※2023/06/11現在、コミックス化されていない本誌内容が含まれます
※宿儺から受けた傷(狗巻くん等)が治っていないのは、宿儺の残穢による反転術式の阻害があるからという推測のもと書いている部分があります。そのため後日修正される可能性があります。




硝子ちゃんがいる医務室の奥。解剖室兼死体安置所は学生に聞かせたくない話を大人がする場所であり、疑似天与呪縛を失って呪力総量が半分になった私が迫られる長い睡眠のための、パイプ椅子4つを横並びにした簡易ベッドがある場所でもある。怪我人が増えて医務室にいつだれが運び込まれて来るか分からないから、急な人の搬送を手伝うためにここで寝ている。
その簡易ベッドで眠る私を揺さぶり起こしたのは、硝子ちゃんでも伊地知くんでもなく、五条だった。

「ただいま」

高専時代の夢を見ているのかと一瞬疑った。
いつもの目隠しも無ければ髪も降りていて、高専を卒業して着出した少し着丈が長めの任務服の上着もなく、インナーにパンツ姿。
それに彼は昨日まで獄門疆の中にいたから。裏の回収はできたけど、いつ開けるか、本当に開くのか、私も含めみんな半信半疑だったから。
それに、予定を繰り上げて深夜に寮に帰ってきて、みんな寝てるから絡む相手がおらず私を起こしに来る、あの声色とそっくりだったから。
「おか、えり」
その目が嬉しそうに弧を描いていたことで現実だと理解する。五条の背後で煙草を吸う硝子ちゃんが声に出さずに「サプライズ」と口を動かし、伊地知くんは申し訳なさそうな顔をした。
「その首周りが仮面ライダーみたいになってんの、任務服が細切れになったやつ?」
「そう」
「ヤバいな……」
「ヤバいでしょ」
五条は笑う。

「今から色々やることあるからいないけど、僕の誕生日に沖縄行きの飛行機取っておいて。帰りは翌日の夕方以降がいい。午前中は絶対ダメ。宿は僕の方で取ったから」
「は……?」
「いや、沖縄1泊行くって」
「え、1人で?儀式とか、解呪とかしに行くの?」
「いや先輩と行くにきまってんじゃん。沖縄行きは休養。24日まで宿儺と休戦になったから、それまでぶっ通しで働くのは無理でしょ」
「死滅回游やってるのに?」
「は?死滅回游は関係ないじゃん」
「これ私が間違ってる?」
うん。じゃあよろしく、と五条は医務室を出ていった。
「五条、渋谷から今までの状況知ってるの?」
「さっき説明しました」
伊地知くんが縮こまって言う。
「沖縄行っていいと思う?」
「復活して速攻宿儺の所に行って、24日まで宿儺とは停戦状態になったらしいですから、アイツが2日ほどいなくても問題ないと思います。それにしても突然誕生日に旅行なんて、アイツもなんかおセンチになってるんですかね」
「どうだろう……」
硝子ちゃんは新しい煙草に火を付けて「お土産、泡盛がいいです」と笑う。

JALのサイトを開く。
今や日本中が滅亡前夜な気分のせいで、一部の区間以外は利用率が軒並み落ちているというニュースが流れていたが、一部の区間である沖縄行きはそこそこに埋まっていた。企業は来年もこの世があることを信じて経済を回さないといけないので、航空券セールが活発に行われており、沖縄行きチケットは4割引になっていた。
伏黒くんの体は宿儺に奪われ、羂索に九十九さんは殺されて、天元は奪われた。状況は止まること無く悪い方向に向かっていく中だったのに、突然来月の23日までは安全が五条によって確保された。
飛行機の予約完了のメール受信とともに、やっと五条の帰還を理解した。
「伊地知くん、ソーキそば食べられる?」
「あ、好きです」
「お土産で買ってきてもいい?」
「お願いします……今何も浮かばなくて……」

▼ ▼

7日当日の昼過ぎ。搭乗時間の1時間前に五条の術式で一気に羽田空港まで移動した。搭乗率が軒並み落ちているという話だったが、金曜昼間にしては少し空いている程度だ。
「あっちに全部ある」という五条の話を信じて、財布とスマホと、替えがきかないものだけ入れた小さいバッグひとつで保安検査場を通過する。五条なんて手ぶらだ。
搭乗口に行く途中ですれ違う人は確かに少ない。今から出張という様子の人達は東京を離れられることに安心しているのか、羽田のロビーで見かけた外に出ようとしている人達より、少しばかり顔色が明るかった。
お土産屋の前で止まる五条に付き合って、やっとついた搭乗口前の待機ソファに腰かける。ガラス越しに外を行き交う飛行機や、スタッフの姿をぼんやりと2人で眺める。よくある出張前。15年も呪術師をやっていて五条と目的の県が重なることは片手程しかなかったけど、羽田から乗る飛行機の時間が近いことは多々あって、どちらかが先に出るまでこうやって搭乗口で雑談することはよくあった。だからこれが、今後失われる日常の最後の残り香のような気がした。

「沖縄の服装ってあってる?」
「いい感じだと思う」
黒いパンツに白Tシャツ、薄手の白いブルゾンの五条は「冬に沖縄は最高」と笑った。
「先輩と任務抜きで飛行機使って遊びに行くのって初めてじゃない?」
「そうかも。新幹線の方がその日にきめてすぐ行けるから、使ったこと無かったね。……五条って今まで何やってたの」
獄門疆を出てから、五条はふらっと帰ってきて学生達と話すこともあれば、誰もどこに行ったか知らないときもあったし、夜中突然会いに来て、取り留めのない話をして去っていくこともあった。
「まー宿儺対策とか、家のこととか、今日の夜までなまえ先輩には秘密のこととか」
「私、それ聞いてキレたりしない?」
「しないしない」
するやつだなコレ。
「……上層部から何か言われなかった?」
「アレについては大丈夫。そのうち全部すげ変わるよ。先輩はどうしてた?」
「私の足について、誰かから聞いた?」
「硝子と憂太からね」
「そっか。渋谷の後、九十九さんが戻ってきてくれてね。彼女の依頼で忌庫に行って、悪用されるとマズいものを破壊して、いるもの持ち出して…………脹相と戻ってきた。最近は入院とか死亡した補助監督や術師に頼まれてた用事をしてたよ。家の様子見に行ったり、荷物届けたり、家族と引き合わせたり、退院の手伝いしたりとか、色々。あとは学生の手合わせの相手とか」
驚いたのは疑似天与呪縛が無くても、自分はそこそこやれるということだった。いつか無くなるかもと思って鍛えてたから良かったものの、現状、現場を安心して任せられる戦力の篩からは落とされる。
もう少しこの足が馴染んで、縛りを作り、構築物の生成・呪力に戻す際の変換ロスを最小に抑える練度を高めれば篩にしがみつけるだろうが、そこまで至るには時間がない。
だから術師にやって欲しいけど前線に出てる人には頼みにくいことを淡々とこなしていた。

「学生が戦ってるのにこんな重要な時に役に立たないのは申し訳ないね」
「それは前からでしょ。僕らが学生の頃だって僕らより弱い大人がゴロゴロいて、そいつらの尻拭いしたじゃん」
「それはそうだけど。だからこそ大人になって学生に同じ思いをさせたくないというか」
「あー……この話やめよ。今日だけはそういうの無し。それよりその変な形の荷物なに?僕、今日最高に楽しみでここ数日ずっとパッキング動画みてたんだよね」
「えぇ……なのに手ぶらなの……。これは誕生日おめでとうのケーキ」
ビニール袋ごと五条に渡す。不透明の白いビニール袋から店名だけが書かれた白い箱を五条は取り出すと、数回強く瞬きをした。
「まだあそこ、やっててくれてたの」
「ギリギリ避難区域外だった」
「今食べていい?」
「もちろん」
学生時代からお世話になっている高専からちょっと遠い個人経営のケーキ屋さん。いちごケーキ、シュークリーム、フルーツケーキ、チョコケーキ、チーズケーキ。任務帰りに誰かが見つけて買ってきてくれて、安いのにとんでもなく美味しくて、誕生日、クリスマス、テストの終わり、依頼、謝罪、ケーキがただ食べたくて。そんな何かがあるたびに誰かが買いに行ってた。
破壊された街並みが、肉眼で見える位置に横たわっている。そんな東京にはこの世の終わりが近づいている空気がべったりと張り付いていた。
すべてを捨てて最期にやりたかったことをする人々がいる一方で、普通の日常をそのまま送りたい人々もいて、閉まる店もあればずっと営業してる店もある。私達の好きなお店は後者だった。
プラスチックのフォークをつけてもらったけど五条の手には小さすぎて使い物にならず、銀紙の上から軽く握ってクリームやスポンジがはみ出ないように食べた。手慣れてるなあ。私も真似しようとしてひっくり返しそうになったが、なんとか口元を汚すことなく1個まるごと食べ切れた。
そうしていると五条が自撮りして来たので一緒に映る。こんな写真を撮ること、もう2度とないかもしれないな。生ケーキを2人で、空港の搭乗ゲートの真ん前で食べるなんて、こんな状況じゃないと2度はしないだろう。


▼ ▼


沖縄のホテルは空港から車で2時間の所にある。
ただホテルといっても駅から徒歩1分!1秒チェックイン!ホテル内コンビニ有り!部屋数150室!の出張勢大好きホテルではなく、1棟貸しの別荘タイプだ。
オーナーと五条が知り合いで、沖縄出張の呪術師たちは五条に「僕の紹介だって言えば半額以下にしてくれるよ」と勧められてきたが半額以下でも1泊5万かかるし、周囲には何もないし、任務が終わって空港から2時間のところまで車を飛ばす余裕はないしで、だれも行ったことがないホテルだった。

「1棟貸しホテル初めてきた」
「先輩、フツーのホテルが好きだもんね」
「いやこうやって休むのだけに特化して泊まるなら最高だよ。アメニティとかすごいの置いてそう」
「そう?ならよかった」
チェックインの建物でオーナーに挨拶をし、空港で借りたレンタカーに戻って、また車で宿泊する建物に向かう。車で向かう距離感がすごい。
たどり着いたのは今のオレンジ色の夕暮れに似合う、白壁がキレイな小さな一軒家だった。横幅はそこまで無いが見せてもらったパンフレットによると建物全体が奥に長いらしい。家の前に車を停めて鍵を開ける。黒い壁に挟まれた長い廊下の先には、リビング、簡単なキッチン、ベッドルームと壁がなく続き、最後に全面ガラス張りの壁があった。その向こうには宿泊者専用の小さなプールと太陽が沈む海。部屋のどこからでも海が見える最高のレイアウトだった。
「もっと早く泊まりにくればよかった」
「だからいい部屋だって言ったのに」
そう言うと五条は機内や那覇空港で買って車内で食べていたお菓子の箱や包装紙をゴミ箱にいれて、なんかある、とベッドに近寄って行き、向かい合ってハートをつくる白鳥のタオルアートをつついた。
リビングの壁には左右にドアがあり、左を開けるとバスルーム、セカンドベッドルーム、パウダールーム、メインキッチンルームに続いていた。建物の壁や床、家具、リネンは無彩色で統一されており抽象的なアート作品がアクセントに飾ってある。マンハッタンスタイルだっけかこういうの。理想の家じゃん。東京の私の部屋は避難区域指定されちゃって住めなくなったから東京にこの家をコピペできないかな。

「なまえ先輩、晩飯どうする?」
五条がタオルアートの白鳥を片手に1羽ずつ握って探しに来た。そんな山で仕留めたみたいな持ち方あるか。
「確かここ決まった夕飯出ないよね」
「そ。夜は提携の出張シェフ呼ぶか、ここ専門のデリバリーに頼むか。朝はデリバリーのみで部屋にキッチンあるから作ってもいい。晩飯いる?冷蔵庫にちょっとつまめるもんあるらしいけど」
「そこまでがっつりは……。車内で結構食べたし」
「僕もパスだな。朝食だけデリバリー頼むか」
「いいね」
リビングに戻り簡易キッチンの冷蔵庫をあけると、中にはオリオンビール、シャンパン、さんぴん茶、コーラ、ペプシ、多種多様なフルーツジュースとサンドイッチ、スパムおにぎり。冷凍庫にはブルーシールアイス。五条のために用意されたのだろう、こういう所には不自然なほど甘いジュースが多かった。
「ホントに先輩、天与呪縛なくなったね」
コーラとスパムおにぎりを取り出しながら五条は言う。
「六眼だとどうみえる?」
「今までは他の術師と違って下っ腹に呪力を大量に蓄積してたんだけど、今は体全体の呪力が均一にならされた感じ。体感、前の半分くらいしかないんじゃない?」
「ホントそれ。足を動かすのに呪力かなり取られる」
「構築術で細胞作り直すとかできないの?」
「技術としてはできるけど呪力が減ってる状態で細胞みたいな複雑なもの作ったら、反動が大きいしすぐ呪力切れになるから今の戦況では難しい」
「じゃ、僕が勝てば憂太が治してくれるかな。うわ、外すご」
窓の向こうの海には太陽がほとんど沈み、バターみたいに溶けて海に流れたようになっていた。濃紺の空はさらに濃くなり星が見えてきている。

「もしかして、この後お風呂入って寝るだけ?」
「いや大イベントあるよ。僕はシャワー浴びてくる。先輩は風呂入って。ここ、シャワーとバスルーム別だから」
そう言って五条はコーラの瓶と一緒に、まだ見てなかったリビングの右にあるドアの向こうへ行った。私もオリオンビールを2缶もらって左のドアを開けてバスルームに向かった。明日も運転あるから飲むなら今日だ。

▼ ▼

リビングルームに戻ると部屋のメインライトが全て消えていた。
けど天井や床にある間接照明やダウンライトはついているので、蝋燭の火を灯したように薄明り包まれている。
先に上がった五条がボクサーパンツ1枚でベッドの上に寝転んでいて、私と目が合うと手招きをする。その向こうの夜空にはもう太陽の残光はなく、星が爛々と輝いていた。五条の横に寝転んで、一緒に星を見る。2人で寝ても広々としたしっかりとしたベッド、香りのいいシーツ。
「バスローブ着なよ」
私が着てるのと色違いのバスローブがベッドの隅に押しやられて居心地悪そうにしていた。
「気づいてると思うけどさ」
「うん」
「僕さ、先輩を抱くためにここに誘った」
五条の方を見ても視線は相変わらず空を見ている。
「そうだろうなとは思ってたけど、同意取る前にパンツ1枚になるのはちょっと」
「宿儺に勝って、体が治ったら天与呪縛も戻るかもしれないし」
私が生まれてからすぐにかけられた呪縛の大元は下腹部にある。構築したまがい物ではなく、正しい人間としての細胞が戻れば、呪縛も戻る可能性がある。
「ってことで、許可も取ってきました」
五条がベッドサイドにあったスマホを掲げる。再生されたのは懐かしい私の実家の前だった。太陽が燦々と降り注ぐ、2年に1回帰るかどうかの実家の前に両親が立っていて、実家の猫が撮影者の方に近づいて来ている。
『なまえー!悟君と結婚してもいいけど、五条家嫌になったら、すぐ帰ってきてねー!』
父がカメラに呼びかけて来て両手を振る。なんかこんな番組……小さい頃……あったような。
『お母さんねー!悟くんのことは好きだけど、御三家は全然好きじゃないから、危なくなったら逃げてねー!』
母がそう言って片手を振る。猫が撮影者に撫でてほしそうに地面に転がる。
『みょうじなまえさん見てるー!?結婚の許可いただきましたー!!』
五条の声が枠外からして猫がすごい喋ってる声が挟まる。
動画は終わった。

「五条悟、めっちゃ勝手するじゃん」
「僕さ、実は先輩の家にお中元もお歳暮も毎年欠かさず送ってたんだよね。どう?」
「どう?じゃないよ。いつ、これ話に行ったの」
「先週」
「…………」
「どう?」
「キレるというよりは困惑してる。五条の家はどうなの」
「あっちは全部僕が握ってるから」
「外堀埋めすぎでは?」
「埋めないと追い詰められてくんないじゃん。先輩の嫌いな御三家も壊滅状態。だから、僕と結婚して」

それから少しの間、お互い無言だった。五条は考える時間をくれたんだろうけど、お互い気づいている。今更悩むことではない。そういう間柄ではない。もう約15年も一緒にいたのだ。関係を変えることを阻んでいたものもなくなった。

「結婚は、ひと晩検討する。できたらやる」
「飲み会に来るかどうかみたいに言わないでくれる?」
「でももし今夜のことがなくても五条の側には絶対いる」
「……ズルいでしょその返しは。……で」

なら今からのは?と視線で可否を問われる。私は起き上がって五条の腹の上に座った。ぎょっと丸々と見開かれた目が、ゆっくりと弧の形に変わって、ベッドに来てからずっと合わなかった目がやっと合った。

「超イケメンで最強に生まれたのに、先輩に出会ったせいで童貞魔法使いになるところだった」
「本当にそういうのなかったの」
「経験ないのダサいなと思った時期あったけど、知らないヤツとすんのは無理だなって。結局しなかった。それに先輩のせいで美女にも大好きな大きいおっぱいにも、ピクリとも来ないわけ」
「言い方おっさん臭いぞ」
「もう僕たち立派なアラサーじゃん」
「ところで脱がせてくれないの?」
「は!?脱がせるし!」

そう言ってバスローブを肩から落とすが、合わせを止める腰の紐を最初に解かなかったせいで中途半端になる。笑うと「知ってる」と紐を抜かれた。暖色の照明のせいで、五条の顔色は判断できない。

「もしこれでお互い読み間違えてたら、私今日、腹上死するのか」
「それは絶対に無い。完璧に六眼で見てるから」
「そんな真剣な声久しぶりに聞いた」
「先輩、酒のんだでしょ」
「うん」
「酔いそう」
「頑張れ」

五条は私の首辺りをじっっと見つめたあと、突然ベッドサイドにあったオレンジジュースをつかみ、開け、喉を鳴らして飲むと、後頭部を引き寄せられてキスされた。口内の酒の味をオレンジジュースで押し流して来る。私が倒れ込んだ先にあった五条の胸に手をつくと、心臓が震えるみたいに鼓動していた。「ドキドキしてるじゃん」と誂うと、五条は手の甲で目を覆って「あー……カッコつかねー」と言う。そういえば気まずい時や緊張してる時、一言一言が短くなるクセがあった。
「カッコいいよ、五条は」
触った五条のほっぺたは明らかに熱をもっていた。「でも、初めてのキスがオレンジジュース味っていうのはちょっとムードあるね」と、そういうのを気にしていないであろう五条が言ったのは可愛かった。だからそのまま黙って押し倒された。これが本当に最後かもしれないと思うと、これから頑張ってくれる後輩のためになんだってしてやりたいと思う。

▼ ▼

セックスした。生きてる。
初めてのセックスの翌朝にあったのは羞恥でも法悦でも疲労でもなく、感慨だった。よく生きてここまで来れたな、という感慨だった。
縁づくと死ぬ、という縛りの前ではこんなことファンタジーだったし、直近の渋谷や薨星宮での出来事の後、自分が生きているのには不思議ささえあった。
起き上がると外に広がるのは太陽の光を浴びた青い海とプール、雲ひとつ無い青空。外の明さと室内の暗さで目が眩む。
7時41分。昨日はした時間より、した後にのんびりお風呂入ったり、ダラダラ話したりした時間が長くて、寝たのは4時ごろだった。デリバリーが来るのは9時半だからまだ寝てていい。慣れてきた目で辺りを見渡してあったのは、きれいに整えられた上質な部屋。一昨日と180度違う世界の沖縄。

起き上がり、隣で眠る五条をじっと見つめる。外から入ってきた光が線になって私達の間にあった。
五条は宿儺に負けないかもしれないけど、勝てないかもしれない。
強者同士の戦いは、ほぼ確実に領域の押し合いになる。五条に勝てる人間はいないが、宿儺は受肉していても呪霊は呪力の塊だ。指を揃えた宿儺なら五条の域に届く可能性がある。五条は現代最強だが、宿儺は呪霊闊歩する平安最強だ。そこに経験の差は確実にある。だって五条に並び立つどころか、その少し下さえいなかった。最強になってから他人と高め合うことなんてなかったから。とはいえ、経験の差を埋めるほどのセンスがある。
しかし宿儺の術式で下半身を細切れにされたから分かる。1度でも五条の術式が一瞬でも途切れたら、意識する間もなくきっと細切れにされる。
勝つよ、と言った彼を信じてないわけじゃない。これは信じる信じないの問題ではない。私達は常に組んだ術師が現場で倒されたときも考えて動かなければいけない。こういう職業なのだ。可能性に合わせた計画を冷静に立てて、状況を見る。それと同じことをしている。
それに、1度五条は殺されたことがある。今の状況はあの時に近い。
そんなことを考えながら、五条が宿儺を止められなかった時にすることを考えていたが、止められたときのことは考えてなかった。
五条の瞼が震える。青い目が、その隙間から見えた。

「おはよう、五条」
「おはよ」
鼻先から下をブランケットに突っ込んでいるその頭を撫でると、ブランケットの中に引き戻された。
「朝セックスは夜よりいいらしい」
「イグ・ノーベル賞のネタ?昨日は満足しなかったってこと?」
「まさか。サイコーだったからその上があるなら知りたいにきまってんじゃん」
昨晩のせいで少し唇が切れているところを舐められてキスされる。太陽の光を吸い取ったみたいに、髪も目もきらきらと輝いていた。
ベッドサイドの時計をもう一度見る。7時44分。8時44分に身支度を始めれば、多分余裕。
「するか〜」
「お、してくれんの?」
「朝セックスも、結婚も」
朝日を浴びて輝いていた瞳が1番大きく開く。視線で穴が開けられるなら、蜂の巣になりそうなくらいの時間をあけて、マジ、と言いそうに開いた五条の唇を食んだ。五条が宿儺を止められた後にすることは、きっとたくさんある。

2023-06-11
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