※名前付きモブの初登場は「七海くんと後輩06」になります



「あの、みょうじと一緒にいた先輩さんですか?」

夕暮れ時のことだった。上下線ホームが個別にある下町のローカル駅のホームに佇んでいた七海の視界に、突然上下ジャージ姿の学生が割り込んで来た。七海とそう歳の変わらなさそうな男子学生である。
低級呪霊を祓う単独任務を終えて、ここ数日の小さな疲労の蓄積にため息をついていた中だったので不意をつかれたが、学生の口から出た名前を神経がすかさず拾った。
「……貴方、前に書店で会った」
「はい。苗賀です。みょうじの中学のときの同級生です」
「どうも、奇遇ですね」
「この辺に住んでるんで。七海先輩ですよね、あ、みょうじがあの時呼んでたんで知ってんですけど。七海先輩もこの辺ですか?」
「用事があって来ただけです」
顔立ち、表情、話し方、雰囲気。何もかもが七海と違った。強いていえば近いのは身長と体重くらいのものだろう。親しくない人間に対して口が重い七海に怯まずに話しかけられるのといい、灰原と近そうだが全く違う。とはいえ軽薄と表現するのは行き過ぎだった。
「なんか怒ってます?」
「別に怒っていませんが」
「いや、眉間にシワ寄ってるんで」

七海の口元が真横に引き締まる。視線から苗賀を外そうとしたが、彼は分かっていたように七海の真正面に立った。その足元は点字ブロックを超えていて、あと半歩下がればホームに落ちる際だ。仕方なく七海は2歩下がる。
「……何か用事ですか。私はあと5分で来る電車に乗ります」
「え、今、“私”って言いました?」
「はぁ」
「かっけえ」
七海は視線を落として携帯を見る。あと2分だったことに喜びつつ、そのまま彼の前を後にしようとした。ホームは苗賀の前だけではないのだ。
「いやマジでそう思っただけで!!それより、それより!七海先輩に聞きたいことあるんですけどいいですか?」
七海は返事をしない。人に礼儀を持って接する七海は、同時に礼儀を欠いた人間が嫌いだが、相手が多少失礼でも自分が礼儀を欠いていい理由にはならないと考えている。しかしもう、この学生は多少の域を超えていた。
今までの人生で話し方や見た目を論われることが多かったせいで、それが褒めでも貶しでも話題にする人間を軽蔑していたし、同時に諦めてもいた。何も言わず距離を取るのが1番だと知っている。

「みょうじと先輩って付き合ってるんですか?」

いつもより2倍は靴底がすり減りそうな足音を立てていた七海の早足が止まり、少しだけ振り返る。射抜くような視線が苗賀に向かった。
「付き合う予定です」
「じゃあまだ付き合ってないんですよね。みょうじって中学のとき、絶対俺のこと好きだったんですけど」
物理的にも精神的にも割り込んでくる、その図々しさ。明らかに「ですけど」の後に続いてある含み。七海はますます眉間にシワを寄せたが、心臓が早くなっていることに気がつく。

七海はみょうじの過去をほとんど知らない。そしてこの前の埠頭任務で尋ねられた呪詛師の件がずっとひっかかっている。
彼女の過去になにかあるのか?しかし語る気があるなら、あの時に語っていたはずだ。誰にも話していないが自分には特別に打ち明けてくれたのか、一部には開示しているが自分はまだその域ではないのか。
それは最近眠りが浅く、疲れが取れない要因のひとつだった。
「電車なら30分後にも来るんで、ちょっとそこで話しません?頼みたいことがあります」
そういうと彼は駅そばにあるコンビニを指差す。電車の到着を知らせるアナウンスが響いた。

▼ ▼

駅の側にあるコンビニの脇には鳥居が立っていて、その先は神社ではなくコンビニの並びと地続きの普通の町並みが続いている。目の前にある、ひとつ倒れたら全て終わりそうな駐輪場や家路を急ぐ人の姿を見ながら、七海はコンビニの壁に背を預けた。コンビニで苗賀に横取りされて会計を済ませられてしまった紙パックの緑茶を啜ると、隣の苗賀はコーヒー牛乳を喉を鳴らして飲む。
「なんか、やっぱ俺のこと嫌いですか」
「何故ですか」
「すごいずっとムッとしてるんで」
苗賀が自分の眉間を人差し指でつついた。
「いえ別に。こういう顔です」
「ほんとに?俺のこと敵視してるとかじゃなく?」
「別にそういう関係ではないでしょう」
暗に敵視するほどでもない、とでも言わんばかりの態度だった。勘違いされやすいが故にそれを緩和する振る舞いを知っている七海だったが、今はそれをする気が一切ない。
「……あのですね。まだ付き合ってなかったら、俺のメアドあいつに渡して欲しいんです」
苗賀はバッグから引っぱり出したノートに荒く、しかし誤読しないようにメールアドレスをボールペンで書き、ページを破って七海に渡そうとした。七海は黙ってそれを見つめたが、受け取る手を出さなかった。
「私から渡すことはしません。ご自身でどうぞ」
「なら高校どこなんですか?その制服見たことないんですけど。つかそれ制服ですか?」
「教えません」
任務先で受けたお願いを断ることは多々ある。その時七海は必ず断る理由を添えていた。そうしないと相手の気持ちが落ち着かないし、諦めがつかないからだ。
だからその返事は七海らしくない、断ち切るような拒絶だった。視線だけ苗賀に向けて睨みつける。整ったキツイ顔つきはその気がなくても睨んでいるように見えるが、今の七海は苛立ちを込めて苗賀を見ていた。
敵視してないなんて嘘じゃないか、と苗賀の調子づいていた態度が少し潜まり、突き出されたメールアドレスの書かれた紙はひっこむが、その手に握られたままだった。
「でもまだ付き合ってないなら、みょうじはその気じゃないんですよね」
「特別な事情があるだけです。それについて話す気もないです」
苗賀のストローが空気を吸い込んで紙パックが凹む。握りつぶして脇にあるゴミ箱にいれると、彼は自分を見ない七海に体を向けて、その横顔と対峙した。

「俺とみょうじ、中1、2って同じクラスだったんです。アイツ、ちょっと人見知りしますけど喋ってみたら話しやすくて、めっちゃかわいくて、それで仲良くなって。席が隣とか前後になることが多くてずっと喋ってました。で、中2の始めに俺、秋に転校することが分かって、クラスの奴らに協力してもらって席替えとかでも近い席にしてもらったんですよ。みんなに応援してもらって絶対最後の日に告ろうと思ってたら、その日にみょうじは風邪で休んで、結局それっきり。連絡先の交換もできなくてそのまま。まあ、そもそも俺が携帯買ってもらったの、こっち来てからなんで……」
だから渡してください。ともう1度メールアドレスが書かれた紙が差し出される。
七海は高専にみょうじを狙う人間がいなくてよかったと心底安堵した。

(五条さんにその気が全く無いと分かっていても嫉妬をしているのに、彼のような相手がいたらと思うとたまったものではない)

五条に嫉妬した時とは違う、腹の中に渦巻くような重い感情が横たわる。七海は薄く口を開けると、冷静に、吐き出すように話した。
「それだけ機会があって、連絡先を交換していないのは、アナタが好かれていなかっただけでは?」
もっと強い言葉で否定したくなったがぐっと飲み込んだ。噛んだストローから小さな悲鳴がする。
「いやそれは本当に違います!」苗賀は七海を見据えて、大声で言った。
「アイツマジ、俺が引っ越した後からすごい暗くなったらしいんですよ。周りの奴らも気にしてくれて、絶対俺が引っ越したせいだろうって。俺とアイツの遠距離恋愛を成功させる会みたいなのもできたのに、みょうじが中3の夏くらいから不登校気味になって、それで誰も進学先知らなくて!だからお願いします、俺もみょうじが好きだからフェアにさせてください!」
飲みきった紙パックがべこりと音をたてたので、七海はストローと紙パックを分別すると後ろのゴミ箱に入れた。
ここに来てから25分が経っていた。
そろそろホームに戻っていい頃かもしれないと思っているのに。

「確かにフェアじゃない」

口から勝手に言葉が出て、足がその場から離れなかった。
「フェアじゃない。先に彼女と出会って、3年も時間があったアナタの方が何倍も私より有利です。転校したとはいえ、彼女の住所も、自宅の電話番号も、応援してくれるというクラスの人間に聞けば知れたでしょう。けれどアナタはしなかった。彼女から連絡が来るのを待ちたかったのか、慢心なのか、手を抜いたのか、全てアナタの勘違いなのか知りませんが、2年も経った今になって私を経由してそれを渡させるのは、私といた彼女に偶然会って生まれた後悔か嫉妬でしょう」
苗賀の目に七海がどう映っていたか、七海もそしてみょうじも知る方法はない。こめかみから額にかけて這う青筋と、眉間に深く刻まれた皺。本人は冷静に話していると思っているが、抑えた感情から吹き出る圧力は言葉を差し込む隙を与えなかったし、苗賀の図星をついていた。
「私なら必ず会いに行きますし、離しません。アナタの自分勝手な感情に巻き込まないでください」
七海は苗賀のジャージの上着のポケットに、紙パックジュース代をピッタリ突っ込む。その時、苗賀が持っているエナメルバッグに書かれた高校名が見えた。座宇尾、座宇尾学園高校。前に任務で近くに行ったことがあった、高専から1時間ほどかかる進学校だ。
それだけ頭に入れて、七海は駅ではなく商店街の方にあるき出した。

「そ、そっち逆ですけど!」
「タクシーで帰ります」
「ちょっと待って!!最後に!七海先輩って暗くなったアイツどうやって戻したんですか?!」
早歩きで商店街を歩いていく七海を苗賀は小走りで追う。
「何もしていません。高校入学時に会った時から彼女は明るい人でしたよ。アナタの存在の有無は無関係でしょう。私達は部活的なものが一緒で知り合って、私から告白しました。お互い忙しいので約束だけして保留をしているだけです。気は済みましたか。面倒なので二度と話しかけないでください」
「キッツ」
「アナタみたいなタイプは苦手です」
「俺もです。真逆ですもんね俺ら」
「でしょうね。だから私はみょうじさんに好いてもらえたのでしょう」
「じゃあ、アンタが嫌になったら俺みたいなタイプが好かれますね」
「あり得ないことを期待するのはくたびれ損ですよ」
七海はもう苗賀の言葉に怒りを感じなかった。みょうじがコイツと付き合わなくてよかったという安心感だけがあった。
「まあ、でも安心しました」
追ってくる苗賀の足が止まる。商店街を出て、ちょうど走ってきたタクシーを止めた七海は今までとは違う彼の声のトーンに振り返った。
「あいつ元気にしたの、先輩じゃないってことですから」
ども。と苗賀は言うと、来た道を引き返して行った。彼の足取りとエナメルバッグは機嫌が良さそうに跳ねていた。
「…………はあ?」
低い七海の声が漏れた。

▼ ▼

学食で私の前に夜蛾先生が座るときは、決まって“販売員”の調査経過を教えてくれる。
この時期にしては珍しく夕食の時間なのに学生達が出払っていて、先生は私の前にトレイを置くと、少し離れた場所に座る事務員さんが席を立つまで黙々と定食を食べ進めた。
「……“販売員”による死者数が、みょうじの件以外にも10件程度死者が出ていることが分かった。また、この前オマエ達が調査した品もヤツが作った呪具だ」
「やっぱりでしたか」
「あぁ」
“販売員”の作る呪具は特徴的で、刀やナイフなどの見たまま武器の呪具でなく、なんてことない生活雑貨を模して作るのだ。お姉さんが買ったのもキッチンに普通にある文化包丁だったし、この前埠頭で発見した呪具は庭などに置く人感センサーライトがモデルだった。“販売員”の呪具回収数は大々的に調査を進めるようになって、過去の収集物・新しい収集物を合わせて100点ほど見つかったが、どれもこれも大型雑貨店にあっておかしくないデザインをしてる。
「同時に、呪術師たちに作った呪具を送りつけていることも判明した」
「それって……つまり賄賂ですよね」
先生は頷く。現存する呪具は希少で高価だ。買付が難しい家もある。だから呪具の腕を見せることで収監されても生き延びようとしているんだろう。
“販売員”を処すのは難しい、と先生に出会った頃に言われた通りだ。呪具をコンスタントに供給できる呪術師は現在いない。だから“販売員”を収監して呪具を作り続けさせた方が得、という考えが上にあるらしい。“販売員”もそれを理解しての賄賂だろう。
「だがな、その姑息さに極刑が妥当と意見を変えるものもいた」
「でも10人も殺してるなら」
「あぁ、通常なら死刑だ。前例もある」
そんなに落ち込むな、と先生に言われて自分の顔の強張りに気づいた。落ち込んでいるわけじゃないけど、良くしてくださる先生にこんな顔は見せたくなくて俯くと、先生は定食についているミルク寒天の小鉢を私のトレイに入れてくれた。私はナポリタンについているおまけコロッケの皿をお返しした。

「みょうじ」
「は、はい」
「……入学してからの任務達成率を見た。よくやってる。体捌きも反応も段違いになったな。もう、2級向けの任務が多くなってきたんじゃないか?」
話題を変えてくれる気遣いまでもらって、流石にずっと俯いているわけにもいかない。ミルク寒天を食べて前を向くと、先生は微かに笑っていた。
「先輩たちの2級任務に同行させてもらうことが増えましたね」
「なら後は、経験を重ねればすぐに2級の話が来るだろう。気を抜くなよ」
私の今の目標は2級術師である。ここまで上がらないと“販売員”の可能性があるような呪詛師相手の任務に単独でアサインしてもらえないからだ。未経験の1年で準2級ならかなり順調だけど、自分の術式の使い勝手の良さを評価されて来たので、ここから実力不足で苦労しそうで怖い。トレーニングを増やさないといけない。
「入学前の約束を覚えているか」
「……“販売員に固執しないで、学生として思い出をつくれ”ですよね」
「あぁ、だから七海と早く付き合え」
「えっ!?ご存知なんですか!?」
驚きで、フォークに絡まっていたナポリタンが全部皿に落ちる。制服が黒くて良かった。
「安心して見ていられると職員から専ら噂だぞ」
「安心でない付き合いがあったんですか?」
「呪術師は大体学生時代から頭のネジが飛んでるヤツが多いからな。オマエと七海は珍しく、本当に、高校生らしいと補助監督からも褒められている」
「えぇ…………普通、高校でこういうのって付き合うなとか言うんじゃないですか」
「うちにはそんな校則はないし、呪術師は死ねない理由が多いほうがいい。積極的にデートに行け。そうだ、悟と硝子に任せる予定だった任務がオマエと七海に回る事になったから、今話しておくか」
「五条さん向け任務なのに大丈夫なんですか?」
「男女で潜入して欲しいだけだったからな。硝子に用事が入って行けなくなってな。……もし七海と何か上手く行ってないなら……悟とみょうじとでもいいが」
「七海さんでお願いします」
「なら来週の木曜、七海と座宇尾学園高校に調査任務に行ってもらう」
詳細情報は明日補助監督から貰える、と夜蛾先生は持っていたバインダーから任務概要が書かれたプリントをくれた。内容としては、最近学内で起きている犯人不明の傷害事件について調べて欲しいというものだった。……ん?来週の木曜日……?その日、前に七海さんと行けなかったお祭りの再チャレンジで花火見に行く日だった。ような……!?

2023-05-04
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