「灰原とマックに行きますが一緒に来ませんか。補助監督の方が車を出してくれるそうです」

土曜の朝10時過ぎに私の部屋を尋ねてきた七海さんは、珍しく任務着の上着を手に持ち、黒い半袖Tシャツ1枚だった。そしてその袖口から伸びた右腕の肘下には、分厚く包帯が巻かれている。
包帯の白さが異様に目立っていた。その中央は薄っすらと黒く、血が滲み出ているのを包帯を分厚く巻くことで誤魔化している。傷が深いということは誰がみても明らかだった。
「ま……間九病院?」
「いえマックはマクドナルドです。ファストフードの。家入さんが今マックにいるので治してもらうついでにという話になりました」
私の考えがわかったのか後半はすごい早口だった。怪我の理由を聞くと、朝一で急ぎの任務があって、そこで少し油断したらしい。油断するなんて七海さんらしくないが、硝子さんが治せる程度でよかった。
「七海さんまでマック病にかかったら終わりですからね」
「ポテトは好きですけど、怪我の治療より優先するほどでは無いです」

高専の最寄り駅にマックができた。
最寄り駅と言っても徒歩40分くらいかかるが、今まで隣駅に行かないと無かったマックがとうとう徒歩圏内にできたことで、学生達は夜中にふっと芽生えたマック欲を抑えられなくなった。
任務以外での夜間外出は許可がないと駄目なのだが、マック欲で夜間脱走してマックを食べにいく学生が多発した。「夜中思い出して気持ちを抑えられなかった」と先生に捕まった学生達は言い、何度もトライするため、その様を「マック病」と揶揄されている。言い出したのは五条さんだが1番先生を出し抜いてマックに行ってくれるのが五条さんでもあり、重症患者だ。

「そういえばマックベーカリーって食べたことありますか?」
「1度だけ。ただの温めた冷凍パンでした」
コンビニパンと差は無かったです。と七海さんは少し残念そうに呟いた。
七海さん、パンにだけは異常に求めるレベルが高いからな……。とはいえ、マックはマックのポテト、マックのバーガーと、「マック味」を求めていくので、他の味を先に知っているパンはそこまでかもしれない。でもマックベーカリーは生まれて半年も持たなかったのでみんな感想は同じだったのだろう。

寮を出て駐車場に向かうと1台だけ中途半端な所にある車を見つけた。近づくと運転席と後部座席から、歳の近い補助監督さんと灰原さんが手を振ってくれる。
後部座席のドアに手をかけた七海さんは、開けようとして止まった。そして助手席の窓を軽くノックしたが、中の人間が無視するので渋々とイラつきの混ざった顔で助手席のドアを開けた。
「五条さん、降りてください」
「俺もマックしたい」
「買ってきますから降りてください。乗れないじゃないですか」
「テイクアウトしたらポテトがマズくなんだろ。乗れる乗れる。七海がみょうじの半ケツ乗せてやれよ。俺達だってそれで乗れたんだから」
俺達だって、は夏油さんがいたときの五条さんと硝子さんの事を話しているのだろう。
その話題に対して私達が触れるのは気がひどく引けるのに五条さんが気にしてないように時々こうやって振ってくるので、この話題とどう距離を取っていいか分からない。七海さんもそれは同じのようで大きなため息をついた。
「私が中央に行くので、みょうじさんは五条さんの後ろに座ってください」
七海さんの後をついてシートに座る。五条さんが座席を限界まで下げているせいで後部座席、せっっっま。七海さんの二の腕に私の耳がぴったりとくっつくくらい体を傾けて、両足をねじ込んだ。
「五条さんの足の骨が長いから後ろ狭いんですけど」
足が長いっていったら「ごめんね。スタイル良くて」と言うから、最近は言い方を変えている。
「足の骨が長いって言うな。これでどう」
シートが少し前に行った。
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
「えぇ……五条さんのせいなのに」
とはいえこれでもまあまあ狭い。なんとか隙間を作っていると七海さんが肩を引き寄せてくれたおかげで、もう少し余裕を確保できる。
「七海、きつかったら僕の上に乗ってもいいからね!」
「私の上にも乗っていいですからね!」
「それだと七海、もう浮いてんじゃん」
「ありがとうございます。五条さんは降りてください」
「しつけ〜!」

車は走りだし、灰原さんと五条さんが何を頼むかで盛り上がり始める中、七海さんはゆっくりと私が膝に置いていた右手をすくい取るように握った。お互いの手のひらがあわさり、私の手の甲は七海さんの指で覆われる。
七海さんはここ数日ちょっと変だ。告白した後、手を繋ぐことや物理的な距離を詰めることにそこまで積極的ではなかったのに、学食では絶対隣に座ってくれるし、夜に自販機に行くような、人の視線がないときは手を繋いで来る。嬉しいけど心臓がキツイ。
でも多分、私みたいに七海さんも緊張してるんだと思う。
顔はいつもどおり冷静そのものなのに、隙間なく密着している七海さんの体から胸骨が内側から爆発しそうなくらい大きな鼓動が伝わってくる。任務や訓練でへばった時に七海さんに背負ってもらったり、肩を貸してもらう中で、いつもバクバクと七海さんの大きな心音が伝わってきてた。体が大きい人は心臓の鼓動も大きいのだなと思っていたけど、体力づくりで背負った五条さんの鼓動は私のものと変わらなかったのだ。
「七海、耳赤いけど熱中症か?」
「違います。降りてください」
「しつけー!!」

▼ ▼

最寄り駅そばのマックの2階。硝子さんは窓際の2人用テーブルを3つくっつけて、コーヒーが乗ったトレイ、リップクリーム、ハンカチ、タバコ、ライターと私物を点在させて席取りをしていてくれた。

「お疲れ。なまえ、ありがと」
事前に頼まれていたポテトMと爽健美茶を硝子さんに渡す。
「そこ座って」と七海さんが硝子さんの横を指定され、灰原さんが七海さんの隣に行く。私が硝子さんの向かいに座ると自然と五条さんが私の隣になった。
七海さんの治療を待つ間、とりとめのない雑談をしていると硝子さんが治療を終えたタイミングの後すぐに店員さんがバーガーを届けてくれた。
「灰原も七海もめっちゃ食うね」
「朝から任務でしたから」
「僕は朝まだだったんで」
男子高校生が3人いると机上がすごい。灰原さんがてりやきマックバーガーセットに、追加でビッグマック単品。七海さんがトマトチキンフィレオセットにえびフィレオ単品、五条さんがビッグマックセットにチキンナゲット「あとで甘いものも追加する」らしい。

「夏のポテトってしょっぱくない?」と硝子さんが長いポテトをひっぱりだしながら言った。
「暑いからですかね?」とバーガーにかぶりつく灰原さんは豪快だけど食べ方はきれいなのだ。
「どうだろ。いつもこれならいいのに」
「みょうじ、ハンバーガー食レポして」と五条さんの無茶振りが来る。
「なら小さいカリカリポテト横取りもうしないでください」
「ナゲットやるから」
私のメニューはハンバーガーセットだ。さっきからトレイに広がっている小さいカリカリの1番美味しいポテトを五条さんに横取りされているが、言った通り五条さんはナゲットを1個くれた。カリカリミニ派かホクホクロング派は好みが出る。
「……のっぺりとした全体を包む柔らかいバンズ……このマック特有の肉汁のないパサパサとしたビーフパティ。その水気を充填するようなケチャップとマスタードソース。全体が調和する最高のバーガー……」
爆笑された。七海さんにまで笑われた。ツボにハマったらしく、ものすごく笑顔だった。
「オマエほんとに好きなの?」
「好きですよ!」
「完璧にその通りなんだけど、完全にマズそうなんだよな」
ふたくち目のバーガーは言った通りの味だ。パサパサビーフパティのこのパッサパサ感がいい。できたては肉汁があるらしいが出会ったことはない。これがマック。他のメニューだとマック感がない。
硝子さんが私のトレイから長いポテトを引っこ抜いて、彼女の小さいカリカリポテトをいっぱいくれる。いつもする交換をしていると、七海さんも私のトレイに小さいポテトを入れてくれたので、灰原さんまでくれた。感謝。五条さんはまた横から取っていく。
お返しに長いポテトを差し出すと、硝子さんが私のバーガーを指差す。
「なまえ、ピクルス抜いてもらってないじゃん」
「あ!忘れてました」
「もらうよ」
「……みょうじさんはピクルスが苦手ですか?」七海さんはバーガーから口を離す。
「無理すれば食べられますけど、できれば避けたいですね」
「そ。抜き忘れたときは私が食べてる」
バーガーを差し出すと、硝子さんはパティとバンズの間から少しだけ頭を出しているピクルスを器用に歯でさらっていった。ピクルスは噛まれる音もなく、硝子さんに咀嚼されている。
じっと七海さんがその様子をみてた。
「美味い。……なに七海、ピクルス好きなの」
「え、いや、その……はい。好きです」
「次は七海に食べてもらいなよ」
「七海さん、お願いします」
「こちらこそ」
「みょうじ、七海」五条さんに呼ばれた途端、財布を渡された。
「ホットアップルパイとコーラのM買って来て。ハンバーガー、オマエの分奢るから」
「急にパシるじゃないですか」

▼ ▼

1階はランチタイムで混んで来ていた。土曜の昼ということもあり、学生の団体や家族連れなどがたくさん並んでいる。カウンターには頼んだものを待っている人も溜まっていて、席に戻るのに20分くらいかかるだろう。五条さんに遅くなるとメールすると「知ってる。みょうじのピクルス食べる七海が見たかった」と返信がすぐに来た。七海さんに携帯の画面を見せると「今度2人のときに食べましょう」と私が思っていることと同じ答えをくれた。
五条さんの財布に1番ダメージを与えられそうなメニューを頼みたいが、朝食を取っている私にはプチパンケーキハッピーセット(420円)が胃の容量的に限界である。店員さんの懐にいれてもらっていいので42,000円にしてくれないだろうか。
「七海さん、何頼みますか?」
「メガマックセット(690円)にします」
ダメージ重視の本気チョイスである。
入れ替わりで硝子さんから「五条のおごりでナゲットとメガマック単品お願い」とメールが来た。

列は蛇行し、伸び切っていた。入店してすぐ店を後にする人も出てきている。この辺りには住宅地もあり、マックは完全に人気スポットだ。列に並ぶ人を眺めていると、最近見たばかりの学校名が視界に入った。
「七海さん、あのジャージ」
「この辺りからも通えるのですね」
ジャージに大きく書かれた「ZAUO」。座宇尾学園高校。来週の木曜日に七海さんと任務で行く高校だ。
「ホームページ見ましたけど、意外と普通の校舎でちょっと安心しました。学園高校って名前だともっとキラキラしてそうだったので」
「…………この前」
と、言って七海さんの言葉は続かなかった。押し黙って俯く。耳にかかっていた髪の毛がさらさらと落ちて表情は隠れ、ポテトが揚がった音が言葉の再開をカウントダウンするように鳴っている。待っても何も話してくれないので手を繋いでみると、七海さんの手が徐々に熱くなる。うつむいた彼の顔を下から覗くと、やっぱり真っ赤になって、堪えるように目をつぶり眉間に皺をよせていた。
「この前、苗賀さんに偶然会って、みょうじさんの中学生の頃の話を聞きました」

私にしか聞こえないような声で話してくれたのは、私の中学の時の苗賀との関係のことだった。
「この前ってもしかして月曜日でしたか?」
「そうですが、なぜ」
「火曜日から無理に距離を近くしてくれてる感じがあったので」
うっ……と七海さんは呻く。
「……本当に、みょうじさんは、苗賀さんのことを、好きだったんですか」
顔をあげて、こちらを向いた彼の射抜くような視線と目が合う。
「恋愛的な好きではなかったですね。ただの友人だと思ってました」
七海さんの視線は変わらない。
「最初は普通に友達だったんです。でも周りが付き合わせようって盛り上がって来て。なんかあるじゃないですかそういう、仲がいいクラスの……変なノリみたいなの。机を隣にさせようとか、班決めで一緒にさせようとか……。普通の友達に戻りたかったんですけど、周りにひやかされて、否定しても聞いてくれなくて、結局うまく行きませんでした。彼の転校する辺りで私は呪霊が見えるようになって……外出できなくなって、多分そこでこじれたんだと思います」
「クラスの人間に関係を引っ掻き回されたということですか」
「苗賀は楽しそうだったので、みんなは善意だったかも」
「そんなこと、ありません」
声が怒りに満ちていた。
怒ってる。七海さんが。
室内では淡い砂色に見える髪の隙間から、破裂しそうなくらいの青筋がこめかみに張っているのが見えた。

「万が一善意だったとしても、みょうじさんの気持ちを無視してやるのならそれは応援でも何でもない。みょうじさんを見世物にしただけです」と、絞り出すように吐き出した。その気迫だけで、呪霊が祓えそうな勢いだった。
「……もしかして七海さんにもあったんですか」
「私のことはいいです。貴女がコケにされたことに腹がたつ」
そう言って、また少し口をつぐんで、七海さんはゆっくりと続けた。
「アナタほどじゃないですが……髪色や身長で目立ったせいで、そういうクソみたいな見世物に巻き込まれました。でも私は相手のことを恋愛的にも友人的にも好きではありませんでしたから苦労はしませんでした。あと私の初恋はアナタです」
怒ってくれて気がついていないようだが、大きな事実が投下された。七海さんはフー……っと大きく、排熱するみたいに息を吐く。
「彼の言う事に酷く嫉妬して、アナタとの距離を無理に縮めました。すみません」
ずっとうなだれていた背筋が伸びた。七海さんは髪の毛を耳にかけて、やっといつも通りの彼の姿勢に戻る。繋いだ手の指から、血潮の動きが伝わって来た。それが落ち着くまで私達は黙って手を繋いでいた。子供の歓声、母親が子供に呼びかける声、笑い合う学生の声、そういうものが皮1枚隔てて先にあるような感覚がした。
「……これは私が七海さんを好きっていう前提があって聞いてほしい相談なんですけど、大事になる前に1度、ただの先輩後輩に戻りませんか」
「…………なぜですか」
「今朝の怪我は、さっきのことで気が散ったんじゃないですか」
図星だったのだろう。七海さんは何も言わず、少しだけ眉間が深くなった。返事を彼が決めている間、冷房が効いた店内だが流石に手の間がしっとりしてきたので離そうとすると、今までゆるく握っていた七海さんがしっかりと指に力を入れてきた。

「みょうじさんが想像するより、私は貴女が好きです。5年10年経っても、貴女に嫌われても、憎まれても私は貴女を好きでいます。だから付き合っていてください。別れた方が悪化しそうなので。今後こういうことを任務中に持ち込まないように努力しますから」
心配をかけてすみません。と言った声は、さっきのむき出しの怒りと同じとは思えないほど静かでそして決意にあふれていた。
私が頷くと、笑ってくれた。頬を赤くして、嬉しそうに目元を緩ませている。心底嬉しそうな表情だった。こっちまで嬉しくなるくらいの。告白してもらったときはお互い緊張しきっていたし、お互い以外は選ばないという中途半端な関係で保留になっていた。けど日々を過ごすうちに、もう付き合っている状態と変わらないとお互い言わないけど気づいていて、そして今、完全に私達は付き合っている状態になった。
七海さんが好きだ。七海さんも私が好きだ。それで任務で私のことで気を散らせて怪我をしないと約束してくれるなら、これ以上のことはない。
けれど私はひどく困惑していた。
普段の様子、そしてさっきの彼の言動。七海さんは私より、私のことを大切に思ってくれている。それが嬉しくてありがたいと同時に怖い。だって私は、私を破滅させてでも、お姉さんの敵を取りたいと思っている。

『七海ってわかりにくいけど人に優しいんだよ。でも心を許すかは別みたい。時間かけても全然許してない相手もいるし、灰原みたいにすぐ懐にいれたヤツもいる。なんかあるんだろうね。情が深いぶん、人付き合いは狭く深くって感じかな?』
高専に来てすぐ、硝子さんが言ってくれたことを思いだす。情が深いと同時に、懐に入れる人間をきちんと選別している人。そんな人が告白するほどに人を好きになるということ。

「おまたせしました、お次のお客様」

オーダーの順番が回ってきた。
頼ってほしいと言ってくれた彼に、お姉さんの件を黙っている後ろめたさが昨日まではあった。でも今は言わなくてよかったと思っている。埠頭のときの話しぶりからして、きっと七海さんに話していたら、確実に復讐を邪魔される。これからも七海さんには話してはいけない。
カウンターで注文しながら、私は脳裏から離れない自問自答をする。やっぱり出る答えは同じだった。
5年10年経っても、七海さんも好きでいられる。けど彼に嫌われても、憎まれても、好きでいられるだろうか?いられるかもしれない。
でも彼のそばにはいられないと思う。

2023-07-15
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