※七海くんと後輩20の後の話

この仕事をやっていると1シーズン先を見越して動くから“今”に疎くなるが、流石に今は冬だとありありとわかる。
視界がほぼ雪の中で、印刷した地図を片手に山道を登っていく。撮影のときは衛星写真をフリップにしたり、わかりやすくファイリングしたりして現地の人との遭遇から撮るが、今日はただの下見だからタブレットを使ってたら寒すぎて速攻電源落ちた。念の為持ってきた紙地図に切り替えた。やはりペーパーレスは良くない。
スノーシューズでも歩きにくい道をのぼり切ると視界一面の雪原が広がったが、地図上では畑だ。地面に向かって作業する人も見えるし、間違い無いだろう。
住民に近づくと遠くながらも目が合った感覚がある。軽く頭を下げると、俺より数倍軽い足取りでおばあちゃんが寄ってきてくれた。

「こんにちは、東京から来たテレビ局のものです」
「あらあ、こんなところにめずらしい。どうかされました?」
「山の上とか岸壁とか、人里離れた所に1軒だけ立ってるお家を尋ねて、お住いの様子や住んでいらっしゃる経緯を聞くっていう番組を録ってまして。その下見で来させてもらってます」
人が良さそうなおばあちゃんは嬉しそうに「もしかして」と俺が作っている番組名を言ってくれた。やっぱり見てくれる人がいるのは嬉しいものだ。
「このお家を知ってます?」
衛星写真を紙に印刷して目的地に丸をつけたものを見せる。俺が次の取材先として目指しているのは、この山の上にある1軒家だ。
「あー、知ってますよお。ここの道20分くらい登っていけば着く」
俺がさっき歩いて来た道を更にまっすぐ行くとあるらしいが、道は時々左右に伸びて大きな住宅につながっていた。しかし指示通り真っ直ぐ行けば、雪を被った木々が生い茂る中に突入する。人が行き来しているのは確かで、そこだけ雪が剥げて車の轍がここからでもくっきりと見えた。

「東京のひとの足だと40分くらいかも。女の子がね、1人で住んでる」
「え、女性が?」
「お兄さんよりちょっと歳下くらいかな?パソコン関係とか、作物売買の交渉とか、ここ一帯の管理人さんとの橋渡しとか、私達じゃ難しいことを色々引き受けてくれてる。いい子だよ」
「そうなんですか。てっきり高齢の方が住んでるのかと」
「あの番組だとみんなそうだもんね。でもホントに撮影するならこの人に連絡とったがいいよ、一応私有地だからね」
おばあちゃんは笑いながら、若々しい色合いのウィンドブレーカーの下に仕込んでいた赤いチェックのエプロンから名刺を取り出す。この辺の所有者は東京に本社がある不動産屋らしい。名刺記載の名前は「菅田真奈美」さんで、失くさないようにバックパックの奥にしまった。


東京人の足だと40分と聞いていたが70分かかった。
まずはゆるく長い1本道の傾斜がある。春になったとしても車で行けるのはここまでで、そこを超えると人ひとり歩くのが精一杯の細い坂道や、凍りついてめちゃくちゃ滑る狭い石造りの階段が続く。人を拒絶するような道を超えて、最後のひどい傾斜を登って見えたのは普通の家だった。
人里離れた僻地にある家というのは大体が大正・昭和初期から続く、古いデカい木造日本住宅であることがほとんどだ。重機を入れられないから大きな手入れができず、自力でなんとか修復したり、デカい手製の生け簀、井戸、小屋など自給自足できる設備があることが多いのに、この家は多少デザインは古いが東京の住宅地から引っこ抜いて刺したように最近のものだ。
その玄関前に人影見える。声をかけて駆け寄ると振り向いたのは若い女子ではなく、金髪のデカい男だった。玄関ドアにガムテープでなにか貼り付けていた。長い前髪の隙間から、緑色の目が見える。

「どうもこんにちは。東京のテレビ局のものです」
「……こんにちは」
返事のイントネーションは全然俺と変わらない。めちゃくちゃ流暢な日本語だが日本人離れした鼻が高く、目立つ頬骨、骨ばった額の立体感、少しくすんだ金髪。しかし完全な外国人顔ではない。ハーフかクォーターか?近づくとデカさとガタイの立派さ、そして顔の良さがわかる。一般人とは確実に違うオーラがあった。日本に別荘買った海外俳優か?
「すみません、こちらのお家ってここで合ってますか」
衛星写真と地図を見せると、しばらく眺めてから男は頷く。
「間違いありませんね」
低く落ち着いた声は雪が吸音する中でもよく通った。
「ここにお住まいの方ですか?」
「………いえ、ここに住んでいる方に会いに来た者です」
「ああー……なるほど。自分こういうものです。撮影の下見で来ていて」

名刺を渡し、担当の番組名を言えば、男は「あぁ。あの」と小さく納得したような声を上げたが、名刺をじっと見つめて俺の顔をちらりと見た。怪訝そうな鋭い目つきはこの仕事をしていれば慣れるが、海外俳優顔は普段会わないので睨まれると迫力が違って少しビビる。
その顔にどこか既視感がある……が、それよりも男の後ろの玄関ドアが無惨に凹んでいるのが気になる。しかもドアは死体に鞭打つようにガムテープで家に厳重に貼り付けられていた。男の足元には使い切ったガムテープの芯がひとつ転がっていた。
「…………もしかして、ここって熊でます?」
「………?ああ、玄関ドアですか。熊のせいではないので安心されていいですよ」
熊に襲われてないのならなんだよコレ。逆に怖い。
「ここにお住いの方とお話がしたいんですが、ご在宅ですかね?もしかしてお取り込み中でしたか」
「いますが今は体調を崩して寝ています。そうでなくても彼女がアナタに会う確率は低いでしょう」

明らかに棘のある声色。
それが既視感の原料である記憶を引き摺り出してくれた。寒空で冷えた脳と頭蓋骨の間が、電気信号で熱く満たされる衝撃がする。確かに目の前の男のパーツは、どれもこれもあの人と同じだったが、あまりに見た目が変わっていた。
「アンタ、七海先輩?」
彼は表情ひとつ変えなかった。
「お久しぶりです、苗賀さん。仕事で来ているようですから、ここでよければ話します」

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七海先輩は軒の下、俺は軒の外。雪が降ってなくてよかった。この人は降っても俺を入れてくれそうにない。
「じゃあ、ここに住んでるのはみょうじってことですか」
「そうですね」
「随分簡単に教えてくれたなー」
「みょうじさんが開示しそうな情報を話さないと代わりに応対する意味がないでしょう。彼女は6年前に色々あり、そのせいで身を隠す必要にかられて失踪した後、ここに隠れ住んでいました」
「七海先輩とですか?」
「いえ。ちょうど一昨日の昼頃に私が見つけました」
正月だから人がいないだろうと延期せずに来ていれば、七海先輩を抜けたのか。
みょうじなまえ。俺の中学の頃の友達で、大学の中頃までずっと好きだった女子。顔を合わせれば再燃する自信はある。あるが、だ。

「色々あって、の色々を聞きたいんですけど」
「仕事としてですか?」
「いや、個人的な興味っすね」
「話せません」
「みょうじも話したくないの?そっちの仕組み的に話せない内容なの?七海先輩が話したくないことなの?」
「仕組みの部分が大きいです。こちらの業界の規定上、私は一般人のアナタに色々を話せません」

学生の頃に舌を“釣られた”傷は小さな引きつれとして残ったが、話すのにも食事するのにも影響はない。“釣った”あの力と同様に、俺の舌もそういう力に治してもらったらしい。
そういう力のこと、みょうじや七海先輩がいる業界、呪いというもの。ひっくるめて他言無用な世界について知ったのは、病院に運ばれた日の翌朝だった。
黒いスーツの大人が話してくれたことは、当時BLEACHにハマっていた俺には理解しやすかった。ジャンプを読むなら1度は誰もが空想する「不思議な力の存在」を思春期ど真ん中で目の当たりにしたが、事実への高揚感は全く無く、恐怖の方が勝った。
その時はまだ舌を治してもらう前だったし、釣られたときの痛みや呼吸をできなかった苦しみ、死を間近に感じたこと。そして呪いなんてものが日々人を殺しているという事実は、血管の中に砂でも流されたような気持ち悪さと恐怖があった。人は幽霊にあったことがないから、暗闇に入れるのだ。
だからあのとき助けてくれた七海先輩にもう突っかかる気は無いし、あの業界に関わりあいになりたくない。

七海先輩が1階の窓から入って淹れて来てくれたインスタントコーヒーをすする。インスタントコーヒーの味がした。分かってはいるけど舌がまともに機能していることに安堵する。
七海先輩もコーヒーを飲む。ダウンの上着を脱いだ腕は俺より一回り太い。あの頃は服の上から見た感じは俺と同じくらいの体格しかなかったし、線の細い神経質そうなイケメンだった。今やハリウッドで、武装集団をスタント無しで一掃しそうな俳優風になっている。

「七海先輩はどうやってここを見つけたんですか?」
「それも仕事の質問ですか」
「半分。興味と今後の番組作りのために」
七海先輩はダルそうに口を開いた。本当に俺が嫌いでダルいのか、こういう人なのかは分からない。でも大人になって向かい合うと後者のような気がした。
「……実際、自分でここを特定はできませんでした。運良く知人のツテで情報が舞い込んだだけです。稼いだ金で何人も人を雇って、いそうな所を片っ端から探しました。あのままやっていればあと2年くらいは必要でしたでしょうね」
「あと2年かかっても探し切れたのはすごくないですか?何年探してたの?」
「6年」

は?という声は飲み込んだが、明らかに顔に出た俺へ彼はグーグルマップを見せてくれた。捜索した場所にピンが立ってて、おそらく派遣者に支払った金額と派遣人数が記録されている。何事も人件費が1番高いというがその通りで、ざっと見たところでも記録された金額総額はサラリーマンの生涯年収平均額を超えていた。

「辺鄙な1軒家を探すのに、衛星写真を見て的を絞るやり方は変えない方がいいでしょうね」
「間違いない。……で、今度の質問は好奇心なんですけど。離れてる間にもしみょうじに彼氏ができてたらどうしてました」
怪訝そうに眉間に皺が寄る。彼のカップの中のコーヒーは半分も減っていなかった。今更七海先輩とやり合うつもりなんてない。思春期特有の思い上がりで自分をカッコいいと自覚していた俺でさえ、過去を振り回さないと七海先輩には勝てないと思ってたのに、今の彼には全く勝てる気がしない。流石にもう思い上がってない。七海先輩の口から細く長い白い息が漏れた。
「私は、6年間1分1秒絶やさず彼女を想っていました。だからいたとしても問題はなかったですね」
「本当に?」
「何が、本当になのですか」
少しムッとした声だった。キレやすいのは変わってない。
「6年間1分1秒絶やさず?」
「当たり前でしょう。愛していますから」

当たり前なワケないだろ。
普通の人間はそんなことできない。
大切な人が失踪したらもちろん必死に探すだろう。でもそれってさ、血のつながった家族とか、結婚した奥さんとか、長年愛した恋人じゃないか?七海先輩とみょうじって、1年も一緒に過ごしてないだろ?もし付き合ってたとしても、長く見積もって半年も付き合ってないだろ。
そんな存在に、6年と3億円かけて探さない。そんなに尽くせない。そんなの、

「頭がおかしい、でしょうね。たった1年そこらの相手に。私もみょうじさんに出会う前だったらアナタと同じ感想を持ったでしょう」

七海先輩はそう言うと、俺を見た。多分ここに来て初めてちゃんと彼に見られた。分け目なく降りた前髪の隙間から見えた目には、学生頃のように俺を敵視する感情はなく、ただ見られた。それだけだった。
「狂うのは結果ではなく、過程にある手段です。それにおかしくならないと私達のいる業界では働けませんよ。でもおかしくなるなら、愛した人のためにおかしくなる方がずっといい」
「みょうじ、大変だな」

口をついた言葉に特に変な意味はなかった。ただ急に、自然と、その感想が出た。七海先輩は目を少し見開くと「そうかもしれませんね」と、初めて嫌味のない同意をされた。
「話し過ぎましたね。彼女に会いたければ3日後くらいに出直してください。その頃には体調も戻っているでしょう」
七海先輩は俺の手からマグカップを取るとまた1階の窓から家の中に入って、そして戻っては来なかった。話した時間はたった10分程度に過ぎなかったのに、その間は寒さを忘れていた。

6年前に本屋でみょうじと再会したとき、運命だと思った。
七海先輩の誘いで本屋に来たというみょうじ。連絡先は渡せなかったけど、その後に偶然七海先輩に遭遇した。それでもダメだったけど、みょうじは俺の学校に来た。七海先輩には悪いけど、あの人は俺をみょうじに引き合わせる運命の味方側とも考えていた。
けどそれは間違いで、みょうじの運命の人は七海先輩だった。運命をレールに例えるというよくある表現を使うなら、運命のレールの上を走る電車から見えた、ちょっと形が変わってて目立つビル。電車の中の七海先輩とみょうじがそれを見て、会話で少しの間だけ話されて、2度と思い出されないビル。それが俺だ。
戻りの道は下り坂で、何度も雪で滑って転がりながら考える。頭だけが熱くはっきりしていた。

▼ ▼

帰って上司に下見を報告したら、若い人が取材対象になるのも稀だし、そんな運命的な2人なんて絶対面白いと再度アポを取りに行くように言われた。
絶対無理だろと思いつつ、嫌々ながらも再度尋ねると、ドアは新しいモノに変わっていた。インターホンを鳴らすと、白いベレー帽とサングラスが似合っているアフリカ系ガチ外国人の男が出て来て「ダレダオマエ、カエレヨ」とクソめんどくさそうに帰された。あの日の出来事が夢のような気がしてきた。
後日、みょうじについて聞くために、おばあちゃんから貰った名刺の相手へ電話した。「取材はお断り。今後私有地に入った場合は弁護士に相談します」とキツそうな女性に開口1番言われて切られて、リダイヤルしても繋がらなかった。もちろん取材はお蔵入りになった。

2024-02-25
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