プロポーズの返事をもらってから、すぐに両親への挨拶兼食事会の日程を決めた。
彼女のご両親は彼女と似た雰囲気で、とても朗らかで話は全く滞りなく進み、了承を得た足で婚姻届を出した。
式をするかはまだ未定で、挙げるにしても身内だけの小さなもので良いという意見は一致し、繁忙期が落ち着いてからもう1度考えることにした。

この流れがたった4日で終わるとは、全く思っていなかった。
単純に自分はみょうじさんの両親に、気に入られないと思っていたのだ。社会人としてのマナーは弁えているが、愛想がいい顔つきではない。よく受け取ってもらえて真面目。大半の人間には、面白みがない・堅物・付き合いにくそうと評価されて来た。短かった会社員生活では有利に働くことはあったが、こういう場では不利だ。言葉を尽くすしかない。そう思ってご両親に会った途端、泣かれた。
私の姿を見るまで、みょうじさんが詐欺にあっているか、この食事会自体が詐欺だと思っていたらしい。
「私、呪いが見えるようになってから、人付き合いを避けるようになったんで……両親も突然こんな話でびっくりしたんでしょうね」
帰りの新幹線を待つ間に入った蕎麦屋で、彼女はそう呟いた。

結婚は彼女を前線に出さないための手段と、自分の中で割り切っていた。
だから望んだ結果が得られても、一般の結婚とはほど遠い形となるだろう。同居もしないし、彼女に愛した男性ができれば手放す。それでいい。生きて無事でさえいれば。そう思っていた。
しかし倍返しのような言葉をもらい、彼女の生まれ育った土地に足を運び、ご両親から頭を下げられると、自分の中になかった考えが徐々に形を持ち始める。同じ家に帰り、同じベッドで眠る生活。彼女が側にいる毎日。
呪いか金しか隣になかった人生を、これから彼女と一緒に生きて行く。1度捨てた彼女への感情が、日が経つにつれて戻り、プロポーズした時以上に膨れ上がっている。
「とりあえず、次は住居を整えましょうか」
「そうですねぇ」
新幹線の中、私の二の腕に頭を預けて眠る彼女の目に入りそうな前髪を払ってやり、自分の上着をかけながら考えた。



「お〜い、人妻〜!!」
「磯野〜!のノリでやめてください!その呼び方!強いて言うなら七海なまえ」
自販機の側でコーヒーを飲んでいると、出張帰りの五条さんが柱の影から顔を出す。気配とかわからない素人あがりなので、すぐにびっくりしてしまう。やめてほしい。
「わかりにくいから職場では別姓にしたんでしょ」
「そうです。私は本当は七海なまえ。でもこういう機会がないと誰も言ってくれないので。もう1回言ってもいいですか。七海なまえ。病院にも行きませんしね」
「お、いいね惚気けてて。ところでこの前渡した結婚祝い金、七海から学長経由で返って来たんだけどなんで?」
「ご祝儀袋が立体感持つくらい入れてくるからですよ!多ければいいってものではないです。私の月給越えないでください」
「学長経由で返してくるのがひどいよね」
「七海さんが直で五条さんに返しても受け取らないからでしょう」
「まあね。ところでさ、同居生活はどう?アイツなんかこだわり凄そうだけど」
「……まだ始まってないんですよね」
最後に家に帰ったのは七海さんと実家に帰ってから、東京に戻った日だ。
七海さんとの住居をどこにしようかと2人で考えて、5分で結果が出た。七海さんの家は賃貸マンションで、高専に行くことも考慮して借りているので利便性が高い。しかも、利便性重視で部屋を選んだため、2部屋余っているらしい。ならそちらに住みましょうということで、高専寮に暮らしていて今ほとんど物のない私のアパートの私物を荷造りして、月末解約にし、高専寮に戻って、それから家に帰ってない。
七海さんにとっては住み慣れた部屋、私にとっては新居にはまだ行ってない。

「上の奴らに振り回されたもんねえ」
「五条さんの気持ち、ちょっとわかりましたよ……」
呪物を触るだけで、その先にいる呪霊を祓えるという術式は、今の呪術師界に近い術式を持つ者がいないため、本当に五条さんや夜蛾学長の報告通りのことができるか何度もテストさせられたのだ。
それも京都で。どのくらいのレベルまで祓えるのか、呪物の種類で効果が変わるのか、様々なパターンをテストしたせいで毎日呪力も大量消費し、休み休みやって1週間かかった。
おかげで術式と役割は認められ、東京に戻って、さあ家に帰れるぞと思ったら、今度は全国から呪物を集めるためのネットワークの作成、呪物移送時ルールなど決める会議に出席。高専に常駐の術師として収まることになるので、今まで知らなくてよかったエリアの紹介、交流会の際に亡くなった高専術師の業務一部引継ぎなど、各種業務のため結局まだ寮ぐらしが続いている。
会議に出席し、書類を作りながらわかったのは、たしかに私がいると遠方に人を派遣する任務が減るということだ。先日の交流会の呪詛師の奇襲で、人材難は更に加速中。だからこの仕事を急ぎ軌道に乗せる必要があり、早速届いた呪物を祓っていたら、夜にはまた呪力切れで帰宅できず、家入さんの部屋のベッドで点滴、というのが数日続いた。
「流石に今週末は帰ってやりなよ。新婚なんだから」
「ですよね……運良く最近七海さんも日帰り出張で結構いないんです。毎日電話くれるので寂しくはないですけど」
「電話?マメだな!?おっと授業の時間だ」
じゃあね、困ったら僕にも声かけなよ。そう言って五条さんは細長い箱を私に放ると、大きな紙袋を下げて教室の方に行ってしまった。
開けたらパイ菓子だった。七海さんと一緒に食べよう。飲み終わったコーヒー缶をゴミ箱に投げ入れる。
帰るぞ。今週末は絶対帰るぞ、今はまだグーグルマップでしか見ていない七海さんのマンションの外観が心の支えだ。



明日の朝帰ると七海さんに伝えていたが、金曜の夜にシャワーを浴びて寮に戻ると、帰宅できる体力がまだ残っていた。荷物をまとめて寮を飛び出し、七海さんのマンションに向かうと、グーグルマップで何度も見た外観が確認できないくらい夜遅くなってしまった。
品のいい革のキーホルダーが最初からついて渡された部屋の鍵をとりだす。鍵は滑りよくシリンダーに入ると、軽い力で回った。
中をうかがうと、薄暗い廊下が続いていて、奥の部屋から明かりが漏れている。シューズケースの上には靴べらと、七海さんがいつもしているサングラス、玄関には革靴が2足と、黒いスリッポンがあった。七海さんの家だ。そう理解した瞬間、ここ数週間の疲れが押し寄せた。しかし視線を廊下の奥に戻すと、大鉈の刃先が部屋からチラリと突き出ている。間違えられている。強盗的な何かと。
「な!七海さん!待って!!私です!!みょうじです!」
「……みょうじさん?」
廊下の奥から出てきた七海さんは、髪を下ろして、ダークグレーのスウェットを上下着ていた。スーツ姿しか見たことなかったから、かなり新鮮だ。部屋着。そうだ家でスーツ来てるわけないもんな。うわスウェットでもかっこいい。そんな浮かれた私の考えを見抜くように、七海さんの眉間のシワは増えた。
「こんな時間に帰ってくるなら連絡してください……」
「え……!?あ、すみません……夜分遅くに突然」
「アナタの家だからそこは全く問題ありません。問題なのは1人での帰宅です。この辺りは街灯も少ないので女性には危険です。襲われでもしたらどうするんですか。アナタが一般人より強いのは理解していますが、次からは連絡してください」
「す、すみません……」
「…………いえ。久しぶりに会うのに、こういう話をしてすみません。上がってください、あまり片付いてませんが」
七海さんは手を伸ばして玄関の鍵を施錠すると、そのままの流れで私の手を引いた。
電気のついていた奥の部屋はシンプルな作りだった。茶色の毛足の短いラグが敷いてあり、その上にソファとローテーブル。
向かい合ってテレビが置かれ、横には本棚があったが隙間が多い。テレビの真逆の位置、つまりソファの後ろには大きなベッドがあり、空気清浄機が動いていた。
スーツはハンガーにかけられ窓際に吊るされ、ネクタイがさっき取り出された大鉈のホルダーと一緒にソファでうなだれている。
ローテーブルにはハガキと封書、それからWordが立ち上がったパソコンが置かれていた。報告書を作ってたんだな。
「このくらい隙があったほうが過ごしやすいです。……七海さんはリモコンの位置決めたり、タオルの畳み方に独自ルールがあるタイプじゃないですよね?」
「そんな気が滅入るような神経質な暮らしはしてないので安心してください」
「よかった〜」
「アナタの部屋はこっちです」
通ってきた廊下にあったドアが2つ。玄関に近い方は窓が1つしかないが、部屋が広い。もう片方は狭いがベランダがついている。
「ベランダは共有できた方がいいですよね。洗濯物とか干すでしょう?」
「こっちのキッチンがある部屋にもベランダはあるので気にしなくていいです。あぁ、洗濯機は乾燥機付きなので使ってください。あと、」
「あと?」
「2人の寝室を作りますか?」
理解するのに数秒が要った。身長差があるので七海さんは自然と私をいつも見下ろす形になるのだが、見つめかえすと、ふいっと視線をそらされる。
「……てっきり別寝かと……?」
「そうですね。私も前まではそうするものだと考えていましたが、今はアナタが嫌でなければ作りたいと思っています」
独り言のボリュームで囁いたが、さらりと拾われてしまう。
「……私、誰かと一緒に同じベッドで寝た経験は七海さんしかないんで、一緒に寝てどうなるかわからないんですけど、それでいいなら。ぜひ」
「……私も同じです」
七海さんは前髪をかきあげると、明かりがついている部屋に引き返す。
「じゃあこの前のラブホみたいに大きなベッド買いましょう!ラブホみたいに!」
「ラブホを連呼しないでください」

荷物はここに送っていたのだが、荷ほどきするには遅い時間だ。寝巻きに着替えて部屋に戻ると、七海さんは高専支給のタブレットを操作していた。後ろから覗き込むと、ソファに座るように促される。背もたれに引っかかっているネクタイを巻きながら隣に座ると、タブレットを見せてくれた。
「風呂は高専で入ってきたんですか」
「はい。ん……?なんでわかるんですか?」
「高専が風呂場に置いてるボディソープの匂いがしたので。まだ仕入れ業者が変わらないんですね」
七海さんは溜息をつくと、タブレットに視線を落とす。
「今週は20件も祓ったんですか」
表示されていたのは私のスケジュールだった。てっきり七海さんの任務内容かと思えば私のをみてたのか。
「自分が余裕を持って捌ける量が知りたかったので」
「今日は1級を2体……疲れていたでしょうに」
「うーん……でも早く七海さんに会いたかったので帰ってきました」
七海さんの画面を動かす指が止まって、その指は眉間を押さえた。
「……そういうことを聞きたかったわけではないんですが」
「え?!……え!?七海さん照れてます!?いや今の正答って逆になんだったんです?!」
「……もう寝てください」
顔が少し赤く見えたが、この部屋の照明が少し赤いので違うかもしれない。可及的速やかに照明を自然光にしたい。
七海さんはタブレットを置くと、ベッドの掛け布団の下からタオルケットを引き抜き、掛け布団をめくって、こっちで寝てください。と私を急かすように指差した。
「流石に2人でこのベッドは狭いので。私はソファに行きますから」
「……わかりました……」
確かに2人では狭いだろう。七海さんがソファなのはかなり嫌だが、今日はあの日のように交渉の手札がない。それにソファは七海さんが横になることを想定して買ったのか広くてしっかりしているし。
ベッドに潜り込むと、マットレスは低反発でお金がかかってそうだった。枕に頭をおき、掛け布団をかぶると、ふわっと何かの匂いに包まれる。このいい匂い。前にも嗅いだような……。
「……七海さんでは?」
「はい?」
「この匂い七海さんでは……?」
「何言ってるんですか?」
ソファの背の向こうから、七海さんが起き上がって顔を出す。
「ラブホに泊まることになったとき、私にジャケットを貸してくれたじゃないですか」
「はぁ」
「あの時したいい匂い、洗剤かと思ったんですけど、今も布団からするんですよね。スーツはクリーニング出しますよね。枕カバーをクリーニングに出さないですよね?2つから同じ匂いがするということは、このすごくいい匂いは、七海さんの匂いなのでは?」
「……」
「七海さん自体の匂いなのでは?」
「2度言わなくていいです」
「ちょっとこれに気づいたらここで眠れそうにないので、ソファを代わってもらえませんか……」
私、前からスゴイ七海さん好きじゃん……。え、七海さんどういう気持ちであの時の私の言葉聞いてたの?匂いフェチかよこいつみたいな……?いや七海さんそんな言葉遣いしないしtake2。と思っていたら足音がして、かぶっていた掛け布団を七海さんが剥いだ。
「え!や!洗い立てと交換とかは!いいです!」
「この家に住む以上、どこ行ってもここは私の匂いがするので、さっさと慣れてください」
そっちにずれて、と指示されるままにずれると、七海さんはベッドに入り、後ろから抱きかかえられた。
心臓がやばいやばい。プロポーズしたときと同じくらいバクバクしていたが、七海さんの小さな笑い声がして、あ、この状況楽しんでくれてるんだなと分かると徐々に心音が緩やかになる。息を吸い込むと、たしかに1番濃い匂いがした。
「……普段制汗とかしてました?」
「社会人のマナーですからね」
嫌われたくない人の前では尚更。
七海さんはそう呟いた。そういうこと素でいうから、めちゃくちゃずるいし、たぶん私、好きになったんだろうな。

2019-11-14
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