※渋谷事変がもしなかったらのクリスマス


高専の壁や柱の飴色がひときわ映える冬、みょうじは廊下で五条に呼び止められた。
「ななみちゃん、七海なまえちゃん」
「な、なんですか……五条悟さん」
「好きなの選んでいいよ」
そう言って渡されたのは1枚のパンフレット。表紙には温かみのあるタッチで、クリスマスの様子を描いた可愛らしいイラストが載っていた。開いてみると、ホールケーキがずらりと並ぶ。
「お世話になった会社で年末のイベント商品を買うみたいなアレですか?」
「まさか。ほらここ」
五条はパンフレットの端をつつく。ケーキに目をとられていたが、そこには有名デパートのロゴがしっかりと印刷されている。
「高専ではね、クリスマスも寮に残る生徒や、普段から高専に詰めてる硝子や学長、年中残業の伊地知のために夜はケーキを毎年食べてるの。全部僕のおごりでね。僕太っ腹でしょ?で、今年は期待のニューフェイスの七海なまえちゃんに食べたいやつを選ぶ権利をあげよう」
「なるほど……。ん……?いや!?クリスマスは家に帰りますよ!!」
高専の冬という新しい世界の情報に流されて、ただただ頷いていたみょうじは正気に戻り、パンフレットを五条へ押し返す。
「なんで!?ほらこれとかただの円柱なのに1万くらいする。謎だよね?食べたいよね〜!!」
「さっきから私の苗字呼んでるんですから答え分かって言ってるでしょう!クリスマスは家で七海さんと過ごしますよ!」
「……帰れたらいいね。この高専から」
「デスゲーム主催者のようなセリフを……!!」

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屋内にいれば暖かいが、外に出ると山の冷気で一瞬にして骨まで冷える。
高専で初めての冬を過ごすみょうじはそれを知らずに、家入の根城であり、1年通して同じ室温と湿度が保たれる解剖室から出て来て大きく体を震わせた。急に吹き付けた風の驚くほどの冷たさに、首が亀のようにひっこむ。後に続いていた家入は吹き出し、その笑いが無人の渡り廊下によく響く。
「硝子さん、寒くないんですか」
「まあ慣れだな、毎年こんな感じだし。戻るな、ほら行くよ」
家入の冷たい手がみょうじの首へ当てられ、また反射的に肩がすくむ。
「明日から寒いって話でしたけど、天気予報ズレましたね」
「だな。防寒具持って来ているか?」
「ええまあ。でもマフラーとか持ってくればよかった」
「駅で待ち合わせだろう?七海に持って来てもらえばいいじゃないか」
「任務先から直で来られるみたいなんで」
クリスマスの今日、みょうじは七海と料理やケーキを受け取って、家でクリスマスパーティーだ。レストランに行くことも検討したが、カップルがごった返す街は普段と違うタイプの呪霊がうろついており、あまり落ち着かないという結論に至った。
渡り廊下を薄く覆う生クリームのように白い雪を見て、みょうじは先月の五条とのやり取りをふと思い出す。当日は帰宅を邪魔されるかと思いきや、今の今まで忘れていたくらいに五条はみょうじの前に姿を現していない。時計はあと2分で定時を指す。
「家入さん、今日は五条さんの姿を見ました?」
「いや見てないな。任務に出たとは聞いているが」
そういうことかとみょうじは安堵の溜め息をついて、家入と別れた。

今日のみょうじは通勤と高専業務兼用の味気ない黒いコートではなく、ライトベージュのコートを着てきた。さらにずっと欲しくてやっと先月買った、いつもよりヒールが2cm高いスウェードのパンプスを履く。装備を整えて出ると気分は上がり、寒さなんてもう大した問題ではない。
高専の長い階段を降りてタクシーを捕まえる。目的地の駅に向かうまでの街並みは、大通り、商店街、民家問わず電飾で輝いていた。
もうすぐ着きます、と七海へメッセージを送ると「私はもう着きました。気をつけてください」とすぐに返事が来る。帰宅ラッシュとクリスマスが相まって、街並みだけでなく前後左右も車のライトで埋め尽くされていた。タクシーのラジオからは、クリスマスイルミネーションを中継するリポートが聞こえてくる。
『駅前のイルミネーション見たかったけど……ケーキが傾きそうだしな』
少しだけイルミネーションへの気持ちを残しながら、時折外の明かりに照らされ艶めくパンプスを眺めた。


暗がり、駅前、クリスマスで待ち合わせの人だらけ、その3要素で七海を見つけられるかみょうじは心配だったが、すぐに七海は見つかった。
七海が着ていたのは、普段の仕事である任務に着て行くネイビーのステンカラーコートではなく、ダークグレーのチェスターフィールドコートだった。直線を描いて膝上で止まった裾は、風でフォルムを崩さない程度に揺れる。吸い付くようなコートの生地と仕立ては、七海のしっかりと鍛え上げられた背中を綺麗に見せていた。あまりにコートが似合い過ぎて、後ろ姿だけで分かったのだ。みょうじは風に吹かれて乱れた前髪を無意識に直し、スマホを構えた。
「自分……写真いいですか」
「どうするんですか……」
「猪野くんに送ります」
「それは後でいいので」
写真を撮るためにスマホの背面を支えていたみょうじの指先に、七海は自分の手の甲を寄せた。
「手が冷たいですね、耳も赤い」
そういうと七海は持っていたマフラーをみょうじにかけた。それはいつもみょうじが使っているもので、手早くみょうじの首にポット巻きに仕上げる。そしてみょうじの頬に触れた七海のコートの袖は薄く柔らかく、みょうじは吸い寄せられて行く。
「マフラーあったかいです……ありがとうございます。七海さんのコート、すごく肌触りいいですね」
「カシミアです」
「うわあ……コート変えたんですか?」
「まさか。貴女と出かけるので今日だけ特別ですよ」
「……七海さんってこういうのワザとやってます?」
「……まあ、私も男ですから」
行きましょう、と七海は眼鏡の位置を正して、駅を離れる。

「実は今日、早く帰れたので料理とケーキはすでに家に持ち帰りました」
「あ、だから私のマフラーを……よく帰れましたね。今日の任務って、準1級案件を2件でしたよね」
「ええ。それは運良く昼過ぎには終わったんですが、私が任務を終わらせるたびに五条さんが任務を追加してきて。結局2件を5件まで増やされたので意地で上がりました」
「ご、五条悟……!!!」
七海の方へ行っていたデスゲームの主催者の名前を、憎々しげにみょうじは呟く。
「……あの人は人が自分抜きで楽しいことをやっていると僻むんですよ」
「なら私たちのパーティーの写真を送ってやりましょう」
「やめた方がいいです。家に来ます」
「怖い……。そしたら、待ち合わせ要りませんでしたね……すみません、わざわざ待っててもらって」
「……アナタ、このイルミネーション見たがっていたでしょう」
七海が視線を向けた先には、人波と共に、光の道ができていた。電飾にシルバーカラーやゴールドカラーはないのに、様々な色が補い合い、その色ができあがり光り輝いている。
七海はみょうじの手を握り、ポケットに自分の手と一緒にしまい込んだ。七海の手は温かく、みょうじの手は冷たい。
「……つまり、こういうことなんです?」
「そういうことです」
七海は頷く。
みょうじは七海の手を握り返すと、ポケットのさらに奥へ深く繋いだ手を滑り込ませた。

人は多いし、足元や頭上を低級呪霊がかけて行く。落ち着かないと結論づけたクリスマスの街は、案外悪くない。すれ違った人に憑いている呪霊を虫でも払うかのように、あくまで自然に七海もみょうじも祓った。その動きはふたりとも同じタイミングだった。

2020-12-25
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