※渋谷事変がなかったifで3話後の話です。

「昨日、誰かに告ってダメだったとか、そういうことはないよね?」

当たっていたらしい。
虎杖くんの表情が一気にしおしおと項垂れて行く。励ましに、空になったグラスにコーラを注いだ。2リットルのコーラを買ったのは小学生のこども会の差し入れ以来だった。
「そんなことないけど、なんでそんなこと聞くの」
「違うんかい。23日の深夜に24日暇?って聞いてくる高校生は高確率で振られてるでしょ」

今年は天皇誕生日が日曜日で、今日であるクリスマスイブは振替休日になった。
先週からニュースでは追い込みと言わんばかりにクリスマスの話題が増えていき、街頭インタビューで学生が「クリスマスに向けて告白します!」と少しはにかんだ笑顔で意気込みを語っていた。昨日は私も街に出てクリスマスセールを回っていたらカップルだらけだったし、今日はもっとだろう。だから昨晩「高専でホールケーキもらったけど一緒に食べませんか」と男子高校生が敬語で誘ってきたら心配にならないわけがない。

「ちげぇの。マジに元々暇だったの。で、高専にホールケーキが余っててさ、みんな1つずつ渡されて、上手く消費するなら高専外にもってかなきゃダメじゃん。なまえさんの好きそうなケーキだったし」
「これはホント嬉しいよ。クリスマスケーキ、ホールしかくて諦めること多いから、ほんとありがとね。でも高専になんでホールケーキが余るほどあるの」
「趣味でいっぱい買う人がいて」
「高専という組織がお歳暮でもらうとかじゃないんかい。話し戻すけど誰か気になる子とかいないの?高専って女子が少ないんだっけか」
「近い年齢だと上と同期に1人ずついるけど、でも俺はその、もっと歳上派っていうか」
「へぇー、はあ」
「いやいやいやいや、もうちょっと興味もって」
「聞きたかったけど虎杖くんが作ってくれた鍋が美味しすぎて……。なんだこれ。鳥団子ウマ」
「じゃあ体あったまったら聞いてよ」

虎杖くんは「ちょっと味が薄くなってんね」と醤油を足す。
大変な仕事もして、身長もあって顔もかわいい。筋肉もすごいし、性格もいいのに料理も上手いとかモテない方がおかしい。やっぱり高校に人がいないせいかな。

▲ ▲

私が虎杖くんの素性を詳しく知ったのは、アレに襲われて彼に助けられた日から3週間ほど経った日だった。

『学校の職員みたいな人に会ってほしいんだけど、土曜に会える?』

会社でランチを取っていた時に来た連絡に、持っていたサンドイッチの具材が全部パンの隙間からこぼれ落ちた。誓ってやましいことはしていないが、学校職員からこういう要望があるということは何か疑いをかけられたのだろう。
「いいよ。内容なに?怖いこと?」と冗談めいて尋ねたら「俺からは深くいえないけど、怖いかも」とすぐに返信があった。
ホテルに行ったとか思われてる?夜に連れ回したせい?いや都は“青少年”を“深夜”外出させることが青少年健全育成条例違反としている。青少年とは18歳未満の男女。深夜は夜11時以降。どちらもクリアした付き合いをしている。だって最初に誘う前に5回くらい調べて、解説サイトのページをホームに保存したし。
しかしでも、呼ばれたってことは何かあったのだろう。直で警察に行かれてないだけマシ、運がよかったと思おうとしたが土曜まで食べたものの味がしなかった。よく考えたら虎杖くんは3月生まれだ。つまり彼はまだ15歳ってこと。隣の先輩から「白目むいて仕事しないで……」と半泣きで頼まれた。

土曜の12時。私が指定した、会社と自宅の間にある駅近くの喫茶店で待っていると、やってきたのは黒いスーツの男性1人だった。
背丈はほどほどで、細身で痩けた頬と眼鏡が神経質そうな顔立ちを際立たせている。私達の後ろの席にいるアイマスクしてる人も全身真っ黒だし、私もダークグレーのスーツで来たから、もうこの辺真っ黒だよ。

「お待たせしました、伊地知と申します。いつも虎杖君がお世話になっています。彼は急遽、実習に呼ばれてしまって先に私1人でお話しさせていただきます」

声色は印象よりずっと優しいし話し方も穏やかだった。けれど最近、虎杖くんおすすめのアジア映画を何本か見たせいで暗殺者かフィクサーにしか見えない。できる怖い人って大体丁寧で穏やかだから。いや社会的に抹殺しに来てるんだから実質同じことだ。
渡された名刺を見ると“東京都立呪術高等専門学校”の文字。

「すみません、宗教なら仏教を強めに信仰してるのでちょっと」
「いえいえいえ!お話したいのはそういう事ではなく!私は本当に!虎杖君が通う高専の職員で、宗教勧誘ではありません!」
よかった。嘘だ。クリスマスも毎年バチバチに楽しんでる。
伊地知さん越しに視界に入ってくる後ろの席のアイマスクの人の口角が上がる。あの人、ずっと寝てると思ってたけどもしかして起きてるのか?
「じゃあ、青少年健全育成条例違反に関することですか?」
「え?何かそういうことを?」
「いえ、念のためです。ホントーに、念のため」
よかった。これもなし。
伊地知さんは咳払いをするとちょうどよく届いた彼のコーヒーに口をつける。淹れたてのコーヒーの匂いに私も少し安心した。

「今日お話したいのは、先日みょうじさんが遭遇して虎杖君が撃退したものについてです。お怪我はその後、大丈夫でしたか?」
宗教勧誘・未成年との不適切な交流疑いが晴れたことに一瞬喜んだが、その話題はそれらよりもっと触れられたくないものだった。
頬の絆創膏に意識が行く。あの日の怪我で1番酷い箇所で、内出血が引かなくて隠さなければいけないけど触らなければ痛みは無い。記憶も同じように、触れられなければ思い出さないようにできるものになっていた。一気にこわばった体を動かして生唾をコーヒーで押し流した。
「あの黒い、四つん這いの」
「はい。我々は、あぁいうものから人々を守る仕事をしています。先にお話しますと、アレはもう退治されました、安心なさってください」

あの日、虎杖くんが電話で話していた「じゅれい」は樹齢ではなく呪霊。「しきがみ」は式神。人の負の感情が集積してできた呪いは形を持って人を襲うが、一部の人間にしか見えない。私を襲ったアレが、形を持った呪い。その被害者は年1万人を超えると伊地知さんは説明しなれた口調で話した。
「みょうじさんを襲ったのは特殊なケースで、見えない方にも見えるものです」
呪いを退治する仕事に就くための専門学校が、虎杖くんが通っている東京都立呪術高等専門学校。
都立、なのだから国も認めている機関なのだろう。アレに出会う前までなら絶対に信じないが、今なら信じられる。けど流石にもう少し裏付けが欲しい。
お手洗いを理由に伊地知さんから離れて検索してみると、グーグルマップのピンは山の中に立っているし、都の教育委員会サイトの都立高等学校一覧にも載っている。ネット情報をすべて鵜呑みにするわけではないが、見たものが見たものだし、都サイトにも載ってるから信憑性は高いだろう。伊地知さんの話を信じれば、虎杖くんの人間離れした運動神経や謎が多い発言にも説明がつくが、まだ少し気になる部分もあった。席に戻り、ストレートに尋ねてみる。

「なぜ今回、そんなお話を私にしてくださったんですか?……憶測ですけど、被害に遭った人全員に呪いについて知らせていませんよね」

疑問なのは、ネット上に呪いの情報がオカルト話の程度しかない、ということだ。
私みたいに襲われて助けられて説明を受けた人がいるのなら、彼が言う組織的なものの話が噂程度でもあっても良さそうなものだが、それが一切ない。しかしネット社会の今、完全に口止めすることなんて無理だろう。その矛盾がひっかかる。
伊地知さんは少し間を開けると「怖がらせるつもりはありませんが、事実としてお伝えします」と続けた。

「まず前提として通常、呪いの存在は秘匿され、存在を明かしてはいけない決まりになっています。そのため一般の方に見えない呪いによる被害は、人が起こした事件事故として隠蔽され、警察側で処理と説明がされます。次に一般の方にも見えるレベルの呪霊による事件は、もう被害者が「見て」しまっているので説明をする場合があるのですが、このレベルの呪いは極めて危険で、被害者のほとんどが亡くなってしまうためです」

説明する対象がいなければ、ネットに書き込む存在もいない。つまりやっぱり私、運がよかったんだ。手汗が滲んだハンカチを握り込みながら、再確認した。
「それに今回、虎杖君からもみょうじさんへ話しておきたいと相談があったからです。………ここからはみょうじさんには言わないでほしいと頼まれたんですが、お話しないと質問にお答えできませんので伝えますね。虎杖君は、あの呪いを退治する担当に名乗り出て、ここ2週間ほど現場の調査と並行してみょうじさんの帰宅を見守っていました。退治は終わりましたが、ずっと気を張って夜道を歩くみょうじさんを安心させたいと希望があって、今回私から説明する場を設けさせてもらいました」
その話を聞いて、少しだけ冷えた指先のこわばりが緩む。この2週間、駅を出たらほぼ真っ直ぐ、早歩きで脇目も振らず帰宅していた。それを見られていたのは結構恥ずかしいけども。虎杖くんに今度あったらお礼を言わないと。

「……なんかすみません、気を、遣わせてしまって。ありがとうございます」
「いえいえ、なので安心されてください。もうあんなのと遭うことはまずないでしょうから。あのレベルは数が少なくて滅多に出ません」
「そうなんですね。安心しました。ところで虎杖くんに口止めされてた件を聞いたって言わないと彼にお礼が言えないんですけど、なんとか伊地知さんが話してくれたってことにできませんかね?」
「それはちょっと……信頼関係がありますので……!!」
「そこをなんとか」

伊地知さんは焦って手を横に振った。この人、かなり人がいいな……間違ったイメージを持ったことに頭の中で謝罪していると、なぜか伊地知さんの後ろに座ってるアイマスクつけてる人が急に笑う。怖い、やっぱ起きてるのか。

結局、虎杖くんとはその日は会えなかった。
帰宅の道を歩きながら、彼の素性が分かったこと、アレが退治されたということ、警察には連れて行かれないで済んだことに心を落ち着けながらも、自分が道をきちんと歩けているか分からなかった。
“呪い”について知れてよかった。これは確かだ。そうでなければ、アレが退治されたことを知れなかったし、これから先もアレに不必要に怯えて暮らさなくてもいい。けど、今まで木だと思ってもたれかかっていたものが、表面に木目調のシートを貼っただけの得体のしれない“何か”だったような。この世界がひどく頼りなく感じた。自分のこれからのために、深く考えないように脳の奥にしまいこもうと決めた。

▼ ▼

「年上の人って学校の先生とか、伊地知さんみたいな職員の人とか?」
鶏団子鍋を2杯も食べて、やっとその支配から脳が抜け出せたので尋ねると、虎杖くんも箸が進んでいて焼肉を飲み込んでから頷いた。
「全然違うけど、その人達の年齢に近い。6つ上」
「21って私と同い年じゃん」
「うん。なまえさんはさ、どう思う?21歳に俺が告るとしたら」

軽い質問かと思ったが、虎杖くんの顔は思ったより真剣だった。箸を置いて、じっとこちらを瞬きもせず見つめて来た。三白眼なのに全然怖い印象を与えないのはなぜだろうか。会社にいる三白眼の事務の人に睨まれるととても怖いのに。目が大きくてかわいいからか?けれど、いくら可愛くてもここまで真剣に見つめられると恥ずかしいんだけど。ファンデ、毛穴落ちしてないよね。でもそのくらいその人について真剣なのだろう。
私は視線をケーキに逃がし、最後に残す予定にしていたイチゴを勢いあまって口に入れてしまった。

「15が21に憧れたり恋するのは普通だけど、15から告白されてOKする21はまともじゃないと思うよ。未成年に手を出せる倫理観のヤツはその他でも失敗する。虎杖くんには幸せになって欲しいから、全然勧めない」
虎杖くんはぐっと眉間にシワを寄せたが「やっぱそうかー」と、息を肺から全部吐き出すように落胆の声を上げて天井を仰いだ。しかしこちらに顔を向き直したときには、もういつも通りの笑顔だった。

「まあ、付き合ってる人がいるかとか、好きなタイプとか聞く程度ならいんじゃないの」
「……やめとく。今のままが結構好きだし。仲良くしてもらってて満足してるし、下手言って関係壊したくない。それに俺、あんまり長くいないと思う」
「……地元に戻るとか?」
「そんな感じ」
それってホント?とは聞けなかった。いつもくるくる表情が変わる彼とは違って、落ち着きを払った、冷たい熱がその言葉にはこもっていた。深く尋ねるか迷っている間に虎杖くんはまた黙々と箸を進めていて、賑やかしにつけていたテレビ音が大きく響く。
100点満点のデートですね、と情報バラエティ番組のリポーターがクリスマスランチのメニューを称賛した。

「490点のクリスマスランチ」
虎杖くんが私を見る。
「虎杖くんが持ってきたケーキ120点。私が買った高い肉120点。虎杖くんが作った鍋200点。私が作ったポテサラ50点。合計490点のクリスマスランチ。来年も、虎杖くんの鍋でトータル値上げてね。私だと170点しか取れないから」
「……任してよ。でも俺はなまえさんのポテサラ80点くらいあると思う」
「あ、でも彼女できたら来なくていいから。デート行きなよ」
「いや来るから!!」

▼ ▼ 

テーブルの上が残りホールケーキだけになった頃、虎杖くんが持っていたケーキの紙袋の中から、もうひとつ紙袋を取り出した。
「せっかく付き合ってくれるので、モッテキマシタ」
うやうやしく差し出された紙袋に載ったブランド名に見覚えがあるけど、何だったか思い出せない。
「え。なになに。こっち何も用意してないよ」
「いいよ。俺が勝手に持ってきただけだし」
「まともな大人はそれではい、そうですかと言わんのよ。覚えときな。えーどうしよ……Amazonでモノ買う?」
「的確にアマギフ買い与えようとしてない?」
「商品券は思いやりの行き着く先なのよ。あけてもいい?」
「どうぞ」
開けてみると、ほんのりいい香りがする。そしてパッケージみたらすぐに分かった。雑誌とかで頻繁に取り上げられているブランドのルームフレグランスだ。お高いけど人気、それが納得できる香り。お店に何度か嗅ぎに行ったけど、ちょっと値段的に踏ん切りがつかなくて保留にしてたやつ。
「な、コレ……!!ポメ……なに?!読み方の正解がわからないけどいい匂いする!!好き!!ほしかったブランドのだ!」
「マジ!?ヨッシャ!!前来た時、置いてたからさ。それで釘崎に店選んでもらって、俺が好きそうな匂い選んでみたんだけど、今置いてないよね。もしかしてやめた?」
「2人ともプロだな……。先週に無くなって次の探したところ。ケーキ食べたら置くね。……で、Amazonで物買う?高かったでしょ」
「えー……あー、じゃあそれ、できたらほしい」

彼が指さしたのは、ソファの上に置いていた編みかけの手袋だった。会社の先輩が初心者キットを買ったけど全然できなくてもらったやつ。
「手編みだよ?暇つぶしに編んでたやつだし」
「なら贈る相手とかいないんだよね?欲しい」
贈る相手どころか、編み上がった後のことは考えてなかった。虎杖くんの目は急に期待に輝きだしている。寒いから外に出たくない日に暇つぶしに編んでただけとはいえ、編み物の腕は悪くないと思うし、色もネイビーで無難。あげても問題ないと思うけど。
「虎杖くん、手、広げて」
こちらに向かって出された手に私のを合わせる。こうやって比較してみると1.5関節くらい大きいし、手の肉も骨も私と違う、知らない何か丈夫な新素材みたいだった。
「なまえさん、手ちっっ……ちゃい……」
「同じサイズあったら怖いでしょ。やっぱ今のままじゃ小さいからサイズ合わせる。来年の頭には渡せると思う」

編み直しになるし、毛糸も買い足しがいるけど、テキトーに編んでたので逆にやる気になった。年末年始休みでまとまった時間もある。虎杖くんは作りかけの手袋を子猫でも持ち上げるみたいに優しく触ると、しげしげと眺めた。
「編み物めっちゃ上手いね」
「寒いの嫌いでさ、高校のときに冬休みの暇つぶしでやったらハマって。でも意外。手編みのものもらうって重くない?嫌う人多いイメージなんだけど。私も頼まれて作る以外は人にあげたことなんてないよ」
「俺は全然。地元にいた頃は知り合いのばあちゃん達からマフラーとかセーターとかもらってたし。嬉しかったけど、みんなくれるからどれ使うか迷ってさ」
「虎杖くんの首の取り合いになってんじゃん」
「言い方。あと、その、まあ、レトロブームだし」

そういえば高校生の間で、純喫茶でメロンクリームソーダとか、写ルンですとか、昭和レトロがブームらしいとは聞いたことがある。手編みをレトロブームの一員にしていいのか?いや現役高校生が言うからあってるのか。
おばあちゃん達に狙われていた虎杖くんの首……太っっと。仕事でもし首を締められたりしても、相手の指を筋肉で折りそうだけど、きっとこれは素人の発想なんだろうな。
記憶を呼び出すものが無いと、自分を脅かす恐怖は日々薄れていく。最近はアレと出会う前と同じように、夜道を歩けている。けど虎杖くんに遭うたびに今までなかった心配が生まれるようになった。

「ついでに虎杖くんの来年の首は私が取ろうかな。好きな色ってやっぱ赤?マフラーも編む。釣り合いとれないし」
虎杖くんがすごい速さでこっちを見た。目の輝きがすごい。ヨッシャ!まで声を上げられると格付けで正解したGACKTさまかよ。
「マジ!?」
「マジ。それかアマギフ」
「マフラーが絶対いい!……あの、さ。面倒だったらいいけど、できたらネックウォーマーがいい。マフラーは走ってると吹っ飛ぶから。絶対失くしたくねぇし」
「いーよ。作れる作れる」
ネックウォーマーって急にモダンだな。レトロブームどこ行った。……ネックウォーマーに鋼線仕込む方法とかネットで探したらあるかな。
男子高校生、レトロとモダンの二刀流。

2024-01-21
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