腕の回復が進むに連れて呪力の消費も抑えられ、酷かった眠気や疲労感が抜けて来た頃、するりと至金縛がほどけ落ちた。焼けた腕は炭化した部分もあったから回復するか半信半疑だったが、大量に呪力を使われただけあって人間らしい真っ赤な皮膚ができあがっていた。
前と同じ動きはできないが、しばらくすればこれが馴染むようになるだろう。一般的な貼り薬に切り替えるとなんとか両手で日常の動作ができるようになった。
とはいえこの状態の火傷も程度としては重く、体は休息を欲していて一度眠ると目覚ましも聞こえないほど深く眠ってしまい、毎朝憂くんに叩き起こされる。食べて、寝て、体が鈍らないように運動して、眠る。その繰り返しの中のある朝、私を揺り起こしたのは冥さんだった。

憂くんとは違ってまずカーテンを開ける冥さんは、陽の光を浴びて薄いキャミソールワンピースがエアコンの微風でゆらゆら揺れていた。私の前髪を撫でる指先には、ネイビーのマグネットネイルが施されて宇宙のように煌めいている。綺麗だ……こんな世界中やばい時でも美を忘れない冥さん素晴らしすぎる……。
ここ最近の冥さんはずっと忙しくて、ほとんど部屋から出てこなかった。食事を運ぶといつも誰かと電話で話していて、世界の株価と市況リアルタイムチャートを見ていた。私と憂くんは呪術師を廃業して、3人で会社をやっているような奇妙な気分になったものだ。冥さんがハッピーならそれで全然いいけど、冥さんは声色にワザと以外では負の感情を乗せることがないので(ほとんどの状況でそれは不利を招くからやめた方がいい、と言われたことがある)冥さんの話し声から状況の好不調をうかがい知ることはできなかった。

「おはよう、ございます。憂くんは……?」
「おはよう。雲行きが少し変わって来てね、憂憂には日本に戻って高専のフォローに入ってもらうことになった」
今の日本に?という疑問が顔に出たのだろう。「説明と息抜きついでに、ランチを取りにデートしよう」と冥さんは私のナイトガウンを脱がせると、あっというまに私を外出着に着替えさせた。時計はいつも起きる8時をとっくにすぎて13時になっていた。

人混みに入ると行き交う人々の言葉が全く分からず、やっと海外に来たと実感した。ホテルではバトラーも日本語を話してくれるから実感がなかったのだ。デート先は、ホテルから1番近いショッピングセンターで、毎日眺めていたあのツインタワーの下層にあたる。
真下から見上げたツインタワーはとにかく迫力がある。スカイツリーよりは低いが東京タワーより高いビルが2本並んでいる。日本のツインタワーといえば東京都庁だが、あれの倍はありますよ、と憂くんが教えてくれたときは、へぇ、へぇ、へぇ〜(憂くんは元ネタが分からなかった。時代である)だったが、真下に来ると圧倒された。金属とガラス。そのシャープな凹凸の組み合わせが淡々と続く。その重甲さはタワーいうより、空から落とされて突き刺さった宇宙の巣のように感じる。見上げたままふらふらと歩いてしまい、冥さんに手を繋がれてショッピングモールに入った。
ショッピングモールは6階あり、吹き抜けを中心に東西に伸びている。というか、伊勢丹、UNIQLO、無印良品が普通に入ってる。日本マジに先進国だ。

UNIQLOで着替えを買い足してもいいか尋ねたら「もう少し可愛いのを着て欲しいな」と日本未上陸のマレーシアのブランドや、日本でもよく見るブランドで服やコスメを買ってもらった。ほぼ身ひとつで来てしまったので今の私物は焼けた任務着、焼けた財布と溶けたカード、熱で変形してなんとか剥がせた冥さんとお揃いだったブレスレットの破片、唯一無事だったのはスマホだったが、あの熱が遅効したのか動作が危うい。
「さて、何か食べたいものはあるかな?ずっとホテル料理ばかりで飽きてるんじゃないかと思って」
「とんでもないですよ!なんでも美味しいし最高です。でもそうですね、せっかくなんでホテルでは出ないようなローカルフードで、冥さんが好きなもの食べたいです」
「ならメジャーな人気所に行こうか」

連れて行ってもらったのは、ナシレマというローカルフードのお店だった。
ココナッツミルクで炊いたご飯をメインに、キュウリ、卵、ピーナッツなどのおかずとサンバルソースという辛いソースをワンプレートで食べるものらしい。このお店はサンバルソースが美味しくて、さらにおかずでチキンカレーなど独自の具材があって美味しい……と隣の日本人観光客の熱弁が聞こえた。冥さんもそれを聞いていて「わかった?」と笑う。
クアラルンプールには日本人が多いと聞いていたが本当だった。オーダーし、先にお願いしたマンゴージュースがすぐに届く。濃厚な甘みとみずみずしさだが後味はさっぱりしていて、マレーシアはやっぱり果物が美味しい。
一息ついた所で冥さんはゆったりとした口ぶりで、憂くんが日本に行くことになった死滅回游という儀式の説明をしてくれた。その口ぶりに合わない、日本全土を範囲とした巨大な儀式は非術師を巻き込んだ凶悪なもので、そんな所に彼を行かせた理由を冥さんは「リスク分散」と言って微笑んだ。

「危ないのはあくまで結界の中だし、賢い子だから命を危険に晒すことはしないよ。やることは結界外での人員の移動だしね」
「日本の価値は下がるばかりかと思うんですが、リスク分散になるんですか?」
「ここ数日、非術師の知人達から呪力のエネルギー転用について質問が来ていてね。誰かが先進国の政府へ、相当な説得力がある証拠を持って呪力情報を売り込んだらしい。その話が財界や富裕層に回って、私に質問が来ている、というとこ」
「マジですか」
「マジ。死滅回游に米軍が投入されたのが証拠だね」
「なぜ米軍を……?」
「これは推測だけど、アメリカは呪術師をエネルギー転用に使う研究サンプルとして捕獲したかったんじゃないかな。先進国であればあるほどエネルギー問題は頭が痛いし、同時に金脈だから」
「とはいえ、その死滅回游はただの非術師では……」
「そこだよね。情報提供者の目的が金やコネなら、米軍の突入は止めるだろう。しかし起きている。それにタイミングもあまりにいいから、情報提供者と死滅回游企画者は同じか繋がっている。そうなると情報提供者の目的は、非術師を大量に死滅回游に入れることだったんじゃないかな」
「日本だと政府は呪術を知っているから、自衛隊は入れない……外から調達するしかない」
「そういうこと。しかし話はもう世界に広まっている。日本は世界で唯一、今後1番化ける事業の先駆者だ。五条君の封印が解ける目処もたったらしいし、日本はまだ稼げる」
「まさか日本がエネルギー産業で1位になる可能性が出るとは思いませんでしたね」
「そこで話は戻るけど、呪力への質問の回答や、株価の動きを追うのに、流石に手が足りなくなってきた。メール返信や情報収集を手伝ってくれないかな。腕は動きそう?」
「もちろんですよ!」

冥さんはにっこりと笑って、パインジュースについていたパインをひと口噛じった。
「そうだ、なまえは動画編集できる?」
「簡単なのならやったことありますけど。ファイルサイズを小さくしたり、色味いじったり、切ったり、くっつけたりくらいなら」
「そのくらいでいいよ。死滅回游内での受肉術師の動画をいくつか手に入れたから編集してほしくてね。何人か見たがっていて」
「確かに受肉体なら一般機材に写りますもんね。あー……それならあの火山頭と五条さん、戦いますよね。やってくれないかな中継。五条さんが火山頭に快勝するところ見たいです」
「そいつ受肉体なの?」
そうか。宿儺レベルかと思って受肉ベースで考えてしまっていた。
「それなら宿儺は確実に映りますね。五条さんならきっと負けませんよね?五条さんの術式をちゃんと見たことないので戦う所みたいです。冥さんは見たことありますか?」


返事がない。

全くない。

冥さんは完全に動きが止まっていた。
目が大きく見開かれて、瞳孔も拡張していた。わかりやすく、あの冥さんが「驚いている」。こんな冥さん初めて見た。最悪だ。スマホが壊れてて写真が撮れない。今世紀最後の冥さんかもしれないのに。ジュースの中で溶けた氷が崩れる音を合図のように、やっと冥さんが声を出した。

「それだ……!!」


▼ ▼

しばらくして日本に戻った。久しぶりに見た高専の一部は削られたように無くなっていて、保管されていた資料や呪具、有用な呪物は持ち去れていた。あの日の現場になった渋谷と死滅回游の結界内になっている東京各地は高専よりは形を残しているが、破壊と略奪と死は同じだった。

冥さんは烏を使って、全世界に五条さんと宿儺の戦いを有料ライブ配信することにした。元々アンダーグラウンドでは呪術師の賭け試合をしていたが、呪術規定変更によって合法的に客層が広まったことで大手を振って動画配信プラットフォームの選定・配信・集客ができた。視聴チケット売上はすでに冥さんの資産の1割程度になっている。とんでもない売上だ。私が烏を撫でる手もホットになってしまう。

冥さんの烏が待機するこのビルの屋上は、五条さんが最初の一手をしかける渋谷・新宿間を一望できる。
憂くんが持ってきた高級フードを食べた烏たちは身を寄せ合って寒さを避けて眠り、来るクリスマス・イブに向けて英気を養っている。烏というのは他の鳥に比べて冬に強いし、仲間との協調性が強く、知能が高く、記憶力がいい。こうやって私が1羽ずつ血液を採取しても、餌をくれたことを覚えていて全く抵抗をしないどころか肩に乗ってくる。鳶や鷹と比べて攻撃力は低く小型だが、あれほど大きくなると主食が生餌になり、狩りが大変なため個体数が減りやすい。大量に使役するという点で東京の烏はかなり素晴らしい。
屋上のドアが開く音がする。冥さんかと思いきや、やってきたのは意外な人だった。

「そうしてるとオマエがソイツらの親玉みたいだな」
「日下部さんが褒めてくれるなんて珍しいですね」
「褒めてねーよ」
「なんでですか!烏というのは大変賢く、それでいて濡羽色というのは万葉集の頃、つまり飛鳥時代か「いい!いい!オマエ冥冥のことになると話し長いからやめろ!」

寒い……と日下部さんは肩を震わす。高層ビルの屋上なのだ。風はかなり強い。

「オマエ、スマホどうした」
「あ、烏が驚くので切ってました」
「道理で。ずっと連絡してたんだぞ。オマエ、刀とかの呪具をいくつか持ってたろ。現場に回せ。高専の倉庫にあったのは全部持っていかれた」
「それなら渡せるのは全部乙骨くんに貸しましたよ」
「リカに持たせてんのか……」

そう話す日下部さんの声は疲れ切っていた。鼻の赤みも寒さのせいでなく、明らかに打撃痕によるものだ。
「私も現場に出ましょうか?」
「いやいい。腕のことは冥冥から聞いてる。マトモに動くには死滅回游に参加してもらわにゃいかんし、今のオマエは半端だ。結界外の戦力もある程度いるし……」
しばらくその続きはなかったが、私が和紙に最後の1羽の血を塗りつけた時「やっぱオマエは外だ」と呟いた。

「オマエは呪術師の中ではマトモな方だ。結界の中には巻き込まれた非術師がいるからな。絶対に、気が散って、死ぬ」
念を押すように額をつつかれる。できる限り渋谷で非術師を助けたが、やはり一部は見殺しにせざるを得なかったことは侵食するように効いている。だから、次も見捨てられるか?と聞かれたら、助けてしまうだろう。なぜなら呪術師の任務の根底はいつでも人助けだったから。
もう私達は今までと全く違う世界にいるのだ。しかし日下部さんや冥さんみたいに、心の底から本音と建前を切り分けて来た人間じゃないと、土壇場で習慣が出て死ぬ。

「オマエには長生きしてもらいたいからな。五条が勝っても呪術師界はどーなるかわからん。もしもの時は無利子で金貸してくれ」
「しっかりしてますねぇ」
「何のために俺が教師やってるか忘れたか?あと、オマエのことを1番考えてるのは、なんだかんだで冥冥だ。アイツの側にずっといろ。必ず長生きできるし、今のオマエらしい生き方だろ。見知らぬ他人を助けんのはこの辺でやめて、冥冥について行け」
日下部さんは屋上の出入り口へ戻っていく。
「日下部さん、また会いましょうね」
「いい感じに終わりにすんな。後で俺にも血判術かけてくれよ。他のヤツよりたっぷり多〜めに強化してくれ」
そう言って屋上を出ていった。
風が吹きすさぶ。去年のクリスマス・イブもなかったし、今年もない。死ぬかも、という予定で2年連続潰れてるけど、今年は冥さんがとんでもなく儲けるから嬉しいクリスマスだ。

「お疲れ」
振り返ると冥さんがいた。烏達は沸き立ち羽毛を震わせて彼女の側へ飛ぼうとしたが、視線を送られてピタリと踏みとどまる。冥さんは私の肩に乗っていた1羽をすくい上げて嘴の根本を擽ると空に放った。烏は辺りをゆったりと1周し戻り、冥さんに1番近いパイプの上に止まった。
「うん良いね。他の烏達の調子はどう?」
「餌への食いつきも良くて元気ですよ。体力強化もしておきましたから、かなりついて行けるんじゃないでしょうか」
中継のカメラ代わりになるのが烏の目だ。血判術で体力を上げたから普段の2倍は動けるだろう。30羽くらいなら私が重い縛りを受けることなく強化できる。
光を拾わない冥さんの瞳が明るい色を宿す。烏達に青い呪力が灯り、全てが飛び立つ。いつもより早く、力強く、ぐんぐんと飛ぶ。この屋上にいなかった烏達も合流して黒い波が渋谷の空に広がる。流石だね、と冥さんは私の頬に軽くキスしてくれた。

「それにしても随分やられたね」
食い荒らされたように渋谷の街は壊滅していた。私達が退却した時は外の建物に被害はそこまでなかったのに。人間が半年かけて多くの重機や人員を投入してやっとできるような平地化作業が一晩でされた場所もあれば、ミサイルを落とされたかのようにフレームの鉄筋だけを残して燃え尽きたビルもある。つい2ヶ月前までは人で溢れかえっていた街だったなんて誰も思わないだろう。
「あの日のなまえの村に似てる」
「ここまでではなかったですよ」
冥さんは静かに笑った。
「やはり村のことをしっかり覚えているんだね。呪霊が起こした大災が似通うのは目に見える痕ではなく、痕に漂う空気だよ。日下部もそう思ったから、わざわざここまで上ってきたんだろう」
村のことはあまり思い出さない方がいい、と冥さんから時々言われていた。自覚してないみたいだけど思い出している時は顔が強張っているから、と。忘れるように努めたし、日々の中で記憶は薄れて来たと思っていたのに。
「あぁ見えてなまえのことを心配しているんだ。それに日下部が言ったことは正しい」
「どこから聞いてたんですか?」
「気が散って死ぬ、辺りからかな。私もそう思う」

冥さんは私の髪についていた黒い小さい羽をつまみ上げ、白い息で吹き飛ばした。羽はゆっくりと風に乗り、下に下に落ちていく。その先でガラスを割る音と誰かが怒鳴る声がする。
「なまえはあの村を嫌っているようでいて、今の自分なら救えたかもしれないと、ずっと考え続けているんじゃないかな?」
冥さんが手を挙げると烏が一斉に鳴いて加速し、黒い大波が空に轟く。
「なぜ、そう思うんですか」
「あの日、なまえが村を見ていた表情と、任務で助けられなかった人間を見る表情がいつまで経っても同じだから」

意識の端にあった名前のないわだかまりが、言語化されて一気に輪郭を持つのが肌で解る。
食い千切られたような向かいのビルに広がる乾いた血。過食して吐いた後のように積み上がった人だったもの。

罵声、呪詛、地面を覆う雨と血溜まり、膿と泥が混ざった腐臭、弱々しい嗚咽。

あの村の人間は、あの出来事がなければ、私があの呪霊を祓えていれば、あそこまで醜悪にならなくて済んだんじゃないか?
善も悪も表裏一体。人は悲惨な事態で善悪がすぐに反転する。だから私は、善人を悲惨な目に遭わせたくないと思って10月31日までを生きていた。

「震えているよ」
「……やっぱりマレーシアと日本じゃ、全然気温が違いますね」

烏の群れが渋谷の空を覆う。どこかで小さな悲鳴がした。明日のネットニュースにはきっと「渋谷で烏の大群。凶兆か」と載るだろう。
日本は今、死滅回游が発端で非術師達がありとあらゆることに怯えていて、平穏な日常では構われもしなかったことが次々と「滅亡の始まり」としてネットで取り沙汰されている。現実で犯罪に走る人間もいるが、そこまで多くない。だけどネットは違う。終わりを口にするのは恐ろしいのかネット上は狂乱に満ちていて、その数からすれば現実で起きる事件は微々たるものだ。外を歩く人々は奇妙なほどに静かだが、呪霊は加速度的に増えている。

冥さんが私の手を握る。確かに私の手は、かすかに震えていた。
いつ死滅回游の結界から凶悪な呪霊が溢れ出るか。いつ人々の善の膜が破れて大量の醜悪さが現実に溢れ出るか。どちらが先か分からない。でも前者と後者なら、私は前者がいい。私の家の戸が叩かれた、あの朝は後者だ。あれがまたいつ起きるか。私は、日本に戻って来て、ずっと怯えている。

「なまえ」

冥さんが私の名前を呼ぶ。冬の曇天では冥さんの瞳に光を落とすことなんてできないのに、術式を発動した時とは違う光が瞳の奥にあった。

「いい機会だから、全部忘れたらどうかな」

顎をすくわれて顔を合わせる。冥さんは楽しそうに私の目元を親指で撫でるが、髪に隠れてその表情は窺いしれない。

「あの村も、人の善悪も、全て忘れて私だけを見ていて欲しい。私だけだ。私にだけ尽くし、私のためだけに生きて、目が覚めてから眠るまで、私が側にいてもいなくても私のことだけを考えて生きるんだ。私より先に死ぬ時が来たら、私を置いて死にたくないと泣き叫ぶくらいに私のことを想ってくれる?」

何を言われたか理解するのに時間がかかった。表情が見えない。声色もいつもと変わらない。何も表に現れてこないのに、言われたのはとんでもない言葉だ。返事ができなくて、唇だけが空を切って、やっと出た私の「なんで、ですかあ?」という馬鹿みたいな声に冥さんは少し声を漏らして笑った。

「愛する恋人にそうあって欲しいと願うのは、おかしなことじゃないと思うけど」
どこまで愛の言葉を囁かれても、冥さんが愛しているのはこの血判術式を持つ私。ここまで言ってもらえたのは、今回の巨大な稼ぎに貢献できて、冥さんの中で私の価値が上がったからにすぎない。
だからそんな言葉、誰よりも、何よりも、信じられる。
冥さんの金への想いは何があっても揺るがないから。人の善悪みたいに裏返らないから。
嘘でも情けでもない、冥さんの本心から出た言葉。

「そんなに冥さんを想ってもいいんですか?」
「勿論。双方の愛の大きさが釣り合わないのは気持ち悪いしね。おや、泣いているの?」
「嬉しくて」
「ははは」
「……忘れられるでしょうか」
「私のことを想うのは得意だろう?」

涙を拭われて、濡れた睫毛を弾かれて遊ばれる。目を開くと戻ってきた烏が冥さんの後ろを飛んでいた。強い風が彼女の髪をなびかせる。少しだけ見えた目はいつものように弧を作っていた。いつものように、何も変わらず。
渋谷に視線を移す。もう、故郷は重ならなかった。


同人誌「金のミカタ」先行掲載 2023/06
サイト掲載 2024/03/07
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