虫の声が聞こえない夜だった。
吹き出る汗も拭えず任務から帰ると、校門に久しぶりに見る顔がいた。
「おかえりなさい」
夏油くんは黒い制服に身を包み、門の柱にもたれて佇んでいた。
ゆったりとした身のこなしと雰囲気は、年下なのかといつも疑ってしまう。
闇にとけこんでいる姿は、任務帰りのいつもより敏感になっている神経でなければ見逃していただろう。
「久しぶり」
「本当に久しぶりですね。前に会ったのは5月ですよ。……ひどいですね」
斜めがけしていた呪具入りのバッグを彼は持ってくれると、寮に向かって歩きだす。
「また骨折ですか。髪も切れてしまって。体を犠牲にしない術式ならよかったのに」
ヒビの入った両腕は心配した新人補助監督さんによって必要以上に固定されていた。小さなヒビだが、打撲の鬱血がひどかったので、ばっきり折れたと間違われたのだろう。両手は布につられて指しか動かせないし、髪の毛はショートまでバッサリ切られている。
「痛いことばっかだけど、この能力嫌いじゃないからいいんだ。しかしありがとね〜夏油くんはできた後輩だね〜!ところでこんな夜中に任務?……まあキミなら全然大丈夫か」
「ええ、まぁ。しかし先輩は大丈夫じゃないですね。DVD、今日返しにいけますか」
そういえば借りてきたDVDの返却日だ。夏油くんも見るというから返却日ギリギリまで寮に置いてたんだ。
「そっか。忘れてた。延滞金……払うかな……」
「悟が寮にいるんで、手伝うようにいいましょうか。先輩から借りたの悟と見たんですけど、とても気に入ってたんで、お礼に返しに行くくらいはするかもしれません」
「さとる?」
「ああ、まだ会ったことなかったですね。私と同じ1年ですよ。あとで部屋に行くようにメールしておくので。では、いってきます」
部屋の前につくと、夏油くんは踵を返して去っていった。固定していないほうが多分痛くないし、不自由でもない手でドアノブをひねると、先輩、と廊下の奥から夏油くんの声が響く。
「先輩、もっと自分を大事にしてくださいね」
完全に闇に飲まれた廊下では、夏油くんの声だけが輪郭を持っていた。
「やばくなったらさっさと逃げるから、心配しなくていいよ」

▼ ▼

「なまえさん。そろそろ帰りますよ」
硝子ちゃんに揺り起こされて処置室のベッドで目が覚めた。
久しぶりに夢を見た気がするが、なんの夢だったか思い出せない。
重たい頭を持ち上げて外を見ると、もう夕闇はすぎてとっぷりと夜になっていた。そうか。報告帰りにあまりに眠くてベッドを借りたんだった。
「ごめんよ。硝子ちゃん」
「仕事があったのでいいですよ。よく寝てましたね」
「夜の任務多くてさ〜、3連続。ありがと、ぐっすり寝れた」
硝子ちゃんが天蓋のように引いてあるカーテンを開けると、隣のベッドに2メートル近い黒い男が寝転がって、こちらに向かってピースサインを決めていた。
「おまた〜」
「いや待ってない」
「僕の仕事が終わるまで待っててくれたんでしょ。嬉しいな」
五条はベッドから起き上がると、するりと首元すり寄ってきたので、生徒の前に出る時のオールバックスタイルをわしゃわしゃと崩してやる。高そうな五条の黒いブルゾンが冷たい。
「今夜暇だから、DVD借りてなまえ先輩の家で見ていい?」
「うちNetflix契約してるよ」
「アレ新作入らないでしょ。奢るから」
「……あ、そういや新作のサメのやつ見たいからいいよ」
「アレ、駄作感ヤバくない?」
「ステイサム兄貴が出てればいつでも最高傑作よ」
手ぐしで髪を整えてやると、五条はアイマスクからサングラスに付け替えた。青い目が少し眠そうだ。帰って寝ればいいのに。
「なまえさん。ジャンパー、ベッドに忘れてた」
「わ、ありがとう。硝子ちゃんもウチ来る?」
「私はこいつがいない時がいいな。拗ねるから。……前から気になってたんだが、悟はなんでなまえさんに先輩って付けて呼んでるんだ?親しい人間はほとんど呼び捨てだろ」
そう尋ねられた五条は、ゆっくり伸びをしながら、たっぷりもったいぶって答えた。
「なまえはね、先輩呼びすると露骨にお願いに弱くなるんだよ」

▼ ▼

本人を前にしてそういうことを遠慮なく言うのが五条悟という男だ。
今までの自己の行いを振り返るが、それが甘やかしなのか、押し切られたのか、諦めなのかわからないまま、硝子ちゃんを駅に送り、だらだらと五条と他愛のない話をしてるうちにレンタルビデオ店についた。明日は土曜というのもあって、店内には休みに映画を楽しみたい残業帰りの会社員がまばらにいた。
「新作・準新作で5枚1000円だから、僕が2枚、なまえ先輩が3枚選んでよ」
「五条が見たいんだから五条が3でいいでしょ。私サメのやつくらいしかみたいのないし。っていうか5枚みんの?明日午後から私任務なんだけど。2時間ものなら10時間だぞ?」
「完徹で余裕じゃん」
「無理。3本しか体力持たない。五条1、私2。これでいこう」

五条は不服そうだが、ひらひらと手を振って準新作の棚へ行ってしまった。私は新作の棚に向かい、レンタル開始から少し時期がずれたせいでたっぷり在庫があるお目当てのサメ映画を手に取る。なにか面白いものを探すが、最近は新作チェックを怠っていたので、これと言って興味をそそられるものがない。疲れてるから派手なアクションかホラーが良かったが、新作の棚には前作を見てないと見るのがもったいない続編ものばっかりだった。
棚を移動すると、店員のおすすめがずらりと並ぶ。昔はこういうコーナーが好きだった。ローカルな店だと、店員の趣味がもろに影響されて店ごとおすすめが違うのが面白くて何件も店をハシゴした。今のこういう店員のおすすめはどうなんだろうな。本部の人のおすすめなのかな。ホラーのおすすめの棚を見ると、前に来た時は借りられていて見られなかった作品が1本残っていたので手をのばすと、腕をつかまれた。
「それ呪いも霊もなく純粋に人間が怖かったオチで、母親がこのパッケージの子供蹴って勝つよ」
「直球のネタバレだけどおもしろそうだから見る」
「え〜、僕それ見たし。ネトフリにも多分はいってるから。別のにして」
「わがままだなあ。私が選ぶのがいいんだろ?」
「後輩のかわいいお願いでしょ」
「いやさあ、でも浮かばないよ」
そういって掴まれた腕を振り払おうとするが、五条は離す気はなく、ぶんぶんと振り子のように揺らしてくる。
「なまえさ、学生の頃に私物の本とかDVD、談話室に置いてたでしょ。あれ、高専入ってすぐのなまえの名前しか知らなかった頃、僕、勝手に借りてたんだよね」
「ああ。借りて1年知らぬ存ぜぬで借りパクしてたあの」
「もう時効だから。それで借りるもの全部よかったから、なまえのこと全然知らないけど、なまえのセンスを信頼してたんだよね。だから久しぶりになまえ先輩が選んだDVDが見たい」
「………………くそー、受付にあるポテチおごってやろう」
「コーラもいい?」
「いいよ。でもあの品って私がかたっぱしから見て面白いと思ったもの置いてたから、今日はまだ選別の段階なわけでさ、つまんないのひくかもよ」
「いいさ。生徒の誰かに進められる1本になるかもしれない」
とりあえず、前にみて面白かった監督が作ったのを何本か当たろうかと思ったとき、スマホが震えた。画面に表示されたのは、歌姫先輩。五条に監督の名前をふたりほど伝える。
「ちょい電話長くなるかも。レジまでしといて」
「ポテチ奢ってくれるんじゃないの」
「帰りにコンビニスイーツ奢っちゃる」
店の外に出て通話ボタンをタップすると、先輩の声はいつもより低くて小さかった。
『近くにあいついる?』
「いませんよ、店の外に出たんで」
ああ、五条を警戒しているのか。歌姫先輩は嫌いだもんな。
『硝子から連絡あったよ。来月そっちいくから女子会と洒落込みましょう』
「お〜〜嬉しいお誘いありがとうございます。でもやけに予定早いですね」
『埋めとかないと、なまえの休みアイツが横取りするでしょ』
「はは、そーか……いやそうですね……」
『挙句、来るとか言ったらウザいから絶対秘密ね』
「あー……それは無理だと……五条に休みバレるんですよね。私、一応高専の職員なんで有給情報、全員共有してるんですよ。それに黙ってたら黙ってたでヤバいくらい追求してくるんで、さっさとバラして穏便に女子会開きましょう」
『マジ?怖すぎでしょアイツ。昔からなまえにべったりすぎない?』
「付き合い長くて遊んでくれるやつが私くらいしかいないせいでしょう。じゃ、硝子ちゃんと美味しい店探しときます。なにかリクエストあります?」
『んー……お酒が美味しいところ。あと肉』
「了解です。肉バルとかあたっときます。あ、ウチ泊まっていきます?」
『任務次第かな。また連絡する』
じゃあ、と通話をきると、背後から長い腕が出てきてのしかかられる。
「電話、誰?」
「重い……歌姫先輩」
「へー。仲いいよね。僕も仲いいけど」
「はいはい」
ぷらぷらとぶら下げているビニールをみると、やけにビニールが茶色い。五条の手から奪い取って中身を確認すると、見るだけで胸焼けしそうだった。
「スニッカーズ10、コーラ3、ポテチ1!?」
「あとローソンで限定のロールケーキ出てるから、それ買って」
「最強って糖尿に勝てるの?」
少し五条の顔が引きつったが、私の肩に肘をおいて、大丈夫だもん。頭使うから。と言う。ほぼ2メートルのカワイコぶりっ子。似合わないを通り越してむしろ爽快感さえある。ひらりと五条のポケットからレシートが落ちたので拾うと、レンタルDVDのレシートだった。3枚と言ったのに、6枚も借りていた。完徹決定。

2019.07.01
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