京都での任務を終えたついでに高専によると、校門に歌姫先輩が立っていた。
会釈して通り過ぎようとすると、オイ、と襟首を掴まれ、そのまま呪術師引退者が経営する居酒屋にひっぱりこまれた。

呪術師引退者が経営するだけに他の客も関係者が多く、巫女服の歌姫先輩や、黒ずくめの私みたいな一般人とは違う服装でも奇異の目を向けられずにすむが、職業柄のニーズに合わせて2人用の個室が用意されているのが今は非常に恐ろしい。
先輩は私をカウンタータイプで横並びに座る個室の奥に押し込むと、机の上の今日のおすすめメニューをちらりと見て、おしぼりを持ってきてくれた店員さんにオーダーをお願いした。
「ビール2つ、マグロのたたき、たこわさ、串盛り、冷奴、きずし、お願いします。アンタは」
「先輩のおすすめで……」
「今お願いしたの2人分でお願いします」
「しゃっしたー!」

店員さんがピシャリと個室のドアを閉めると、入れ替わりですぐにビールとかんたんメニューがやってくる。
ジョッキ、と先輩は言うので持ち上げると、ジョッキ同士がガツンとぶつかる。衝撃が乾杯というよりは肩パンに近い。
「なまえ、アンタ、冥さんのこと避けてるでしょ」
ぐいっと半分までビールを飲み干した先輩は、ぎろりとこちらを睨んだ。
「………」
「コラなんか言え」
「そうです……」
「冥さんから見つけたら話を聞いといてほしいって頼まれたのよ。どうしたの」
声色は優しい。そう先輩は怒ってなんていないのだ。私の罪悪感が歌姫先輩怒ってると錯覚するだけで……先輩もまた冥さんからかわいがってもらって来たので、この2人の繋がりは深い。ぼーっと高専に寄らなければよかった。

「抱かれて……しまったよう……な?」
「は?誰に?」
「冥さんですけど。聞いてないんですか?」
「聞いてないわよ」
神妙な面持ちで先輩はうつむいたが、箸を割ってテキパキとオリーブオイルとアンチョビの乗った冷奴を食べきると、ふうとため息をついた。
「でもなんでそこ疑問形なのよ」
「飲んでて記憶が無いんですよ」
「酒弱くないでしょ?」
「私もその日初めて知ったんですけど、チャンポンしたらダメだったみたいで記憶飛んじゃって。それで目が覚めたら横に冥さん寝てて、覚えてないの?って聞かれるし。忘れてるの申し訳ないし、かといって思いだしたら恥ずかしさで死にそうだし、でもそもそも冥さんの嘘かもしれないと可能性も大いにあって……。できるだけ頭を刺激しないように冥さんを避けててですね……」
「……なるほどね」

先輩はビールを飲み干すと、ちょうど残りの料理を持ってきてくれた店員さんに、ビールのおかわりとワインと焼酎を頼む。
「珍しいですね。先輩がワインなんて」
「いや、アンタにチャンポンさせる用だから。1回確かめたい」
「ええーーー!!!!」
壁と本棚の間に落ちて挟まったファービーのような断末魔が出てしまうが、ほら飲め、いいから飲めとアルハラである。やめて〜、あ〜、出すの早いなこのお店、もう来ちゃったよ。このワイン美味しいー!
こうやって私はチャンポンしたんだなあと白ワインに意外と合うきずしを食べる。それからは冥さんの話はぴたりとなくなって、仕事の話や先輩の生徒の話で盛り上がった。


「頭がうわーっとしてきました」
「確かに呂律回ってないわね」
「まだ意識はあります。10分前くらいに先輩が話してくれた五条さんがウザかった話も覚えてるです。ヤバいっすね。私はちゃんと喋ったことあんまないんすけど。ヤバいっすね。学長にそんなこといえないっすよ」
「アンタがヤバいわよ。キャラ変わってる」
この辺でいいわね。と先輩はつぶやくと残っていた最後の串を食べきる。入店してから2時間が経っていた。
「今日食べるペース早いですね。お腹へってたんですか」
「まあね。お手洗い行ってくるから、ふらふらどっか行っちゃダメよ」
起きて、と頬をさすられてお冷を持たされる。先輩が席を立つのを見送って、空いた皿を適当に端によせながら、お冷を胃に流し込むと少し気分がさっぱりした。
テーブルにつっぷして酔いが完全に覚めるように念じる。アイス食べたいな。シメはアイスがいいな。先輩は梅茶漬けだろうけど。
ドアが開く音がしたけど頭をあげるのがしんどい。頭が重い。眠い。やっぱりアイスが食べたい。
「もうシメますかぁ」



「歌姫にはガードが緩いんだね」
フワフワしていた頭が一気に覚醒する。
顔を上げると、さっきまで歌姫先輩がいたところには冥さんが座っていた。頬杖をつき、白い指で飲み物メニューをなぞると、店員さんを呼ぶボタンを押した。
「大丈夫。歌姫は帰ったから。歌姫に連れてきてもらうまでが私の仕込みだよ」
「……え、あ、……………め?」
「どうした?またチャンポンする?」
「だ、大丈夫です」

冥さんだ。頭が混乱してる。冥さんがここにいることにも驚いているが、彼女が私に会うために歌姫先輩に頼んで、こんなセッティングしたことに驚いている。あと、普通にちょっと忘れたことを怒っている空気がする。
これは被害妄想かもしれないけど、冥さんはほとんど大きな感情を表に出さない人なのに、今日はプレッシャーがすごい。ビシビシ感じる。こっちの角度からは横顔がみつ編みで見えないからとても怖い。

しゃーらっせ!!と空気を叩き壊すかのように店員さんは来てくれたが力及ばず。空いた皿と歌姫先輩のジョッキを下げてもらって、冥さんはウィスキーの水割りを頼むと、店員さんは空気を察したのか、静かに部屋を出ていった。
「歌姫から聞いた。怒っていないから安心していいよ」
「は、はい……」
「少し寂しかったけどね」
「えっ……!!冥さんって寂しいとか思うんですか!?」
「……付き合いは長いけどなまえは私への認識が間違っているところが多々あるね」

シャッス……と小声でそっと入ってきた店員さんは、水割りを置くと出ていった。
「あの……本当に……すみません……思い出せないのが申し訳なくて、でも思い出すのも怖くて…ですね」
「……なまえは私のことが好きだろう?」
「でも私お金もってないし……冥さんに、ああいうことしてもらえる要素がないんですけど」
「私に抱かれる資格がないってことかな」
「やっぱ抱かれたんですか?!」
「ふふ。私がそれについて答えることは無いよ」

冥さんは一口、水割りを飲むと、ふむ……と顎に手を当てた。やはり顔が見えなくて落ち着かない。歌姫先輩が私を奥に押し込んだのは、逃さないためだろうがこのためでもあったのかもしれない。
「“貨幣蓄蔵者は黄金呪物のために自分の欲情を犠牲にする”とマルクスの資本主義で言っていたが、私は欲情を犠牲にしてきたことはない。金が溜まるのは嬉しいが、金に縛られているわけじゃない。選択肢があればより儲かるほうに価値を見出すし、金にならないものには価値はないと言い切れる。けれど、すべてに金を絡ませてるわけじゃない。そうじゃなければ、そもそも昔、君を助けたりはしないし、後輩として可愛がりもしない」

頭ははっきりしているかな?と冥さんの冷たい手が優しく頭をなでてくる。歌姫先輩に頬をさすられたときはなんとも思わなかったのに、冥さんに触られるとじわじわとくすぐったい。心臓の鼓動が早くなる。
「つまり……?」
「つまり、君という存在に金を絡めていないということさ。君自身に価値を見出している。私からすれば最大級の愛の表現なんだけど。これは理解できるかな?」
前髪を手で上げる彼女とかちりと目があった。不敵な笑みがいつもよりすごく甘く見えた。
撫でてくれた手がまた戻ってきて、神経なぞるように後頭部、うなじ、背筋と降りていき、腰を抱かれる。

言われたことを噛み砕いて咀嚼する間に冥さんは2杯目の水割りを作っていた。頭がふわふわして良くまた回らない。今度の私は酔っていない。
「………もし私と別れたら2億やるって言われたら別れます…?」
「そんな嫉妬に狂った相手がいるの?」
「いやもしもの話ですよ……」
返事はなく、彼女は淡々とお酒を飲んだ。
冥さんと反対側の壁にもたれかかると、腕をひかれて彼女の胸の中に引き入れられた。ウィスキーの匂いと、冥さんのつけてる爽やかな香水の匂いがする。
初めて出会った時もこうしてくれた。あの時は血と泥と、雨上がりの臭い。そして何かわからない、いい匂い。今なら分かる。あれは冥さんの匂いだった。また彼女の胸で私は安堵している。あの時とはまったく違う感情を持って。

2億に即答できない冥さんが好きですよ……と言うと、いじらしいね。と呟いて彼女はつむじにキスしてくれた。

2019.07.28
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