「なまえはなんで呪術師になったの?」

朝6時に私をモーニングコールで起こし、6時55分に校庭集合と言った五条さんは昨日夜ふかししたとは思えない元気さだった。さすが最強呪術師。あくびを噛み殺して任務着に着替えて校庭に向かうと、すでに五条さんは来ていて、朝の挨拶に添えられたその質問に少し困ってしまった。
「学長からスカウトしてもらったからですけど」
「それはそれ。学長ならリスクの話ももちろんしてるでしょ。今まで見えてたとしても、突然こんな世界に飛び込もうとは普通は思わないからさ」
確かにリスクの話はされた。墓に入れるものがない最期かもしれない。無理強いはしないと念をおされたのを思い出す。
「……昔、呪われたことがあって。それに呪われて死んだ人も見たことあるんです。だから抵抗がなかったのかもしれません。呪霊から人を助けられるなら、そっちの道に行こうと思って」
「シンプルな動機だね」
「動機として弱いですかね」
「いや、いいと思うよ。悔いのない選択になるよう僕も協力する」
「ありがとうございます。ところで、五条さんのポケットから変なオーラが漏れてるんですけど、何入れてるんですか?」

出会ったときからずっと彼のポケットにはどす黒い呪いが渦巻いている。全く説明がないから五条先生の術式かと思ったが、そうでもないらしい。
「あとでのお楽しみ。おっ、来た。おーい!悠仁!こっち!」
振り返ると遠くにあった点がすぐに虎杖くんの姿になった。バイク並の速さでは?朝の空気をそのまま人の形に起こしたようで、汗ひとつかいていない。爽やか。
「先生、なまえさん!おはよ!」
「おはよ。朝から悪いね」
「虎杖くんも術式検証を手伝ってくれるんですか?朝からごめんなさい。ありがとうございます」
「いいよ。なまえさんの術式、俺もすげー気になるしね。それより大丈夫?昨日怪我したって聞いたけど」
「大丈夫、元気ですよ。家入さんと七海さんのおかげでもう治ってますから」
「よしよし。じゃ、なまえ。こいつをいつもどおり祓ってみて」
五条さんは虫かごのようなものを取り出し、アイマスクを取った。かごは2つあり、五条さんが片方の蓋を開けると、こちらに向かってゆるキャラのようなモノが飛び出してくる。私の拳よりひとまわり小さい顔をいつもどおり殴ると、簡単に消し飛んだ。乾いた音がして、燃え尽きたように塵になる。
「これなんですか?」
「低級呪霊の蠅頭。いろいろ便利に使えるから高専でストックしてるんだ。次は蠅頭を悠仁にけしかけるから祓ってみて」

2つ目のカゴを五条さんが開くと、個体差があるのか今度はあまり可愛くない蠅頭が虎杖くんに向かって一直線に飛んでいく。さっきと同じように呪力を拳にのせて、蠅頭の背中めがけて拳を振り切った瞬間だった。
拳が蠅頭に接触した途端、大きな破裂音と衝撃が広がった。爆風で視界が霞む。煙の後に見えたのは、驚いて目を丸くして立っている虎杖くんだけで蠅頭の姿はなかった。爆発が起きたのかと思ったが、火の気も火薬臭さもない。さっきと同じ清涼な朝の空気があるだけだ。
「ビビったー……今のがなまえさんの術式?すごいね」
これが術式?五条さんに答えを求めて振り返ると彼は頷くばかりで、今度はポケットから禍々しい呪力を放つ木彫りの小さな人形を取り出して地面に置いた。あの嫌な感じはこれか。
「じゃあ最後、これ殴ってみて」
そういうと五条さんはどこかに電話をかけ始める。
「電話が終わってからがいいですか?」
「いや大丈夫。軽くよろしく。怖いもんじゃないからね」
「逆に怖い……」
横たわる人形に恐る恐る拳を突き出すと、止まる。人形に到達する前に、厚みのある見えない何かにぶつかった。まるで人形の前に、水を含んだ動く砂があるような得体の知れない感覚に身体中に悪寒が走る。そして何かに掴まれてずるりと引きずり込まれそうなプレッシャーが下腹を襲う。
昨日の1級呪霊に会った時と同じだ。押し切ろうとするが人形までの残り20センチが果てしなく遠い。ぶわりと汗が吹き出て、拳が人形に接触した時には、額から流れた汗が頬を伝って校庭に染みを作っていた。
「どうだった?」
「拳が振り抜けない何かがありました。でもわかります。祓えた。これについてる何かは祓いました」
「上出来」
五条さんは電話の向こうに、了解と返事をして通話を切った。
「おめでとう。みょうじ準2級術師、誕生だ」

▼ ▼

「なまえの術式を説明するにあたり、まずわかりやすくするために術式ができることを2つに分けるよ。まず1つは、他者に危害を加える・加えようとしている対象へ、なまえの攻撃力が著しく上昇する能力」

場所を木陰に移し、私は虎杖くんにジュースを奢り、五条さんは私にジュースを奢って、五条さんはミックスジュースを自分用に買った。野薔薇ちゃんが間違って買って、甘すぎて悲鳴を上げていたやつだ。
「他者ってことは、私に攻撃をしてきた敵を殴っても攻撃力は上がらないってことですか」
「うん。最初の蠅頭を祓ってもらったのがその確認。悠仁に向かって行った蠅頭を祓った時は、最初とは比べ物にならない威力が生まれた。昨日の七海との任務で1級を倒せたのはその術式のおかげだね」
「あの時は私、呪霊を殴ってないのですが」
「それがもうひとつの方。その検証に使ったのがこれね」
五条さんはもう呪力を感じない木彫りの人形を地面から拾い上げた。
「コレでとある呪詛師が呪いをかけててね。さっきの電話の向こうには、その呪いで寝たきりになった被害者がいたんだけど、なまえに人形を殴ってもらったら呪いが祓われた。つまりなまえの攻撃は、術師本人だけでなく術師が使っている術式・呪いの媒体・呪具にダメージを与えることで、それに紐づく本人や術式、呪霊にもダメージを与えることができる。これが2つ目」
「………………も、もう少しわかるようにお願いします」
「もちろん。昨日の1級呪霊は呪詛師が操ってたものだったでしょ。その場合、例えば悠仁が呪詛師を殴ってもダメージが行くのは呪詛師本人だけで、操ってる呪霊にはいかない。だからどっちも倒したいなら、呪詛師と呪霊をそれぞれ叩かないといけない。だけどなまえの術式で呪詛師を殴ると、操ってる呪霊までダメージが行くし、呪霊を殴った場合は呪詛師にもダメージが行く」
「……昨日は呪詛師本人も操る呪霊も、七海さんを襲おうとしていた。かつ、そのタイミングで私が呪詛師本人を殴ったから、運良く2つとも条件クリアできたんですか?」
「そう。そこで注意だけど、能力は独立してる。もし七海を襲ってない状態でなまえが呪詛師を殴ってたら、なまえの素のパワーダメージが両方に行く。その場合は威力がなさすぎて、1級を祓うなんて無理だったよ」
「……運がよかったんですね……」
「でもなまえさんすげえ。さっきの威力かなりデカかったよ。ビビったもん」
「そうかな?そうですかね?」
「んー。強いかどうかは状況によりけりかな。人を攻撃する呪霊を絶対に巣ごと根絶したいっていう、強い意思を感じるなまえらしい術式だし、不足していたパワーが強化される場面があるのは確かだけど、他者がいて初めて成り立つ術式だから。格上とタイマンはやめなよ。術式発動できないから」

シロアリ駆除みたいに言われた上にタイマン弱いのは……変わらないんだ……。七海さんから自立したばっかりなのにカッコつかなさすぎる。
がしゃん、と隣から音がして、視線をやるとおずおずと虎杖くんがコーラを買って差し出して来た。優しい。いや、そんな目に見えてヘコんだ顔してたのか……。
「ツーマンセルならめちゃくちゃいいじゃん。なまえさんと早く任務で組みたいな」
「虎杖くん……優しい……泣きそう……」
「いやいやへこまないでよ。タイマンに限定すると、だよ。呪いを込めた物や場所に人をひっかけて、自分は身を隠して呪いを発動するせこい呪詛師はたくさんいる。物や場所を殴るだけで、紐づく呪いも呪詛師本体も距離を無視してダメージが行くんだから、この情報だけで呪詛師の何割が震えるか。じゃ、なまえにピッタリの任務とっておいたから、今からいってらっしゃい。自分の術式の強みを確認しておいで。タイマン激弱は帰ってきてからの課題ね」
はい、と渡されたのは九州に向かう飛行機のチケットだった。

▼ ▼

羽田から飛行機で約2時間。遠いと思っていた九州は意外と近かった。初めての九州が日帰りになるのはとても悲しいけども。タクシーに乗り込んで目的地を伝えると、運転手さんは長距離運転にも関わらず笑顔で対応してくれた。
「今日はそこで花火大会があるらしかよ、お客さんもそれ?」
「いえ、仕事なんですよ」
「あんな、なんもなか所で仕事なんて気のどっかね。せめて花火くらいは見ていかんば。海にばぁーってあがるけん、きれかよ」
「いつもしてるんですか?」
「いや、今日だけ。あとこの辺は刺し身も寿司もうまかし……」
日帰りの残念さが風を切って加速していく。

空港から2時間の目的地で降りると、現場の山には舗装されたウォーキングコースが設けられていた。たしかにこれなら目的ポイントまではすぐたどりつけそうだ。
先日、遠足でこの山に登った小学生十数人が原因不明の高熱で倒れ、病院に搬送された。偶然病院に勤めていた“窓”が発見・報告。追って行われた調査で、山中にあった呪物に触ったことが原因だと結果が出た。よって呪物の破壊、または回収。子供達を呪っている呪霊もしくは呪詛師祓除任務が上がってきた。
ただ、私の術式なら呪物の破壊のみで済むでしょうという伊地知さんのありがたい任務解説メールに「任務に入ります」と返信するとすぐに着信が来た。
『お疲れ様です。任務時間の予定は入山から下山で3時間と考えていますが、長引く場合は連絡してください』
「了解しました。こっちに他の呪術師さんいないんですね」
『……と、いうと?』
「誰か現地にいるのかなと思ってたんで。私、準2級なんですけど単独任務でいいんですか」
『え?今回は『あ、なまえ?任務頑張ってね。空港でお土産買ってきて』
突然の五条さんの乱入。そして通話は切れた。

指定されたスポットは小学生の足で少しキツいくらいの沢登りコースの途中だ。距離があるので時間はかかるが、難なく登れた。
問題の呪物が確認されたポイントは、深い滝壺の横を走る崖を登り、右に逸れた平らな岩場にあった。
このコースで1番の難所の崖を上がって、疲れた子供達が思わず腰を下ろしたくなるような平らな岩場に作られた小さなお堂。その中に人の頭を模した石があった。呪力を纏っているが、朝の人形よりは低級。ここを通る子供たちの動きを予想して、興味を示して触りそうなポイントに置いている。最低で腹が立つやり方だ。
石に向けて思いっきり拳を振るうと、蠅頭と同じく内部からの破壊を伴って炸裂し、石は粉になった。ビフォー・アフター写真を撮って伊地知さんに送ると20分ほどして着信が響く。

『お疲れ様です。先程、子供達についてた呪いが消え、全員熱が下がったと連絡がありました。任務完了です。お疲れ様でした』
「了解です!よかった!じゃあ予定通り帰りますね。ところでさっきの電話大丈夫ですか?五条さんに横取りされてましたけど」
『……大丈夫ですよ。あと、石が入っていたというスペースも念のため破壊しておいてください。帰りもお気をつけて』
気が抜けて、大きなため息が出た。確かに五条さんの言う通りタイマンでは役に立たないが、誰かを助けるために祓うということにおいて、この術式はとてもいい。やっと今それを実感した。殴ったときに自分の呪力が拡散して行く感覚、遠方にいた大元を倒したのをじんわりと感じた。
時間は18時半。飛行機まで時間はあるが暗くなってきたので早めに下山しよう。そう思って伊地知さんから指示された通りお堂を殴った。お堂が壊れ、岩場にヒビが入り、泥と草の匂いが舞い上がり、体が思いっきり滝壺に向かって投げ出される。
地形の殴ってはいけない所を殴った。そう理解したのは、滝壺への着水と同時だった。

落水地点が良かったのか、滝壺の深くまではのまれず抜け出したが底が深い。口から派手な音を立てて泡が漏れていく。もがいて、なんとか水面に顔が出たが長くこの体勢は続かない。なぜなら泳ぐのが苦手だからだ。焦りで水中なのに体が冷たくなる感覚がした。辺りを見回すが、周りは絶壁。息継ぎに失敗して口の中にごぽりと大量の水が入ってくる。体を水面に留めることができず、肺からまた大きな泡が出ていった。もがき続けていると視界が霞む中で後頭部がふっと軽くなり、苦しいのが楽になってきた。やばい、溺死1歩手前だ。力を振り絞って右手をかくと、急に自分の意思とは違って真っ直ぐに突っ張った。筋肉がつった?いや違う。誰かに手をひっぱり上げられている。
こんな山奥に誰が?登山の人が助けてくれた?違う。今日は入山規制を敷いたはず。ならさっき祓った呪いの関係者とかか?分からない。今できるのは、何が来ても良いように呪力を練っておくことだけだ。
どんどん浮上し、一気に水面に引き上げられる。はっきりした視界の中にいたのは、呪詛師や一般人ではなく、私の右手を掴んで隣を泳ぐ、眼鏡を外した七海さんの姿だった。
「……がぁっ……みさん!?」
口から水が出て、発音がうまくできない。でも苦しさより驚きが勝った。
「話すのは後にして水を吐いてください。あと暴れないで。このまま岸に連れていきます」
「なん、なんで、ななみっさっ、ここに!?」
鼻と口から水が次々出てきて、とてつもなく粘膜が痛いので言われた通り吐き出すことに専念する。捕まって、と促してくる七海さんの背中に手を回した。広い。あたたかい。心音がする。溺死しかけた緊張が一気にほどけるのを感じた。

2019-09-15
2023-07-30加筆修正
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