※夏油くん離反後の呪術師界の動き、七海くんが高専に来た理由などを捏造しています。



『産土神信仰だった。調査ザル過ぎんだろ。……いや、呪詛返しっていうか、その中学生が触った写真に写ってたやつが信仰者だったんだよ。多分中学生の術式が攻撃対象にしたのは産土神じゃなくて、信仰者の方だったんだろうな。で、単純に産土神が信仰者を守るために中学生に攻撃して来て、それが中学生含めお前らにも当たったって感じか?』

じゃ、お土産期待しとけよ〜。
自室に戻ると狙いすましたようにかかってきた五条さんからの電話は、その言葉を最後に切れた。
すでに調査対象は絞られていたとはいえ、現場についたのは2時間ほど前だろう。かなり急ぎで対応してくれたのが分かる。普段は全く信用できない人だが、任務では誰よりも信頼できる人だ。

横になって、少しだけ目を閉じる。彼女の術式が、夏油さんの言う繋いだパイプを相互干渉するものではなくてよかった。もしそうであれば、かなりリスクの高い術式だろう。
そんなことを考えて、腹の底にある薄ら寒い感覚を押し込める。
産土神なんて私達だけなら死んでいた。
呪霊が発見された際の初期調査は、基本的に窓や補助監督だ。階級が上がるにつれ狡猾になる呪霊達は、窓や補助監督相手には隠れてやり過ごす術を知っている。だから低級と判断され、実際に呪術師が現場で当たってみたら遥かに上級だったという差が起こりやすいのが、今回のような1級・準1級だ。
そうやって死人が出ることがある、と聞いてはいた。
それがまさか今日の自分だなんて誰にも分からない。
そして明日、またそれはあるかもしれない。
強くなるしかない。けれど、どれだけ必死にやっても環境があまりにもクソすぎる。

気がついたら朝になっていて、時計は授業時間5分前を指していた。急いで携帯を確認するが、みょうじさんからの着信はなかった。心底ほっとしたが授業には遅刻した。



1日の授業を終えて寮に戻ると、談話室に家入さんと夏油さんがいた。目が合うと家入さんが手招きをする。五条さんがいなければ2人はまともな先輩である。
「七海、なまえちゃん帰ったから」
「そうですか」
「なまえちゃんね〜、七海かっこいいって言ってたよ。可愛い後輩ができたね」
「からかうのはやめてください」
「あと夜蛾先生が言ってたけど、なまえちゃんが入学したら指導役は七海にするって」
「……なぜ私に」
「武器を持たせる予定らしいよ。だからスタイルが似てる七海なんじゃない?」
「指導役なんて向いていません。夏油さんか灰原の方がいいでしょう」
話を聞いていただけの夏油さんに視線を送ると、彼は膝の上で書いていた報告書から顔を上げた。
「七海は自分を過小評価しすぎだよ。伊地知も七海の教え方は上手いと言っていた」
「実になることを的確に伝えてくれるのは七海だよね。夏油は突然計算式はしょるタイプだから」
「それは悟だろ」
「いや?五条はそもそも回答欄に最終的な解しか書かないよ。それで減点されて、解答あってればいいじゃんってキレるタイプ。七海は面倒見いいよ。今日だってずっと心ここにあらずだったって灰原も言ってたし、実際そうでしょ」
女子が増えるの楽しみだな。家入さんはそう言ってファッション雑誌をめくった。

それでいいのか。

「あとね、七海」
あの人は、こんな所へ来ない方がいいのではないか。 

「なまえちゃんにメアド教えといたから」
勝手なことをしないで欲しい。

▼ ▼

その日を境に、彼女からメールが来るようになった。
先日のお礼から始まり、内容は高専についての質問が多いが、たまに雑談も混じる。
送られてくる時間帯は大体19時頃で、2、3日に1回の頻度だ。長くもなく短くもなく、文面の距離感は近くもなく遠くもない。受け取る分には楽なメールだ。けれど、返信をするとなると言葉にすれば1分もかからない内容なのにやけに緊張する。そもそも女子とメールをしたことがない。間違いはないか、きちんと質問に答えられているか、内容を確認して送信ボタンを押す度にため息が出る。
最初は負担に感じたが、今はむしろ助かっている。ずっと任務続きで灰原とさえろくに話ができていない。祓って、寝て、食べての繰り返し。だからメールというただの文字でも、顔を知っていて陰鬱な話題を振ってこない相手からのメッセージには慰められる。
……もうそろそろ繁忙期の山は越えそうだと担任は言っていたが、本当だろうか。


9月になった。
気を紛らわすために賑やかしでつけていたテレビにさえ、手をのばす気力が無くなった。おかげでとうとう曜日も曖昧になり、今が何月何日何曜日かではなく、目の前の任務に取り組んで何日目かで日々の経過を感じている。
昨日と同じように血のついた武器を手入れして、風呂場で汗を流し、携帯の確認をする。みょうじさんからメールが来ていた。
呪いを祓うだけの変わらない日々で、唯一彼女からのメールだけが違う情報だ。

『緑茶とコーラが好きです』

前回のメールで何を聞いたか確認すると、好きな飲み物だった。……何でこんなことを聞いたんだろうか。数日前なのに自分が何を考えていたか分からない。
灰原もコーラが好きだ。五条さんから買いに行かされるのもコーラが多い。コーラ好きが多いな。髪を乾かしている間、あの独特の匂いと甘さを思い出してしまい、部屋を出て自販機に向かった。

景色すべてが薄赤く染まっている。木のざわめきが聞こえて、風が涼しくなり、夕方は汗をかくことが減った。季節が変わる。終わりなんて無いと錯覚しそうな時期の最後が近づいている。風呂上がりの熱を冷ましながら自販機まで来ると、誰かが自販機前のベンチに座っていた。
「お疲れ七海」
「お疲れ様です、夏油さん」
夏油さんも風呂上がりなのか、下された髪が少し濡れていた。奢ろう、と言うと、こちらの返事を聞かずに夏油さんは自販機に200円を投入する。私がコーラのボタンを押すと、珍しいな、と呟いた。
「疲れている時はコーラが良いと灰原が言っていたので」
「別に疲れてなくても灰原は飲んでるだろう?」
「そうですね」
思わず笑いが漏れてしまう。
「……なまえちゃんとメールはしているかい?」
「たまに」
夏油さんがベンチの端に寄ってくれたので腰を降ろす。プルタブを上げると勢いよく炭酸が抜けて、久しぶりに飲むと美味い。本当に久しぶりだ。
「……普通の学生なんです」
こんな味が好きな、普通の女子だ。
「こんな所に来ようとしている彼女の背中を、押していいんでしょうか」
彼女と高専や呪いの話をするたびに、真っ黒な疑問が溜まって行く。
彼女がこの世界に来るのを諦めるような嘘をつくべきなのではないか、と。けして好き好んで来る世界ではない。コーラの缶と触れ合う、鉈の握りすぎで肉刺が何度も潰れた自分の手。あの日触れた、彼女の白い手。何も無いまっさらな手。
「……これは私個人の意見なんだが」
夏油さんは組んでいた足を降ろすと、私の方へ体を向けた。
「見えている時点でもう“普通”の学生じゃない」
夏油さんの声は、大きくないのによく通る。
「苦しみや恐怖を誰にも理解されない非術師だらけの世界で、これからもひとりで暮らすのは辛いよ。七海だってそうだったろう?」
そう問われると、その通りだ。
どうやっても、見えない人間と共有できないものがある。その隔たりを私はもう辛く感じないが、それはここに来て得た経験や知識のおかげだ。
「産土神の件があった後だ、解るよ。七海がそう感じるのも無理はない。けれどあの子があのまま非術師の世界で暮らしていけば、負わなくていい傷を沢山受けるだろう。そこに助けはない。けれどここに来れば、仲間で支え合えるだろう」
夏油さんは最近の疲れのせいか目の下の隈が濃く、頬はこけていた。彼でもこうなるのだから、この夏は本当にキツイのだなと思うとますますうんざりした。滅多に飲まないコーラが、灰原の言う通り体に染みて、脳に糖分とカフェインが行って、頭がはっきりする。
「……ありがとうございます」
「いいさ、また何かあったらいつでも相談してくれ」

そう言っていたのに、夏油さんは失踪した。
任務先で非術師を100人以上も殺して。

▼ ▼

繁忙期が終わっても私達の気持ちは晴れなかった。夏油さんの事件で呪術師界は揺れ、カウンセリングと称した聞き取り調査か、その逆か分からないものを何度も受けさせられた。
「灰原、術師を続けていけそうか」
自習が増えた座学の時間、隣に座る灰原に問いかける。灰原はプリントに向かう手を止めて、椅子ごと私に向き合った。
「それ、前に夏油さんにも同じことを聞かれたよ」
「……解ってはいましたが、この世界はクソすぎる」
灰原は夏油さんを強く尊敬していることを周囲に知られていたから、調査は私より酷いものだった。
夏油さんが最も接触を謀りそうな五条さんは、夏油さんの考えが全く分からないと言い切っていたし、御三家のトップの五条家の人間に手荒な聞き取りはできない。だから矛先が向かったのは灰原だった。
何も問題のなかった品行方正な特級術師の起こした事件。原因も動機も全く検討がつかないが、これだけ死者が出れば話は呪術師界のみに留まらない。
上層部は明確な責任逃れのために、夏油さんの教育・指導に責任は無かったと、事件の原因を自分達と夏油さんの違いである「非術師家系の出身」が原因と示した。
術師家系の人間には理解できない過激な思想が夏油さんにあると結論づけ、同じく灰原もその影響を受けているのではないかと妄言を吐き、彼への監視の目を厳しくしていた。頭が腐っている。

「夏油さんのことは確かに悲しいし、今も何でこうなったか分からない。でも僕は人を助けたいから術師を続けるよ。七海もだろう?」
「……呪いみたいに言わないでくださいよ」
「呪いじゃないよ。七海は気にしいだからなぁ。七海だって続けて行くんだろ」
私が高専に来たのは、“見えること”と折り合いをつけて生きていく術を学ぶためだ。
呪術師になるとか、この業界でやっていくとか、そこまで考えていなかった。生きていくには、ここで学ぶしか道はなかった。
けれど学ぶ中で、この世界でやっていくしかないと解る。
祓う力があるのに呪いから目をそらし生き続けることは、人を見殺しにしていることと変わらない。眠るために目を閉じる度に、昼に見た呪いが人を襲わなかったかと、頭の隅から離れない生活を生きるか、祓って生きるか。
まるで呪われているようだ。
人を助けたいという気持ちはある。だがそれ以上に私は、夜な夜な襲いかかるその呪いから逃げるために鉈を振るっているのかもしれない。
……まだ分からない。この狂った世界でやっていくことは正しい答えなのか。答えを出したい。なるべく、早く。

「七海。最近もなまえさんにメール返信してる?」
「露骨に話題を変えるな」
「話題変えじゃないよ。夏油さんが前に言ってたんだ。七海がなまえさんの事で悩んでるって」
「返信は、してますよ……」
「だよね」
反射的に出た言葉を灰原は拾うと、軽く頷いた。
「……あの子はさ、あんな目に遭っても来るって言ったんだから必ず来るよ。でも、呪術師にはならないかもしれない。色々学んだら窓や補助監督になるかもしれないし、事務員になるかも。七海がひっぱってあげなよ。止めることはできなくても、誘導はできる。僕も手伝うよ」
……あんなことが起きても、あの日夏油さんが言ったことは正しい。この世界はクソだが、生きる術を学ばなければやってはいけない。
「頼みますよ」
「任せてよ」
灰原にみょうじさんとのメールを見せてくれと頼まれたが、携帯を渡す直前に気恥ずかしくなって断った。
その日みょうじさんから返ってきたメールは、呪霊の等級についての質問だった。いつもより長文になってしまった。

▼ ▼

担任の勧めで今年は早めに実家に帰された。繁忙期に取れていなかった土日祝の休みを、冬休みを長くすることで代替するらしい。
外部の人間からの生徒への干渉をなるべく抑えるために、もっと早くそうしてやりたかったが上層部に邪魔されていた、と担任は申し訳なさそうに語った。
他の生徒達も実家に戻り始め、私も荷造りをして、雪が薄っすら積もる高専から下山する。下では雪は降っていなかったが、東京駅までバスや電車の乗り換えをするのは面倒で、繁忙期で稼いだ金でタクシーに乗った。
駅に着くと、建物を彩る装飾でクリスマスを思い出した。そういえば、今日は12月25日だ。街の中は電飾で光り輝き、少しだけ気分が上向いた。実家に何か買って帰ろうか。人の流れに任せて駅ビルに入ろうとした時だった。

「七海さん?」
急に名前を呼ばれて振り返る。人混みに流されそうに、彼女はそこにいた。
「……みょうじ、さん?」
「やっぱり!お久しぶりです!」
みょうじさんがいた。コートにマフラー、それからブーツ。手には大きな紙袋。記憶にある姿とは180度違うが、笑顔だけは同じだった。
「何故ここに?」
「クリスマスケーキの引き取りに来たんです。毎年頼んでるやつで、私が取りに行く係なんです」
「……そうですか」
「……あ、の。メールいつもありがとうございます。とても助かってます」
「別に……私も、助かっていますし」
「七海さんも買い物ですか?」
「はい。実家に帰るので。何か買って帰ろうかなと」
「私もケーキ以外に何か買って帰りたいんですが、おすすめのお店ありますか?」
「案内しましょうか」
「いいんですか?ありがとうございます!!」
表情が忙しなく変わる。こんな顔をするのかと驚いたが……そうか、あの時は、私が怯えさせてしまったから。
隣に並んでエスカレーターに乗ると、彼女の首から耳にかけて皮膚が赤く焼けているのを見つけた。火傷か炎症か気になって見てしまうと、彼女はそっと私に見えないように体を逸らした。
「すみません。不躾でした」
「大丈夫です。そのうち治るでしょうし」
「火傷ですか?」
「いや、呪霊がかすった時に」
「………………は?」
思い切り低い声が出てしまって、みょうじさんの肩が震える。クソッ……怯えさせた。
「どんな呪霊だったんですか」
「た、た、た。たぶん、七海さんが教えてくれた階級の区分だと、準1級かなぁと」
「それをどうしたんですか」
「私ではどうにもできなかったんで、や、夜蛾先生に連絡しました」
「……次にまたそういうものに遭遇した時は、倒せそうでも逃げて連絡を。夜蛾先生に連絡がつかなければ私に。高専に代わりに報告しますから」
彼女は返事をして、また取り繕うように笑った。さっきの表情とは全く違う。罪悪感のような、何とも言えない気持ちになる。優しく諭すことはできる。けれど、彼女はそれでは効かない印象を感じた。今は勘に過ぎないが、こういうのは当たる。……いい。構わない。慰める役なら家入さんがいる、灰原もいる。厳しくしよう。そうでなければ、きっと彼女は。

「荷物、持ちます」
「いや、重いので大丈夫です!!」
「尚更持ちます」
持った紙袋からは緑色のツリーがはみ出ていた。季節を重みで実感した。
あと3ヶ月もすれば、彼女は高専の学生になるのか。

2020-10-12
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