※怪我・出血多め










【報告書】
●被災者
二級呪術師 七海 なまえ(旧姓:みょうじ)
※同姓術師が在籍しているため、記録上旧姓で記載

●発生日時
2018年10月24日

●発生場所
東京都立呪術高等専門学校
第3棟 1階 多目的室3

●被災内容
両手の切断、口腔・眼球への裂傷

●診療を受けた医療機関・呪術師
家入硝子医師

●被災状況
2018年10月24日11時頃、通常の手続きを踏んで、同月18日に愛知県で回収された「赤い木像」(資料No.2105を参照)に対し、術式を発動した際に被災しました。みょうじ呪術師は被災時にまず両眼に裂傷を受け、状況を一切視認できていません。

目撃した猪野呪術師によると、みょうじ呪術師は両眼に裂傷を受けた後、吐血をし、最後に手首から下が切断されました。
攻撃の際に式神等の術式や呪霊は視認されておらず、猪野呪術師が自らの術式により「赤い木像」を破壊し、状況は終了しました。
猪野呪術師の所感より「赤い木像」を介した呪詛返しと考えられます。

●備考
同日に七海呪術師・猪野呪術師が、「赤い木像」の発見場所へ調査に派遣されました。








「ペン、落としましたよ」

七海サンは転がったボールペンを拾うと、うずくまる男の前にしゃがみこんだ。
男は小刻みに震えていて、その度に漏らした臭いが上がる。地下だから空気の流れは無いし、打ちっぱなしのコンクリートの床も水気をどっかにやってくれないので気分が悪い。
ーーいや、なまえちゃんがあんな目にあった時からずっと気分はクソみたいに悪いんだけど。

「ふぃまへん……ふふひて」
「依頼人の名前は?」
「ふぃまへん……」

轟音が響いて、男の悲鳴は巻き込まれて消えた。七海サンの拳が男の足首に炸裂し、水風船が破れたみたいな血しぶきが床に広がった。コンクリの床にはトラックが減速無しでぶつかったようなへこみができて、粉塵が舞い上がる。

「次は左足首ですよ」

男の体は海老みたいに丸まって、引きつけを起こしたように泡を吹いた。ひいひいとしゃくりあげる声が続いたが、しゃがみこんだ七海サンと目が合うと、言葉にならない声を出しながら、コンクリの粉だらけになったボールペンを握った。やっとその気になったらしい。男は床に置かれた手帳に一心不乱に情報を書き出した。
肉が焼ける臭いがする。恐らくこの男と、男になまえちゃん攻撃するように依頼したヤツとの縛りを破った災いだろう。だけど男はそんなの目に入ってないように、名前の次は特徴、依頼の経緯、依頼日……七海サンに言われたことを素直に書き続けた。
外で待ってくれてる補助監督に「後部座席とトランクにビニールシート貼っといてください」とメッセージを送った。ガラスは……スモークだったよな。……なまえちゃん。大丈夫かなぁ。

▼ ▼

今日は朝から俺最高チョイスの結婚祝いを買って、なまえちゃんが仕事する部屋に届けた。

「え、ありがとうございます!今開けていいですか?あ、でも七海さんと開けた方がいいですね!なんだろな〜、なんかイイものの重さがするな?」

なまえちゃんはめちゃくちゃ喜んでくれて、俺も嬉しかった。任務帰りで結構疲れてたけど、プレゼントを人にやるのは気分がいいし、しかもそれが尊敬する七海サンと、可愛がってたなまえちゃんの結婚祝いってのは最高に気分がよかった。だからまさか、今日が最高と最悪の気分を感じる日だとは、あの時は思ってなかった。

「今から仕事?見学しててもいい?」
「いいですよ。でもすぐに終わりそうですけど」

部屋の真ん中には結界札で巻かれた木像があった。
私の術式を発動すると、あれを使って誰かを呪った呪詛師に攻撃できるんですよ。
軽くなまえちゃんは説明したが、その術式は珍しく、超強力だった。索敵、追尾、それから攻撃。呪術師になって半年も経ってないなまえちゃんが、なんで急に2級まであげられたかやっと解った。便利で強力、いい術式だと俺は褒めたと思う。

俺は部屋の隅っこで、ソファに座って彼女を見ていた。なまえちゃんは部屋の真ん中に行き、木像を覆う札を破いて、そして術式を発動した。呪力が一気に木像に流れ込み、目をつぶって眉を潜め、じっと呪詛師を探っているようだった。そして5分ほどして目を開き、ね、簡単でしょ。という風になまえちゃんは笑った。
その途端、両目からどろりと血が流れた。
次に吐血して、木像を握っていた両手は手首から先が切り落とされた。ガシャンとデカい音がした。駆け出した俺の手が、結婚祝いにあたって床に落ちて割れた音だった。

俺はなまえちゃんの手と一緒に落ちた木像を破壊し、吐血する彼女の口ん中に指を突っ込んだ。舌は切断されてない。出血はそこまで多くない。けど血が喉につかえたのか、なまえちゃんは苦しそうに血を吐いていた。タオルを噛ませて、彼女を抱いて家入サンの所へ走った。
非術師の医者では治せないくらいに傷口が術で破壊されている。なのに血がすでに固まろうとしていた。
呪詛返しか。呪詛返しでこんくらい手の込んだやり方をするなら、なまえちゃんを殺すことはワケないだろう。攻撃された場所、傷口の破壊。命は取らないけど、動けない程度に肉体と精神を痛めつけたって感じだった。
家入サンの所につれて行くと、いつも気だるそうなあの人は軽く目を見開き、処置が終わるまで七海サンでも入れるなと外にだされた。七海サンに速攻電話したら、すぐに行きますとだけ言われて切られた。それから事件報告に事務室に走った。

七海サンに会えたのは昼過ぎだった。
なまえさんの部屋にいます、というメッセージは俺が連絡して1時間後に入っていたが、気づくのが遅れた。天元様の結界下でなにが起きたか、何人にも説明しなくちゃならなくて、スマホを見るタイミングがなかった。
なまえちゃんの部屋に行くと、七海サンは部屋の真ん中に立って、血まみれの床を見ていた。調査のため俺が破壊した木像も、切られたなまえちゃんの手も、全部回収されたあとだったけど、血だけは床にこびりついていた。

「お疲れ様です。先ほど家入さんから連絡が来て、みょうじさんの怪我は2、3日で完治するそうです」
「マジすか?!よかった!」
「猪野君の対応が早かったおかげです。ありがとうございました。私は今から上に要請して、その木像が見つかった場所に調査へ向かいます。みょうじさんも、その辺りにいる何かを攻撃したと言っていたので。猪野君も同行してくれませんか」
「勿論行きます!あ、なまえちゃんに会えたんスね」
「いえ。家入さん経由です。みょうじさんは今まともに話せないので」

俺はその時、正直言って2人はそんなに仲良くないのかと疑い初めていた。
なまえちゃんがやられたのに、七海サンの表情は全く変わりなかった。いつもどおりスマートに事務室で出張関係の手続きをすませ、上着を羽織り、ホルスターの位置を正した。その動きや話し方は本当にいつもどおりだった。むしろ俺の方が呪詛師にムカついていて、現場へ向かう新幹線で状況説明をしながら、ついデカくなった声を注意されたくらいだ。
俺はそもそも2人が結婚した経緯を知らなかったし、結婚はあまりにも急だった。2人の相性はバツグンに見えたから、お互い好きあってのモンだと思ってたけど。違ぇのかなって、新幹線でも、名古屋について現地で合流した補助監督の運転する車の中でも、七海サンの顔色をうかがっていた。でもその考えは浅かったと後でわかる。

現地の窓が午前中にちょうどデカい呪力放出を目撃したのと、なまえちゃんの索敵精度はかなり高く、呪詛師のいる建物はすぐに見つかった。
「この地下ッスかね」
「ですね」
補助監督には地上で待機してもらって、俺と七海サンだけで地下に続く階段を降りた。建物自体は普通の一般ビルで、元はクラブが入っていただけあって、打ちっぱなしのコンクリの壁は分厚く、中の様子は外から探れなかった。空き店舗募集中の張り紙は新しく、最近までやってたんだろう。
階段を降りた先の重たそうなドアには勿論鍵がかかっていて、七海サンが静かにひっぱると、ガチャンと鍵が噛み合った。ドアの分厚さからこじ開けんのは難しそうだし、もし中に呪詛師がいたらガチャガチャやってる間に逃げられる。
「所有者に連絡してもらうよう頼みます」
補助監督に、さっき見たポスターに書かれていた管理会社の連絡先を送ろうと、スマホに視線を落としたときだった。

ドォンと派手な音と遅れてきた衝撃に体がビクついてスマホが落ちた。スチール製の分厚いドアが、ひしゃげて部屋の中に向かってゆっくりと倒れていった。ドアの装飾に使われていた大理石、ドア横のコンクリも巻き込まれて七海サンの拳によって破壊されていた。
七海サンは足元に残った瓦礫を乗り越え、躊躇なく真っ暗な室内に入っていく。俺が呼んでも、返事は無かった。
そこで俺はやっと理解した。
とっくの昔にブチギレていたのを、ここまで来るために押さえてただけなんだって。感情が振り切りすぎて、逆に冷静になる。そんな感じ。
遅れて部屋に入って、七海サンの後を追うと、途中から血のついた足跡が4つ奥に向かっていて、壊れた家具など交戦の形跡があった。
たどり着いた部屋の奥には、血だらけの変形した口元を押さえてのたうつ呪詛師と、額にさっきまではなかった青筋を張らした七海サンがいた。

「話す必要はありません。ペンと手帳を貸しますから、書いてください」

拳にべっとり血をつけて、七海サンは静かにそう言った。

2020-03-31
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