目が覚めると部屋は寝る前と同じように明るく、ベッドサイドには私のスマホと1枚のメモが置いてあった。
『今晩は安静にしておくこと。なにかあれば下記に電話。トイレは出て右』
最後に家入とサインがあり、ボールペンで走り書きされている綺麗な文字が並ぶ。
スマホに電話番号を登録しただけで体がとてもだるい。ビルに行ったのがちょうど正午ごろ、ここに運び込まれたのは15時くらいで……今は夜中の1時。最低でも8時間は寝ているのに、貧血のせいか体が重くて眠くて仕方ない。もうひと眠りするためにスマホを手放そうとした時、液晶に五条さんの名前が突然表示される。呪いがみえても夜の突然の着信は怖い。

『あ、起こした?』
昼と同じ声のトーンで五条さんは話しかけてくる。この人バリバリの夜型なんだろうか。
「いえ、ちょうど起きたところです」
『そう?よかった。今日の任務の結果が出たから連絡したんだ。なまえが祓った呪霊の出所知りたいでしょ』
「……七海さんが祓ったんじゃ?」
『七海じゃないよ。現に今のなまえは運動量のわりに異常に疲れてる。それはなまえが術式を使って呪力消費して呪いを祓ったってこと。やっと術式が出せたね、おめでとう。今回の件で術式内容に検討がついたから、元気になったら改めて調べて独り立ちだ』
たしかにあの祓い方は七海さんっぽくなかったが、まさか私の術式だったとは。でもあの時、私は呪霊に触っていないのに……?

術式への謎を残したまま冗談交じりに五条さんから語られた任務の結果は、なんとも嫌な話だった。
現場カフェの控え室で捕まっていた店員さんは1年ほどストーカーをされており、その犯人は私が殴った男だった。
男の家系はもともと呪術師の血筋だったが、どこかで途絶えて、呪具や呪術関係の書物だけが実家の倉庫に残っていたらしい。男はそれを読み解き、呪霊を従え、女性を拉致監禁しようと店を訪れたものの呪霊操作に失敗し暴走。本人もろともあのカフェに閉じ込められた。

『素人のくせに1級従えるなんて無駄に筋がいいなと思って実家見に行ったら、生贄に両親使っててさ。リスク考えずにやるからイかれた素人は怖いね』
「店員さんは無事ですか?」
『さあ?僕は実家に行く所しか立ち会ってないから。今回の件は七海持ちで、その辺りの情報来るのは明日以降なんだよね。さっき解散したばっかりだし、七海に電話してみなよ。まだ起きてるよ』
「え!?今の今まで仕事してたんですか!?」
『あ、ハーゲンダッツが1番おいしいタイミングになる!以上説明でした。じゃ、おやすみ!』
電話切られた。ハーゲンダッツのおいしいタイミングを優先されて切られた。七海さん、今まで仕事をしていたんだ。電話をかけてみようかな……。いや労働時間、超過してる……。明日にしよう。

廊下は薄暗く、フットライトが等間隔に並んでいて不気味だ。お手洗いで用を済ませて出てくると廊下は先ほどと同じだったが、1つ違うことがあった。私が寝ていた部屋の前に七海さんが立っていた。
「七海さん!」
「怪我は大丈夫ですか」
シャツの腕をまくり、眼鏡を外し、見たことない黒いバッグを持っていた。大きさからして中身は多分鉈だろう。元証券会社勤めの耐性か、こんな夜中まで働いていたことを全く感じさせない背筋と顔つきだ。
「お疲れ様です。上着すみませんでした」
「気にしないでください、ただの消耗品ですから。今回の任務の経緯を五条さんが説明すると言っていましたが、連絡はありましたか?」
「さっきありました。あの、全く力になれなくて……すみませんでした」
「それは間違いです。貴女がいたから店員の女性は無傷で家に帰れた。あの控室には、無理心中を図ろうとしていた形跡がありました。私1人なら控室に行くのが遅れて、間にあわなかった可能性が大いにあります。貴女の行動は今回確実に人を救っている。謝られることではありません」
店員さん無事だったんだ。心底ホッとして緊張の糸が切れ、さらに疲労が押し寄せて来たが心はとても清々しい。よかった。本当によかった。
「ところでみょうじさん。あの呪詛師が私を刺そうと向かって来たとき、貴女は男を倒そうとしましたね。それはなぜですか」
突然の質問に緩みきった気持ちが引き締まる。なんでって。そんなの。

「七海さんが刺されたら大変だからですよ……」
「大変とは?」
「怪我ですよ、大変じゃないですか。いくら家入さんがいても……」
そんなの、誰かが車の前に飛び出しそうになったら思わず手を伸ばすような、そんな説明不要な行動と同じだ。顔を見上げると、さっきまでなだらかだった七海さんの眉間にぎゅっと皺が刻まれた。
「呪術師なら、自分のレベルでは現場の対処ができないので1級術師の命を優先した。そういう答えを出せなければ、この世界でやっていけません」

私から視線をそらすと、七海さんは抑揚のない声で続けた。
「貴女は呪術師を辞めるべきです。理由は2つ。アスリートの運動能力は10代半ばから急激に上がり、成長ピークは20代前半です。育て上げられた筋肉と体を動かす能力、これらが合わさった20代半ばから後半は充実期。そしてこれは私達にもいえる話です。貴女は近接戦闘型なのにフィジカルが足りない。年齢的に伸びる見込みもない。更に呪術師に必要なイカれ具合も足りていない。これが特に問題です。貴女はマトモな人間の感覚だ。その感覚が貴女を殺す」
反論できない事実が淡々と積み上がる。いつも私の反応を見ながら指導をしてくれた彼の雰囲気と全く違う。本気でそう思っているのだ、と否が応でもわかった。
「私ごと呪霊を殺せと言われたとき、貴女にはできますか」
そんなことできる人間、いるんだろうか。
ここで思考が止まってしまう。七海さんの言う通り、私が普通の人間であることを裏付けた。
「できません。したくないし、できないと思います」
弱いっていうのは情けない。状況を選べない。この回答は七海さんの言うフィジカルもメンタルも無い、弱い自分の再証明でしかない。弱い自分が私を殺し、弱い私が七海さんも殺す。今回の任務は、きっと七海さんにとって私への指導を打ち切るトリガーだったのだろう。ずっと私を見てきて、やっと言うタイミングが来たのだ。痛い目にあって、もう分かっただろう、と。
「強くなって、七海さんを殺さず呪霊だけを倒す。それができるようになったら、また任務で組んでください。私の術式が判明したそうなので、次から独り立ちできるらしいんですよ」
もし元の生活に戻っても、誰かが呪われていたら私はまた祓う道を選ぶ。ならやはり、ここにいた方がいい。七海さんにとって今回の任務が指導をやめるトリガーである一方、私にとっては絶対に呪術師をやめないというトリガーだった。私が助けた人がいる。ここにいれば、これからも誰かを助けられるはずだから。
足元がふらつく。アドレナリンが押し返していた疲労と眠気が押し寄せる。しっかりして立ち去らないと。最後に倒れるなんて台無しだ。七海さんのアドバイス、辞めろ以外ならなんでも聞くのに。

挨拶をして部屋に戻ろうとすると、肩を掴まれた。ぐるりと視界が反転して七海さんと向き合わされる。身長差が縮まって顔が近づき、さっきそらされた視線が合う。
「貴女が今日経験したのはマシな部類です。いくら強くなっても、私達は運や状況次第で簡単に死にます。それに呪霊だけでなく、仲間を殺すことも強要される。ここはそういう世界です。こんな所に貴女にいてほしくない」
ドアの隙間から漏れ出る光が七海さんの顔を照らした。
「それ虎杖くんにも言いました?」
「言っていません。貴女と虎杖君は違う」
そんな辛そうな顔をしないでほしい。優しいんだよな七海さんは。仕方のない弱さしか指摘しないし、今の任務着じゃ寒くなるから上着の用意を気にしてくれたり、怪我した時は歩幅合わせてくれたり、体調をいつも気遣ってくれて、打撲や切り傷なんて小さいものまで見ててくれた。指導はいつも丁寧だった。
七海さんの手を握り、肩から外す。手の大きさも、大鉈を握り続けた皮の厚さも全然違う。それなのにこんな私が簡単に外せるくらいの力で肩を掴んでた。こういう所もだ。
七海さんの手を避けて、部屋の中に入る。
虎杖くんは強いけど、メンタルのイカれは彼にはあったのだろうか。とても優しい子なのに、殺せと言われたらできるのだろうか。2人に追いつくのは遠い道だ。
七海さんが去る足音が聞こえた。

2019-09-04
2023-07-30加筆修正
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