※シリーズより前の時間軸の話

『死体がいくつかあってね、補助監督に頼む前にもう少し中の調査をしたいから、降りて来てくれないかな』
「了解しました。怪我はないですか?」
『なまえが1級を引いてくれたおかげで問題なかったよ。そっちは大丈夫?』
「問題なしです!」
『なら降りてくる途中で、階段から各フロアへ入るドアをすべて開けておいて。烏を使うから』
通話を切って階段につながるドアを開けた途端、頭上を烏がかすめていく。もう視はじめているんだ。今回は1級1体、準1級2体の討伐任務で、冥さんが取りこぼしを出すとは思えないけど、絶対にイレギュラーがないとは言えないので急ぎ3段飛ばしで地下へ向かって降りていくと各フロアのドアの前に烏が2羽ずつ待っていた。ドアを開けてやると次々と中に入っていく。

冥さんと組むと最終的に冥さんが建物の中など現場のすべてを視ることを想定して、ドアや窓を開けておいたり、壁を破壊して烏が入れるよう動線確保をしておくクセがついた。クセが付きすぎて、猪野君など他の人と組んだときも意味もなく壁や窓を破壊して、恐怖の目を向けられたことがある。
地下1階につくと、冥さんは設置されているソファに優雅に座って烏の視界を視ていた。夜逃げした食品卸業者が入っていただけあって、たくさんの食品がまだダンボールの封も切られず転がっている。
「お疲れ様。……死体があったのはここだけのようだね」
「死体の身元はわかりましたか?」
「社員証が回収できた。血がついてるから触らないほうがいいよ。と、言っても首がなかったから本人かは不明だけどね」
冥さんが指差した机上には、顔写真入りの経理部長と経理主任の社員証が置かれていた。
「金絡みかな」
「笑ってないで撤退しましょう……」
近くにあったダンボールに貼られていた伝票袋をはがして、すっかり血の乾いた社員証を入れていると、立ち上がった冥さんの足元からくしゃりと音がして粉々になった赤いものがひろがった。
「調味料かな」
「……あ、ダンボールに鍋の素ってかいてあります」
冥さんが武器を置いていたダンボールの端がネズミかタヌキに食い破られて、その隙間から鍋の素がポロポロと転がり出ていた。
「なべのもと?」
「入れるだけで簡単に鍋が作れる固形出汁ですよ」
「へえ、便利なものがあるんだね。……ちょうど夕食時だし、今晩は冷えるらしいから鍋にしようか」
「いいですね!」
「うん。それで貰い物のカニが余っててね。生モノだから売れないし、鍋を作ってくれるかな」
「ホントに色々もらいますよね……」
「お歳暮の時期だからね」
冥さんは高専からの任務以外にも、個人で仕事を受けていて顔が広い。お歳暮、お中元の時期はまるでお供え物のように品が届く。呪霊の被害に遭った非術師にとっては、目に見えない神や仏以上にすがりたい存在だろうから、お歳暮、お中元のレベルも自ずとあがるのだろう。
「鍋、鶏つくねも入れて欲しいな」
そう言って斧の入ったバッグを担ぎなおした冥さんの後について階段を上り、帳を上げる。外は真っ暗で、手がかじかむほどに冷え込んでいた。



冥さんは宅飲みが好きだ。自他共に認める守銭奴も影響しているが、1番ネックなのは寛げるからだろう。外で食事をする時は必ず個室を取るのだが、任務完了時間が読めない場合は予約を入れられないので私の家で宅飲みになることが多い。

冥さんがカニを取りに帰宅する間に、土鍋に出汁を準備し、他の材料を切りそろえ、鶏つくねを作る。
テレビをつけるともう21時を回っていた。まだ冥さんが来るまでに時間がある。バラエティ番組の音で少し緊張する気を紛らわしながら、帰って寝るだけの部屋を急いで片付ける。畳んでから放置していた洋服をクローゼットに入れ、ベッドのシーツと掛け布団カバーを洗濯機に入れて新しいのをかけ直す。冥さんは気にしないだろうけど、尊敬する冥さんに自堕落な所を見られたくないのだ。最後にフロアワイパーで念入りに床を磨いていると、鍵が開く音がした。
「いい匂いがするね」
部屋に入ってきた冥さんの手には、カニが入ってるだろう発泡スチロールの箱と、大きな黒い紙袋があった。
「私はあまりカニが好きじゃないからなまえが食べる分だけ入れていいよ」
「了解です!うわ〜鍋用に切ってるやつじゃないですか!」
「食べやすいから最近はそっちが人気みたいだね。何か手伝えることはある?」
「すぐできるんで大丈夫ですよ。ゆっくりしててください」
「じゃあこっちの準備をしておこうかな」
冥さんが片手に持っていた黒い紙袋から取り出したのは一升瓶だった。さらにコンビニで買ってきたのか氷を取り出すと、棚からコップを出してお酒の準備を始めた。あ、一升瓶だけじゃない…まだあの紙袋……膨らみがある……。

カニ、鶏つくね、その他野菜が入った鍋をテーブルの上の鍋敷へ下ろすと、冥さんは前髪の三つ編みを解き、後ろに結び直した。生姜の効いた鶏つくね、豆腐と長ネギ、白菜、椎茸を器によそって渡すと、彼女は蓮華をとり、最初に出汁を啜った。蓮華をとる指先から、出汁を口に運ぶ姿まですべてが綺麗だ。最近は横に座って食事を共にすることが多かったので、久しぶりに真正面からみた冥さんに思わず息を飲む。冥さん……美人だ……。カニとかもうどうでもいい……。
「冥さん、これ好きですよね」
さっそくおかわりしてきた冥さんの器に鶏つくねをよそる。鶏つくね鍋は冥さんと去年行った店で覚えた味だ。冥さんがいろんな店に連れて行ってくれるのに、宅飲みするときは惣菜を買ったり出前を取らせてしまうのが申し訳なく、彼女が美味しいと言ったものは味を覚えて、家で再現できるように努力していたら大抵のものは作れるようになった。
「うん。美味しいよ。それにただの店の味の再現じゃなくて、私の好きな味にさらにアレンジしてくれてるだろう?」
「もちろん!冥さんの好きな味になるよう研究したので!美味しいって言ってもらえて嬉しいです」
「ふふ。いい後輩を持って嬉しいよ。なまえが私のために作ってくれるものはみんな美味しいからね」
そう呟くと鶏つくねをまた口に運んだ。冥さんは基本手放しで褒めてくれるので心臓に悪い。おかげでカニの味が全く分からない。すまないカニ。余った分明日カニチャーハンにして味わうから。
「呪術師やめて、鍋屋でも食べていけます?」
「やめるの?」
「いや、全然やめる気ないですけど、復帰できないくらい怪我したら、引退後の力士的な感じで」
「ふうん」
冥さんは考え込むような顔をして、黒い紙袋から今度はワインを出した。魔法の袋か。
「できると思うよ。けどして欲しくはないな」
「なんでですか?冥さんの好きな料理ばっかりだしますよ!」
「それなら尚更。良いものは独占したいだろう?」
「冥さんはVIPでいつも席を空けときますって」
そういうと、冥さんは静かに笑ってワインを飲んだ。

「冥さんアイス食べます?」
「いただくよ」
鍋はすぐになくなったので、シメで余っていた鶏で雑炊を作りながら、勧められるままに黒い紙袋から出てきたビールや日本酒を飲んでいたら流石に頭がふわふわしてきた。
「ちょっと取ってきますね」
立ち上がると足もとが少しぐらついた。頭ははっきりしてるんだけどな。お酒は弱くはないが、冥さんが強いので彼女に合わせていると、いつもたくさん飲みすぎてしまう。
「ああ、立ってくれたついでになまえ、こっちにおいで」
なんだろう。ゆらりと手招きする冥さんの隣に行くと、こっちこっちと更に手招きされて、隣に座らせられた。お酒の匂いに冥さんのいい匂いが混ざって、くらりとする。やわやわと頭のてっぺんから、後頭部、項、背骨から腰へ撫でられて、脊髄が麻痺するような感覚にぼやけていた体が覚醒する。
「なまえ、我儘言ってもいいかな」
「え、えぇ……なんですか…?」
「私のために頑張れるかな?」
冥さんに微笑まれて首を縦に振れない私は私ではない。
「な、なんでもできます」
「ふふ、いい子」
ゆっくりともう1度後頭部を撫でられると、またしびれが戻ってきて、腰が抜けそうだった。抱き寄せるようにして冥さんの胸の中に収められると、ときどき冥さんから香るいい匂いがした。あのね、と耳元で冥さんが囁く。
「……家に売れなかった貰い物のラム肉が2キロあるんだ……」
「ジンギスカン作ります!!」

2019-12-13
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