※「パッチワークの日々(夏油:if)」・「36.8℃(夏油)」と同じ夢主ですが0巻ベースの「パッチワークの日々」のifが無かった場合の話になります。


夏油一派の逃亡先はわかりますか?
――わかりません。全員が計画は成功すると思っていたので。散り散りに逃げたのでしょう。

貴女が百鬼夜行に参加しなかったのは、誰の思惑で?
――自分の意思もありますが……最終的に決めたのは夏油傑です。

貴女は非術師殺害などの、呪術師規定に反する活動には積極的でなかったと証言が出ています。情状酌量を望みますか?
――望みません。規定どおり、死刑が妥当です。

夏油傑を貴女さえ救えなかったのは、夏油傑が貴女を拒んだからですか?
――彼の語る大義を、愛で超えるなんて誰にもできませんよ。もちろん、友情でも。

▼ ▼

傑が私を迎えに来たのは、生ぬるく水気を含んだ風が地面の上で寝転がってるような、憂鬱な熱帯夜だった。
高専を出て入った家は、影で呪術師界の血筋成金と揶揄される家で、良い術式を持つ家の者を積極的に嫁や婿に迎え入れ、勢力の拡大を図ってきた。そして御三家に憧れ、時代錯誤の日本家屋を建てて住んでいた。
御三家中の御三家である、あの五条悟が一度だけ私の様子を見に来た時、家の門を見ただけで「やめたほうがいいよ」と言ったくらいには趣味が悪い家だ。

現代に合わない家は、冷房をつけてもすぐに風が逃げて行く。かすかな冷気を頼りながら夜を過ごしていると、重たい風の中に鉄くさい臭いが混じっているのに気がついた。高専を出て2年。この家の予知する装置のようになった私には、世界は無味無臭を食み続けるようなもので、前線は遠い記憶になっていた。だから血の臭いだと気づくのには時間がかかった。
誰か怪我でもして帰って来たのだろうかと玄関へ向かう途中、中庭から視線を感じた。中庭は家の中からしか入れないはず……。真っ暗な廊下を歩きながら気を取られた瞬間、足をなにかに取られて転びかけた。
一体、なにがこんな廊下の真ん中に。月明かりを招き入れるために中庭の戸を開けると、照らされて浮かび上がったのは当主の頭だった。つながってるはずの体がない。中庭から軽い足音が聞こえる。振り返ると明かりを迎え入れた戸の隙間から、子供が2人のぞき込んでいた。
「なまえ様?」
黒髪の子供が私の名前を呼ぶ。
「なまえ様だよ。写真にそっくり」
茶髪の子供が携帯をいじって、黒髪の子供に見せる。

「そうだよ」

頭上から、声がした。
振り返ると一面の黒。見上げると視界に入って来たのは大きな手。抱き起こされた先にいたのは、傑だった。
「遅くなって本当にすまない。迎えに来たよ」
4年前に非術師を112人殺害し、呪術師規定9条に基づき呪詛師として処刑対象になった呪術師。夏油傑。まとめてた黒髪は下ろされて、少し痩せていた。それ以外は記憶の中の彼とほとんど違わない。
「なまえ、何か持って行きたいものはある?」
誰かが2階を走りまわり、階段をかけ降りる音がした。しかし降りてきたのは、口から人間の足がはみ出た大型呪霊だけだった。
4年前に非術師を112人殺害し、呪術師規定9条に基づき呪詛師として処刑対象になった恋人。夏油傑。

彼の手を取るのに、何も考えはいらなかった。


非術師を殺し、呪術師だけの世界を作る。それが答えだと家に帰る道すがら教えてくれた。
傑が高専時代から思い悩んでいたのは知っていた。任務で救えなかった女の子、非術師達の狂った利己主義、後輩の死。
非術師を襲う私達の祓うべき敵は、非術師のせいで生まれた呪い。私達は非術師を守るために戦い、結果非術師のせいで死んでいく。
彼はこのサイクルのゴールを求め、そしてたどり着いたのは彼にとっての最適解を出すことだった。
彼に相談された当時の私は、ゴールさえ意識してなかった。生まれた時から呪術師家系の私は、傑に問われるまで疑問にさえ思わなかったから。私達はそういう家系で、呪術師も呪いもそういうもので。非術師が食べるために会社に勤めるように、加齢とともにいずれ定年を迎えるように、私達呪術師も食べるために祓い、時として力が足りなかったり、運がなければ死ぬ。この大きな流れを変えようなど、考えたことがなかった。
傑の思想は、非術師家系出身ゆえに呪術師界を客観的に見れたせいか。力と気持ちのバランスのせいか。学生時代に起きたすべての出来事のタイミングが悪かったのか。すこしでも何かがずれていれば、こうはならなかっただろうか。

過激な思想。そして失踪後4年で彼がどう変わったか不安だった。しかし、電車の中で眠気に負けて船を漕ぐ2人の子供の頭をそっと撫でる姿は、4年前に私を大切にしてくれた傑そのものだった。

「なまえは私の考えをどう思う?」
なんと答えたか、もう覚えてない。だけど傑が心底嬉しそうに笑ったのは覚えてる。
「このふたりの子供は?」
「山奥の村で非術師の猿共に酷い目に合わされてて。助けた後は私が育ててる」
「ひとりで?」
「そう。なまえも手伝ってくれるかい?」
「もちろん。でもなんでこの子達は私の名前を?」
「なまえの写真を渡していたんだ。いつか3人で迎えに行こうって」

終電で私を迎えに来て、始発で私を連れて家に帰る。2人の背負った小さなリュックにはチョコや飴が入っていて、それぞれに違う動物のワッペンがついてた。
「なまえを迎えに行く日を決めてから、2人は興奮して毎日寝るのが遅くてね」
「だからずっと眠そうだったのね……リュックのワッペン、傑が付けたの?」
「そうだよ」
傑は私の肩を抱き寄せてくれた。高専を出て、初めて安心して眠れた日だった。


■ ■

私の家は古い考えが蔓延している上に、家族間でさえ術式の良し悪しで競い合っていたから「安らかな家」とは疎遠だった。そして高専卒業後に嫁入りした家では、傑との関係が広まっていて、嫁ではなく住み込みの雇われ呪術師として迎えられた。腫れ物のように扱われ、予知だけをして日々を過ごした。きっとあと数年すれば、子供を作ることを強要され、生まれた子供を奪われていただろう。
私は一生、良い家庭とは無縁だと思ってたし、望みもしてなかった。

だから“家族”に会って、初めて家族愛というものに触れた。
“家族”みんなが傑を好きだった。彼の作った世界が見たい。彼が王になるところが見たい。彼のそばにいたい。方向は違っていたが“家族”同士もお互いを思い合い、大切にしていた。

6年間、傑の隣で全てを見ていた。 “家族”みんなのことも見てたし、いつか起こす計画のことも全て頭に入っていた。
だから分かる。このままでは傑が目指す世界にはきっと行き着かない。
五条悟が強すぎる。呪霊操術はとても強力な術式だが、力のリソースは呪霊他ならない。特級呪霊は現在確認できている数で16体。それが傑の力の最大値だが、その全てを取り込めるわけではない。“家族”も戦闘慣れはしていない。1級呪術師と互角に戦えるのがラルゥとミゲルくらいだろう。

傑がいなくなった後に五条に言われた言葉を、私は6年噛み締めていた。
同じだ。傑ひとり強くてもダメなのだ。
傑が望む呪術師が救われる世界を、このままでは傑は手にすることができない。
けれどその世界へ向かおうとする道は、傑を救っていた。
だから何も言えなかった。傑が幸せでいてくれればよかった。同じ志を持つ“家族”と過ごす彼の顔は、高専時代に誰も引き出せなかった幸福が滲んでたから。

■ ■

取り込めば五条悟と互角に戦えるであろう、特級過呪怨霊 祈本里香の出現が、夢であった世界を現実まで引き上げ、そしてすべての計画を早めた。

用意だけは着々と進めてたから、“家族”は穏やかな顔で12月24日を迎えようとしていた。勝って当然の戦いとして、クリスマスや年末年始の準備も進めていた。一方で私は百鬼夜行への参加が禁じられ、家での待機を頼まれた。高専サイドは私と傑の関係を知っている。私が現場にいれば、何よりも優先して捕縛するだろうから。みんな計画の成功を信じてた。勿論、私も。

そして決行前日、傑は私の部屋に来た。
「元気がないね」
「だって、誰か大きな怪我をするかもしれないし」
「戦力配分はきちんと考えているよ。だから大丈夫。なんなら、私の1日先の未来を視て」
私の術式は未来視。人の未来を視る。ただし縛りとして人から依頼されない限り視られないし、視えるものは対象者の視界から見える景色になるので、傑から依頼されても傑の姿は視えない。ただ、心配そうに彼を覗き込む“家族”や私が視えなければいいなと思いながら未来を視た。
「視えたかい?」
何も視えない。
これは失敗ではなく、対象の瞼が閉じられているときの未来だ。つまり、依頼人が眠っている。これを伝えると大抵の依頼人ががっかりした顔をする。
「……真っ暗。傑、早寝してるね。疲れたのかな」
「ははは。明日は大仕事だから」
傑は笑って、いい酒を開けたんだと晩酌を始めた。まるで明日が普通の日のように、他愛ない話をした。仕事の話、夢の話、家族の話、隣町の話……。ここ最近忙しく、時間をとってこんなに傑と話し込むのは久しぶりだった。
気がついたら3時間も経っていて、日付はとっくに変わってた。眠気と酔いが全身に回り、ろれつも曖昧だった。グラスを置いて彼を見つめると、彼はお猪口を下ろし、両手を広げてくれた。抱きつくと、強い力で抱きしめ返された。
「明日の計画やめて、私を祈本里香のような呪霊に変えるのを試してみない?」
計画を心配してたわけではない。ただ、そっちの方が傑にとって楽じゃないかと思ってたから。一瞬彼の腕の力が緩んで、また強くなる。スウェットの生地が心地よい。普段の袈裟姿、実はあんまり好きじゃなかった。
「試さないよ。なまえには、生きて私のそばにいて欲しいからね」
意識はそこで落ちた。

■ ■

次に目が覚めたとき、外は異様な明るさだった。障子をあけると積もった雪が外を照らしていた。空はどんよりと厚ぼったい雲に覆われてるのに、雪だけは光輝いている。
体も頭もひどく重く、眠りから覚めたのに疲れ果てていた。理由はすぐわかった。部屋にかけてある日付入り掛け時計は、25日の14時を指している。1日以上眠ってたのだ。いや、眠らされてた。万が一、美々子や菜々子から助けを求められれば私は現場に行ってしまう。そういう甘さを潰すために、傑がかけた保険だったのだろうなと、部屋の中に微かに残った知らない残穢を見つけて思った。
しかし家中回っても、本堂まで行っても、誰もいなかった。みんなどこに行ったのか。まさかのサプライズだろうか。そう思って、頭によぎった予感を消した。そういえば、菜々子がドッキリをしてみたいと、前にテレビを見ながら言っていた。なら、ああ、気づかなかったことにしないと。分かってしまったら、あの子ががっかりしてしまう。

けれど本堂に続く参道にひとつの人影を見つけたとき、予感は息を吹き返した。
一面の雪景色。白に同化したアイツは、まるで黒い服を着た透明人間のようだった。
瞼を開けられない、暗い視界。誰もいない家。鉄臭い五条がここにいる現実。
五条がぐるりと辺りを見回す。口角をあげて、あの時と同じく「やめた方がいいよ」とポツリと告げた。

「傑の趣味で建てたわけじゃない。居抜きだ」
「知ってるよ。こんな悪趣味なのアイツが好きなわけないでしょ」
「オマエが嫌いだったよ。私と傑が会う時いつも邪魔してきたな」
「僕もオマエが嫌いだよ。おかげで親友が遊んでくれなくなった」
段木に腰掛けると、五条も座った。
雪が降って来て、五条の足跡を消して行く。
「でも10年前も、今も、この気持ちを共有できるのは僕とオマエだけなんだな」

なにも臭いがしない。音もしない。味もしない。世界はまた、無味無臭を食み続けるものへ戻ったのだ。

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それでは最後の質問です。私のイメチェンどう思いますか?
――目に包帯巻くのはやりすぎ。サングラスに戻しなよ。

2020-08-11
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