※時間軸は冥さんが大好きな冥さんの後輩01より前
※冥さんが大好きな冥さんの後輩05を読まれてから読むのがオススメです





ざら、ざらざら、ざらら。

聞き覚えがあるのに、思い出せない音がする。
似てる音は思い出せる。実家にあった大きな金魚鉢に入れる砂利を洗う音だ。
あぁ、嫌いだったな。あの音。村で生活していたころ、金魚を養殖している村人がよく赤い金魚を贈ってくれた。日陰なんて少しも無い家の門のそばに金魚鉢はおかれて、暑い日差しの下で次々金魚は茹で上がって死んでいった。
室内に入れようと頼んだが、あの金魚は飼うために贈られたのでは無い、と。誰が何を贈ってくれたと、村人へ見せるためにあそこに置かなければならない。そう言いきかされた。
ああ、嫌いだったな。今思い出しても、いやな気分だ。あの村を思い出す時は、いつも抜けるような青い空、そして加工しすぎた写真みたいに色彩のコントラストが強い村の景色が思い浮かぶ。

急にふわっといい香りがした。
なんの匂いだっけ。……さっきまで何を考えていたっけ。ふっと道がなくなったような浮遊感があった。

「うわあ」

目を開けると、冥さんが私を見下ろしていた。カーテン越しの柔らかい日光が白い髪にあたって絹糸のように輝いていた。……もう少し座学やっとけばよかった。上手いこと私が感じた冥さんの美しさを、言葉に落とし込めたことがない。


「驚かせたかな」
「あ……いや、よかったです……なんか嫌な感じがして、起きたかったので」
「それはよかった。なら朝食にしよう」

ざら。ざらざら。
冥さんが持っていた、私の朝食用グラノーラが袋の中で音をだした。この音だったのか。
冥さんはカーテンを引いて、ベランダに続く窓を開けた。ソファから起き上がると、うす青い雲の先に橙色がたなびいているのが見える。東京の色は綺麗だ。白が映えていい。くすんだ色、柔らかい色、ささやかで繊細な色もある。私が住んでいた村にはこういう色はなかった。

「なまえはシャワーを浴びるだろう。冷蔵庫の中身は使っていいかい?」
「え、えっ?作ってくれるんですか」
「たまにはね。してもらってばかりで、なまえに逃げられたらたまらないから」
「それは絶対にないので。世の中にある“絶対なんて無い”っていう主張を泣かすのが私です」
「フフフ。いじらしいね、寝起きのなまえはセーブしないから」


先に冥さんが入ったようで、バスルームは心地よい湿度だった。シャワーを浴びると痛かった肩が楽になる。
冥さんはよく家に泊まりで遊びに来てくれる。その度に私はベッドを譲る。ソファで寝ないで一緒に寝ればいいじゃないかと冥さんは言うけど、そんなことしたら緊張で一睡もできないので、ベッドは冥さん、ソファに私が行く。というかそのために大きなソファに買い替えたし。
しかし、それでもやっぱりソファ寝はちょっときついな。マットレスもう1個買って、床に敷いて寝たほうがいいかもしれない。冬になると宅飲みの機会が増えて、なおさら冥さんはよく泊まってくれるから。
ふと、体を洗っていて気がついた。左手首に切り取り線みたいな跡がついていた。なんだ?ソファの縫い目……?いや違う。……すこしばかり考えて、やっと分かった。またいたずらされてしまった……この感じからして、さっき起こした時だろう。うわ……鏡の中の顔が引くほど赤い。

「顔が赤いよ」
「のぼせです……」
シャワーから出ても赤みが取れない。冥さんはサラダを盛り付ける手を止めてボウルを置くと、私の左手をつかんで引き寄せて、頭を撫でてくれた。
「不思議だね。一緒のボディソープなのになまえの方が匂いがいい」
「吸わないでくださいよぉ」
からかわれている。私が冥さん大好きなのをいいことに、冥さんはよく私をからかって遊ぶ。恥ずかしいが、同じくらい嬉しい。いつだってそのふたつの感情がチキンレースで、そしてお互い壁にぶつかるので勝者はいない。憂くんも似たようなことを冥さんからされているのに、恥ずかしいという感情はなく、すべてを喜んでいる。はーー!!さすが先輩っす。自分もその高みに行きたいです。
「それより、手首噛んだでしょう」
「あぁ。軽くしただけなのに、よく気づいたね」

前に冥さんの神風に撃たれたことがある。呪霊が近くにいた非術師を引き寄せて、神風を防ぐ盾にしたのだ。とっさに非術師を射線から押し出して守ったが、押した左腕を引いて戻す時間はない。呪力を左手にすべて回してフルガードしたが、カラスが接触する寸前に全てが遅くなった。あ、ヤバい。走馬灯だ。
次に左手が見えた時、手首から肘までの肉が食いちぎられたかのように消し飛んでいた。ガードなんて意味はなかった。かすっただけでこの威力。直撃じゃなくて本当によかった。
それからというもの、冥さんは私の左手をよく触る。腕を組むのも左、手を繋ぐのも左、からかいにキスしてくれるのも左。
「記憶をぬりかえてあげたくてね」と冥さんは言うけども、どうかな……からかいワードだろうな。私がすぐ赤くなるから。今も思い出して顔が熱いからな……でも噛むのは駄目だ。反則だ。でも噛まれても起きない自分はもっと駄目だ。

スクランブルエッグが冷めますよ、と逃げワードを撃って側を離れようとすると、今日も綺麗に弧をえがく冥さんの唇がいつもと違う。
「……リップの色、変えました?」
「よく気がついたね、かなり似てる色なのだけど」
「前の色、冥さんに似合ってるなーと思ってたんで。新しいのも勿論お似合いですよ」
冥さんはじっと私を見ると、少し間をあけて「ありがとう」と囁いた。もしかして、私が気づいたことに驚いたのかな。伊達に15歳から冥さんのファンはやってない。少しくすんだ絶妙な色合いのリップは、綺麗で上品で、カッコいい冥さんにとても似合う色だ。

「なまえ、少し上を向いて」
言われるまま上を向くと、冥さんの唇が甘噛するように柔らかく食んだ。
何を?唇を。
私の唇をだ。

理解した途端に驚いて顎を引きそうになると、顎を持ち上げられて固定されてしまう。けして力は強くない。むしろとても優しい。なのになに??なんで動けない?私の体の裏技知ってる?どこを触ったら私がどうなるか熟知されている??頭が真っ白に近い。腕に神風くらったときより衝撃が大きい。手が空をきって、最終的にかちかちに固まってしまった。

「もしかして初めて?」
唇を離した冥さんは、今朝1番に笑っていた。
「………っ、は……へ?」
「アッハッハ」
え?私、冥さんにキスされた?唇と唇をあわせることがキスなら、これはキスだな?なにいってるか分からなくなってきた。シャワーを浴びたばかりなのに、全身がじっとり汗ばんでいる。
「なまえもこの色が似合うね。オレンジ系が似合うから、この色はあまり似合わないと思ったけど」
何の話か分からないでいると、冥さんが後ろを指差す。後ろの姿見に映った私の唇は、冥さんと同じ色になっていた。
「……い、あ、……い、色落ちしやすいんでしょう……」
「どうかな?グラスとはこんな風に唇を合わせないからね。こんなことをすれば、どんなものでも落ちそうだけど。ちょうど食事だから、試してみようか」
混乱して出た言葉も見事にからかい拾われて、冥さんはさっきより落ち着いてしまった色の唇でまた笑った。私ひとりをからかうために、体をはりすぎだ……いや女子はよく回し飲みとかするから気にしてないのかな?……いや冥さんくらい美人でかっこいいなら同性の恋人もいたりするのか?それとも唇同士の挨拶が普通の家でそだったのか?頭の中は混乱を極め、その後の食事でなにか唇にふれるたびに赤くなってしまって、冥さんはその度に笑っていた。あーあー…これは完全に遊ばれている。

2020-04-08
- ナノ -