうとしていた。
最強になったから、彼はそうしようとした。もしならなければ?こんな目に遭わなかったんじゃないのか?なんで神はこんなことしてるんだ?やはり神なんて、どこにもいないのだ。

「……帰ってくるのが遅くなって、大変なときにそばにいれなくて、ごめん」
なんでたった半年でこんなことになってるんだ。いや違う。積み上がってきたものが、一気に崩れただけ。きっと崩壊の火種はずっとあったのだ。私は2人に比べたら弱い。口もうまくない。頼りにもならない。けれどもしかしたら、何かできることがあったのではという後悔だけが腹のなかで渦巻く。
悟の冷たい肩に手を回すと、堰を切ったように抱きつかれた。いつものように抱きとめてやりたかったが、じゃれ合いのような抱擁とは明らかに毛色が違った。骨がきしむほどの強さと熱さ。体は冷たかったのに、私と接触したところから次々熱を持ち始める。支えきれず床に倒れても、悟は抱きしめる強さと荒々しさを緩めなかったし、私も抱きしめ返す手を離さなかった。悟はただずっと私の肩口に顔を埋めていた。

「悟、これから、何かしたいことある?」
「……ある。なまえ先輩も手伝って」
「わかった」
「……もし無かったら?」
「海外旅行に誘ってたかな。10年くらい」
「……はは……それ海外逃亡じゃん」
「自分探し、長期休暇、語学留学。建前なんて、なんでもいい」
「ガンジス川は行きたくないけどカレーは食いてえな」
「ナン美味しかったよ」
「行ったの?ずりぃ」
悟は私の耳元に頬を寄せた。体はもう冷たくなかった。

俺を選んで。俺のそばから、いなくならないで。

悟から漏れた、小さな小さな呻き声だった。
たとえもし、誰もが袂を分かつ時がきても、私は悟の道についていく。それだけは誓うよ。


▼ ▼

シャワーの音とコーヒーの匂いで目が覚めた。
さえない頭で起き上がると、テーブルの上にまだ湯気の立つマグカップが2つ並んでいた。中身が少し減っているのが五条の飲みかけだろう。なみなみと注がれているマグカップの方をひとくち飲むと、砂糖の味しかしなかった。ぎゃあ。
「あっ、引っかかってる」
必死に飲み下し、うがいをしていると五条はシャワーから上がってきてゲラゲラ笑った。コーヒーかと思ったら麺つゆの方がまだマシな甘さだ。何したらコーヒーの苦味をあそこまで甘さで消せるんだ。
「うがい終わったら髪乾かして」
「胃からすごい糖分が上がってくる……一体どれだけ砂糖いれたの」
「気がすむまで」
悟はベッドを背もたれにクッションに座ると、砂糖に致死量があれば人を殺しているコーヒーを飲みながらテレビをつけて今日の天気予報を眺め始めた。午前中は晴れ、午後から雨が降るらしい。
渡されたドライヤーを持つと、昨日はまるでゴムのように無反応だった右手が、今は痺れが残る程度まで回復している。
「だいぶ回復してるでしょ」
「うん。いつもすごいな五条は」
「五条じゃない。悟」
ドライヤーをかけるためにベッドに座った私を見上げ、五条は上目遣いをよこす。
「今日1日は休みだし、久しぶりに悟って呼んでよ」
「ええっ〜」
「僕に恩があって今日は断れないでしょ。今日は山ほどいうこと聞いてもらうからね。あ、そういえばさっき暇だったから動画配信サービスの方見てたけど、ジェイソンが豪華客船に乗るやつ見つけた」
「え、それ絶対おもしろいやつじゃん」
「ちょい古いけど」
元々ドライヤー要らずの髪はあっという間に乾いた。最後に適当に手櫛をしてリリース。ドライヤータイム終わり。
「シャワー浴びてくるから待ってて」
「うん。早くね。気が短いからあんまり遅いと風呂に入りに行くよ」
「教育者が短気なのダメだろ!5分であがる。うわスゴいTシャツから五、ちが、悟の匂いする」
「くっついて寝てたから僕の寝汗でしょ」
「怖、代謝こわ」
「照れるね」
「いや褒めてない褒めてない」
悟の目が楽しそうに細まる。白いまつげがあがり、朝日と部屋中の光、それから睫毛に乗った水滴で、青い目はいつもより多く光を吸い込んでいた。悟の目は綺麗だな、と思わず呟いてしまうと、まあね。と、より一層目を細めた。

2019-10-08
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