※瓶元・宇治口という名前付きのモブがいます
※ややグロテスクな表現があります



瓶元が自分の「能力」に気がついたのは10年前の中学生のときだ。
ある日の放課後、彼は自分をいじめる同級生を多目的室へ閉じ込めた。廊下側の窓を破って出てくるのは時間の問題だと分かっていたので、震える足を引きずるように家へ逃げ帰ったのに、翌朝、閉じ込めた同級生が昨晩から行方不明になっていると連絡があったのだ。
自分のせいか。いや、アイツは窓を割るくらいする。そして割ったことを俺になすりつける。そう思いながら多目的室に向かうと、鍵は空いていて、出入りする生徒の姿が見えた。自分が閉じ込めたことと無関係だったと胸をなでおろしたが、部屋をのぞきこむと強烈なめまいに襲われた。
部屋がふたつ重なって視えるのだ。

よく目を凝らすとふたつは分離し、意識することで別々に視える。例えるならテレビ。教室があるスペースがテレビで、意識することで室内の風景が番組のように切り替わる。ひとつはいつもどおりの多目的室。もうひとつは多目的教室とそっくりだが、校庭が見える窓側に、廊下側と同じ出入り口がある壁があるのだ。つまり、部屋の中にまた次の教室へ続く扉のある壁ができている。
瓶元はその次の教室へ続く扉に、恐る恐る手をかけて開けてみた。するとまた中に同じ部屋がある。ふたつ、みっつ扉を抜けた先で、異臭に気がついた。刺々しい臭いと、初めて嗅ぐ臭いだ。不快な臭いなのにどこか甘く、肺に残る。
口元を押さえ次への扉を開けると、閉じ込めた同級生が倒れていた。見るも無残な姿に瓶元は刺々しい臭いの元が、理科の実験で嗅いだ酸だと気がつき、甘い臭いは肉がとけたせいだと分かった。思わず目を閉じ、開くと、教室はいつもの多目的室しか見えなくなり、部屋の端には閉じ込めた同級生が倒れていた。

瓶元は呪術師や呪詛師のことを知らない。
瓶元の生まれは一般的な中流階級家庭で、高校に進学してからは成績もスポーツも並以上にできたおかげで、問題なく日々を過ごせた。部活のレギュラー争い、好きな女子と付き合った男子生徒、学内推薦で競り合った相手。それらを部屋に入れ、その生活を更に悠々自適なものにしたが、能力を積極的に使おうとは思わなかった。だから彼は一般人の枠に留まった。
これで食べていくなど1度も考えなかったし、人生をちょっとだけ楽にする魔法のようなものだと思っていた。それから大学に入り、同じような突飛な能力を持つ宇治口と意気投合してからは、学費や留学費など金銭的な負担を減らすために能力を使った。大学を出て宇治口と同じ企業にはいり、恋人ができ、結婚を考えてきた頃、またちょっとばかりお金が足りないことに気がついた。新車購入、引越し費用、挙式費用。
なので、瓶元はいつもどおり宇治口に声をかけ、大学の頃と同じように、裕福な家の娘を誘拐して身代金を要求した。

だから瓶元は今人生で最も焦っている。
さっきまで部屋に入れた娘をモニタリングしていたはずなのに、目が覚めると椅子に手足を縛りつけられている。そして髪の毛で顔をすべて覆った全身黒服の女が、自分と向かい合うように椅子に座って、長い手足を悠々と組んでいる。その隣には、血のついた大斧を持った小学生くらいの子供が立っていた。

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「……斧腹の血は俺の血か?」
瓶元は顔を上げ、やっと声を出せた。頭はハッキリしてきたが後頭部がひどく痛む。
「……おや、眼鏡は伊達だったんだね」
「オシャレには気を使う方なんでね」
「眼鏡を壊してしまったから、目が見えないと言われたら面倒だなと思ったけど、それはよかった。ああ、こちらは客だからいい椅子を借りようかと思ったけど、長く座るならそっちの方がいいかと思って。座り心地はどうかな?」
女が座っている椅子はダイニングキッチンの椅子で、瓶元が座っているのは宇治口がボーナスで買ったアーロンチェアだった。
瓶元は状況を把握するための時間かせぎに長話をしたかったが、女の方もおしゃべりなタチらしい。首の後ろの皮膚がつっぱるような違和感と、虫が這うような不快感、嗅ぎ慣れた鉄臭さ。斧腹の血を見て、自分があの斧で殴られて気絶していたことに気がついた。

「お前は誰だ」
「君たちが誘拐した娘さんの救出を依頼された者さ」
「娘なら解放した」
女が顔を覆っているみつ編みを指でいじると、表情が少しだけ見えた。整った顔を構成している黒い目は細まり、楽しそうに見えたのが瓶元は心底不愉快だった。
「けど、もうひとり女を代わりに誘拐している」
「知ってるよ。両方ね。娘さんはすでに保護したから依頼は達成したけども、代わりに誘拐した人間も返してほしくてね」
その言葉を聞いて、瓶元はやっと普段の調子を取り戻した。有利なのは未だこちらだ。

宇治口が娘をさらい、瓶元が自宅マンションの1室をあの延々と続く部屋へ変化させて放り込んだ。
瓶元の上の階に住む、宇治口の部屋で身代金の受け渡しについて連絡をしていたとき、瓶元の部屋にある監視カメラに知らない女が映った。女は娘を閉じ込めた部屋に直行したので、あぁコイツも能力があるやつかと瓶元は横目で画面を眺めた。
今まで何人か、そういうヤツが誘拐を妨害しに来たことがある。そして中には瓶元が作った部屋を宇治口のように視えるやつがいる。いつもどおり宇治口が殺しに向かった。女は荒い画質でも分かるくらい好みの顔立ちをしていて、少しもったいないなと感じた。何度も見てきた光景だからいつもなら見ないが、今日は女の顔が好みだったので見た。それだけのはずだったのに、宇治口が女に殴りかかった瞬間、瓶元には見えない早さで宇治口は女から拳を入れられ、泡と血を吐いて倒れた。

宇治口は一見頼りない細身の男だが、テレビで見るボクサーや格闘家よりずっと強い。本気になれば人間の頭を素手で潰せる。そんな宇治口が負けた?何度見ても宇治口は廊下に倒れていて、痙攣して赤い泡を吹くばかりだ。
瓶元はあの部屋に1人しかいれることができない。これは今までの経験で知っていた。監視カメラ越しに女と目が合う。今まで感じたことのない心のざわつきを感じた。確実にこの女は、自分がこのカメラの先にいると分かっている。誘拐した娘を閉じ込めるより、この女を殺さないとヤバいと瞬時に理解した瓶元は、娘を解放すると女を廊下に閉じ込めた。監視カメラにはただの廊下が映り、しばらくして誘拐した娘が泣きながら部屋を出てきてうずくまる様子が見えた。その後、瓶元は意識を失った。

自分の有利さを確信したと同時に、頭の中がクリアになり記憶が蘇ると目の前の女への怒りがふつふつと湧いてくる。頭が痛い。計画が邪魔されている。宇治口が死んで多分今後は今までみたいに金は稼げない。縛られた手足が痛い。こっちを見てくるあのガキの視線がムカつく。足を組んで、肘をついて俺を見ているこの女もムカつくーー抑えようのない、ザワザワとした感情が吹き出てくる。

「俺の安全が確保されるまで出す気はない」
「憂憂、下の部屋を見ておいて」
「わかりました」
斧を置くと子供が出ていく。瓶元は2人が土足であることに気がついて、また腹がたった。ここは宇治口の家であるが、カーペットに泥汚れがついている。
「子供の名前は覚えたからな」
「その知識、今後使うタイミングがあればいいね」
女は余裕そうに足を組み替えると、ポケットからスマートフォンを出して眺めた。
「何をやってる」
「天気を見てるんだ。今日は夕方から荒れるらしいね」
「……あの中には酸を撒いている」
そう瓶元が言っても、女の顔の方向は手元のスマートフォンから動かなかった。顔を覆う髪の毛の下の目元は見えない。
瓶元を見ているかもしれないし、やはり視線はそのままなのか。それが不気味で、こちらが有利さを感じてもなお自分の荒立つ心が落ち着かない。初めての感情が一層瓶元を追い詰めていた。女が頼み、自分が頼まれている。たとえ縛られていても自分の方が優位である。そのはずなのに女は始終マイペースだ。安っぽい煽りにのるなと瓶元は何度も頭の中で繰り返した。

「俺の意思ひとつで量は調整できる。顔の皮を剥がすくらい簡単だぞ」
「フフフ」
「何が面白い」
「いや、随分チープだなと思って。まあ、術式からすればそんなものかな」
「じゅつしき……?」
「……少し教えてあげようか。術式というのは君が持っているあの能力全般のことを指す。君はあの部屋に人ひとりしか閉じ込められないし、電波遮断もできない。中の彼女から電話がかかって来たからね。でも、その酸で電子機器を故障させたのはナイスプレーだよ。自分の術式の欠点をよく理解できている。そして部屋の能力は、依頼人の娘をリリースした直後になまえを入れたという切り替えの早さからして、増殖ではなく空間を切り貼りするタイプかな。中で彼女が派手に動いてるから維持が大変だろうね。君、もう部屋に撒く酸の濃度を上げられないだろ?」

瓶元は女の煽りにのってはいけないと分かっていたが、自分の能力を軽んじられたことへの怒りが酸濃度をあげた。しかし念じてみても、訪れるのは体への疲労感だけで、望んだ結果はやってこない。呪力切れも瓶元にとって初めての経験だった。女の言うとおり酸濃度はあげられないし、部屋の維持をするだけで精一杯であることに気がつく。いままであの部屋に入れてきた人間は酸で弱り、足を止めてうずくまって来たのに、なんで今部屋の中にいる女はずっと動き回っているんだ?さっき取り戻した余裕が遠く離れそうになった時、瓶元は必死でそれをつかんだ。

「俺を殺したら、女は出てこれない!」
「そう?」
女は首をかしげる。
「まぁ……なまえなら、ああ、君が中に閉じ込めた彼女の名前なんだけど。君の死後、もし部屋の方が強まっても大丈夫だろうけど、酸濃度が強まると怪我をするかもしれないし」
女は立ち上がると、椅子をダイニングテーブルへ戻した。少し待ってて、と瓶元へ言い、斧の入ったバッグを担ぎ部屋を出ていく。まるで穏やかな街中でウィンドウショッピングをしているようなヒールの音が遠ざかり、そして戻ってくる。
女の両手にはそれぞれウォーターサーバーのボトルが1本ずつ握られていた。12Lの巨大ボトルをまるで500mlボトルのように軽々と持ってくると、瓶元の足元にボトルを下ろし、片方のキャップを簡単に外した。
「君みたいな術式は遭遇率が意外と多いわりにネタがあがってなくてね。私も君で3回目だけど、1回目はエリアごと破壊、2回目は呪霊の仕業だったから聞き取りができなかった。後学のために君の術式の詳細を聞いておきたい」
女はボトルを持ち上げると、顔の高さより上にあげ、しげしげと眺めた。
「1本平均価格はたしか1500円くらいかな?尋問というのは面倒でね。火を使うと臭いがつくし、手でやるのはこの後に食事に行くから避けたい。1500円でできる尋問はなかなかコストパフォーマンスがいいね。まあ私が買ったものではないからタダだけど。ここの水があまり美味しくなくてよかった。……さて、さっき君が名前を覚えてくれた弟の憂憂が君の部屋についたことだから、始めようか」
女の手が瓶元の顎を握り、両頬の上から口を開かせるように指を食い込ませた。とんでもない力だった。痛みで瓶元の口は開き、歯がミシミシと音を立て血が出て、涙が出た。女の前髪が横にずれる。あの黒い目はまた楽しそうに弧を描いていた。
「私は彼女が絡むと、力加減があまり上手くできないんだ」
瓶元の口とボトルの口が合わさる。水がそろりそろりと胃の中へ落ちていく。舌を通らず、口内を潤さず、ただ喉奥へ水が落ちていく。
瓶元はこの時初めて、さっきから焦るような荒れ狂う怒りにも似た感情の正体に気がついた。これは「怯え」だ。能力を得てからずっと感じていなかった「怯え」である。

「胃を破裂させるかもしれないから、早めに彼女の解放と、君の能力のタネ明かしを頼むよ」


▼ ▼

「もう。ダメですよ協力者」

冥さんに「中でとにかく暴れてて欲しい」と言われて、運良く黒閃が出て壁をめちゃくちゃに破壊できても、50部屋一気に走り抜けても部屋に変化は無いので、次は100部屋と息を整えていたら玄関扉が開いて憂くんのため息が聞こえた。
ああ、終わったのか。少しの疲れと酸のひりつきがする。溶けた服を破って捨てると、パラパラと紙のように落ちていく。
「ひどい格好ですね」
「ほんとね。今何時?」
「16時21分です」
不安定に酸濃度が上がったり下がったりするので、服が少し溶けた。肌はひりつくが無事なので手当は不要。18時に予約した飲み屋には余裕で間に合う。
「普段の姉様だったらこんな期待を裏切る相手はほっときますからね」
「ひー……可愛がられててよかった」
軽口を叩いたつもりだが、殺意が飛んできたので頭を下げる。しかし本当に今回はしくじってしまった。
「でも回避方法なかったでしょ。というか、こういうのに冥さんをはめないためのデコイが私なのでは?」
「よく分かってますね」
期待された動きをしても、冥さんの手間を取らせたら真面目に怒ってくるので憂くんは怖い。はぁ、と彼はまたため息をつく。
「1級が遠のくばかりです。しっかりしてください」
「マジ?そんな?今回の呪詛師は一体なんだったの」
「呪詛師にもなってない、ただの素人でしたよ」
「呪詛師か呪術師なんてあり方の問題では?誘拐してりゃ立派な呪詛師だと思うな」
「高く見積もっても3級です」
「……そんな低かったの……?」
ショックだ……マジに……。憂くんは一応ドアを開けて待っててくれるから優しい。いやこれは育ちの良さだな。酸の無い空気は美味しいけど、ショックがまた心臓を蹴ってくる。
「では、僕は車にいる依頼主の娘の様子を見ています。姉様と合流したら下にすぐ来てくださいね」
「娘さん、歳近いんでしょ?惚れさすなよ」
「姉様以外の女に興味はありません!」

憂くんは下へ、私は上へ。階段ですれ違った女性は私の姿を見て目を丸くしたが、無言で階段を降りていく。都会は人付き合いの空気が薄くてありがたい。上の部屋に向かうと、ちょうど冥さんが部屋から出てきた。私と目が合うと前髪をあげて笑ってくれた。激しい運動の後なのに心臓の高鳴りはこちらが勝つ。冥さんの瞳はAED。「大丈夫でしたか?」と私の方がどう見ても大丈夫ではないが声をかける。

「私は爪の先ほどもダメージはないよ。死出の旅路の餞に少し長話をしていただけさ」
「……今回の呪詛師、高く見積もって3級ってホントですか?」
「まあ実力だけみたらね。特殊なタイプだから気に病むことはないよ。今回は収穫も多かったし。……それより服が少し濡れたから、着替えてから飲みに行きたいな。なまえも着替えたいだろう?胸元が随分セクシーになってるよ」
服が溶けて出た私の鎖骨を、冥さんは端から端までするりと撫でた。突然のことに、ひゃわ!!と変な声が出る。
「外でそんな声を出したら駄目だよ」
「冥さんのせい!冥さんのせいで!!」
「そうだね」
冥さんは下を眺めて車の外にいる憂くんに手を振った。ちぎれんばかりに憂くんが腕を振り替えし、冥さんのスマホに着信が入った。
「うん。憂憂もお疲れ様。今からなまえの家で着替えて食事に行こう」
服の破れた所を確認していると、冥さんが「憂憂が聞きたいことがあるって」とスマホを差し出してくる。
『ちゃんと姉様を家に迎えるにあたり、部屋は綺麗にしてるんでしょうね?』
「いつもしてます〜!!!」

2020-05-06
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