「どっちのマフラーで悩んでんの」
「この青いのか、そっちのベージュに水色のチェックので」
「ナルホドね」
硝子さんが私の手元を覗き込むついでに、肩に顎を乗せてくる。そのとき彼女の耳から落ちてきた髪の毛に一昨日の七海さんを思い出してしまった。昨日は私の顔を見ると眉間のシワがエグいことになってたが、今朝は任務に行く前にわざわざ部屋に来てくれて「移送日なのは忘れて、家入さんと楽しんできてください」とちゃんと顔を見て言ってくれた。耳真っ赤だったけども。

「ベージュの方が絶対似合うんですけど、値段が……重くないですか?」
値札を見た硝子さんが、たしかにこっちが手触りが良いね。と言ったところで店員さんが来てくれた。ベーシュの方はスコットランドの高品質カシミアで、お手入れをちゃんとすれば長持ちしますし、とにかく暖かいですし、まあ彼氏さんにですか!?青い方ももちろん良いですけど、暖かさはやっぱりこちらがおすすめです!とベージュのマフラーについて強く語られてしまった。つまりベージュの方のマフラー最高。

忙しくしている内に七海さんの誕生日が過ぎていて、遅めの誕生日プレゼントを買いに来たが、店員さんは「クリスマスプレゼントでよく買われて行く方が多いです」と。クリスマスプレゼントと合わせてであれば、重くはないかもしれない。
「まあ私達、普通の学生よりは稼いでるし」
「ですかね……」
「でも多分、七海は同額くらいの誕生日プレゼントを返してくるぞ」
「やっぱ青い方ですかね!?」
「一旦外に出て考える?」硝子さんが笑う。
確かに頭を冷やすのがいい。
でも七海さんに贈るなら1番いいものをあげたい。けど確かに同額のもの七海さんがくれたら、そんなにお金かけるのはやめてくれと思ってしまうだろう。


店を出ると、秋空が高く青く澄み渡っている。今日が販売員の移送日なんてとても思えない日だが、これで一つ区切りがつくだろう。
結局声も形もわからず、触れたのは呪力だけ。でも呪術師にならなければ、絶対に捕まえることなんてできなかった。
「なまえ、聞いてた?」
「え?うわ!いたい」
「おい上の空、遊びに集中しろ」
硝子さんにデコピンされるまで気づかなかった。さっき彼女が買った服がたっぷり入ったショッパーが私のとぶつかって、ガサガサと音する。収穫があった幸せな音だ。
「これ、夜蛾先生からもらったから、休みに行こ」
硝子さんがバッグから出したリボンのかかった薄い箱には、ここから歩いてすぐの人気ホテルのロゴマークが入った「レストランご招待券」の文字があった。
「そのホテルは……!いつも季節のケーキが話題になる!!」
「そ。任務でホテルに出たの祓ったら貰えたらしいよ。1級呪術師はもらえるもんが違うな」
「でも硝子さん、甘いもの苦手なのに大丈夫ですか?」
「あそこケーキが話題だけど普通に洋食メニューとかサンドイッチとかアサヒスーパードライとかあるから」
「飲酒はマズいですよ!!」
「はは、冗談。はー………七海にこれから本格的になまえを取られちゃうのか」

硝子さんが腕に抱きついてきて、体重をかけて来た。前から来たカップルがまんま同じ格好をしていた。私と硝子さん、今ラブラブカップルじゃん。
「取られませんって。だからこれからも気を遣わずに遊んでくださいね」
「そうか?アイツ今朝、任務に死ぬほど行きたくないって顔でため息の長さもデカさも倍だったぞ。どんだけ今日一緒にいたかったんだよ」
「違いますよ、多分それは土曜日任務だからです。今までと同じですってば」
「ふーん……?」
もう信号を渡ればホテルはすぐそこだ。青信号を待つ間、硝子さんがじっと顔を覗き込んでくる。すごい、めちゃくちゃ勘がいい。
「でもなんかあっただろ。七海がみょうじ見る目が違うもんな。熱に浮かされてる感じ」
「な、なんでもないです」
「金のシュワシュワしたの飲みながら聞こうっと」
「だからビールはマズいですよ!」


ホテルは私達と同じく、昼を過ぎてカフェメニューを求めて来た人で賑わっていたが、お客さんの層や雰囲気がいつも行くカフェと違ってすごく緊張する。良いホテルは良い匂いがするな。
「ブレンドコーヒーと、チーズとサラミの盛り合わせにしようかな」
「コーヒーとおつまみを一緒に頼む人初めて見ました」
「しょっぱいもん好きだからね」
「私は今月のケーキと紅茶にしようかな……あ、持ち帰りで動物クッキーありますよ。これ夜蛾先生に買って帰りましょうか」
「お。完璧にキッズ向けアイテムだけど可愛いから喜ぶな。最近なんかまた可愛いの作ってるらしいし」

注文を終えて一息つくと、硝子さんが外を指差す。黄色い飛行船がゆっくりと空を飛んでいた。外がよく見える窓際の席は景色がよく、遠くまで霞むことなくよく見えた。
「いい天気の日にこんな高いところ来たの久しぶり」
「ですね。私も任務で来て、眺める暇なく帰るだけですし。やっぱり硝子さんは外に出る機会少ないですか」
「あんま無いね、今は特に。昔は時々遊びがてら五条と夏油について行ってたけど。そういえば高い所って虫も少ないけど呪霊も少ないらしいよ」
「え、なんでですか?」
「単純に下層の方が人間多いから。逆に上層にいる場合は上級呪霊か、ヤバいヤツやヤバいモノがある可能性が高い」
「なるほどなあ……だから高いお店は1級術師指名多いんですかね」
「それもあるかもね。じゃあ、一旦休憩いれた所で七海の話だけどさ」
「ビールが飲める歳になったときにしません!?」
硝子さんが悪戯っぽく笑ったときだった。

私の頭の中で何かが弾けた。
衝撃で頭がぐわんと動いて、酷い浮遊感と同時に頭の中が一気にクリアになる。目を瞑ると何も見えない暗闇なのに、今日の空みたいにどこまでもその世界が上下左右に、広大に続いている感覚がする。それが妙に気持ちがいいと同時に、さっきの浮遊感で吐き気がする。真逆の感覚に口を抑えようとすると、それより早く鼻と口を柔らかいもので塞がれた。

「なまえ、大丈夫?意識ある?」
目を開くと、鼻と口に硝子さんのハンカチが当てられていた。向かいに座っていた硝子さんが横に来て肩を抱いてくれていて、私のスカートには血のシミが3つあった。鼻血が出てる。
「私の指見て、目の動きだけで追って。深呼吸ね」
1本だけ立てられた硝子さんの指が左右に動くのを見ていると、店員さんが様子を見に来て、きれいなタオルを渡される。何か大変なことが起きているのに、その皮を剥がないように日常が進行しているような、妙なざわめきがあった。
「もう、大丈夫です。すみません」
硝子さんは私の両眼を見つめて、軽く息をついた。
「とりあえず血を洗うか」


お手洗いに連れて行ってもらうと、運良くだれもいなかった。冷たい水で鼻と口を洗うと迫り上がってきた吐き気も治った。もらったタオルで顔を拭くと鼻血も止まっていたが、鏡の中の自分は顔色が酷く悪い。まるで任務4つ続けてやったような土のような顔色だけど、呪力消費の倦怠感は無い。
「眩暈とか、痺れとかない?」
「全然平気です。なんだろう……疲れかな」
携帯の着信音が2つ、同時に鳴る。ひとつは硝子さんの携帯で、もう1つは硝子さんに持ってもらっているバッグに入っている私のだ。硝子さんは自分の携帯に出て「……はい。何もしてません。私が見てましたよ。でももういません」とだけ言って、通話を切った。
「なまえ、ここから出るよ」
「あの、私の携帯」
「大丈夫。出なくていい」
硝子さんは右手で私の手をつかみ、左手ですぐにどこかにかけ直して何か話している。私の携帯は引き続き鳴りっぱなしだった。お手洗いを出ると左には窓、正面はエレベーターホール、右に行けばレストランに戻れる。レストランの前ではさっきタオルをくれた店員さんが心配そうに私達を待っていてくれたが、やっぱり私の携帯は鳴りっぱなしだった。エレベーターを待っている人が振り返って、怪訝な顔でこちらを見ている。

高い破裂音が響いた。
何が起きたか一瞬分からなかったが、飛んできた輝く破片で何が起きたか理解する。窓ガラスが割れて飛び散り、女性の悲鳴が遠くから聞こえた。エレベーターを待っていた人はその場でしゃがみこみ体を小さくした。誰も怪我をした人はいなかったと思う。その音に1番近かったのは私だったから。
さっき見た左の窓が割れて、巨大な鳥の形をした呪霊が頭を出していた。高さは6メートルほどあり、割れた窓の間から窮屈そうに体を押し込んで来てその口が開く。上顎と下顎が広がった大きさは簡単に私たちを丸呑みできるサイズで、中の粘膜は毒々しい紫色だった。2人で逃げ切るのは無理だ。一撃で怯ませられるほどの威力を出すには武器も無い。だけど私が囮になって応戦している間に、周囲の人たちの退避はできるだろう。

「硝子さん!避難と上級術師の、」

要請を、と言い終わる前に体が前に突き飛ばされる。全く考えてなかった方向からの力に体の踏ん張りが聞かなくて、呪霊の方に転びながら見たのは、私の背中を突き飛ばした硝子さんの両手と苦しそうに笑う彼女の表情だった。

「次は本当に、飲みに来ようね」

呪霊の口が私に覆いかぶさったと同時に、その喉奥から2本の腕が出てきて私を捕まえた。2段構えの呪霊かと思いながらも硝子さんに突き飛ばされた理由が分からず、混乱で正常な判断ができないのに、さらに呪霊の体内に引きずり込まれた先にいた人の姿にますます考えがまとまらなかった。ただ1つわかったのは、この呪霊を祓う必要は無いということだ。

「やあ久しぶり、ちょっと飛ぶよ」

私を両腕でつかんで呪霊の中に引きずり込んだのは、袈裟姿の夏油さんだった。


▼ ▼


「子ども用だけど酔い止めがあるから飲む?多分酔いが早く醒めるんじゃないかな」
「なにが、これ、どうしたんですか」
呪霊の飛行に三半規管がついて行けず、鳥から出たみょうじはまともに歩くことさえできずにコンクリートの床に横たわった。今にも吐きそうな胃を押さえ青空を眺める。先程と同じ雲ひとつない晴天だったが、連れてこられた先はコンクリートででき上がった白亜の要塞の屋上で、2人を吐き出した呪霊は夏油の手の中に吸い込まれていく。

「まずここは私が教祖を務める新興宗教の建物の屋上。誰も来ないから安心して」
「……夏油さん、高専を出て1年たらずでこんなものを……?」
「まさか。居抜きだよ。宗教法人格って今の時代全然取れなくてね。これを売り買いするビジネスだってあるくらいなんだから。あ、私が変な宗教を信じているわけではないからね。猿から金を巻き上げるだけの道具だよ」
「えぇ……」
みょうじの困惑した声が漏れる。遮蔽物のない空間にその声は大きく響いた。
「立てるようになったらとりあえず座ろうか。ベンチくらいはあるから」
「大丈夫ですから、一体なにが起こったのか教えてもらえませんか」
夏油は少し困ったように笑うと、みょうじが握っていたタオルを取り上げて彼女の頭の下に引いた。
「とりあえず一通り説明するから、理解が追いつかなくなったら止めてね」
「はい」
みょうじの青白い顔を見下ろし、夏油は隣にあぐらをかいて、同じように空を見上げた。

「単刀直入に言うと、君は君の術式で、先程販売員を殺した」
みょうじは何も言わなかったが、目だけを見開いた。
「販売員は勾留場所の建物を出た途端、内部から爆破されたみたいに破裂したらしい。術式で何か念じた?」
「もしかして、ホテルで鼻血が出たときでしょうか」
「恐らくね。慣れない術で反動が来たんだろう。弱ったな、無意識だったとは」
家入が電話口で話していた言葉も、自分にかかってきた鳴り止まない電話も、それなら辻褄があうと、みょうじは徐々に引いていく吐き気を感じながら、ぼんやりと思った。
「私と君の術式は少しだけ似ていてね、だからなんとなく分かる。私は自分の呪力で呪霊を操るけど、君は自分と対象の間に呪力で直通のパイプを作って、そこから呪力を操って送り込んでる。硝子から最近のみょうじさんの様子を教えてもらってたんだけど、恐らく君が長年、あの包丁を使って販売員を探すために送り込んだ呪力は、例えるなら爆弾の火薬のように包丁に滞留していた。けれど君には、それを起爆する能力がまだ無かったが、最近、黒閃を出してレベルが上がった」
みょうじは起き上がると夏油の隣に座った。トビが空を横切って、高い声を上げて鳴いている。風が強く、2人の髪の毛を揺らした。

「販売員がいた勾留場所の結界は、高専結界の内側にある。そして君の包丁は寮にあった。レベルアップした君はずっと無意識に爆弾のスイッチを押したままにしていたが、勾留場所の結界に阻まれてずっと販売員に到達できずに押し止められていたのさ。だから今日、勾留されていた建物を出た瞬間に到達した」
夏油が握った拳を軽く上げて、開く。みょうじはその手をじっと見つめた後、うつむいて鳥と風の声を聞いていた。
非家系呪術師ゆえの、だれも取り扱いを知らない術式。黒閃によって跳ね上がった急な成長曲線が彼女の術式を未知の領域に押し上げ、包丁に溜まった呪力は販売員に向かったが、販売員のいる勾留施設は天元の別次元と言ってもいいレベルの結界に守られ、呪力は至らずに淡々とその時を待っていたのだ。

「硝子には借りがあってね。だからもし今日、君を逃さなきゃいけないような事が起きたときに手伝って欲しいって頼まれたんだ。……はっきり言って、これは事故と言っていいけれど」
「けれど上層部に私は捕まる」
夏油は深く頷く。
「恐らくね。硝子も言ってたけど、みょうじさんの術式は索敵に便利だから、上層部は意図的な殺害として君を販売員のように飼い殺しにするだろう」
「七海さんもそう言ってました」
「七海が言うなら間違いない。彼は昔の私より人をよく見ているから……あまり動揺していないね」
夏油が視線を送ったみょうじの顔は想像よりずっと落ち着いていたが、みょうじは首を横に振る。
「動揺してるんですが、うまく顔にでなくて。……自分の中で折り合いはついて、販売員を殺せないことは飲み込めていたと思ってたんですけど。本当は、本当に」

自分の手で殺せてよかった。

絞り出すようにみょうじは呟いた。
感情が含まれない声だったが、増大する呪力は何より憎悪を語っていた。
「でも死んだ術師の呪力を辿れるか心配です。アイツが作った呪具を壊さないといけないので」
「それは心配ないんじゃないかな」
そう言って、夏油が懐から1本の鋏を出した。
「これ、偶然私が信者から預かった呪具。露天で買ったと言っていてね。状況からして販売員から買ったものだろうと思っていたんだけど」
みょうじが渡された鋏を握る。販売員の残穢はあるが、それはもうただの鋏だった。呪具ではなく、残穢のついたどこにでもあるただの鋏。それは、販売員の死によって全ての呪具がただの品に戻ったことの証明だった。
ぽたりと彼女の手に涙がひとつ落ちる。みょうじはただ黙って泣いて、夏油もそれを黙って見守っていた。


しばらくしてみょうじは立ち上がり、夏油もそれに合わせた。
日が傾き、夕暮れが迫っている。屋上から地上を見下ろすと信者達がぞろぞろと列を成して帰宅の途につく姿が見えた。その数の多さに、随分ヤバい人の力を借りてしまったなとみょうじが思っていると見透かされたように「別に可愛い後輩を助けただけだから、何かしろとかそういう気はないよ。私のことでみょうじさん達には迷惑をかけたろうし」と夏油はにこやかに言う。

「夏油さん、硝子さんにメールできます?」
「できるよ。でも硝子の方にもなにか調査が入るとマズいから1回だけ。今後は当分送れない」
「……皆さんにお礼と、あと硝子さんにベージュの方のマフラーを買って七海さんに渡して……七海さんに私のことは忘れてくれ、と伝えるようにお願いします」
「……本当にそれでいいのかい?」
「犯罪者の彼氏にするわけにはいかないですし、きっともう一生会えないでしょうから。七海さんには私より何倍もいい人が現れますよ」
果たしてそうだろうか?と夏油は思いながら口にせずに、携帯を出すとすぐに「送ったよ」とみょうじに笑いかけた。
「打つの早いですね」
「信者宛にメルマガ書いてるから」
「結構ノリノリで教祖業やってたりします?」
「いや?でも猿から金を絞るのは必要なことだから、信頼はこうやって得ていかないと。じゃあ、行こうか。当分はウチにいていいし、やることがないならずっといてもいい。もし1人で暮らしたいなら場所を用意するけど」
「……少し考えさせてもらってもいいですか?」
「勿論」

夏油の後についてみょうじも歩き出し、少しだけ橙がかった空を仰ぎ見る。
販売員の死と引き換えに、何もかも終わった。
復讐も、高専生としての生活も、楽しかった日々も、大切な人たちとの関係も、販売員が作った呪具がばらまかれた世界も、七海との未来も。
七海のことが、本当に大好きだった。本当に幸せになってほしい。だからこそ、自分は七海と会ってはいけない。関係のない人間にならなければならない。

(最後にもう1度、七海さんに会いたかったな)

もうなにもかも、願望は叶わない夢に成り果てた。

▼ ▼

家入硝子は奇跡を見たことがある。
だから「包丁を握った時に違和感がある」というみょうじの話を捨て置けなかった。

1000年かけた天元のサイクルがたった少し前後する。夏油傑の両親が出会わない。禪院家に完全な天与呪縛者が産まれない。あの村の任務を手が空いていた別の呪術師が請け負う。
こんな事象はきっと針の先にもならない。あの事件は、数百人、数千人の行動や思考の確率をくぐり抜けて起きた最悪の奇跡だった。
だから家入は、ありえないことなんてないと考えている。だから今日、保険を用意した。使わなければそれでいいと思っていた。

家入は1人でホテルを出て、近くの喫茶店の喫煙席で煙草に火をつけた。
販売員が殺されたこと、犯人がみょうじだったことはもう関係者の間には知れ渡っている。なにしろ販売員の死体にはおびただしいみょうじの呪力がこびりついていたから。しかし彼女の術式でこういうことが可能なのかと、現場は混乱しているらしい。そう、2度目の夜蛾の電話で教えられた。
ホテルでの1度目の電話に対して「もういません」と言った時の、彼の安心したようなため息には、夜蛾も自分と同じように、ほぼ事故でこの件を起こしたのであろうみょうじに、なんとか逃げ切って欲しいという思考があった、と家入も理解していた。

(だから私はなまえのために、知らぬ存ぜぬでいればいいけど)

七海からかかってきた不在着信が、また1つ家入の携帯に増えた。どう説明をするか決めかねて出られずに4本目を吸った時、家入は夏油から届いたメールを確認して、最後の紫煙を吐き出した。

(七海がなまえのこと忘れるなんて、無理に決まってるじゃん)

人だかりが消えないホテルを一瞥し、彼女は頼まれたプレゼントを買いに向かった。

2023-10-21
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