任務12回目。
体調が悪い。呪力消費の体調不良を最近知ったが、あれは頑張ろうにも足腰に力が入らないような感覚に近い。今回は違う。昨日から胃が重いのだ。
一昨日は手強い呪霊の相手をしたので、昨日は丸1日休みをもらって体調を整えたのに。これも呪力消費のせいということで、なんとかなりませんかねと拝んで眠ったけど治らずに残った。単純な体調不良かな。伊地知さんも愛飲している(しないでほしい)胃薬を飲んでみたが効かなかった。

任務前に硝子さんに診てもらおうと早めに寮室を出たが、誰もいない医務室の蒸し暑い室温は、長いあいだ彼女がいないことを教えてくれた。もう少ししたら、七海さんと現地集合の現場へ向けて出なければいけない。寮室に戻るのは面倒なので設備予約を確認して、1日空いている応接室のソファで横になっていると、急に五条さんが入ってきた。
もしかしてこの部屋を使うのかと思ったら、こちらの考えを読んだように「調子見に来ただけだよ」と手を振る。その手にはロールケーキのロールちゃん。大学にいた頃、食事が面倒でカロリーと腹持ちを求め何本食べただろう。

「痩せた?頬こけてない?」
「いや、むしろ体重ふえましたね」
「それ筋肉でしょ」
五条さんのポケットからロールちゃんがもう1本出てきて、差し出されたが遠慮した。ロールちゃんポケットに入れてるひと初めてみた。体格が大きい人のメンズ服だからポケットサイズ大きいのかな……?胃痛で考えがズレてきた気がする。
「……食欲がなくて」
「遅れて来た夏バテ?そうめん食べる?お中元で山程もらうんだよね」
「お中元って、生徒さんからですか?」
「いや、僕の家が呪術師界でかなりいい所だから、そのつながりでね。で、そうめん食べる?伊地知も硝子もいらないっていうし、困ってるんだよね」
「実家が送ってくれる大量のひやむぎと交換なら」
「なにその実質0みたいな交換」
五条さんはロールケーキを食べきって、ゴミ箱にビニールを捨てた。
「授業は休みですか?」
「今やってるよ。教材取りにきたらなまえが倒れてるの見えたからさ。任務どう」
「充実してます……」
「弱ってるね」
声の覇気も胃痛に吸い込まれていくのを、五条さんはいつもみたいに笑う。
「今日七海さんと任務後にカレーなので何とかなります。カレーは薬なので」
「初めて聞いた。まぁ、スパイスは本当に体にいいしね。しかし任務後に食事しながらフィードバックって、まさに会社員って感じ」
「いいじゃないですか。任務の後はご飯いっぱい入るんでありがたいですよ。……よく考えたら、スーツの人をカレーに誘うって良くないですかね」
「あ、カレーはなまえの提案なの?」
「はい。七海さんにばっかりお店を探してもらうの悪いんで、今日は私の提案です」
「うーん。クールビズってたらちょっと考えるけどね。まあ、アイツ真夏でもジャケット着てるし、スーツとカレーの色似てるし、大丈夫でしょ」
「大丈夫じゃないやつですね」

「なんの話ですか」
半分だけ開いていたドアが全開になり、七海さんが入ってきた。全然気づかなかった。横になっていた体がびんっと縦になる。
「おはようございます!?なんでここに」
「書類を出しに来たんですよ。それで通りかかったらちょうど声がしたので」
「私の声、そんな大きかったですか」
「いえ、五条さんの声です。授業に戻ったらどうですか」
「会社員時代は自分だってコーヒー休憩とかしてたろ」
「顧客を待たせて休憩は入れませんでしたよ」
五条さんは七海さんのジャケットにロールちゃんを突っ込んで出て行った。ひしゃげたロールちゃんの顔から哀愁を感じる。七海さんは今日もやはりジャケットを着ている。暦では秋が近いのに、真夏の暑さは続行中だ。
「今日のランチ考えて来ました。カレー……と、冷麺どっちがいいですか」
検討していた冷麺を加え、七海さんのスマホにお店の紹介記事アドレスを送ると、七海さんは黙読して「カレーがいいですね」と頷いた。ご本人が選ばれたのでカレー、大丈夫です。

▼ ▼

「お疲れ様でした」
呪霊が七海さんの術式でふたつに分断され、黒い塵になる。
ビル建設予定地に現れた低級呪霊郡の討伐だったが、予定地は結構前からただの駐車場で呪いの集まるところではなかった。なのに突然群れができたので、何かあるのではないかと七海さんが言っていた通り、低級呪霊を潰していると突如頭上からブヨブヨとたるみきった肉を纏った大型の呪霊が落ちてきた。意思疎通はできたが、口から出る言語はあやふや。2級、もしかしたら準1級(何かしようとしていたが七海さんがぶった切った)の呪霊の元へ低級が集まっていたのだろう。サポートへ、と指示が飛んできて、七海さんの後ろについたら1発で決められてしまった。任務回数が増えれば増えるほど、七海さんとの実力の差が分かる。遠い。

「イレギュラーにもよく対応できてました。残りのフィードバックは食事のときに」
「はい……」
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫です。任務とは関係ない、ただの体調不良で」
七海さんと高専を出た時には治まっていた胃痛が応戦中に戻ってきて、集中が続かず何発かもらった。最近やっと呪力を意識した所に集められるようになったので、ダメージは大きくない。
「顔色が悪い。本当にただの体調不良ですか?」
「いえ、その……頭痛的なものなので。ちょっとそこのお手洗いで頭痛薬飲んできます」
移動中の電車の中でも、七海さんは何度かカレーのお店情報をじっくりみていた。なので、胃痛がひどくて行けません、なんて言えない。
自販機で買った水を持って、現場に隣接する公園のお手洗いに駆け込む。砂埃のひどい現場で、砂や塵で黒い任務着がくすんでいる。そして、鏡に映った顔からは血の気が引き、ファンデの色味は敗れ、ほぼゾンビだ。朝より悪化してる……。効くか分からないけど、鎮痛剤を早く飲もう。センサーが壊れている手洗い場は、冷たい水を大量に出してくれた。砂で汚れた手を洗うため、手を水につけた途端に襲ってきたのは清涼感ではなく、ひどい吐き気だった。空っぽの胃から出るのは胃液だけで、何も食べてなくてよかった。けれど喉が焼けるように痛い。何度かむせて、ペットボトルの中の水を一気に飲む。

「みょうじさん!大丈夫ですか!?」
突然の七海さんの声に驚いて、手に持っていたペットボトルを強く握ってしまい水が溢れた。わざわざ外で待っててくれたんだ。急いで口と服の汚れを拭って外にでると、七海さんは眉間に皺を寄せ、腕を組んで立っていた。レンズ越しに合った目は、ぎらりと私を睨みつけている。あ、圧がすごい……。
「吐きましたか」
「……いや……その……朝から何も食べてないので……吐くものないので実質0ですね……」
「……胃の不調はいつから?」
「き、きのうからです……」
「悪いものは食べましたか」
「なにも食べてないんですよね……」
頭痛のごまかしは見破られているだろう。この人に嘘つくのは難易度が高すぎる……。七海さんは視線をそばにある車道へ移すと、ちょうど走ってきたタクシーを停めた。
「行く予定の店はまた今度。原因は察しがつくので、涼しいところへ行きましょう」

▼ ▼

タクシーで20分ほど行った先にあったのは、住宅地と商店街のちょうど境目にあるぽつんとしたお店だった。入り口の上に掲げられた店名は達筆過ぎて読めない。外壁は白一色で、営業中の小さい札がドアにかかっている。窓も小さく、中の様子は分からない。こういう店によくある、外に置いてあるメニューの書かれた小さい黒板もない。数台ある駐車スペースは満車。この振り切った感じ、高いお店なのでは……?

不安になりつつ七海さんを追って入ると、表からは想像もつかないほど中は賑わっていた。内装はかなりシンプルだが、所どころに中華風インテリアが飾られている。4人がけのテーブルが10卓ほど。スーツの会社員や商店街での買い物帰りの女性達がメインの客層のようで、すこしランチの時間には早いのにテーブルは7割ほど埋まっていた。お客さん達はチャーハンや飲茶を頬張っている。油系……はいるかな……。いや、恐れるなカレーを食べる気だったんだぞ。
通された奥のテーブルに座ると、どっと疲れが押し寄せる。店員さんが持ってきてくれた冷茶はジャスミン茶で、飲むとさっき欲しくてからぶった清涼感が体に広がっていく。

「食欲がないときは、ここのお粥がおすすめです。量が多いのでシェアしましょう」
メニュー表を七海さんが指差す。海鮮たっぷりのお粥です、と書かれていたが、写真は古くて何が入っているかよくわからない。でも七海さんのお薦めなら間違いないだろう。メニュー表に台湾料理のお店と書かれてあり、漢字のメニューがずらっと並んでいた。食べたことないジャンルだな。

オーダーしてすぐに来たお粥は、量が多いと言われた通り大きな深皿になみなみと注がれていた。1人前の欄にあったし、値段もその価格だったので、これ1人で頼んでたら危ないな。七海さんは店員さんから直接小皿を受け取ると、取り分けてくれる。
「すみません……」
「いいから胃に入れてください。頭も回らなくなる」
レンゲですくって口に入れると、予想していたのと全然違う。お粥と書いてあったが、これは雑炊に近い。たまごと白ごはんのとろみのあるお粥に、エビ、イカ、きくらげ、しいたけ、鶏肉、殻付きのあさりなどが入っていて、具だくさんだが味にまとまりがあり、そして胃にありがたい薄味のなかにもしっかりとした旨味が感じられる。美味しい。今解った。カレー、無理でした。調子のってました。
「とろとろしてて、すごくおいしいです……」
「食べられそうですね」
「こんなお店もご存知だったとは」
「こういう物を出してくれるお店は、知っておかないと不便なので」
胃が1日振りの消化の兆しを見せた。頑張れ、胃。黙々とお粥をすすっていると、追加で来たのはエビの水餃子と桃饅頭。今日は油物は避けたほうがいいでしょう、と、これも取り分けられて目の前に置かれた。優しい……。七海さんは自分の水餃子とお粥にお酢をかけた。味変だ。私も後でしよう。

深皿のお粥が半分ほどになったころ、七海さんは大きくため息をついてジャスミン茶を飲んだ。七海さんのため息は今の所3種類が確認されてる。ガチめの呆れ、感情の仕切り直し、そして美味しいものを食べた時に出る。今のは最後のであってほしい。
「その胃痛ですが、大元は環境変化によるストレスでしょうね」
「それも考えたんですけど、ならもう少し前から来てもいいかなと思って……」
「遅れて来たのは、慣れによって表面化する性質のものだからです」
「……慣れ、が?」
「モノを殴るというのは、結構なストレスなんです。貴女は今まで殴り合いなんてしたことなかったでしょう。殴られたことによるダメージ、素手の攻撃反動による体への痛み、命のかけ引き、凄惨な現場。そのすべてが精神的ストレスに繋がります。勝って生き抜いて、怪我を治してもらっても、達成感があっても、危険に晒されてすり減った精神はすぐに治りません。蓄積したものが今、胃痛になって吹き出たんでしょう」
「治すには?」
「これもまた慣れですね。私の指示のみを達成することに神経を尖らせる段階を終えた成長の証明でもあります。余裕ができて現場の状況や自分の痛み、感触、臭い、そういうものに気が回るようになってきたから出たものです。成長痛のようなものと捉えてください。ほとんどの術師が経験することです」
「……七海さんもあったんですか?」
「ありましたよ、高専時代に。そして今もあります。このストレスは慣れるだけで完璧に無くなるわけではありません。いくら経験を積んでも、吹き出る頻度が徐々に低くなるだけです」
だから、こういうものを出してくれる店を覚えているんです。そう言うと、七海さんはお粥をすすった。

お酢をかけて味変してみる。さっぱりとした味になり、またするすると胃に落ちて行く。やっとテーブルにおかれたメニューに目が向くような精神状態になってきた。
「七海さん、牛肉麺?食べてみたいんで、また来ましょうね」
「その前に早く胃を治して、カレーですね」
七海さん、カレー……好きなんだな……。

2020-07-19
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