※「冥さんが大好きな冥さんの後輩05」を読んでからがオススメです

『なまえ、カレーを作れる?』
「時間がかかりますね……今いくつかスパイスを切らしてて、買いに行って仕込むと8時間後くらいになってしまいます。でも時間のほとんどが下味のための仕込みですから……そこスキップしたら2時間くらいでできますけど……中途半端なものを冥さんに出したくないっていうか……あの、後ろで汚い声がしますけど大丈夫ですか?」

冥さんからの電話で開口一番出た言葉の背後に、汚い男の悲鳴が入る。電波が悪く土砂降りのようなノイズ音がするが、冥さんの声は遠くても風の囁きのように美しいのだ。
『今ちょっと情報を吐かせていてね』
よかった尋問中か。くぐもった男の声と烏の羽ばたき、それから水っぽい物が掻き回される音。冥さんの尋問中ならよくあることなので安心した。冥さんの尋問って烏しか使わないから大変SDGsですよね。
『いや本格的なのじゃなく、いわゆる家カレーだよ』
「い、い、家カレー……!?冥さんは家カレー食べたことあるんですか!?」
『1番最初に作ってくれた料理じゃないか』
「1番最初に作ったのは……肉骨茶だと思いますが……」
『……あ、間違えた。あのカレーは私のために作ってくれたモノじゃなかった。でも私が最初に食べたなまえの料理は家カレーだよ。……そうそう、あの時のは日下部に作ったものだったね。ん?あぁ。やっとかな?ちょっと情報を吐きそうだから一旦切るよ』

画面に表示された通話終了の文字と一緒に映った、自分の苦々しい表情を見つめる。
日下部さんに家カレーを作った……?日下部さんを家に呼んだことがそもそも無いのに?本当に冥さんが家カレーを食べたんですか?
こう言うと家カレーを軽んじているように聞こえるかもしれないが、それは誤解だ。何百人という人が努力をし、万人が美味しく手軽に食べられるように開発された商品は素晴らしい。
冥さんは家カレー食べたことあるんですか!?は、他の誰かの家で食べたのと勘違いしてるんじゃないですか!?の意味である。
冥さんが好むのはスパイスカレーだから家カレー方向じゃない。だから私は作らない。どこの誰だ、冥さんに家カレー食べさせたヤツは。冥さんに対する理解が浅いのでもっと勉強したほうがいいと思う。…………いや冥さんに家カレーを食べさせるという特別な機会を得ている状況なのだから……君もまた冥さんに悪く思われていないのだろう……少し知識があるだけで思い上がった考えだった……反省と謝罪を……。それと同担歓迎なのでその時のこと教えて欲しい、どこかの誰か。

しまった、10分も考え込んでいた。どこかの誰かを考えるのは後にして、買い出しに行かなければ。財布をつかみ、適当にコートを羽織って家を出る。夕食時のせいかマンションの廊下には微かに調理器具が擦れ合う音がした。
1番美味しいカレールゥってなんだろうか。……いや……違う。今日は日下部さんに作った家カレーを再現すべきだ。
メッセージアプリを立ち上げて、落とし、通話アプリをタップする。あの人「しょーもな」と思ったことはどんなに重要でも既読放置するから。
かけてみると珍しく1コールで彼は出た。『どうした』と返事をする声も私の電話に出るにしてははっきりとした声量だ。
「こんな早く出てくれるなんて珍しいですね。どうかしたんですか、任務中ですか?」
『話しが長〜〜いタイプの目撃者に30分も捕まってたんだよ。助かった。知らん家の先祖に詳しくなるところだった』
「今から全然任務と関係がない話をするので、目撃者から離れてもらっていいですか」
『もう100メートルは離れたからいいぞ』
それ走って逃げただろ。
日下部さんは色々あってここにいて、死ぬのは御免だからテキトーにそこそこの仕事をしたくて高専の教員をしている。だから呪術師のやりがいとして挙げられる人助けに興味がなくて、依頼人や目撃者のメンタルケアは今回みたいにやりたがらない。
これには賛否両論あるだろうけど、私はこの人から呪術師としての基礎を学んでよかった。日下部さんは自分と彼の家族のために、私は冥さんのために、という誰かのために働いているという所でスタンスが近いから。

「私、日下部さんにカレー作ったことありますっけ?」
『んん……?』
あからさまに何言ってんだコイツという返事の後「何言ってんだ?」と直に言われた。その後は通話中のままでしばらく無言だったが、納刀音と深い溜息の後に『あ』と日下部さんの声が漏れる。
『アレだ。高専の食堂で1回だけ飯作らせたことあったろ。それがカレーだった』
「あー……りましたっけ?」
『高専1年目の頃、休みで食うもんなくて棚にあった材料で作らせた。みょうじ、この茶色い汁を……!?白ごはんに……!?とか面白いこと言ってたな』
「……おぼろげに……あったような……その時のカレーのルゥの名前覚えてます?」
『高専の食堂だからスーパーで1番安いヤツだろ多分。じゃあな』
そんなこと、あったような、なかったような。でもそう言われると食堂のキッチンの風景が少しずつ頭に浮かんでくる。
日下部さんの話を反芻しながらエレベーターを待っていると、部屋のドアが開いて3歳くらいの子どもが1人飛び出した。同時にほのかに香るカレーの匂い。勝手に閉まるドアの緩い風圧で、さらにこちらへ匂いが押し流される。子どもを保護しようとこちらが動く前に母親が駆け出して来て、子どもを抱き上げ部屋に戻って行く。一瞬の出来事の後に廊下に残ったのは、フルーティーで甘いカレーの匂いだけ。
エレベーター到着音が正解を讃えるように鳴り響く。
思い出した。人生最初の家カレー。

▲ ▲

日下部が口に加えた小さく平たい木片の先端を、みょうじの刀の切っ先が切り裂いた。日下部は1歩下がると刀を鞘に納め、木片の先端を眺める。先端から中ほどにかけてぱっくりと縦に切られているが、その線は少し傾いていてあと3ミリもすれば先端は切り落とされていただろう。
「当たってるけど真っすぐじゃないからやり直し」
「私に難しい訓練することで自分の任務サボってませんか?」
「んなわけあるか!!世間知らずのオマエが社会と呪術界の2つの荒波に揉まれんように教えこんでんだろうが。短刀術も体術も自己強化の術式もご立派だがみょうじの体重は軽すぎんだよ。オマエの合気道みたいな受け流し技は実践レベルだが、ああいうのは力の方向が一方向で手足が人間と同じ数の相手にしか通じん。近接やるならまず武器増やせ。手数は多いほうが圧倒的に有利だ。そんでもって精密攻撃はその中でも必須中の必須。このズレひとつで狙えた頸動脈外すぞ」
「首を刎ねればいいのでは……?」
「任務が呪詛師捕縛ならそうはいかんだろうが。精密さは脅しにもなる」
痛い所をつかれみょうじは「ごもっともですが……」とうなだれる。
葉桜が青い校庭で向き合った2人以外は、学生も教師も繁忙期の任務で出払っていた。
日下部は木片を弾くと、新しい木片をスラックスのポケットから取り出す。一緒に出てきて落ちた飴の屑をみょうじは拾い上げながら、額から垂れる汗を拭った。日下部さんがやけに立派なことを語る時は大体なんかはぐらかしてる、と思いながら。

みょうじが生まれ育った村から保護されて1ヶ月半が経った。
みょうじの村の調査は、呪霊を祀る村について高専に密告が入ったことと、冥冥にその村に住む子どもの保護依頼が同時に入ったことが始まりだった。
任務にアサインされた夜蛾、日下部、冥冥は、すでに途絶えたと思われていた加茂の遠い親戚に当たるみょうじ家の最後の子どもをどうするか話し合った結果、見す見す不幸にするのは忍びなく、みょうじなまえは村で保護した、ただの呪術師素養のある子どもとして高専に入学させる、という夜蛾の案に2人は賛成した。
村は外部との交流をほとんど持たなかったせいで、平成で一般的にド田舎と呼ばれる村よりさらに文明がなかった。通信機器もテレビも新聞もない。
そんな村で産まれたせいで外界に出たことがなかったみょうじは、連れて来られた東京のビルの高さや人の多さに少しメンタルの調子を崩しながらも、多くの社会常識を早く頭に入れる必要があった。
携帯電話や通信の仕組み、公共交通機関の使い方、お金や売買という日常の契約など、社会で暮らしていくための全てを日下部が長い長い長い時間をかけて教えた。ただ指導時間と学習量のペースをつかめば、日下部は1日で終わることを3日かけて指導しているとみょうじは気づき、社会や文明と一緒に彼がどういう人間なのかも1ヶ月半を通して学び始めていた。
めちゃくちゃ強いけど上級任務は受けたくないから私の指導に時間を割いていること。もっともなことは言うけど、多分心が入ってないセリフだということ。引き際をわかりすぎていて、もうちょっと行けるだろという所で帰る人。
そんな日下部は、みょうじ家を讃えて暮らす村の住民たちとは真逆だった。だからこそ、みょうじは日下部を慕っている。冥冥と夜蛾の次に。

「これでちょうど50本目か……最初に比べたら当てるまでの時間は段違いだが、精度が上がらんな。疲れが出たんだろ。昼飯行くか」
「30分前に30分休憩とりましたけど」
「刀の訓練に集中力が欠けたら怪我するだろうが!安全な学校現場にはこまめな休憩が重要なんだよ。それに蓄積疲労ってもんがあるだろ。だから俺は今日はsuicaの使い方実地試験を勧めたのに」
「あれ試験いります……?」
「平日朝の改札詰まらせたらそれだけで呪いが湧く。呪術師を呪霊を生ませる原因にするわけにはいかんっちゅーこと。……今日、学食開いてると思うか?」
「日曜ですからね……もしかしたら……」
この人ほんとに私のこと心配しているのか……?とみょうじは首を傾げながら日下部と学食に向けて歩き出す。ただ、自分と比べて汗ひとつかいていない日下部はやっぱり強いなと、これだけは確信していた。

やはり学食は電気さえついていなかった。
日下部は何もないカウンターに肘をついてキッチンの中を覗き、冷蔵庫の中も物色する。学生も料理をしていいので食材はいくらか残っていた。
「みょうじ、カレー作ってみろ」
「カレー……ってなんですか」
「これ」
渡されたのはカラフルな色の箱だった。できたてのつやつやのカレーがパッケージに印刷され、食欲をそそる色合いでデザインされている。
「なんですかこの茶色い汁を……!?白ごはんに……!?……煮過ぎた煮物?」
「タイムスリップした武士かオマエは。カレーだカレー。日本の小中学生は野外に出されてコレ作る訓練があるくらいメジャーな料理だ。裏に作り方が書いてあるし、材料も揃ってる。頑張れ」
日下部はそういうと食堂の席について大あくびをした。みょうじは困惑しながら、箱を開けてルゥの入ったケースを引っ張り出す。
(この前、呪骸の子にもらったチョコ……みたいだけど匂いが全然ちがうな。箱にりんごとはちみつが溶けてるってあったから、てっきり液だと思ったらガチガチの固形だし)
「日下部さん、これ冷たくないですけど……凍ってるんですか」
みょうじが聞くと日下部は大声で笑ったあと「オマエ……キャベツを洗剤で洗うタイプじゃないよな」と自分の腹を心配して心底真面目な顔で聞いた。そんな真面目な顔できんなら訓練の時もしてくれと、みょうじもまた自分の将来が心配になった。


「どうですか」
「フツーにウマい。レシピに従ってちゃんと作るのはできそうでできないモンよ。でもちょっとこのカレーにしては和風だな。アレンジしたか?」
「日下部さんが好きな定食は大体醤油ベースなのでそれっぽく変えました。これがカレーでござるか。甘辛でござるね」
「武士ネタやめろ。舌がいいな。アレンジもできんなら、もし呪術師続けられなくなっても飯屋で働けるな。味覚は子供の頃決まる上に修正が難しいからよかったな」
「はは。親に感謝っすね」
「どう反応していいか分からん笑いはやめてくれ」
「おかわりあるか?」と日下部は席を立つ。ホントに美味しかったんだな、とみょうじが安堵のため息をついて「2人分くらいなら」と返事をしようとして、息が止まった。

「やあ」
食堂に入ってきた人物に釘付けになったからだ。高く結ったポニーテールが優雅な足運びに合わせてゆらりと動き、その整った顔がみょうじに微笑みかける。
「め、め……冥冥さん」
「久しぶり。カレーを作ったの?私も頂いていいかな」
「あ、あります!日下部さんも座ってください!私がつぎますので!!」
日下部のカレー皿を取り、みょうじは走るようにキッチンに向かう。冥冥は日下部とみょうじの向かいに座り、日下部を見つめた。
「指導し始めて1ヶ月半くらいだろう?彼女はどう?」
「かなり基礎ができてる。対人、対呪霊との戦い方に慣れれば、やる気もあるし素直だからすぐに準1級は行くレベルだな。そのカレー見ろよ。パッケージの野菜とそっくりに切ってる。素直過ぎて引く」
「ああ、CMみたいだなと思ったらそのせいか。じゃあ夜蛾先生や私が指導してればもう準1級ってところかな?」
「俺はその辺についてはダラダラやってねーよ。生活指導でダラついてる」
「お待たせしました」
みょうじは2人にカレーを差し出すが、冥冥の方に向けた右手は緊張で小刻みに震えていた。ありがとう、と冥冥にお礼を言われて席についたみょうじは、スプーンを握ったあとは正面の彼女が見られずに下を向く。
「そんなにテーブルを見なくてもいいのに」
「いや、その。……はい……」
「オマエ、冥冥前にしたらいつもこんななのか?」
みょうじは日下部に何か言おうとしたが、「ん……はい……」と口が回らずに首まで赤面してじっと自分のカレー皿の縁を見る。そしてたまにちらりと冥冥を見上げるのが精一杯で、カレーを褒められると弱々しく返事をして増々うつむいた。
(べた惚れかよ……いや、それよりタチが悪いな。不幸だな。いやコイツにとっては幸運なのか?)
日下部は全てを知っている。冥冥がみょうじの術式を利用したいことも、みょうじがソレを知って冥冥の力になれるならこの業界で生きるとを決めたことも、みょうじはその目的のおかげで凄惨な体験からも立ち直りが早かったことも。
日下部はカレーを口に運んだ。この腕があるなら、東京で店をやれば食うには困らない才能があると思う。社会の知識はないが、一般的な道徳は持ち合わせている。つまり、普通に暮らせる。
しかしみょうじは、呪詛師の首を刎ねても震えひとつなく平然としているのに、信じた女の前ではスプーンの上のカレーが落ちるほど緊張して震えている。
そのバランスがどうしようもなく呪術師だ。
(……まあ、コイツがいれば俺が楽になるからいいか)
日下部は自分に言い聞かせる。自分はここで生きたいだけだ。教師をやっているのも、コイツの指導をやるのもそのため。ただ2杯目のカレーは、1杯目ほど美味しく感じなかった。

▲ ▲

「どうでしょう」
「うん、コレ美味しいね。初めて食べた時からたまに食べたかったけど、なまえの料理が上手くなりすぎてもう作れないと思ってた」
「例えバーモントカレーがこの世から無くなっても、自力で配合して作るので安心してください。いつでもリクエストしてくださいね」
「フフ……頼もしいね」
確か日下部さんに、りんごとはちみつがどうこうみたいなカレーを作った気がする。でもあれなあ、結構甘かったんだよなあ。冥さん、味のレイヤーに甘みがある辛いものって好きなんですか?疑ってるんじゃないんです。怖いんです。冥さんにマズいものを出す未来が。という恐怖を乗り越えて作った家カレーは好評だった。よかった。任務を終えて来てカレーを食べている冥さんも憂くんも、さっきまで尋問してたとは思えない優雅さだ。
「ちなみに突然家カレー食べたくなった理由とかあるんですか?」
「尋問相手がカレーをテイクアウトしてて、その匂いでね」
「なるほどなぁ……憂くんはどうですか」
「姉様が美味しいなら僕も美味しいです」
憂くんは冥さんに微笑んで水を飲む。あ、コレあんま彼の口には合ってないヤツ……でもその反応、流石だぜ憂さん……。

2022-09-22
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