「悟、ゴムみなかった?」
「…………はぁ?」
「袋入りのゴム。この前一緒に渋谷行った時に買ったんだ。ケース入りじゃ足りなくて」
「な、な、なんでそんなの大量に買ってんだよ!?っていうかわざわざ俺と買い物した時そんなモン買ってたのかよ!?」
「だって下のコンビニのはすぐにきれちゃうし、大きいお店の方が品揃えいいし」
「……誰と使ってんの」
「同級生や傑とか。……なんだ?どうした?頭痛い?車出してもらったら病院まだ間に合うけど行く?」
「……なんで俺がハブられてんの」
「え、いやそんな長さないだろ、悟のは」
「は?は!?なんで知ってんの?……嫌だからってテキトウなこと言ってんの?」
「見ればわかるじゃん。……急に股間押さえてどうした!?……もしかしてそこ痛いの!?傑に病院付き添ってもらうしか……あ、傑いい所に!」
「なまえ先輩、廊下に髪ゴムの袋落ちてましたけど、これ先輩のじゃないですか?」
「そう私の……うわ何だ悟突然倒れ込んで!顔真っ赤だぞ?熱上がってきた!?」
「髪の毛のゴムかよ!!」
「何が他にあるんだよ!!!!」

▼ ▼

「昨日俺の心をメチャクチャにしたから東京駅まで送って」
「精神的当たり屋か?」
朝4時30分。ランニングに行く準備中に突然ノックの音がして、開けたらこれである。閉めようとしてもドアにねじ込まれる悟の爪先。以前同じことが起きて、閉め出す攻防でドアにヒビ入れて先生に怒られたので(直すまもなく現行犯逮捕された)足ギリギリの隙間分をキープして見上げる。
青い眼が下瞼のキワからこちらを見下ろしていた。悟のサングラスのレンズの内側に長いまつ毛が当たって、窮屈そうに上がっている。だからサングラスを外した時に睫毛がいつも上向きなのか。

「送るってタクシー同乗みたいな?」
「さっき見たらバイクあった」
「ええぇ……」
「硝子は後ろに乗せてたじゃんなまえ……」
呼び捨てかい。最近高専にバイクが納車されて、補助監督が使ってない時のみ学生にも使用許可が出た。普段はほとんど出払っていて使えないが、休みの日や朝早くは空いているので、この前硝子ちゃんを乗せて海沿いに行ったら帰って来た所をちょうど悟に見られた。
バイク!いいな!!と言ってたが、あれは自分が乗り回したいのではなく、後ろに乗りたかったのか。
「フルフェイスヘルメットだから髪のセット崩れるよ」
「崩れてもイケメンだから平気ですぅ」
「……チャレンジはするけど、発進できるかは分からないからね」
「どゆこと?」
「行けばわかる。着替えて来るからちょっと待ってて」
隙間から覗き込む悟の口角が上がって引っ込む。閉じたドアがみしりと音を立てて、鼻歌が始まった。ドアにもたれかかってるな……。


空は梅雨真っ最中では貴重な、晴れ寄りの薄曇りだ。昨日の雨は昼に上がったから道路はそこまで濡れていないだろう。
雨が多い時期特有の泥と緑の少し重い匂いが肺にたまる。車庫に続くコンクリート通路には雨風で飛んできたのか、普段は無い細かい砂利が落ちていて歩くたびに音を立てた。
まだ朝日は薄曇りの向こうにあるせいで車庫は暗い。車のほとんどを黒で統一しているから、どの車両がどこにあるかは鈍い光の跳ね返りを頼りに探すしかないけど、事前に確認をしていた悟はすぐにバイクを見つけてくれた。
「コレだろ?」
車の整備品のそばにあったバイクとヘルメット。ヘルメットをひとつ悟に放って、私もかぶる。
「それは大型だから私の免許じゃ乗れない。乗れるのはこっちの中型」
すでに悟がシートにまたがった750cc大型バイクの隣にある、黒と銀だけで作られているオールドルックの中型バイクを指差すと彼は目を丸くする。
そう、中型バイクは女子ふたりがタンデムするには余裕だが、190cm近い体格がいい男子を後ろに乗せるには狭い。乗る前から前輪が浮くウィリー走行にならないかヒヤヒヤしている。
「これが悟が乗れない理由だよ」
「いーや、乗るし。乗れるし」
「難しいと思うけどなあ」
悟は車庫を出て行って、早くと言わんばかりにヘルメットを被って大きく手を振る。
こうなると1回乗せないと折れないだろう。車庫から出してエンジンをかける。いいよ、と声をかけると悟が乗り、ぐんっとバイクは沈み込み重心が自分の制御できない所に行く。後ろに壁を感じるし、タンデムステップに乗っている悟の足が長すぎて私の肘と悟の膝が近すぎる。これはもうバイクじゃなくて。

「エヴァのコックピットだ……」
僕はバイクに乗れるかわかりませんミサトさん……。そういえば理子ちゃんもバイクに乗りたがっていたけど安全の問題から多分美里さんに止められるだろうな。
「悟、まず身長と体重を20ほど削ってくれない?」
「無理に決まってんだろ」
「無限をヒョイしてヒョイで無理かあ……?無理なのかぁ……じゃあ私の腰にしがみついててね」
「なまえ先輩の肩に手を置くのじゃダメなの?」
「悟にいま肩を掴まれるまでは私もそれでいいと思ってたんだけど、悟の手の大きさと握力だと旋回時に肩がホールドされっぱなしになって上手く動けない。だから腰。とにかく密着して荷物の気分で乗ってて」
肩から手が離れ、恐る恐るという具合に腰よりちょっと上の位置に両手が回る。いつもぶつかるようにじゃれて来るので、その触り方は少し不思議な感覚だった。この子こんな風に人に触れるのか。

学内を試しに走ってみたがどうにも重心が安定せずふらついて足をついてしまう。
「腰いれて!もっとべったりくっついて!」「もう私にめり込む気分できて!」「私になれ!!!」と言っても悟は絶対腰を引いて隙間をあけて密着してくれない。
「たのむ密着して!重心が安定しない!」
「してる!」
「腰引けてるし掴んでるところよりによって鳩尾だから!地味に効いてるから!そこつかむなら胸つかめ!膝で私の腰挟んで!!加速の時に重心が後ろ行くんだよ!それが五条悟ジャイロ実装verになってくれ!」
「無茶いうな!」
学内を3周するが、やっぱり悟は後ろに乗るのが下手だった。密着しろというたびに身体がぎこちなくなり、1度振り返って見ると風でおでこ丸出しになって、興奮した猫みたいに瞳孔が丸くなっていた。ちょっと可愛いがヘルメット取るな。どこに置いてきた。
部屋でゲームしてるときは私の肩を顎置きにするくらい密着してくるくせに、今更どうしたんだ。
景色や運転を楽しむなんてことは考えられず、ただバイクを倒さないように怪我をさせないように学内を大回りした。

▼ ▼

「ダメだわ。悟、やっぱ無理降りて」
もう2周して車庫前に戻ってきて私は根を上げた。
「悟がタンデム上手かったとしても構造的な問題がある……」
「なに」
「急ブレーキ時に悟の体重を私が受けることで、私の股間と内太ももが悟と座席の間に挟まれて悲鳴を上げている。じわじわ痛い……体重を硝子ちゃんと同じくらいにしてきてくれ」
「俺の下半身無くなるんだけど?先輩パワータイプなのにいけないの?」
「パワーもあるし骨も丈夫だけど、その前に肉と神経があるのよ。呪力強化でカバーしたらバイクへこませそうだし」
降りてくれと背もたれみたいにもたれかかると、悟は「えー……」と唸った。
「平地を走るだけなら大丈夫かもだけど、まず高専から出るのに下り坂だからなぁ。路上で急ブレーキになったら私たちはなんとかなるかもだけど、バイクは廃車になるし、ぶつかった相手も危険だし……悟、胸板厚くなってない?」
「今さら?気づくの遅くない?もっと俺のことちゃんと見てろよ」
「そんなJ-POPの歌詞みたいなことを……悟が免許取りなよ。それなら全部解決じゃん」
「取ったらなまえ先輩は後ろ乗ってくれんの」
「…………」
「オイ」

かけられる圧を無視して胸板に頭を預けて携帯を確認すると、夜蛾先生からメールが来ていた。先生の部屋を見上げると、寝起きの黒いジャージ姿で窓から私たちを見ている。
「夜蛾先生から悟だけは乗せるなってメールがきてる」
「あー……もうバレたか」
「前から乗るなって言われてたな?タンデムしたいならまずは傑に大型免許取ってもらって、傑の後ろでタンデム練習してきて。悟が重心移動上手くなったら乗せられるかも」
「傑はバイク禁止されて無いけど、傑と俺がタンデムするのは夜蛾先生から禁止されてる」
「正しすぎる……とりあえず今日は乗せられない。禁止されたし、されてなくても悟に怪我させる可能性があるからダメ。傑の免許取得のタイミングまで素行を良くしてバイク解禁されてくれ」
「わーかった!バイクは諦める。タクシーで行く。でもいいよな、硝子だけ。いいよなぁ」
「う……」
「硝子が羨ましいなー」

悟が降りたのでバイクを戻そうとすると、悟が私の頭からヘルメットを抜き取り、奪うようにバイクも車庫に持っていってくれた。内太ももが下拵えされた肉みたいに伸びているので助かるし、悟の乗せたままコケるかもという緊張で額に浮かんだ汗が滴り落ちた。任務でもこんなになること少ないぞ。太ももを撫で擦る自分の影が濃い。雲が晴れてきてる。
「……タクシーで行くなら時間に少し余裕あるから、朝ご飯でよければ作る」
「じゃあ、なまえ先輩が作れる1番手間かかる料理作って」
「朝っぽいのでいうと卵焼きかな」
「夜っぽいのは?」
「……は、春巻」
悟は顔をほころばせ「春巻き」と繰り返し目尻と眉を下げて嬉しそうに笑う。その顔はズルいだろ。悟は不機嫌そうな表情や雰囲気から、この笑顔に変わったときが可愛いからフォローしなければという気持ちにさせられる。元々当たり屋されたのに、朝ご飯を作ることをイイ感じに丸め込まれてしまった。まあ、硝子ちゃんはよくて悟はダメってのは理由はあれどそこは申し訳ないので、さびしんぼモーニング作ったげましょうかね。

こんな気持ちになるのは悟の術中にはまっているのだろうか?どうだろう。不機嫌や罪悪感で人をコントロールしようとする人はいるけど、それと悟はちょっと違う。1年生前半はそういうことをしていたと傑が話してくれたけど、それをすると傑や硝子ちゃんにからかわれて放置されるだけと分かってしなくなったらしい。不機嫌も引きずりそうに見えて実の所そんなに引きずらない。(ポーズとして引きずることはあるし、時々ガチで引きずる)。
ちなみに傑は機嫌の消化が早そうに見えて心の中に残りカスをどんどん蓄積してる気がする。硝子ちゃんは不機嫌になりそうなことからは逃げるタイプで、逃げられないときは人間じゃないものが喋ってると流す。三者三様だ。
話がズレたけど、悟は去年までは人に「羨ましい」なんて言わなかった。硝子ちゃんに煽られても「べっつに」と意地張ってた。悟が私の動かし方を理解したか、無意識でやってるのか。悟は色々あるけどかわいい後輩だからな。

簡単な朝食なら自室でも作れる。私の部屋に向かって歩き出すと股関節が痛くて身体が揺れてしまう。
「足大丈夫?おぶる?」
「今は遠慮しとく。本当に困ったらお願いするね」
バイクの上では密着できないのに、こういうことを言い出すのは可愛い。ちょっと残念そうにうなだれた悟の頭を、ヘルメットでぺしゃんこになった髪を整えるように撫でてやる。悟は目を細めて、肩にゴリゴリと頭をこすりつけてくる。なんかこの体勢に似たもの見たことあるぞ。あ、柴ドリルだ。悟ドリル。

2022-05-24
- ナノ -